昨日、Coccoの話の中で、J-POPは歌詞を聴かせることを諦めている、ということを書きました。昔のフォークシンガーには、歌で革命を起こそうとか本気で思っていた人もいたんですから、世の中変わるもんです。
革命はさておき、音楽で世の中に影響を与えようと思ったら、歌詞を聴かせることはとても大事です。
歌で世の中を騒がせた実績では「関白宣言」がダントツでしょう?
彼の前の世代は、啓蒙のためのメッセージを歌に込めたが、それに熱狂したのはもともとの信者だけでした。さだまさしは前時代的発想をカリカチュアにすることで国民的論争を巻き起こしました。まあ、論争の中心にいた人は、リテラシーが低くて本気で怒っちゃった女性と、それに対してムキになって反論する男性という不毛なものでしたが…。
しかし、こうした論争が起きたのも歌詞が聞こえたからです。
さだまさしの音楽について乱暴にまとめると、彼の作品は、彼の一つ前の世代の音楽性の低さ、歌詞の内容の直情径行さに対する批判でしょう。
音楽としてのレベルが高いこと(メロディだけでも通用する曲の芸術性)、古今東西の教養をふまえた上でのソフィスティケートされた歌詞。そして内容(歌詞の情報量)はメッセージフォークに負けない、ということを考えていたのではないかと思います。
今、日本の音楽で歌詞カードを見ないで何についての歌なのかが分かる曲はとても少ないです。単語は聞き取れるけれども筋も結論も無いとか、断片的に「がんばって」みたいなことが聞こえるだけだったり。
「ラップ」という音楽がありますね。特に数年前にはいわゆる「ヒップホップ」な格好をした男たちが4〜5人出て来て、輪になって内側を向いて歌うというパフォーマンスをたくさん見ましたが、あの手の音楽で何を言ってるのか聞き取れない、というのは問題だと思います。分かるのはアオリのかけ声だけなんだもん。
だって、彼らは世の中に対する不満とか、他人への批判とかを歌っているわけでしょう?攻撃の対象に歌詞を伝えなければ、歌う意味が無いじゃないですか?結局輪になって内向きに歌っているということは、歌詞カード読んでくれる仲間内での愚痴のこぼし合いというレベルなんでしょうね、彼奴らは。"DA.YO.NE"の方がきちんと世の中に向かって発信していた分、筋が通っていたと思います。
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