2007/10/29

最期の川/CHEMISTRY

ここ十何年か、「いい唄アレルギー」になってしまい、特に年末を控えたこの時期、若いアーティストがえらく保守的なバラードを出して来たりすると、背骨の下の方がこそばゆくなるような感じを覚えて、「やめてぇー」と云いたくなる。
できるだけそういう曲の情報は聞かないようにしているんですが…。

先日、たまたま車で移動中にかけていたラジオで、なんとかいう映画の主題歌であるCHEMISTRYの新曲、と紹介されていたのが「最期の川」でした。辛島美登里なイントロから驚くほど普通のバラードが聴こえて来て、CHEMISTRYってもうちょっと志の高い曲を歌ってたんじゃなかったっけ?とちゃんと確かめたくなりました。
GYAOでクリップが配信されていたのでアクセスしてみると、紹介文に「作詞が秋元康」と書いてあって、謎も解けたし聴かなくていいような気がしましたが、つい恐いもの見たさで聴いてしまいました。

うーん。凡庸な詩と曲を、歌い手二人の根性で無理矢理2007年にアジャストしている感じでした。内容は「千の風になって」のヒットを下敷きにマーチャンダイジングされた、過去に「人の死」について書かれた作品(歌、マンガ、ドラマなど)のフレーズをパッチワークしたようなもので、曲も平凡。これで感動するためには、聴く側も童心に帰るか、または歌い手のCHEMISTRYに匹敵するくらい根性を入れて、独自の思い入れをするしかありません。
これを陳腐というと、おそらく秋元康は「俺は『川の流れのように』の作者だぞ、『川』は俺様が本気になったときの象徴なんだ!ありがたく感動しろ!」と居直るんだと思いますが、あれだって戦後最大の歌手が自らの命を削って一人前の曲に聴こえるようにしてくれていたんだから、作家の手柄じゃないし…。
たしかにCHEMISTRYは上手いし、二人揃っていい声を聴かせてくれますが、そのメロディラインは普通に動くと昔の曲に似てしまうのを、必死になって別方向にねじ曲げているのが分かりすぎです。結果、歌い手二人のハンドル操作の巧みさだけが伝わってくるのが気の毒です。

その昔、演歌は時代と歩いていけなくなった人を、いつまでも名前だけで大センセイ扱いし続けたことで世間から見捨てられましたが、今のJ-POPの生産ライン内にもそろそろ整理しないとボトルネックになる、老朽化したセンセイが多くなって来たのではないかな?どうせ減価償却は終わってるんでしょ?

2007/10/24

ほんとの気持ち/松たか子

松たか子の「ほんとの気持ち」です。iTMSにも入っています。

松 たか子 - ほんとの気持ち - EP - ほんとの気持ち

かなり前、小田和正がソロになった頃から、名古屋ローカルの某ラジオパーソナリティの人が「またいつもと同じですが…」みたいな紹介をするようになりましたが、ま、確かにそういいたくなるのは分かる。興味が無い人にはここ20年くらいの小田さんの曲は全部同じに聴こえるだろうなあ。
そして、それは他人に提供した曲でも同じで、この曲も松たか子の声なのに、明らかに小田さんの曲とバレてしまいます。こないだのKAT-TUNの曲も、街で流れているのを聴いてすぐに分かりましたね。
その理由の一つはオケのコーラスを自分の声でやっているので、声でバレちゃう、ということですが、それ以外にも、バックのコード弾きの楽器がシンコペーションしながらベース下降のパターンで進んで行ったらもう怪しいし、歌詞の中でやたら「そこ」だの「ここ」だの「そのとき」だの「夏が過ぎて」とか言ってたらほとんど決まりです。
こないだ本屋で「小田和正詩集」というのを見かけて吃驚しましたが、私、オフコース時代から小田さんの曲は大好きだけど、歌詞で感心したことはほとんどないけどなあ。よほど私生活を詮索されるのがいやなのか知らないが、抽象的で何もいってないような歌詞が多くて、読んで面白い歌詞では無いと思う。ま、持ってれば歌本の代わりにはなって便利なのだろうけど…。多分斉藤由貴の詩集の方が読んでて面白いと思う。

松たか子なら自分で作詞もしそうなものだけれど、この曲は作詞も小田さんになっています。とりあえず女言葉で作ったりしていますが、やっぱり一緒でした。この曲は2003年に発売されていますが、ちょっと後に自身で歌った「大好きな君に」が良く似ていますし、オフコース時代の「きっと同じ」の楽器を増やしただけにも聴こえます。

それがいけないかというとそんなことは全然なくて、シンガー・ソングライターって本来そういうものだと思うし、曲を聴いただけで誰か分かるって凄い境地です。
吉田拓郎、井上陽水、中島みゆき、山下達郎はそうですね。その下の世代だと小室哲哉がいて、奥田民生がいます。レベルが違うはずなんだけど、なぜかその後に続いているのが福山雅治か?

2007/10/22

CHU-LIP/大塚愛

はてなダイアリーの方は、思いついたことをだらだら書いていけばいいのですが、こちらは一応音楽専門という縛りがあるので、ひとたびなにを書くか考えついても、もう一回聞き直したり、最低でもWikipediaなどで裏をとったりするので、更新が滞りがちになります。こっちの方がずいぶん真面目に書いているのですが、相変わらず人気もないようで。まあこれだけ趣味的にやっていれば読む方も大変だわな。まあ長く続けているうちになにか価値のようなものが出てくるかもしれないのでゆっくりやっていきます。

さて、今日は人気のありそうな大塚愛の話でもしましょう。
この人、年齢も良く分からなかったので、早速Wikipediaで調べると1982年生まれとのこと。意外と若いんですね。曲作りがあまりにしたたかなので、もうちょっと上かと思いました。
一方、会社の新人のF君が「恋人にしたい芸能人」に挙げる程度にはアイドル的な消費のされかたも吝かでない風情を漂わせています(水着の写真集は出ないと思うけど)。F君、芸能人にはもっと奇麗な人がいるでしょ?と思うんですが、どこか脱力したような外見に癒されるのかもしれませんね。アイドル的とはいえ、昔のお人形さん的清純アイドルではなく、それなりに恋愛とかも通り抜けて来て、なおかつ明るくて蓮っ葉な(死語ですね)感じがするのが良いのでしょう。四十半ばのオジサンにもそれは理解できます。

大塚 愛 - CHU-LIP - Single - CHU-LIP

この人の良いところはドメスティックなJ-POPの世界できっちり結果を出しましょう、という潔さを感じるところですね。そういう意味では社会人としてしっかりしてると思う。芸術家肌ではなく、職人。
方向としては矢井田瞳なんかの感じなのかな?と思わせるところがありつつ、あんなに洋楽的でなく、きっちり歌謡曲しているところが素人には却ってありがたい。だから矢井田瞳は結構、大塚愛を「あんにゃろー」と思っている気がする。そういうお前だって椎名林檎の偽物じゃないか!?って喧嘩になる?近田春夫だって最初はそう書いていたし…。でも、冷静に聴いてみると、椎名林檎の巻き舌は中島みゆきとか下手すると日吉ミミのような日本的発音で(だから藤圭子の娘とも絡める?)、矢井田瞳は外人風だった、とか今となっては違うことが分かってきました。

大塚愛はその矢井田瞳をうーんと分かりやすくして、国内限定仕様に直した感じ。200km/hで何時間もぶっ飛ばすことを目的にせず、120km/hくらいまでで乗り心地が良く、戸越銀座商店街で自転車をかきわけて走っても、許してもらえそう、といった出来映えになっています。

ここまでポップな、大衆性に徹した女性シンガー・ソングライターというと、意外に思いつかない。西脇唯とかが似てるかな、とも思うがここまでは成功してなかったし…。というわけで、これからどうなるのか、しばらく静観…。

2007/10/13

恋しよう♪/リア・ディゾン

秋になって人恋しくなったのか、iTunesでアイドル歌謡をいくつかダウンロードしてみました。
今後の話題になるかもしれないので、今日全部は紹介しませんが、グラビア界の黒船(何だそれ?)「リア・ディゾン」の「恋しよう♪(この音符マークはWindowsだと文字化けするのではないか?)」を聴いてみました。

リア・ディゾン - 恋しよう♪ - EP - 恋しよう♪

残念ながら一人の女性としては、あの薄い眉毛とその下のきつい目つきが恐ろしく、あまり食指は動かないんですが…。

さて、曲はm-floの"Come Again"そっくり(細かく聴くと似てないんですが、遠くから見ると素人には同じものに見える)。リアちゃんはLisaよりもちょっと声が太く、アイドル歌謡にしては音域内で上下が激しい曲の中でさすがに最高音、最低音に近いところはよく聴くとしんどそう。それでも声質が良いのと、録音・編集時の加工が上手いのか意外なほど上手く聴こえます。しかもリア嬢はどこで日本語を覚えて来たんでしょうか?譜割りの細かい曲ですが、歌詞が良く聴き取れ、なぜか英語部分もやたらきっぱり聴き取れます。特に2コーラス目の"Because I love you"など外人なのに日本人が歌っているようです。

さて、それにしてもm-floが絡まずにこの曲で良いのか(というか、絡んでいてもこんな自己模倣みたいなことは本人もしないでしょうが)?
作曲の平田祥一郎さんは、Wikipediaによるとゲームミュージック出身で、J-POPではEXILE、上戸彩、伊藤由奈やジャニーズ系で実績があるとのこと。
ふ〜ん。つまり「何々風」の発注を大過なくこなすことが得意な人なんでしょう。つまりm-floってこういうもんだろ?今時のR&Bってこういうもんだろ?ってわりとそれがちゃんとそういう風に聴こえる、という才能なんでしょうね。帰納法的作家というか、抽象化能力が高いというか。私もどちらかというとそういう人なんで、それは良く分かる。けど、消費者としてはあまり支持できないな。自己嫌悪的感情も込みで。しかも提供する相手はカラオケ大会優勝的に上手い歌手かアイドルで、結局CD1枚に、頭から尻尾まで「商業」が詰まっている、そういうものです。

2007/10/07

honeycreeper/PUFFY

デビューして十余年、出て来た時からすぐにいなくなりそうな風情だったにもかかわらず、年齢を重ねても、メンバーが結婚しても、ずっと続いているどころか「アメリカでも大人気」なPUFFYです。オリコンアンケートでもらったミュージック・ギフト券を使って最新アルバムを買って来ました。

デビューは1996年ですから、モーニング娘。よりも活動期間は長い。なんでモーニング娘。を引き合いに出すかというと、私はPUFFYの出現によって日本のいわゆるアイドル歌手は総括され、次の段階に入ると思ったからです。だから、当初は変形したアイドルとして生まれたものの、モーニング娘。がその後に純粋なアイドルとして活躍していたり、鈴木あみとかが出てくる余地があったのは、ちょっと不思議な気がしています。まあ、人間が成長する間にはアイドル的なものを必要とする時期があり、そのための商品は永遠に再生産されて行くのかもしれません。

さて、アイドル歌手とはなんであるか、としみじみ考えると、
1.アイドル歌手は楽曲よりも本人の存在こそが商品価値である
2.その存在価値の中心は歌唱力ではなく、外見とか声などから喚起される性的興味である
ということだと思います。1は大物アーティストならみんなそうですからね。

で、"R35"のときに個別に触れましたが、80年代のアイドルはニューミュージックの力を借りながら時代の音楽になんとか追随し、常に今風であろうとしたわけですが、その中には安易な外国曲の模倣が大変多く、そのテの情報に詳しい人にはかなり恥ずかしい例も多くありました。
さて、そんな80年代産のアイドル歌手たちがある程度淘汰されて、生態系的にアイドル歌手的なもの(性的なものを内包した興味を抱かせる、若いパフォーマー)の居場所が空いたとき、PUFFYが出て来ました。本人たちは下手くそではないが、それほどパワーを感じさせない良く似た感じの女子二人組。
外国曲の模倣ではなく、超有名曲を批評的に引用する奥田民生流のカラオケはロック色が強く、PUFFYがその歌唱においてユニゾンを多用するのはこのバックに負けないためなのではないかと思います。

さて、最新アルバム"honeycreeper"(タイトルは辞書で見ると「ミツドリ」という鳥の名前らしい。ハチドリとは違うんだろうか?)はデビュー曲「アジアの純真」をセルフカリカチュアしたかのような「オリエンタル・ダイヤモンド」から始まります(表記がダイ「ヤ」モンドなのがまた良い)。作者もデビュー曲と同じく井上陽水/奥田民生です。この10年間、PUFFYの基本線がずっと変わっていないのがよく分かります。この他、作家陣としては吉井和哉、真島昌利、ピエール瀧、宮藤官九郎など一癖ありそうな人が集まっています。以前のシングル曲でも草野正宗などを起用していましたね。
もちろんPUFFY側がそういう楽曲提供者を望んだのだと思いますが、PUFFYに歌わせる曲を作るというのは、シンガー・ソングライターにとっても楽しいことなのではないでしょうか?
カッコつけて書くと、PUFFYというのはシンガー・ソングライター(特に男子)にとって魅力的な作品異化の装置だと思います。自分の曲ってどうなんだ、自分の作風ってどうなんだという検証をするのにもってこいなんではないかと。それはPUFFYのユニゾンボイスが良くも悪くも匿名性が高いからです。だったら「初音ミク」でもいいじゃん!?半分はそうです。でもそこはやっぱり生身の、そこそこカワイイ女の子がやってくれる付加価値っていうのが大きくて、もし彼女たちがアイドルであるとするなら、そこがアイドル的価値なんじゃないでしょうか。

8曲目の「妖怪PUFFY」は車で聴いて笑ってしまった。不覚!