2008/08/31

BEAT/河村隆一

年代というのは若い頃は意識しないものですが、社会に出て仕事で30〜40年の幅がある集団の中でもまれているうちに、自分の年代というものを意識するようになるものです。

私は1963年の早生まれですが、我々の年代というのもそれなりに特色があります。就職の時はその1年くらい前の世代から「新人類」と言われました。同世代には連続幼女殺害でこないだ死刑執行されたM君や、新潟で少女を9年間監禁していたS君や、名門小学校に侵入して大勢の学童を殺傷したT君などがいます。スポーツ選手では工藤公康や槙原寛己が1個下。「ちゃんこが不味い」といって職場放棄した横綱や、弟子を育てるよりスイーツの研究が忙しい元横綱なんかがほぼ同い年。文化人では亡くなったナンシー関がいます。芸能人ではあまりよく分かりませんが、前回取り上げたデーモン小暮閣下の「世を忍ぶ仮の年齢」が確か同じくらいだったと思います。日本に戦前から続く年功序列や精神主義の文化と、合理主義と無秩序が入り交じった現代の風潮のちょうど接点にいて、結果として何に対しても客観的でそれ故にパワーがない。その代わり批評眼だけはやたらと肥えていて、何の話題を振られてもかならず一言はコメントが出せる、という嫌味な世代です。

なんでこんな話をしているかというと、私たちより3つか4つ下の世代は"BOØWY"が大好きなんですね。あるいは派生商品のT-BOLANとか。後のビジュアル系にも影響大のバンドで、もっと詳しければここでも取り上げるんですが、私はほとんど聴いていませんでした。AMラジオで「マリオネット」とかがかかってたのは覚えているんですが、私は「バックバンドが頑張ってる西城秀樹」としか思わなかったので、ほとんど興味を持たなかったのです。後に布袋寅泰はよく聴くようになるんですが…。

さて、そこまできて今日の本題。河村隆一の"BEAT"です。
河村隆一 - Love - BEAT
"LUNA SEA"は"X JAPAN"人脈のバンドなのでしょうが、ボーカルスタイルなどからは"BOØWY"の延長上と捉えることができます。これは"GLAY"にも言えることですが、リードボーカルの歌唱法が非常に日本的です。

"BEAT"は河村隆一がロックバンドの枠を越えて、よりJ-POPとして普遍的なものを目指したと思われる作品ですが、その歌唱スタイルは一段とドメスティックで、70年代アイドル歌謡的です。具体的には西城秀樹的であり、あるいは先日ちょっと名前を出したあいざき進也や城みちるを彷彿とさせます。

河村隆一もまた、ファルセットの使い方が特徴的です。
平井堅のように長いフレーズを裏声で唄うことはあまりなく、マーティ・フリードマンが言うところの「ワンノート・ファルセット」が主体なんですが、それ以外の、地声で出している部分の「抜き」のところで裏声を混ぜる、「泣き節」の多用が彼の持ち味です。
この部分だけを取り出すと、アイドル歌謡を通り越して、堀江淳、三善英史、三條正人にまで繋がりそうです。

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