2009/12/12

君をさがしてた~the wedding song~/CHEMISTRY

四捨五入すると五十、さらに四捨五入すると百!という歳になってから友人の結婚式に呼ばれてしまい、同僚とセットで1曲歌うことになりました。
選曲にあたっては、自分たちの趣味は横において新婦の好みでやろう、ということになり、新郎にリサーチしてもらったら「ケミストリーが好き」とのこと。

ケミストリーに結婚式で歌えるような曲なんてあるのかいなとネットで検索したら「君をさがしてた」という曲が定番化しているということなので、さらにYouTubeで探したところ、最初に出てきたのがこれ。

調達担当の相棒に音源を探してもらい、聴いてみると、ゴスペル風コーラスがうるさくて音が取りにくいこと!バックコーラスだけでなく、本人たちも多重録音でコーラスを重ねているので、どこが主旋律なのか分かりません。
2年前に「最期の川」を聴いたとき、凡庸になろうとしてしまう骨組みを無理やり急ハンドルを切って今風にしているようで、あまり好意的な感想が書けませんでした。
この曲もちょっとそんなところがあります。
実際に歌うために覚えようとしても、Aメロもサビもコーラスごとにメロディが変わるんで覚えにくいこと!
全体の骨格は変化しないのですが、歌が進んでいくに連れてメロディが上にずれていくのです。
ポピュラーソングでもニューミュージック以降は、コード進行は同じだけどメロディが1番と2番で変わる曲はあります(もっと昔、歌詞のイントネーションにメロディを合わせる、というのがもっと重要だった頃の唱歌にも例はありますが、それは別の話ってことで!)。コード進行が変わるものもあって、1番でメジャーだったコードがマイナーになるとか、うまくはまるとおしゃれに聞こえます。財津和夫とかが得意だった気がします。
「君をさがしてた」は曲が変化するというよりも、歌い手がフェイクした結果メロディが変わっていっている、ということにしたいようです。でも、CDに収められているメロディですから、歌手が歌いこんでいく間に何かした、というよりも作り手が指定したメロディであるはず。こういう曲作りはちょっとサービスしすぎのような気がする。やっぱり、「コレ」っていうメロディでしっかり話を進めて、最期にちょっと盛り上げる方が粋じゃないかなあ。


で、結婚式の歌の方ですが、カラオケではどうなっているのかと思って、U-NEXT(GYAO NEXTが12月1日で名称変更したサービス)でUGAカラオケのビデオを見てみたら、もう少しあっさりした"wedding song"というバージョンがあるらしいことが分かって、今そっちを練習中です!

↑これはボクじゃないよ!

2009/11/17

イエローマジック歌謡曲 DISC-3/様々なアーティスト

予定より1日遅れましたが、「イエローマジック歌謡曲」の第3夜です。3枚組なので今日が最終回。このシリーズは曲名書いてれば良いから楽といえば楽なんですが、ときどきすごく耳に残る曲があって、困っています。



M1.わがままな片想い/松田聖子
作詞・松本隆、作曲編曲・細野晴臣。「天国のキッス」のB面であるよ、とライナーノーツに書いてあります。松田聖子の倍音たっぷりな声にはちょっとバックがしょぼくない?B面的な制約がちょっと感じられてしまいます。この曲は「細野晴臣トリビュート・アルバム」でコシミハルがカバーしていますが、そっちの方が断然良いです。


M2.まりン/飯島真理
おお、飯島真理が出てきました。彼女が作詞作曲した作品を坂本龍一がアレンジしています。「愛・おぼえていますか」よりも早い時期の作品で、そのためか歌いかたも声優さんが歌うアニメ主題歌的です。

M3.鏡の中の十月/小池玉緒
作曲編曲YMOとなっています。DISC-2の三国志のテーマを歌っている人ですが、どういう人か分かりません。

M4.ダンスホールで待ちわびて/タンゴ・ヨーロッパ
作曲が細野晴臣。これもまったく分かりませんが、タンゴとも8ビートとも取れるリズムの曲なのに間奏では突然3拍子が入ってきたりして作品としては凝っていて面白い。背景に関係なく面白い曲です。

M5.ピンクの鞄/高橋美枝
作詞・松本隆、作曲・細野晴臣。誰だこれ?ライナーノーツには後に作詞家、コーラスとして活躍したようなことが書いてあるがちょっと信じられない歌声です。デモテープみたい。DISC-3はかなり玉石混淆です。

M6.玉姫様/戸川純
あ、やっと知ってるのが出てきました。戸川純が時代の最先端だった頃の作品。しんぴーしんぴー♪って流行ったなあ。「BSマンガ夜話」の「すすめ!!パイレーツ」の回にゲストで出てきた戸川純が、80年代をしみじみ懐かしんでいるのを見た時はちょっと寂しかったです。

M7.風の谷のナウシカ/安田成美
これも松本隆/細野晴臣コンビです。安田成美の歌唱は褒められたものではないけれど、その声があって完成している作品でもあります。

M8.ピンクのモーツァルト/松田聖子
私が松田聖子の全盛期と思うのがこの曲です。声の完成、抑制された中に高級感のあるカラオケ。作曲・細野晴臣ですが編曲は松任谷正隆との併記になっています。おそらくストリングス部分を松任谷正隆が担当したんでしょうね。


M9.ファンキーマージャン/竹中直人
作詞・高橋幸宏、作曲・加藤和彦、編曲・高橋幸宏。こんな作品があったんですね。というか、サディスティック・ミカ・バンドの曲のカバーらしいです。まだ役者としてブレイクする前で、モノマネ芸人なのか俳優なのか分からなかった頃の竹中直人が持ちネタのいくつかを使って録音しています。資料価値は高いと思います。

M10.リセエンヌ/原田知世
作曲編曲が坂本龍一。髪を切って男の子みたい、なんて歌っているからまた松本隆かと思ったら、作詞は原田知世と康珍花と書いてありました。

M11.クララ気分/原田知世
こちらは作曲が南佳孝、編曲が坂本龍一。原田知世ってもう25年もこういう、ちょっと文化の香りを纏いながらの歌手活動を続けているんですね。なんだか分からないけれど偉大だ!

M12.タキシード・ムーンで夕食を/キララとウララ
作曲が細野晴臣、編曲は細野晴臣と船山基紀。片っ方が小室哲哉の元奥さんだったということで有名な女性デュエットですが、どんな唄を歌っていたのかは知らなかった。全編ユニゾンだが、結構声質の相性が良く、聴いてる分には問題ないですね。ま、問題ないだけじゃ売れないか。

M13.銀河鉄道の夜/中原香織
誰?ちょっとDISC-3はマニアック過ぎて着いて行けません。作曲が細野晴臣、編曲は細野晴臣の他2名。

M14.生意気娘/中原理恵
同じ中原でも今度は中原理恵。作詞・RIEとあるのは多分中原本人でしょう。作曲編曲が高橋幸宏。歌メロの一部やベースラインが、まんま、じゃないんだけど、でもやっぱり"Like A Virgin"なんだろうなー、1年後だし。DISC-1、2でスーザンという人の歌でもやってたけど、この頃の高橋幸宏はVCFで変調かけたようなビブラートで声を処理するのが好きだったんですね。

M15.NEO-PLANT/如月小春
作曲編曲が坂本龍一。2000年に若くして亡くなった如月小春がこういう曲を出していたのは知りませんでした。この人も糸井重里や坂本龍一といっしょにいろんな媒体に出てました。私の中では名前の字面とか出てくるチャンネルのせいで松本小雪とちょっとごちゃごちゃになってます。

M16.SIAM PARADICE/少女隊
作曲編曲が細野晴臣。ただし書き下ろしではなく、過去の作品の「リサイクル」とライナーノーツに書かれています。それにしても80年代でこのとんがり方はちょっと意外なほど良くできています。こんなこともやっていたんだ、カッコいいぞ少女隊!

M17.天使のゆびさき/西村知美
「天使の○○/西村〜」と書いていると「まゆ子」を思い出してしまいますが、あ、同調者少ないですね。まあ良いです。これも松本隆/細野晴臣コンビ。すごいプレミアムなイメージの組み合わせなんですが、結構むちゃくちゃ量産してるんですね。

M18.時代よ変われ/つみきみほ
最後の1曲も松本隆/細野晴臣です。

はい、「イエローマジック歌謡曲」3枚聴き終わりました。とっても疲れた。戸川純とか如月小春とかつみきみほとかもう、懐かしさでオジサンはお腹いっぱいです。このCDずっと聴いてたら、仕事中も柏原よしえの「しあわせ音頭」の「そーれそれそれ」が耳元で鳴ってて、困りました。ちょっとなんか毒消しの音楽を探さないといけませんね。
また、これではまだ足りない、というキャパシティの大きな方には、関連商品として「テクノマジック歌謡曲」というのもあるようです。「芳賀ゆい」とか入ってるらしいですよ。

2009/11/15

イエローマジック歌謡曲 DISC-2/様々なアーティスト

バンドに演奏をさせようと思うと、楽器の数だけ他人の目に晒されるわけですから、意識するにしろしないにしろ作り手側にも体面みたいなことが気になるんだと思うのですが、シンセサイザーは曲を評価することもしないし、いやがることもありません。電気代以外のギャラもいりませんから、前衛的な実験もできるし、どんなレベルの低い冗談も実現できます。
80年代にいわゆるテクノサウンドの歌謡曲がこんなに増殖したのは、音色の流行以上に予算やスタジオ・ミュージシャンをマネージメントする手間を大幅に省けることが最大の理由だと思います。

なんてことを考えながら、「イエローマジック歌謡曲」のDISC-2を聴きます。


M1.赤道小町ドキッ/山下久美子
作詞・松本隆、作曲が細野晴臣です。独特の存在感はありながらも大ヒットが無かった山下久美子の代表作になりましたが、本来のスタイルと違ったのがその後の悩みになったか?

M2.サマルカンド大通り/スーザン
作曲・編曲が高橋幸宏。DISC-1にも出てきた人です。声といい、メロディといい、今から始まるアニメの主題歌などにするととても良いと思います。ていうか、最近こんな曲無かったですかね?

M3.哀愁のデスマッチ・ラブ<予告編>/アゴ&キンゾー
これも作曲・編曲が高橋幸宏。なんだっけこれ?

M4.夏の雫/三田寛子
若い人には想像もつかないでしょうが、三田寛子がアイドル歌手で、ひょっとするとポスト山口百恵かもと思われていた時期があったんです。この曲はたしかデビュー曲「駆けてきた処女」の次の曲だったと思います。阿木燿子と井上陽水が作った曲を坂本龍一が編曲しています。

M5.ハートブレイク太陽族/スターボー
ある意味DISC-2の最大の聴きどころがこの曲でしょう。
松本隆と細野晴臣が組んだにも関わらず大コケにこけたプロジェクト。そのコケ方があまりに見事だったので却って歴史的存在になっています。

今聴くと「シブがき隊」を女の子にやらせてみた、以外の意図が見えませんが、「太陽系10番目の惑星からやってきた」と頭がガンガンするような設定など、相当に作り込まれた商品です。おそらく狙いは「じつは女の子なのに男のアイドルよりも女の子に騒がれる」みたいな完成図を夢見ていたのではないかと思うのですが、結局は男の子にも女の子にも受け入れられずに早々に撤退することになりました。普通にカワイイ女の子を一人混ぜておけばPerfumeになったのかもしれない。

M6.しあわせ音頭/柏原よしえ
作曲が細野晴臣です。聴けば分かりますね。はっぴいえんどとYMOの間で細野晴臣が作っていた「チャンキー・ミュージック」が形を変えてアイドル歌手の、しかもノベルティ的作品として再現されたのがこの曲。イントロは「大ちゃん数え唄」ですが、そこからは沖縄民謡風です。柏原よしえ(芳恵)と酒井法子って声とか存在感が良く似てますね。

M7.コズミック・サーフィン/コズミック・インベンション
初期YMOの作品に近田春夫が歌詞を付けて歌われています。歌ってる人がどういう人なのか、ライナーノーツを見てもよく分かりませんが、それにしてもこの、3分で書いたような歌詞はすごすぎる。

M8.ねらわれた少女/真鍋ちえみ
M9.ロマンチスト/真鍋ちえみ
この2曲は作詞・阿久悠、作曲・細野晴臣です。真鍋ちえみはパンジーというアイドル3人組の一人で、あとのメンバーは北原佐和子とえーと、忘れました。真鍋ちえみも顔を覚えていません。北原佐和子は顔がきれいだったので良く覚えているんですが…。M8の眉村卓なタイトルもなんか絡んでたのかとか全て記憶にありません。

M10.雪列車/前川清
糸井重里と坂本龍一という「若者たちの神々」が合作した曲を「大人の音楽」の本丸であるムード歌謡のエース・前川清に歌わせる、という意欲作。前川清にとってもキャリアの中でこれほどの冒険は、ずっと後の福山雅治作品を歌った「ひまわり」くらいではないかと思います。コーラス最後の「どおぞー」の「お」以外は白鍵だけで弾けるのが意外。坂本龍一はおそらく自分で歌うのは好きな人ではないけれど、理論の抽き出しが一杯あるので、「歌曲の定石」みたいな理詰めなメロディ作りをやるのでしょうね。素人が指摘できるような破綻はしない。


M11.三国志ラヴ・テーマ/小池玉緒
NHK人形劇のテーマソングだそうだが、私は全く見ていなかったので分かりません。細野晴臣が作詞作曲編曲という珍しい曲です。

M12.I Like Best/山田邦子
作詞が山田邦子、作曲が矢野顕子、編曲が坂本龍一。収録されているアルバムのタイトルが「贅沢者」。音楽番組などには出演を渋りつつ、こういう「お笑い」関連に気軽な感じで取り組んで意外性を見せるところがYMO流。

M13.哲学しよう/山田邦子
山田邦子が上昇カーブを描いていた頃ですね。ひょうきん族に出始めた頃は今で言うと青木さやかと柳原可奈子を足して2で割らないくらいの面白さがあったんですけどね。

M14.だってホルモンラブ/伊武雅刀
作曲が細野晴臣。「おちゃっぴー」って!死語だということに誰も気づかないくらいの死語ですね。

M15.ティーン・エイジ・イーグルス/イモ欽トリオ
あー、もう分からないわ。作詞・松本隆、作曲・細野晴臣の布陣は変わってないんですが。

M16.きたかチョーサン まってたドン/川上さんと長島さん
今でもときどきテレビで見かけるプリティ長嶋と、多分今は北海道でラジオを聴けば会えるドン川上(DON)が初期の「笑っていいとも!」で人気が出たことから発売された企画もの。作曲と編曲が細野晴臣です。

M17.君の名はサイコ/郷ひろみ
作詞・糸井重里、作曲編曲・坂本龍一。
M18.毎日僕を愛して/郷ひろみ
詞と曲が矢野顕子、編曲が坂本龍一。

M18.From Tokyo-Endingメロディーはリピートで/ユミ
「もしも世界にタヌキがいたら」のB面なのだそうです。懐かしいなー「なるほど!ザ・ワールド」。
歌ってる「ユミ」は名物リポーターの「ひょうきん由美」ではなく遠藤由美子です。結構可愛かったのにすぐにいなくなっちゃったんだよなー(遠い目)。「メロディー」って今は(最後の音引きを)書かないこと無いですか?時代です。
ていうかなぜA面の方を入れてないんだろう、このCD?

DISC-3では松田聖子が登場しますよ。

2009/11/14

イエローマジック歌謡曲 DISC-1/様々なアーティスト

シンセサイザー奏者出身の作曲家・音楽プロデューサーである小室哲哉の話を2回に渡って書きましたが、もちろんそういう音楽を彼一人が作り上げたわけではなく、その前のほぼ10年間、80年代全体に渡ってテクノポップとその派生商品というものがたくさんありました。歌わないキーボード奏者といえば坂本龍一なんていう大物もすでにいたわけです。

たまたまTM NETWORKのベスト盤を探しに行った山野楽器でこんなのみつけました。
「イエローマジック歌謡曲」CD3枚組で4200円。YMOの3人が何かの形で関わった「歌謡曲」のオムニバスアルバムです。こんなのあるんだなあ…。


今ではテクノのことなんかおくびにも出さないアコースティックなイメージの人が、80年代には時代に乗っかってピコピコサウンドに乗っかって歌っていたこともバレてしまいます。
3日間連続で休みをもらったので、三夜連続でご紹介しましょう。今日はDISC-1です。

M1.YELLOW MAGIC CARNIVAL/マナ
あーいたいた。マンガで描いた中村紘子みたいな容貌の、国籍不明の女の子でした。今聴くとイントロが無茶苦茶レトロなんですね。作詞作曲が細野晴臣、編曲は鈴木茂です。

M2.エレクトリック・ラブ・ストーリー/近田春夫
この柴田恭平のような水谷豊のような南佳孝のような声で、芝居っ気たっぷりに歌っているのが、「音楽界の小林秀雄」こと近田春夫御大です。ちょっとキンモクセイに似ています。編曲が細野晴臣。そして作詞がなぜかあの漫画家・楳図かずおです。おそらく近田春夫との髪型や全体の相似性にちなんだ洒落でしょう。80年代はそれが通用した良い時代でした。

M3.ユー・メイ・ドリーム/シーナ&ザ・ロケット
作曲が鮎川誠と細野晴臣の共作になっています。シンプルなロックンローラーのイメージがある鮎川誠ですが、実は細野人脈から出てきた人なんですね。

M4.チャイナ ローズ/金井夕子
作曲が細野晴臣、編曲が細野+坂本龍一。伊東ゆかりっぽいこの人はスタ誕出身で、歌唱も外見も中庸な人でしたが、ヒット曲には恵まれませんでしたね。

M5.憧れのラジオ・ガール/南佳孝
リズム&ストリングスアレンジに坂本龍一の名が。この人は今「テクノってなに?」って感じでやってますけどね。ボコーダーって和音の演奏できたんだっけ?多重録音?

M6.夜の翼/南佳孝
M5と同じ布陣です。作詞は2曲とも松本隆。この曲は聴いたこと無かったな。

M7.IDOL ERA/サンディー
作曲・編曲が細野晴臣。この人も知らない。"ERA"ってなんだろ?と思ってGOO辞書で調べたら"〔Equal Rights Amendment〕男女平等の観点からアメリカ合衆国憲法の修正を求める修正条項のこと。"なんだそうです。難しいな。このメロディは違う曲名でYMOがやってるような気がするが、ちょっとすぐに分かりません。細野さんって同じ基本コンポーネンツでたくさん曲作りますからね。

M8.CARNAVAL/大貫妙子
大貫妙子が作詞・作曲。編曲が坂本龍一です。電子楽器で構成されていますが演奏形態はロック的。大貫妙子の声がシンセベースの上に乗っかってるのも今聴くと貴重な気がします。

M9.AH! SOKA/スーザン
作曲が細野晴臣、作詞と編曲が高橋幸宏。高橋幸宏で編曲するんだ、と今更ながら。高橋幸宏が鼻歌歌うのを坂本龍一が「しょーがねーなー」って形にするのがYMOだと思っていたので。それにしても耳に残る曲ですね。今をときめくおバカタレントがカバーすると良いと思う。

M10.浮かびのビーチガール/シーナ&ザ・ロケット
作曲・編曲がYMOとなっています。

M11.ラジオと二人/ラジ
作詞・糸井重里、作曲・杉真理。編曲が高橋幸宏。普通の歌謡曲を電子音楽でやってるだけのような気がしてしまう。ラジという人は声が良くて、いろんなアーティストの作品で印象的なコーラスをやってる人。大瀧詠一の「ロング・バケーション」で「ふ」う「け」い「が」とやってる人もこの人。「さんぽしない?」は別の大物歌手。

M12.アパルトマン/ラジ
こちらは作詞作曲が大貫妙子。編曲が高橋幸宏。こっちの方が大人っぽくて好き。

M13.春咲小紅/矢野顕子
作詞・糸井重里、作曲・矢野顕子。編曲がymoymoとなっていますが、もちろんYMO。売上枚数的には多分、矢野顕子史上最大のヒットでしょう。化粧品のCMソングでした。「みーにみにー」のバックのコードが教授っぽいですね。

M14.ハイスクール ララバイ/イモ欽トリオ
作曲・編曲が細野晴臣、作詞が松本隆。DISC-1最大のヒット曲がこれかな?世間の人が思うYMOの音をかなり甘口に再現したサウンド。山口良一らがバックでやってたコードの差し替えみたいな振り付けは松武秀樹の作業を表していたのでしょう。

M15.コンピューターおばあちゃん/酒井司優子
NHK「みんなのうた」の名作として知られる曲。編曲が坂本龍一。

M16.恋はルンルン/伊藤つかさ
作曲・編曲が坂本龍一です。21世紀に聴くと脳みそが痒くなりますが、この後まだ菊池桃子とかもいましたからね。すごかったな80年代。転調あり、音域はA#3〜E5くらいで意外と幅を使ってます。かなり苦しいけどね。

M17.ティアドロップ探偵団/イモ欽トリオ
M14と同じく作曲・編曲が細野晴臣、作詞が松本隆。前作が思いのほか成功したので、もう少し趣味的にしてみた感じでしょうか?シンセサイザーは使っているのでしょうが、テクノポップというよりも思い切りサーフィンミュージックになっていますが、当時は気がつきませんでした。残像効果ってやつですね。松本隆のレトロな歌詞の世界を細野晴臣が疑似60年代サウンドで受けとめた、コンビ芸なのでしょう。

M18.プリティ・ボーイ…大丈夫?/中原理恵
作詞作曲編曲が高橋幸宏。解説を見て思い出したんですが、ここで中原理恵が出てくるのはイモ欽トリオと同様に欽ちゃんファミリーとしての括りなんですね。この人、デビューした時はシンガー・ソングライターという触れ込みだったのですが、とうとうオリジナル曲を聴く機会は寡聞にしてありませんでした。歌はうまいんですけどね。

というわけで、さらに有名なネタが多いDISC-2に続きます。

2009/11/08

罪と音楽/小室哲哉〜その2〜

予告からずいぶん間があいてしまいましたが小室哲哉の第2回を始めます。
作曲家小室哲哉とはどんな作家なのか?

前回、私は「小室哲哉のメロディには歌心がない」「歌い手にとって過酷なわりに歌う喜びがない」という話をしました。今日はその辺りを…。


そこでですね、いきなり小室作品の話ではなく、小室哲哉と正反対のところにいると思われる
「ミスター歌心(今勝手に名付けた)・松山千春」の曲を見てみましょう。なんでも良いんですが、例えば「人生(たび)の空から」。


1〜2小節目のメロディの塊が3〜4小節目ではほぼ1度下に降りてもう一度繰り返されます。単なる繰り返しではなく呼びかけと返事の形になっています。こうなっていると歌い手は変化を付けることができますし、楽しいことに向かって進んでいる気持ちになれます。MacのGarageBandでピアノロール表示させるとこんな感じ。

「みみをす」でとんとんとんと下がって「ま」から「せ」で1オクターブぽんと上がりちょっと下がってロングトーン。こういうのは歌って楽しいですね。そして2回目のメロディでは「き」から「て」で今度の跳躍はちょっと短くて済むようになってます。ちょっと楽ができる。この曲はこの後更に跳躍を繰り返してサビでは最高音域をたっぷり使って「たびのーおわーりにー」と見せ場たっぷりに展開して行きます。1〜2小節でエンジン掛けて、3〜4小節でちょっと力をためてからいよいよ本番、とカバーする声域さえあれば歌って楽しい曲です。

松山千春は傍目で見ている範囲でですが、曲そのものの芸術性の追求よりもまずは「松山千春の声で歌ってどうか」に重きを置いて作品を作っている気がします。一番得意なF4~G4あたりの音域をいかに多用して色気を出すかに一番興味がある。私はそう思ってます。それは一方で松山千春の音楽の範囲を狭めているのではないかと思うのですが、私はシングル曲以外はほとんど聴いていないので、断定はできません。


さて、小室作品にも歌って楽しい曲がまったく無いわけではなく、例えば渡辺美里の「My Revolution」は声が出る人にはとても楽しい曲になっています。

引用部分の1〜2小節で「ドドドドドドドレードシド」と呼びかけ「ミミミミミミミミーレレー」と答えます。この似ているけどちょっと違う繰り返しが歌い手には嬉しいんですね。それから「My~Tears」「My~Dreams」の5度の跳躍で声を裏〜表〜裏〜表と切り替えて行くのは喉に覚えのある人には楽しい見せ場になります。
My Revolutionは小室哲哉がまだいろいろなことを証明しなければならなかった若い時期の作品であり、彼なりに当時の売れる音楽を分析した結果の作品だったのだろうと思います。


My Revolutionがヒットして作曲家・小室哲哉の初日を出した後、自分のユニットであるTM NETWORKで1年後に発表した「Self Control」ではもう、その後の小室作品と共通のエゴイスティックな(?)メロディになっています。

「Self Control」の一部を譜面に起こしてみました。


出だしの2音目以降、「みをつれーさるーくる」まで同じ音。ま、ここまではフォークソングなんかにもありますが。
B メロになるとちょっとメロディが動き始めます。「しばーらーれーたあだむといぶ」のメロディはそれなりに開放感があって「歌いで」のあるメロディなんですが、「はしーりーぬーけた〜」「たいーせーつーな〜」と3回まったく同じ繰り返しは辛い!そこを通り抜けて「くもらせなーいでー」とやっと解き放たれたと思うとサビがまた、細かい音符&尻下がりのメロディなんです。

前述のピアノロールだとこう。

だいたい歌い手というのは自分の最高音からちょっと下あたりが一番気持ちよく歌えるわけですが、このメロディは最高音に行った次の瞬間、中低音域まで一気に下がるという場面がとても多いのです。速いテンポで上に行ったり下に行ったりする割に自分の気持ち良く歌える音域をほとんど使わせてもらえません。辛い!

結婚前の安室奈美恵が苦しげに歌っていた"CAN YOU CELEBRATE?"はこうです。

私はこの曲の音を拾うためにiTunesでアルバム「181920」のバージョンを落として聴いていましたが、相当ぐだぐだになってます。超多忙だった安室本人の当時の体調とかもあると思いますが、ちょっとこれは?という歌唱になっています。

この曲も"Self Control"と同様、細かい音符&高音から急降下、伸ばしもためもない、というメロディ。冒頭部分のピアノロールはこんな感じになります。


松山千春と比べてみましょう


「人生の空から」にはオクターブの跳躍も含めて、小さな波と大きな波を繰り返す自然なうねりを感じるでしょう?「Can You Celebrate?」も鍵盤楽器で弾くときれいなメロディですが、なんというかモールス信号かなにかを連想させる無機質な法則性を感じませんか?

そしてひらうた部分「なーがくー〜」以降だとこんなピアノロールになります。


ほらモールス信号だ。

つまりですね。
小室哲哉って人は人の声もシンセサイザーも同じだという感覚でメロディを作っていたんじゃないでしょうか?「このタイミングでこの音程で、この長さ。ベロシティはこう」ってシーケンサーに打つ感覚。

そこにはそれ以前の日本の音楽に対する批評もこめられていたんだと思います。
演歌の大御所みたいにバックの和音がどう変化しようが自分が伸ばしたいだけ伸ばして喝采を受けてる人がいる中で「ボーカルも音楽の一部なんだから音楽の構成要素としてもっと全体のハーモニーに忠実であるべきだ」とか。
あるいは「ボーカリストのやつらはフロントで目立って女の子にキャーキャー言われてやがって、なんで俺らはこんな機材の隙間で汗かいてなきゃいけないんだ、気持ちよくなんて歌わせねえぞ」というボーカリストに対する演奏・作曲担当の反乱だったのかもしれない。

「安室?じゃ使えるのはG3〜D5ね。宇都宮?じゃD3~G4の範囲ね」とパートとして打ち込んで行く感じ。

そこでまた、邂逅としか思えませんが、TMの宇都宮隆って人はロック系ボーカリストには珍しい自己主張の無いタイプで、天然ボーカロイドみたいな人なんですね。 小室哲哉の制約の多い、気持ちよくなれない楽曲を(たぶん)文句も言わずに一所懸命歌うんだ、彼は。松山千春のように自分の売りの声域に拘るタイプだったら絶対 すぐ解散してたでしょう。

小室哲哉はボーカリストの気持ちよさを二の次にして、サウンドを構築する一部として歌メロをもう一度配置しなおした人と考えられます。そのことによって、それまでのどうにも歌手偏重だったJ-POPにはなかった芸術性(音楽性?)を手に入れたのではないかと思います。

ただ、その一方で彼は「カラオケ」のマーケットを意識していたという話もしているので、それはちょっと不思議なところです。彼が言うには「カラオケヒットの三大要素は」「発散・社交・エクササイズ」なのだそうです。「ダンサブルな曲で発散」「一緒に声を張り上げる社交」「練習が必要な高いキーはエクササイズ」。TRFやH.Jungleはそうやってできていた、と。
その辺に「歌うの大好き」な私は疑問がある。エクササイズには達成感が必要じゃないか?と。体重が減った、とかベンチプレスが何kg上がるようになった、とか。一緒に声を張り上げるにもそれを喚起するメロディというのがあるのでは?
同じように高いキーで歌われる広瀬香美の曲などに比べて、歌った後の達成感、快感に大きな違いがありゃしませんか?

その理由は上記の通りです。
自分の一番良い声を聴いてもらえたか?出したい声が出たか?その機能にちょっと乏しいのではないか、というのが私の見立てです。

小室哲哉にその辺が分かっていたのか、実のところは分かっていなかったのか?どこまでが計算で、どこからが彼の限界なのか?これは本人にしか分からない事なんだと思います。

2009/10/26

罪と音楽/小室哲哉〜その1〜

小室哲哉が執行猶予判決を受けた後に発売された「罪と音楽」を読んでみました。
Twitter上で引用されていた一部分がとても気になったからです。
僕の勝手な見解としては、僕ら2人が両輪となり、拍車をかけてしまった現象がある。Jポップの「わかりやすさの追求」だ。

「僕ら2人」とは小室哲哉自身とつんく♂のこと。
では、「わかりやすい」とは何か?
僕は、「高速伝達」「より早く伝えようとするための方法のひとつ」と捉えている。
「できる限り、直感的、反射的に伝わるように心がけること」

その結果、NHK「みんなのうた」にかぎりなく接近していくわけだ。
 だから、21世紀になってから、宇多田ヒカルさんの「ぼくはくま」(06年)をはじめ多くのアーティストが「みんなのうた」に楽曲提供するようになったのは、至極当然だと思う。

実際にはこの文章には当然前後があって、彼自身とつんく♂の才能の違い(主に「歌えるつんく♂」と「歌えない自分」の違い)にも触れた上で書かれていますが、それにしてもちょっと違うんじゃないかと思いました。
それは、
1.自分の過ちを告白する時に直接関係ない人間を引き合いに出すのは良くない
2.「みんなのうた」とJポップの「わかりやすさの追求」は同じ線上にはないだろう?
3.ましてやなんでこの流れで宇多田ヒカルの「ぼくはくま」が出てくるのか?
の3点。

宇多田ヒカルの「ぼくはくま」は「みんなのうた」の為にわかりやすく書いた作品なんかじゃありません。(その話を読んでくださる方は音楽ネタも書いていた頃の「はてなダイアリー」でこちらを読んでください。)あるいは、小室哲哉も、「だからあまりマーケティングを考えずに作品を発表できる『みんなのうた』に曲を提供するアーティストが出てきたんだ」と言いたかったのかもしれません。
でも、もしそうだとしたらあまりにも文章の流れが粗すぎる(聞き書きまたはテープ起こししたライターの才能の問題かもしれないけど)。

もちろん彼ほどの音楽頭の持ち主が書いていることなので、「罪と音楽」には「なるほど」と思えるところも多いです。
最近のJポップは聞き手のリテラシーをものすごく低く設定してあるように思えるし、小室哲哉がその片棒を担いでしまった、とここで反省してみせるのは今後なにか意味を持つかもしれません。この本は時節柄、彼の犯罪やプライベートへの言及を期待する層がターゲットとされていますが、半分くらいはかつて一世を風靡した音楽プロデューサーが何を考えて作品を作っていたかを読むことができ、私はその方に興味がありました。


それはさておき、今日の本題に入ります。

TM NETWORKの頃から、90年代後半の絶頂期に至るまで小室哲哉の作品を(積極的にも消極的にも)聴いている間、私にはずっと疑問がありました。
「小室哲哉の曲ってなんで歌って楽しくないの?気持ちよくないの?」ってことです。
私は小室哲哉の作品は好きです。特に"humansystem"の頃のTM NETWORKは好きで、アルバムも買いましたし、中山美穂の「50/50」なんかも好きでした。

「小室作品は歌いにくい」ということを言葉として明確に思ったのは、圧倒的歌唱力ではないにしろ、海外曲のカバーをさらりさらりと歌っていた安室奈美恵が、こと小室作品についてはテレビでとても歌いにくそうにしている様子を見るようになってからです。TMで宇都宮隆が歌っている頃はあまり気にならなかった(が、自分でカラオケで歌ってもあまり楽しい曲はなかった)が、安室奈美恵という定規をあてることによって小室作品の変さが改めて明らかになったというようなことです。

私はひとつの仮説を立てました。
1.小室哲哉は自分で歌う喜びを(少なくともボーカリストとしては)知らない人である
2.彼の自己表現はキーボードプレイまたはコンピュータによる作曲として行われる
3.だから彼のメロディには「歌心」がない

結論の「歌心がない」はあまりにもぼんやりしているので、もう少し正確な表現を試みると、
1.ボーカルトラックだけだと感動が少ない
2.ボーカリストにとって過酷な表現を強いられるわりに、歌いきった時の達成感が少ない
3.結果として歌っている最中、歌い終わった後に快感が得られない
と考えたのです。

さて、この本によると小室哲哉自身は1996〜1997年が絶頂期で、2001年以降下降線を辿った、と自分の人生を捉えているようです。ひょっとしたら小室哲哉も20世紀末にやってきた「爆撃機・宇多田ヒカル(C)近田春夫」に家を焼かれたひとりなのかもしれません。当時、近田春夫が書いていたのは主に本格和製R&Bと言われたアーティストが受けた影響についてです。では、なぜ私の連想が、和製R&Bとは路線の違う小室哲哉にまで及んだのかというと、この「歌心のなさ」を攻撃されたんじゃないかと思うのです。
そこで次回、小室作品の何をもって「歌心がない」と私が思うのかという説明をしたいと思います。

ただし、今のうちに私は言っておきますが、「歌心がない」ことをもって小室哲哉には才能なんか無かったんだ、とかそういうことを言いたいのではありません。
私は今回の準備のために改めてCDを買ってTM NETWORKの作品を集中的に聴きました。やはり良かったです。また、記憶の中から彼の過去の作品を一所懸命思い出そうとしていました。「My Revolution」のように「歌心」の面でも優秀な作品も思い出しました。

そんなわけで次回のテキストはこの辺りになりますのでよろしくお願いします。


2009/10/11

虹(Album Version)/ゆず

今週は偶然「ゆず」をテレビで見ることが多くて、「そういえばちゃんと聴いたことなかったな」と思って、アルバム「FURUSATO」を買ってきました。本当はiTSで落としちゃいたい感じの人たちですが、iTSではシングル1曲しか落とせないんですよね。

ちゃんと聴いたことは無いけれど、「夏色」の頃から憎からず思っておりました。ギター2本の弾き語りデュオという額面から思い起こされる貧乏くささがないし、特に右側の人の声がバカバカしいほど伸びやかだったからです。貧乏くささが無いのは歌っている二人のキャラクターにもあるのだと思いますが、音楽的にも単なる一周遅れのフォークソングではなく、ちゃんと80年代以降の音楽を通り過ぎた上で考えられた構造の曲をやっているのがなんとなく読み取れました。

良く似た成り立ちのデュオで「コブクロ」という人たちがいて、彼らもただのフォークソングで終らない人たちなんですが、コブクロはあまりにも「今売って結果を出すこと」に熱心なのが伝わりすぎてあまり好きになれません。その点、ゆずは今売るために必要の無いところでも自分たちがやりたいことは盛り込んでしまおう、という良い意味での効率の悪さがあって、その点も好ましいところです。

さて、アルバム「FURUSATO」は通して聴いて、とても良いアルバムだと思いました。
インストナンバーを除くアルバム11曲のうち、北川作品が6曲、岩沢作品が3曲、共作名義が2曲となっています。ゆずのメイン・ソングライターは北川悠仁なんですね。

作詞作曲の分担比率は印税収入の格差に直結するので、この点だけ見ていると(オフコースやチャゲアスのように)今後の二人の行く末がちょっと心配になりますが、実際に音で聴いてみるとゆずの音色のすごく大きい部分を岩沢厚治の声が担っているのが分かります。リードボーカルでB4あたりを常用する岩沢の声は高さとしては小田和正レベルですが、よりゆったりとしていて、しかし小野正利ほどは人工的な匂いがしないという微妙な味があります。
北川悠仁のキーも高めですが、曲の途中から岩沢に引き継ぐことでよりスケールの大きな表現ができるのですから、ソングライター北川は岩沢の声を手放そうと思わないでしょう。

今日は全曲解説をする元気がないので、シングルにもなっている「虹」を聴いてみます。

ストリングスの音がかっこいいイントロから同じコード進行の上にAメロが乗っかってきて曲が始まります。A-B-A-B-サビと展開して2番が終わるとDメロを挟んで、もう一度サビが繰り返され大団円。かと思うと最後に今まで出て来なかったEのメロディが出て本当のエンディング、という凝った展開です。

ゆずの音楽的ルーツがどこにあるのか私は知りませんが、私はこの曲を聴いてJourneyの"Don't Stop Believin'"を思い出しました。あっちはA-Bの2つの部品をいろいろな聴かせかたでドラマティックに見せている曲で構造は全然違うんですが、この「手を替え品を替え」的なサービス精神は共通しているように思うのです。

じゃあどうしてゆずは部品を5つも使うのか?
彼らの基本はやはりギター2本での演奏で、その編成で「手を替え品を替え」をやるためには曲の構造そのものをサービス満点にしておく、というやり方がデフォルトになっているんじゃないかと思うのです。路上で歌って人を引きつけるには1曲の中で常に変化を加えて「え、なに?」という細かい驚きを与え続ける必要があり、大成してストリングスをバックにするようになった今でもそれを続けているのではないか、と私は想像します。

2009/10/04

TOKYO JUKEBOX/Marty Friedman

親日家のヘビメタギタリスト、マーティ・フリードマンがJ-POPをカバーしたアルバム。曲目はマキシマム ザ ホルモン(誰?)の「爪爪爪」から「ポリリズム」、果ては「天城越え」まで、ロックに限らず大甘ポップスまで、ジャンルに拘らず好きな曲を自分なりに演奏した、というものです。iTSでも落とせるので、自分の好きな曲だけ選んで聴いてもOK。
Marty Friedman - TOKYO JUKEBOX

私はこの人をJ-POP評論家として認識しています。洋楽オンチでMEGADETHのことも知らないし、アメリカでどのくらい有名な人なのかも知りません。日本で言うと誰くらいの格の人なんだろう?
とにかく私から見てもどうかと思うことも多いJ-POPを、とてもポジティブに捉えて評価してくれる、ありがたいガイジンさん。1作目の本を読んだ時に影響を受けた音楽の時代が似通っているなと思っていましたが、どうも私と同学年らしいです。

この人がJ-POPの何を評価しているかというと、ジャンルにとらわれずにいろんな音楽の要素がクロスオーバーしていて楽しい(アメリカの音楽はジャンル分けがガチガチで他ジャンルの影響を反映した曲作りがやりにくいらしい)、女の子のヘタウマ(本当は下手じゃない)な歌がカワイイ、とよく書いています。レゲエは嫌いだけどJ-POPのレゲエ風ナンバーは聴ける、という話も何度もしています。

彼自身がエイベックスと契約しているミュージシャンということで、彼の評論は基本的に批判はしません。注意深く読めば「ほめ殺し」の時もあると思うのですが、まだそれは読み解けません。一度聴いた曲はギターで弾けるという音感の持ち主なので、コード付けのチェックなどはさすがプロ。

最近の著作のあとがきでは「日本のポップスは80年代はバブルの財力でアメリカでレコーディングして当時の洋楽そっくりな演奏をさせ、シカゴやビリー・ジョエルのコピーを作っていたが、90年代以降の不況で自前でサウンドを作るようになってJ-POPはオリジナリティを手に入れた」という意味のことも書いています。おそらくアメリカのミュージックシーンもJ-POPも熟知している彼から見れば、日米の音楽制作のレベルにはそんなに差がなくて、日本には日本の良さがあるのかもしれない。
私は今のJ-POPを彼ほど肯定的に捉えていないので、彼の評論を読んで頷くところも多いけれど、「いやそれは違うだろ」と思うこともあります。J-POPは今、確かに高い完成度を手に入れたんだろうとは思うけれど、もっと高い志を持った、夢中にさせてくれるような音楽の出現を待っています。

あ、アルバムの中身に全然触れていませんね。私のお気に入りは「ギターで完全コピー」を目指した「ポリリズム」です。カッコイイ。

2009/09/27

おやすみパラドックス/やくしまるえつこ

いつかは自分の音楽趣味におとしまえをつけるために、"MySpace"への参入をちょっと検討し始めているのですが、実際にどんなとこなんだろう?とトップページをぽちぽちクリックしていたら、変なものを見つけてしまった。

ちょっと前に書いた「相対性理論」のヘタウマ&ロリータ声のボーカル、やくしまるえつこが近田春夫と組んだCDのプロモーションビデオが流れていました。
やくしまるえつこ / おやすみパラドックス

なんだー結局こういうところに収斂して行くのかぁ、とちょっと残念な気がしました。
やっぱりオヤジのアンテナに引っかかるところにはオヤジがいるんですね。

近田春夫のこの仕事には昔々の「ディスコ桐島」と同じ匂いを感じます。あれはあれで良かったけれど、そうかここにも手を出していたか!
週刊文春の連載でも触れていなかった(多分)ので、「相対性理論」は全然違うところにあるものなのかと思っていたのにお釈迦様の手の上だったわけだorz
ディスコ桐島→桐島かれん - ディスコ桐島


ディスコ桐島のジャケットはこれね↓発売当時に買ったんだ!

2009/09/21

overdose/pizzicato five

芸能人の薬物問題などのニュースを見ていると、ふとこのアルバムのことを思い出して、改めてiTunesに取り込んでみました。pizzicato fiveの"overdose"です。タイトルからして「薬物の異常摂取」ということですから、最近の生真面目な風潮の中ではタイトルとして成り立たなかったかもしれません。発売はWikipediaによると1994年の秋。もう15年も経っているんだなあ。
リンクはビデオ「東京は夜の七時」→東京は夜の七時

pizzicato fiveという、「渋谷系」の本丸みたいなユニットの話は本来はきちんと文献を漁って、ペダンチックにやらないと格好がつかないんですが、私はいたって個人的な感想を書きます。

1994年というと、ちょうどこの頃は我が音楽活動がもっとも充実していた頃で、週末になると私が転勤先の静岡から、もう一人が岐阜からそれぞれ車に機材を積んで、名古屋の友人の部屋に籠り、4chのカセットMTRに安いシンセサイザーとギターのライン撮りでオリジナルを録音していたものです(PCも少し使うようになっていた)。
そんな中で、私が作曲の抽き出しがあまりに少ない(なにせ歌謡曲とニューミュージック中心の音楽体験だったので)のに悩んで、岐阜在住の私よりは多少は洋楽とロックに明るい(高校の時に一応バンドをやっていた)相方に「今、何聴いてる?」と訊いたら、「ピチカート・ファイブ」と答えたので「お勉強」のために買ったのがこのCDでした。

「お勉強」のつもりで聴き始めたら、これが面白くて!
一見古めかしいドラムとベースの音が一度テクノポップを通って再構築されたようなトラックの上で、フレンチ・ポップスが似合いそうな野宮真貴の声とラップが絡んでくる、一言で言うと「おっしゃれー」な音楽でした。
そして歌われる世界はバブル期の刹那的で退廃的な生活が一段落して、当時の自分を冷めた目で俯瞰するような…。個人的にはバブルの恩恵なんて毛ほども無かった(おかげで崩壊の影響も少なかったが)けれど、空気だけは同じ空気を吸ってましたから、それなりに気分を共有できたんでしょうか?

今の日本の、表面的にはずいぶん生真面目になってしまった世の中では、このアルバムに詰まっている世界が共感を持って受け入れられるかというと、多分難しいのでしょうね。pizzicato fiveもこの作品世界をフィクションとして演じているのですが、今はそういう洒落も通じにくいしな。
でも景気が悪いのはともかく、表現上の形式的な自主規制とか、どうも息苦しくてねえ!

2009/09/13

愛をこめて花束を,やさしい気持ちで/Superfly

今、街のCDショップのいちばん良い場所に大陳(って言わないか、CD業界は?)してあるのがSuperflyのアルバム"Box Emotion"です。

ここ何ヶ月かで突然よく名前を聞くようになり、あっと驚くタメゴロー的ジャケットがやけに気になる存在です。ちらりとテレビで歌っているのを聴くと、やたら中年に分かりやすい音楽のようなので、とりあえずiTunesで最近売れてたシングル曲を2曲落としてみました。
愛をこめて花束を→Superfly - 愛をこめて花束を - EP - 愛をこめて花束を
やさしい気持ちで→Superfly - Box Emotions - やさしい気持ちで

1960年代生まれの私でもリアルに捕捉できないフラワーチャイルドなキャラが、若い人にどのように受けとめられるのかよく分かりませんが、曲のタイトルもヒッピー・ムーブメント風になっていますね。

ヤホーならぬWikipediaで読める範囲では、ボーカルの女性も作曲の男性も60〜70年代の洋楽好きで、影響を受けたミュージシャンとして出てくる名前はジャニス・ジョプリン、ドゥービー・ブラザーズ、キャロル・キング等。若いのにシブいなあ…。

そんなバックボーンを持つ人たちなので、最初に書いた通り、我々40過ぎのオッサンもまったく無理せず着いて行ける曲ですし、現代J-POPのお約束で一部今風のやや強引に母音の処理をして乗せているところもありますが(この辺は「日本語の問題」ラベルの投稿でご確認ください)、歌詞が大筋で聴き取りやすいのも好ましい。
ボーカルはしっかり声が出る上に、手元のキーボードで取ってみた限り音域もかなり広いです。特に「やさしい気持ちで」ではF#3〜E5とほぼ2オクターブを使っていて、カラオケで上手く歌えたらちょっと自慢ができますね。

そんなわけで褒めようと思ったらいくらでも褒められるんですが、一方で「ジャニス・ジョプリン」なんていう名前とともに語られるばっかりに「それは違うだろう」というつっこみもあちこちで出ているようです。あの頃の音楽とミュージシャンはこんなに健康的じゃないし、へたに真似したらすぐに事務所を解雇されてしまいます。あくまでもそういう人たちがやってた「音楽」を良いと思っている、というスタンスで押し通すしかないわけで…。とにかくジャニス的なブルースを感じさせる曲調とはちょっと違います。

その点、いたってドメスティックな音楽観の持ち主である私などはSuperflyを聴いてこういう風に理解しました。
「ミスチル風サウンドで吉田美和(五輪真弓でもいいけど)風の女性が歌ってる」

「愛をこめて花束を」はフォーク・ロックのバンドの音にストリングスがかぶってきて、これはミスチルの「CROSS ROAD」です。偶然だと思いますが、2コーラスの終わりまでは、尺も曲調の変わり目の小節も、全部あっています。一緒に歌えるんじゃないかと試してみましたが、(特にAメロの)コードは少し違うみたいでちょっと無理でしたが、かなりいけます。
同様に「やさしい気持ちで」は「innocent world」です。あるいは「innocent world」+「アジアの純真」か。作っている人の年齢を考えるとこの方が素直な読み筋だと思うんだけどなあ…。
あるいは1970年頃のロックナンバーで、共通の祖先に当たる曲があるのかもしれませんね。私はそれを特定するほどの洋楽知識を持ち合わせていません。

2009/09/06

大瀧詠一ファースト/大瀧詠一

7月に散歩で武蔵小山に行ったとき、立ち寄った本屋で大瀧詠一のムックを買ってきました。

情報量がとても多いので、一気に読むことができずに興味のあるところだけ拾い読みしているのですが、その中のところどころに後輩ミュージシャンが選ぶ「私的大瀧詠一ベスト5」というコラムがあります。

その中に高い頻度で入っているのが「指切り」という曲。
青山陽一(誰?)が5位、伊藤俊吾(キンモクセイ)が2位、サンボマスターが1位、田中拡邦(誰?)、山本精一(誰?)が3位に挙げています。
私は寡聞にして知らなかったので、「素直に『君は天然色』とか書け、カッコつけやがって!」と思っていましたが、知らないままなのも癪なので銀座の山野楽器で持っていなかった「大瀧詠一ファースト」を買ってきました。

はっぴいえんどの「風街ろまん(1971年)」と「HAPPY END(1972年)」の間隙である1972年に発売されています。各曲のクレジット(手書きで読み辛い)を読むとはっぴいえんどのメンバーの名前も見られますが、はっぴいえんどという制約の多いバンドではできないことをやったということで、とてもまともな成り立ちのソロアルバムと言えるでしょう。吉田美奈子、松任谷正隆といった後のビッグネームも名を連ねています。

問題の「指切り」は3曲目、「それはぼくぢゃないよ」と「びんぼう」に挟まれた位置に入っていました。
なるほど、「風街ろまん」にも、「A LONG VACATION」にも、あの展覧会のような「ナイアガラ・カレンダー」にも似た曲が思いつかないダンスミュージック風。キンモクセイの人が「好き」というのはちょっと納得。

その他、「五月雨」のオリジナル(僕は先に「ナイアガラ・カレンダー」に入ってる谷村新司みたいな方から聴いちゃった)が聴けたのも収穫。

それと、はっぴいえんど用のものより少し分かりやすくしてある松本隆の歌詞に、その後の職業作詞家になってからの作品で使うようになる言葉の断片が予告編的に見え隠れしているのも興味深いですね。「髪を切りすぎたね。まるで男の子だよ」とか「約束なんて何もないけど」なんて言い回しとか。

大瀧詠一って人は大河ドラマみたいな作家だから、やはり年代順にひとつずつ聴いた方が良い、というのが今日の結論かな。
そう考えるとまだまだ買わなきゃいけないものがいっぱいあるなあ。

2009/08/29

夏の終り/オフコース

今年の秋はいつもの秋よぉり、長くなりそなそんな気がしますね。
今週は仕事で東北に行ってきましたが、夏がくるまえに秋が来てしまったような、そんな天気でした。


小田和正はあちこちのインタビューなどで「季節で好きなのは夏の終り」と答えています(ソースは明示できませんが、好きな人は調べてみてください)。そんな自分が好きな季節をまんまタイトルにしたのが「夏の終り」です。初出は1978年のアルバム"FAIRWAY"のB面1曲目。
オフコース - i (ai)~Best Of Off Course Digital Edition - 夏の終り

1978年頃のオフコースは知ってる人はすごくよく知っているが、TVで流れる音楽しか知らない人には「誰、それ?」というレベル。この曲もシングルでヒットするようなとっかかりがありません。
それでも後のキリンジそっくりな小難しさ(キリンジの方が似てるんですけどね。もちろん)はかなり抑えられ、鼻歌で歌えるようなメロディですが、それでも不思議な拘りも残っています。
イントロ無しでいきなり始まるアカペラコーラス部分では裏にアクセントがあるのに、楽器が重なってくる(すてーきにーみえるーの直後)と突然3拍目の頭にアクセントがある8ビートになる、というこの切り替わりが何を表現しているのか、私には今も分かりません。

さて、小田和正の声域は広く非常に高い、という印象があります。この曲の歌メロではE3-A4の範囲を使っています。なつはーふゆにーの「にー」が最高音。エンジン掛けたらすぐ7000回転みたいで、歌うのが大変です。また、地声かファルセットか、男なのか女なのかどちらにも取れるように声が加工されていて(コンプレッサーと、なんだろう)、あまり力強い感じはしません。メロディもちょっとユーミンから借りてきたような部分があり、"We are"以降にはっきりしてくる「小田節」は完成していない模様。
この後、バンドの音がよりハードになるに連れて、曲は一段とシンプルになり、唸るような強い声を出すようになります。音域もB4くらいまでが常用されます。

「小田節」が完成するのは「君が、嘘を、ついた」なんですが、秋の夜長に"FAIRWAY"、"Three and Two"、"We are"、"The Best Year of My Life"の一気聴きなどをやって、小田和正の変貌ぶりを研究するのも面白いですよ。

2009/08/15

Be your wings/GIRL NEXT DOOR

いつだったか、ぼんやりTVを見ていたらこの曲が流れてきて、ちょっと聞き捨てならない気がしたのでiTSで探したらありました。
GIRL NEXT DOOR - Be your wings/FRIENDSHIP/Wait for you - EP
何が聞き捨てならなかったかって、あんまりELTそのまんまじゃない?ってことです。
そりゃまあ制作会社も一緒だし、スタッフも同じ流れの人たちが重複して関わっているのでしょうから、いくら似ていても問題は起きないのでしょうけど。なんでも良いんですが初期の"Every Little Thing"の、例えば"Dear My Friends"と続けて聴いてみてくださいな。

その上で、あなたがもし営業マンだとしたら、既にELTを扱っている店のバイヤーにこの商品をなんと云って説明しますか?
「今年の夏向け新商品をお持ちしました」
「なんかちょっと前のELTと同じに見えるけど」
「えーと、ボーカルの女の子とメンバーが若くなりました。TVでスポットも打ちますし、タイアップもこれこれが決定しておりまして…」
ああ、不毛な会話になってしまったあ…!

確かに最近の持田香織は「ほぼ日」なんかにも顔を出してサブカル方面に活動の場を移そうとしている気配が見えます。結婚してからちょっと地味になってきた渡辺満里奈の場所を狙っていそう。思えばELTの活動も10年を越え、レコード会社としてはこの辺でもう一度、対象年齢を下げた新商品の開発が必要だったのだろうことは(業界は違えど)よっく分かります。
また、今の景気動向などを見るに、「失敗できない」プレッシャーはすごいものなんだろうとも思います。その結果、過去に上手くいったフォーマットを忠実に再現したらこうなったのでしょう。
しかし、その結果生まれたものが私たち素人から見ても明らかに前例の縮小再生産に見えてしまうのはどうなんでしょうか?"GIRL NEXT DOOR"というユニット名も妙に周りに気を遣ったようなこぢんまりした感じ(つまり「となりのマリちゃん」ってことだよね)だし。

最後にこの曲だけの話です。売るための引っかかり(フックっていうの?)をいっぱい作ろうとした結果なんでしょうが、ブレイクとか歌とバックのユニゾンでのキメとかが多過ぎて、私なんかは聴いててつんのめるんですけど。特にサビの前のブレイクはいらないと思う。

うわっ、全編悪口になってしまった。ごめんなさいぃぃっ!

2009/08/02

NIGHT FLIGHT/Perfume

物理学者でもないのにいつまでも「相対性理論」の話ばかりしていられないから、山野楽器で一緒に買ってきたPerfumeの△(トライアングル)を聴きましょう。


全曲の感想を書く体力が無いので、私の耳が一番反応したM6"NIGHT FLIGHT"を中心にします。
まず驚くのが全体の音作りをやっている中田ヤスタカという人が30歳くらいの年齢だということです。全体にPerfumeの音というのは、私たちが高校生の時に聴いたテクノポップととても良く似ています。

特に表題にした"NIGHT FLIGHT"のカラオケは、我々の世代から云わせてもらえば("TECHNOPOLICE"+"RYDEEN")÷2です。
ポリ・シンセの音がピアノ風にコード弾きするバッキング、「んぺんぺ」というチョッパーベースをシミュレートしたようなオクターブで進むベース等々。
メロディとコード進行は最近のJ-POP風に聞こえますが(初期のYMOは基本インストだったしね!)、全体の音は80年代前半のCMやラジオのジングルで散々聴いたようなサウンドで(例えばM4"edge"のようなCMソングは当時絶対にあったと思う)、それが我々40過ぎのいい歳したオッサンがPerfumeに注目させられるフックになっています。それらは作り手の中田氏にとって生まれたか生まれてないかの時代のものであるはずなのに、彼はなにを思ってこのサウンドを作りはじめたのか、とても不思議です。
例えば大瀧詠一がフィル・スペクター・サウンドとかに影響されるよりも年代的には離れていると思うし、だいたい我々はそれを最先端だと思ってきたわけで、まさかレトロ趣味のネタとしてテクノポップが使われるようになるなんて、思ってもいませんでした。儂も年を取るわけじゃわい!

そんなわけで、今、TVで"Perfume"というユニットによって提供されるパフォーマンスを見るとき、声が全面的に加工されて(ぶっちゃけ口パクだし)誰が何処を歌っているか分からないとか、若い女の子が3人いるのに1人にしか興味が持てない、などのネガティヴな要素を打ち消してあまりある音の楽しさ。
メロディがこう転がってくれるといいな、と思うとその通りになり、ちょっと飽きてきたなと思った頃にそこからぐねぐねと変化する、そのさじ加減とか、本当にうまいなあと思います。

2009/07/25

シフォン主義/相対性理論

聴き始めたら癖になってきたので、今度はiTSで落としてきました。相対性理論の「シフォン主義」です。こっちが例の「2009年 第1回 CDショップ大賞」受賞作です。
相対性理論 - シフォン主義 - EP

こいつら、やっぱり面白いです。
"Sing that iTune!"というMacのガジェットで歌詞を読みましたが、話の飛躍のしかたが80年代江口寿史的(あるいは「ビックリハウス」的なのかもしれない。僕は読んでなかったけど)で「あるある!」という感じがします。「脳卒中」と「由比ケ浜」という2つの言葉の絶対値が同じであるとする言語感覚については、おそらく説明不能ですが、分かる人には分かる。

予算的に使える機材の制限等もあったと思うから、どこまでがわざとでどこまでが制約によるものかは知りませんが、例のか弱い声のボーカルの、音が取りきれてないところもそのまま直さずに収録されていて、それがまた生々しさを助長する効果になっています。ギターの音も私たちが仲間内で宅録していたころの、「エフェクター繋いでライン録り」の音に良く似ていて、今からでもコーラスの録音を手伝いに行ってやりたくなります。

今の「メジャーなアーティスト」のCDであれば、この素材をトラックごとにデジタルでいじって、ボーカルはピッチ&タイミングばっちり、ギターはエフェクターが何種類使ってあるのか分からないようにパッケージされますが、相対性理論は、というか特にこの「シフォン主義」は生の素材がそのまま見えていて面白いです。「LOVEずっきゅん」の途中で「らぶ〜らぶ〜らぶ〜らぶ〜」というコーラスっぽいフレーズがありますが、普通は多重録音で4つ重ねる(そのくらいは僕らでもやってた)かコンピュータで最初のフレーズのピッチを変えて貼付けるんだと思うけど、ボーカルがはあはあいいながら4回続けて歌ってるのはいつの時代だい(だからこれはわざとやってるんですね)?
この作品をCDショップの店員が1位にした、ということは彼らも今の主流の、仕上げだけはきれいきれいな音楽に辟易としている証拠じゃないでしょうか。

例えば、引き合いに出して申し訳ないけど、相対性理論と良く似た編成でいまや超メジャーな「いきものがかり」という毒にも薬にもならないバンドがありますね?あれはコンビニのサンドイッチのように作られたものですが、「いきものがかり」という全国で大量販売する280円のサンドイッチを作る時に切り落とした耳の部分のようなもの、あるいは最初から三角形の袋に入れることを考えず、個人経営の喫茶店店主が作ったようなものが相対性理論の作品だと思います。彼らはこれから三角形の袋に入ることを目指すのでしょうか?

2009/07/21

ハイファイ新書/相対性理論

20日に銀座に行ってPerfumeの"Δ(文字の選択はこれで良いのか?)"と中川翔子の新作を買って来ようと思ったんですが、「今度こそ本物の松田聖子仕立て」の中川翔子を試聴したらちょっと期待と違ったのでパスしてしまいました。

代わりになにか若いもんの、知らないバンドでも聴いてみるかと店内を見渡すと「CDショップ大賞受賞(CD市場の落ち込みをなんとかしようと「本屋大賞」を真似たんでしょうね)」と書いてあるPOPを発見。相対性理論といういかにも一癖ありそうな名前のバンドの、「シフォン主義」というCDが置いてありました。ところが見たところシングルCDだと思ってしまったので「1曲じゃ分からないよなあ」とすぐ横に並んでいた、見た目にちゃんとアルバムに見えた「ハイファイ新書」の方を買ってきてしまいました。あとPerfumeもね。


帯から読み取れる曲名が「テレ東」「地獄先生」「ふしぎデカルト」「品川ナンバー」「学級崩壊」等で、「きっとキンモクセイみたいな男4〜5人の理屈っぽい連中に違いない」と思って家に帰って聴いたら、意外にもボーカルが女の子。それもカヒミ・カリィとか風吹ジュンのような弱々しい声の。そしてバックはかなり理屈重視かつロックな演奏で、そのミスマッチ振りが80年代にあったような、なかったような。ゲルニカとかの、細野晴臣が探してきてYENレーベルで売り出していたような、ちょっと既視感のある違和感がありました。

買って損だったか、というとある意味「さすがCDショップ大賞」http://www.cdshop-kumiai.jp/cdshop-taisho/だけあって、中身は悪くないです(投票した店員の数がまだ少ないのがちょっと寂しいが)。風吹ジュンのような、とは書きましたがこの弱い声のボーカルの人=やくしまるえつこ(芸名だったらひどいね!)はへたではなさそう。音域も狭そうで狭くない。それからほぼ一人でこの不思議ちゃんな詞と曲を書いている真部脩一という人は、やはりキンモクセイ的な邦楽マニアなんだろうと思われます。
私が一番気に入ったのは「品川ナンバー」という曲ですが、真部さんが筒美京平の流れを汲む作家であることが窺えます。

実は、家に帰ってからiTSで買えることが分かって、「シフォン主義」の各曲を試聴してみました。バックがもっと激しく、ロック好きは「こっちの方が良いのかな?」とも思いましたけど、「ハイファイ新書」の方がボーカルとバックの対比がより効果的になっているし、全体がソフィスティケイトされていて、私はこっちを買って正解でした。
まあ、初めて「はっぴいえんど」を聴くのに「ゆでめん」と「風街ろまん」のどっちが良いか、というようなことだと思います。
シフォン主義→相対性理論 - シフォン主義 - EP
ハイファイ新書→相対性理論 - ハイファイ新書

2009/07/12

C-Girl/浅香唯

大井町の駅前に臨時の中古CD/DVDの店が出ています。CDは値札に関係なく300円。掘り出し物を探していたら、以前書いた「青春歌年鑑」の続編をいくつか発見。といっても3つくらいですが、その中から「続・青春歌年鑑'88 PLUS」というのを買ってきました。「続」かつ「PLUS」ですから一体何匹目のドジョウなのかも分かりませんが、ちょっと良い曲が入っていたので。

はっきり云ってまったく興味ないのも入っているので以前のように熱心に全曲紹介などはしませんが、私がまだ25歳くらいで音楽を良く聴いていた頃のものなので、懐かしいことは懐かしい。時代としてはおニャン子死して工藤静香を残した時期であり、中森明菜の全盛期であり、菊池桃子がラ・ムーでロック(!?)を歌っていた頃。一方、フォークシンガー武田鉄矢がCMタイアップで演歌のデュエット曲を発売し、「『暮れなずむ町の光と影の中』と歌っていた俺が、今は同じ風景を『夜の帳が下りて町に灯がともる』と歌っている」と自虐ギャグを飛ばしていた頃です(全部入ってます)。

テクノロジー的にはデジタルエフェクターの類い、特にデジタルエコーとその派生品と思われるハーモナイザーやらピッチシフターが一般化して、「うまい人はよりうまく、そうでない人もそれなりに聞こえます」という処理がされるようになっています。中山美穂もディスクで聴けば実力派。シンセサイザーは何の断りも無く多用され、ほとんど打ち込みだけのオケの曲も多いです。そうでない曲もスネアドラムの音はみんな「びしゃあ」という音がします。シモンズでしょうか。

さて、そんな中から選ぶのは浅香唯の"C-Girl"です。当時TVで聴いてあんまりかっこ良かったもんでアルバム"Candid Girl"を買ってきてしまいました。恥ずかしながら!


この直前に歌った「ビリーヴ・アゲイン」あたりからベスト10番組に出始めて、声もだいぶ出るようになっていた印象があります。"C-Girl"は、吉川晃司作品等でロックサウンドの曲を職人的に作っていたNOBODYの作品。浅香唯はこの曲を松田聖子風の大きなビブラートで歌っています。作詞・森雪之丞/作曲・NOBODY/編曲・井上鑑。音域はA3-A#4のようです。当時はもっとうまく聞こえましたが、今聴くとやはりアイドル発声ですね。昭和のアイドルとはいえ、当時すでに鼻濁音なんて流行らなくなっていて、彼女も意識しては使ってないようですが、なぜか英語である"Girl"の頭に「ん」の音が入っているのが愛嬌。

今聴くと、楽器が新しくなったビーチボーイズのように感じてしまいますが、当時はこれで十分高揚感がありました。この後、彼女はさらにロック色の強い曲を歌うようになったと記憶していますが、思いのほかピークが短く(ルックスなんか松田聖子よりよっぽど可愛いと思うんだが)恋愛問題等の理由かなにかで第一線から退いてしまいました。

2009/07/11

三文ゴシップ/椎名林檎

珍しく出たばかりのアルバムをCDショップで買ってきました。
椎名林檎「三文ゴシップ」です。
iTSでも買えますが、かなり凝ったアートワークも施されているので物理ディスクで買った方が良いでしょう。
椎名林檎 - 三文ゴシップ

ちょっとレトロなジャズよりの演奏に乗って、椎名林檎らしい歌が続きます。作曲も彼女が全部やっており、出来上がったトラックに類型的かつ匿名的な歌詞を当てはめてはアーティストだと言い張っている女性シンガーが多い中、「間違っても一緒にしないでよ」というアピールは十分。今時のメジャーなアーティストで「労働者」なんてタイトルの曲を書くのは彼女くらいしかいません(あとは怒髪天の人くらいでしょうか?)。

それでレンタカーの中とかiPhoneにヘッドホン繋いだりして何遍か聴いてみているんですが、なかなか体に入って来ない。その理由は多分、歌詞が聴き取れないこと。

振り返って考えれば、椎名林檎の歌詞が聴き取りにくいのは今に始まったことじゃあないのですが、前に書いた「真夜中は純潔」はまずPVで知って、最初から歌詞を読みながら聴いていたのでそれに気がつきませんでした。
今回は歌詞カードと首っ引きで聴いていたわけじゃないので「なにか面白いこと云ってるんだけど聞こえない」のが結構ストレスになりました。もともと歌詞カードを読んでも大昔の松本隆みたいに難しい単語が並んでいますので、クセの強い巻き舌発音をヒヤリングで大意を読み取るのが難しいのです。また、歌詞の内容と曲調が善くも悪くも(多分わざと)ミスマッチな感じで作ってあるのが聴き取りにくさを助長しているような気がします。

ちょっとミキシングを変えてくれるだけでもずいぶん改善しそうなんですが、作り手がそれ以上に優先したいこと(サウンド)があるのでしょう。逆に言えばこの独特な歌詞の世界も、選ぶ言葉の絶対値のわりには作り手にとってそれほど重要じゃないのかもしれません。

2009/07/04

Around40 〜サマフォー〜/オムニバス

このタイミングならMJ問題とかやればアクセスが稼げるんでしょうが、見解が持てないので分かりやすい邦楽オムニバスの話にします。

TVでコマーシャルもやってた気がする恥ずかしいオムニバスアルバム「サマフォー」を買ってしまいました。なんでも人気投票かなんかやって選曲して、帯には「今の私も歌えちゃう15曲」なんて書いてある、ぁぁああ…。


01 夏を待ちきれなくて/TUBE
季節労働バンド、とかの自虐ネタも含めて「偽サザン」ぶりが板についた頃の1曲。あー、こんなにテンポがゆっくりだったんだ。前田亘輝が一番声が出てた頃なんでしょう、1オクターブ半を越える歌メロをゆうゆうと歌っています。
(ボーカルの音域、以下同じ:E3-A#4) 

02 世界で一番熱い夏/プリンセス プリンセス
しかけが一杯で楽しい曲ですね。過去に聴いた名曲を俯瞰して、良いところを抽出して書いているのが良く分かる。奥居香はそういう作家みたいです。サビの元ネタは"Can't Take My Eyes off of You"でしょうか?奥居香は一番目立つサビを引っ張ってきましたが、広瀬香美はAメロとBメロを巧妙に使って「ロマンスの神様」を作った。私はそれにずっと気づかなくてつい最近気づいて、今は「今夜飲み会〜」のあたりで「もう気づけよ、もう気づけよ」と云われている気分になる(余談)。
(A3-C#5)

03 私の夏/森高千里
ブレイクした前後の金属的なサウンドはすっかり改められて超オーソドックスなバンドサウンド。こういう「へたうま」な感じって、世知辛い今の世の中で新しく出てくるのは難しいんでしょうね。
(G3-C5)

04 夏の扉/松田聖子
あーこれ高校生のときだ。吹奏楽部が文化祭でやってた。
この曲って1オクターブで出来ているんですね。
(B3-B4)

05 モニカ/吉川晃司
この曲はもう、当時いろんなこと云われ尽くした気がします。今回改めて聴いてイントロが「フットルース?」と思ったけど、どっちが先か分からないくらい同時期なんで見立て違いでしょう。
(F3-F4)

06 アクアマリンのままでいて/カルロス・トシキ&オメガトライブ
男性ボーカルとしては驚くほど高いところ(F4あたり)から始まるので、どうなっちゃうのかと思うと意外と常識的な音域で収まる不思議な曲。転調を絡めながら絶対的な音域は1オクターブ。最後に転調したコーラス部分ではA#くらいまで使っているみたいですが。稲垣潤一と同じタイプで、うまいのか下手なのかよくわからない歌いかたです。
(G3-G4)

07 ふたりの夏物語/杉山清貴&オメガトライブ
杉山清貴については「うまい・へた問題」の時に書いたので、声については割愛。チョッパーベースとクリアなギターカッティングのバックに、レファドラとかファラミドとかM7コードをシンセでバラして弾いたサウンドに乗った、「白いセダン」と「海」と「人魚のようなオネエちゃん」が出てくる歌っていうのがいっぱいあったんだよなー。「キール」と「ディンギー」がなんなのか結局分からないままカラオケで歌ったなぁぁああアア…(脳みそが痒くなってる様子を表現中)
(F3-G4)

08 ラストショー/浜田省吾
浜田省吾は買って聴いたことがないです。大学時代、父が失業してて貧乏だったので名古屋の大学生としては致命的なことに車を持っていなかった僕は、いつも友人の車に便乗させてもらっていました。その間に助手席でお腹いっぱい聴いちゃった感じです。感性がすごく普通で、基本真面目なんだけどちょっと不良っぽいのにも憧れる当時の健康な男の子の気持ちとシンクロしやすかったのでしょう。僕は若い頃から病んでいたので、ちょっとこの世界は恥ずかしかったです。ボーカルと歌詞が暑苦しい割にコーラスの感じとかは杉真理なんかと共通な可愛さがあり、そのアンバランスさにも抵抗がありました。
このCDに入っているのは91年のリメイク版だと思いますが、後の作品"J.BOY"と良く似ています。
(F3-F#4)

09 夏のクラクション/稲垣潤一
あ、噂していたら出てきましたね、稲垣潤一。
この人も以前書きましたので、詳細は割愛しますが、この曲は意外と低音も使っています。声の出しかたが上も下も変わらないので、そういう意味ではうまいのでしょうね。
この曲の情景を想像すると、お金のない稲垣潤一はいつも彼女に車で送ってもらってたんでしょうか?石巻あたりの人でしょうか?2番では波間で手を振ってるし、訳が分からん。「夏のクラクション」って、響きはカッコいいが意味を考えると結構まぬけです。
(D3-G4)

10 夢をあきらめないで/岡村孝子
世の中にレンタルビデオというものが現れたとき、狭い部屋で両親と同居していた私は、あまり物騒なものも借りられないので、音楽ビデオをよく借りて見ていました。岡村孝子のライブというのも借りてきましたが、そのMCのエンターテインメント精神のかけらもないところやたまにキーボードの前に座ると小節の頭のコードを白玉で弾くだけという演奏スキルに半ば呆れつつ、善意の塊のようなファンとの関係にちょっと鼻白んだ覚えがあります。
ところでこの曲のどこが「サマー」なんでしょうか?「乾いた空」は私の感覚では晩秋から冬の季語だと思いますが…。
(G3-A#4)

11 MOON/REBECCA
この曲も、ひとことも夏という言葉は出てきませんが、音色(おんしょく)は夏といえば夏のような気がするからまあいいか。歌詞をじっくり読むと、バブル前夜の80年代後半の日本にも階級らしきものがあったことが分かりますね。日本の音楽って一部の極端な例を除いて社会性とか感じないんですが、そういう意味では洋楽的アプローチなのかな?こういう音がかっこ良かったんだよなー、この頃。
(B3-C#5)

12 LA・LA・LA LOVE SONG/久保田利伸 with ナオミ キャンベル
この曲も歌詞というより音そのものが夏、という見立てでしょう。
「メリーゴーラウンド」と「(とーまる)くらいの」のメロディが、ミミレミなのかミレレミなのかどうしても聞き分けられません。
(D#3-G#4)

13 あなたに会えてよかった/小泉今日子
この曲も夏とは云ってませんが「星」とか出てくるので、我々にとって「星空を見る行為」が夏なのかな?キャンプとか林間学校とかのイメージ?プロは冬なんでしょうが。あるいは「素敵な恋」が夏?猫じゃないんだからさあ…。
小泉今日子の歌唱力はデビュー当時からほとんど変わっていませんが、うまくオーラを纏うことでOKにしてしまえた違う意味での実力派。
(A#3-B4)

14 サマータイム ブルース/渡辺美里
イントロ-A-B-A-B-C-A-B-C-D-間奏-C-D-D-D-エンディング。Cだけ転調。本当のサビ(D)がなかなか出て来ないけれど、ひとたび出てきたら後は間奏を挟んで畳み込み、という大きな構造の曲です。音域も広く、いかにも渡辺美里と言う感じ。作曲は誰だろうと思ったら本人の名前が書いてありました。へえ。
(G3-C5)

15 夏の終わりのハーモニー/井上陽水・安全地帯
それで最後がこれですか?ベタだなあ。どのくらいベタかというと、名古屋の外れのスナックに地元中小企業の若手社員が集まって好き勝手歌いまくって、閉店時間になるとリーダー格(主任クラス)が「マスター、あれ」とか云って代表2名で必ずこの曲を歌って帰っていた、というくらいベタです。
今のJ-POPからすると最低音がかなり低いですが、本来日本人男子の音域というのはこの辺が普通。上のFが出ると高い声が出る、と褒められたものです。今はカポ4つ分くらい上ですね。
(B2-F#4)

このシリーズはまだ続くらしく、CDの中に「Around 40 "バラードソング募集"」という紙が入っていました。インターネットで応募できるらしいです。ぁぁああア!
ちなみに会社の同僚にこのサマフォーを「貸してやろうか?」と云ったら「音源全部あるからいらん」と云われました。カルロス・トシキは無いだろう、と思うんだけど…。

2009/06/20

ハルモニオデオン/遊佐未森

iTunesでいつのまにか遊佐未森がダウンロードできるようになっていました。
遊佐未森 - Travelogue - Sweet and Bitter Collection
昔のお馴染みのナンバーも入っていたのでアルバム1枚落としてみましたが、音が新しくなっていました。
↓地図をください
遊佐未森 - Travelogue - Sweet and Bitter Collection - 地図をください (Ruby Grapefruits Version)
新しい「地図をください」はウッドベースを使った上品なバージョンになっていますが、オリジナルのゴージャスな音が懐かしくなって、アマゾンで探して中古CDを改めて買い直しました。

超余談ですが、3年ほど前に営業車を運転中にAMラジオで聴いたジュディ・オングの「魅せられて」がすごく良くてアマゾンで落としたら別バージョンになっていて、その音がシンセサイザーで水増しした凡庸なものだったのでがっかりした経験があります。俺はあの、マンドリンの音が聴きたかったのにぃぃいっ!と歯がみしたものです。
遊佐未森のニューバージョンは悪くなっているとは言えないのですが、やっぱりオリジナルのアコースティックギターのカッティングとフレットレスベースが効いた、あの頃の音で「暮れてゆく空は」などを聴きたいのです。

「地図をください」が入っているアルバム「空耳の丘」が1988年、「暮れてゆく空は」が入っている「ハルモニオデオン」が89年。バブルっぽい豪華な副読本がついたこの2枚は初期・遊佐未森を楽しむのに絶好のアルバムです。私は特に「ハルモニオデオン」が好きです。
プロデューサーには外間隆史と太田裕美の夫である福岡知彦の名前がありますが、たしかに初期の遊佐未森は太田裕美のある部分を拡大したような世界が展開されています。そのうちにこの二人を含んだミルキーボイスの系譜なんていう研究もしてみたいものです。
遊佐未森の声は童女のようにも聞こえますが、その中にえも言われぬ色気を含んでおり、多重録音されたコーラス等を聴いているだけで幸せな気分になりますが、特にこの2作のアルバムにおける作り込んだ世界観と手弾きの楽器がたくさん入ったサウンドは、かけたお金がきちんと品質に反映されている良い商品だと思います。

2009/05/19

オフコースのライブビデオ2本/OFF COURSE

はてなダイアリーの方で書いたんですが、3年ほど使ったTVが壊れまして、部品保有期間内であるにもかかわらず「部品が無いので修理ができません。保証期間相当の差額を返金しますから(新しい地デジTVを買ってください)」といわれ、結局DVDレコーダーと液晶モニタを買ってきた私です。ついでにLogicoolの4000円の2.1chスピーカーも付けて、それじゃサウンドチェックでもするべえとオフコースのビデオを見ております。オフコースの音がどう聞こえるか、が昔からの私の基準なんです。


80年代ニューミュージックの頂点であり、また人気絶頂期と解散問題が重なって、周囲の様々な思惑の中で迎えた前人未到の武道館10日間コンサートの最終日。その公演の、アンコールを除いたほぼそのままの実況です。鈴木康博のオフコースとしての最後のステージでもあります。
MCは最小限というか上記のような各種問題にも一切触れず、ただ「言葉にできない」での小田和正の涙、スクリーンに映された"We are over""Thank you"のメッセージのみ。
そしてレコードの音をいかに5人で再現するかに拘った緊張感の高いステージなど、いつみても疲れるビデオです。
そしてこの頃のオフコースのバンド編成は僕のような素人が音声+画のヒント付きでぎりぎり楽器音が拾える限界でもあります。バンドスコアも出ているので、このセットでお勉強すれば作曲なんかも見よう見まねでできるようになります。


一方こちらはその5年後、"as close as possible"ツアーのライブビデオです。
音楽用のデジタル機器の実用化が進み、シーケンサーとの同期演奏をするようになっています。ドラムスの大間ジローがヘッドホンをしているのはガイドクリックを聴いているからでしょう。また、金管とキーボードにサポートメンバーが入り、今の小田和正がやってるライブの形態に近くなっています。適度に編集されて1時間ちょっとにまとめられていますし、不要な緊張感も無いので、娯楽作品としてはこちらの方が好きです。

2009/05/07

綺麗ア・ラ・モード/中川翔子(その2)

今週の始めに、去年書いた中川翔子の話のところにaediftさんからコメントをいただきました。このBloggerのフォーマットはコメントが埋もれてしまうので、本文の方に出させていただきます。
この曲は、まずメロディの系統的には、80年代より前、ニューミュージックよりさらに前の(それこそ筒美第一全盛期の)70年代前半の、(このメロ自体が特にどれに似ているということではないが)尾崎キヨ彦や、ちあきなおみ(や和田アキ子)が歌いそうなトーンのものに「強いて言うなら」聞こえる。
 そしてサウンド、響きの雰囲気的には、それらに加えて、80年代後半以降の、オルタナロックの影響を受けたそれ以後のポップスに出てくる音使いが頻出。
 つまり、80年代前半の、松田聖子全盛期の音楽の雰囲気を多分ほとんど持っていない。その時代部分だけがなぜか抜けているというほどに。当時の聖子のアルバムも多く聞いているが、特に似ていると感じさせるような曲はない。
 端的に言っても、当時の音楽はもっと「垢ぬけ志向で軽やか」、これは「やや熱め」。
 単に筒美氏が自由に書いたらこうなってしまっただけなのか、百戦錬磨だった御大二人が、管理人さん仰るその「松田聖子ごっこ」を巧妙にずらしてやったらどうなるか、の作戦に意図的に出たものなのかはわからないが。
 ・・とまあ、個人的にはそういうふうにも思えます。

aediftさん、コメントありがとうございました。

大意としては80年代の松田聖子にはあまり似てないと思うよ、ということだと思います。

そうですね。記事を読み返すと確かに私が書いた「(当時の松田聖子を)忠実に再現」はあまりに筆が滑り過ぎなのは間違いありません。週に1回くらいは更新しようと毎回焦って書いているのでどうも話を単純化して進めようとしてしまいます。

というわけで本日は、aediftさんご指摘のオルタナロックの影響までは絶対に行き着きません(よく知らないので)が、良い機会なので普通科高校卒業程度の音楽知識で追加の考察を書かせていただきます。

「綺麗ア・ラ・モード」の何をもって私が「松田聖子風」と思ったのかからお話しします。
表面的な聴き方かもしれませんが、最初に思いついたのが「ガラスの林檎」です。どこがどう、とは指摘し辛いのですが、例えば「ガラスの林檎」のAメロと「綺麗ア・ラ・モード」のBメロを4小節ずつハ長調にして貼付けてみました。

ギターコードは私がいい加減に弾き語り用につけました。実際の演奏音を拾ったわけではありません。「やにいぬ」は16分音符4つですが、体裁が揃うように恣意的に変えてあります。
不自然な音域の跳躍がありますが、ハ長調で始まって途中で短調っぽくなる、というニューミュージック系作品はたくさんあるので、これもありかなと…。
8小節目をG7にして「ガラスの林檎」の頭に戻ることもできますし、E7を入れて「綺麗ア・ラ・モード」のサビに向かうこともできます。似ていると思うのは4拍子なリズムと私がFのコードをはめたあたりの雰囲気ですね。強いて言えばこの辺?と思うところを緑で囲んでみました。

ところがBメロ後半からサビに向かうと全然違ってきます。
きっかけは「ながいてがすき」の「ナガイテ」のソ#です。
ここから後ろの臨時記号付き音符の多さはニューミュージック系作家の聖子作品(シングル曲だけ考えています)ではあまり見られないものです。
ちなみに、引用した範囲では臨時記号付き音符は出てきませんが、この「ナガイテ」以降、「かみにふレる」「ちがうソおらー」「すきーとオったみずノおと」のカタカナがそう。ハ長調に直したにもかかわらずピアノの黒鍵を使わなくてはいけない音は、1コーラスの歌メロで数えてみるとじつに11個あります。

同じことを松田聖子全盛期のヒット曲でやってみます。
チェリーブラッサム(作曲・財津和夫)=0
赤いスイートピー(作曲・松任谷由実)=0
ガラスの林檎(作曲・細野晴臣)=0
天使のウインク(作曲・尾崎亜美)=1(A♭ 冒頭部の「つケてあげる」)
ハートのイアリング(作曲・佐野元春)=2(B♭ サビ「くれなイの」「くないケど」)
裸足の季節(作曲・小田裕一郎)=1(E♭ ワたしです)
風立ちぬ(作曲・大滝詠一)=4(A♭ したためテイます」「あなたガクれた」)

参考
中川翔子/綺麗ア・ラ・モード(作曲・筒美京平)=11(A♭、G♭、B♭、D♭)
郷ひろみ/裸のビーナス(作曲・筒美京平)=7(A♭、E♭、B♭)

たとえば私がギター片手に、マイナーコードの曲の最後に「あなたがここにいる」というメロディを作ったとします。

一段目は歌謡曲風で無伴奏でも唄いやすく、流麗ですが「い」の半音がウェットな感じがして、年寄り臭い、暗いとも言えます。
二段目はギターの伴奏に引っ張られて何にも考えずに出てきた感じ。フォーク?としてみました。
三段目は意識的に一段目に似ないように注意しながら作ったメロディ。コードのE7-Amを例えばEm7-FM7などに変えちゃうとニューミュージック風になるかな?と。

80年代ニューミュージック系作家の闘いは、いかに歌謡曲や演歌にならずに曲を作るかということだったんじゃないでしょうか?その時に特に忌避されたのが、終止手前の「い」の音。E7のソ#の音なんじゃなかったのかなあ、と。これをやると流麗過ぎて歌謡曲になってしまうから。いっそ転調ならビートルズもやってるからいいけど、この音を入れるのはいやだったんじゃないか?

松田聖子に起用された作家たちはニューミュージックの中でも優等生で、特に大滝詠一や尾崎亜美はそのレベルから抜けていたと思いますが、一般にニューミュージック系の人たちはそれなりに耳が良かったり、外国の音楽に対する知識が豊富だったりしたんでしょうが、抽き出しの数や系統だった知識については不自由だったと思われます。
それに加えて「歌謡曲と距離を取りたい」という思いの狭間で、わざと棒を飲んだようなメロディを作っていたんじゃないでしょうか?あるいは起伏を抑えたメロディの、バックの和音が変化して行くことのかっこよさとかを打ち出したり…。
そのことで、当時、片や既成の音楽として演歌や歌謡曲の存在(さらに近親憎悪としての四畳半フォーク)があって、その湿っぽさに辟易としていた若者を中心にした音楽ファンは、この感じを洗練、クールと捉えたのでしょう(私はたしかそうだった)。
今思い出しましたが、当時の若者(つまり私たち)の間ではファッションでもカラフルなものよりモノトーンな感じが流行っていました。そして人間臭いことはカッコわるいことで、いかに無味無臭無色なクールでドライな存在でいられるか、という意識がとても強かったと思うのです。

そして、この「綺麗ア・ラ・モード」において筒美京平がやったことは、ある程度は80年代松田聖子ごっこ(相棒の松本隆はその気だし)にはつきあいつつ、でも自分の持つ能力をデチューンしてまで「忠実に」つきあいはせずに、半音階を多用した流麗でカラフルなメロディを作った(しかも「参考」で上げた「裸のビーナス」もそうですが、無伴奏で唄ってもこの半音が取れない、というメロディになっていません。鼻歌でうたってもちゃんと元の音に帰って来れるのが流行歌として素晴らしいですね)。
その結果、「綺麗ア・ラ・モード」は当時の音楽が持っていなかった色(彩度)や湿度を持ったのではないでしょうか(aediftさんは「熱め」と書かれていますが、私は彩度と湿度の違いと考えました)。

サウンド面の考察は私の手に余りますので割愛させていただきます。

2009/05/04

PLEASE/RCサクセション

忌野清志郎が亡くなったことについては、はてなダイアリーの方で書きましたので、こちらではRCサクセションの作品について考察しましょう。
私が高校の時にミュージックテープで買ったアルバム、"PLEASE"です。「トランジスタ・ラジオ」が入ってるヤツ。私、この曲大好きなんですよ。
RCサクセション - Please

本来は、一昨年の夏休みの自由研究でやった「日本語の問題」で触れるべきだったのかもしれませんが、忌野清志郎の歌詞の乗せかたがあまりに自然であったので、どちらかというとテクニカルな考察になってしまったあのシリーズでは通り抜けてしまいました。

年代で云うとRCサクセションは1970年前後から活動しているので、「日本語ロック」としてはサザンよりも前、はっぴいえんどの次くらいに位置します。ただしメジャーになったのは80年前後なので、私は「ニューミュージック」の一つとして認識していました。
かたやサザンオールスターズや佐野元春が日本語の実験をしている一方、RCサクセションは自然に聴き取りやすい歌詞をロックサウンドに乗せて唄っていました。この"PLEASE"を通して聴いても歌詞カードが無いと分からないという部分はありません。普通のボリュームで聴いていれば、唄っている内容が100%伝わります。

その理由を考えると、彼らの音楽にはR&Bの要素がかなり入っていて、R&Bは日本語との相性が良いからということが考えられます。余談ですが90年代前半に「和製ブラコン」が流行ったのは、既に演歌がパロディもしくは伝統芸のお手本として以外の商品価値を失っていて、その頃成人になった私たちが聴いたりカラオケで遊んだりするためのジャンルが無かったからだと思いますが、R&Bはその意味で演歌の代替として非常に優れたものでした。
そうした技術論は別にしても、唄っている忌野清志郎の意識として、歌にはメッセージがあるべきで、それを発信するためには聴く側が分かるように唄わなければ意味が無い、と思っていたということが何より大きいんだと思います。

さて、その聴かせたいメッセージはどんなものだったか?
実は80年当時、RCサクセションのような具体的すぎる歌詞は、ださい四畳半フォークを典型として「ニューミュージック」で否定されていたものです。

たとえば同じ頃オフコースで小田和正が書いていた歌詞は5W1Hが全然揃ってません(オフコースは大好きなんですけどね)。
「君が」「そのまま(でいる)」「そのとき」「そこで」「わけもなく」「そんなふうに」
まあ、だいたいこんな感じ。そして、(乱暴に言えば)オフコース以降のほとんどのメジャーなアーティストの歌詞がこんな感じです。良く云えば作り手の限定的なイメージを聴き手にぶつけるのでなく、聴き手が自分なりに物語を付け加える余地を残しているとも云えますが、悪く云えば無責任な歌詞です。

それがRCサクセションだと
「君が」「ズボンを縫っている」「年末に」「アパートの部屋で」「僕の正月用のズボンを仕上げるために」「徹夜で部屋中がゆれるようにミシンをふんで」多分、彼女もいろいろと忙しくてクリスマスには間に合わなかったんでしょうね、などと背景まで見えてきます。

忌野清志郎はその具体的な歌詞から生まれるリスクを自身のこととして引き受けながら表現をしていました。「あきれて物も言えない」では明らかに忌野清志郎自身が誰かに発した言葉として唄っています(Wikipediaによると「どっかの山師」=泉谷しげる ということらしい)。最近でもラッパーの世界では歌詞に気に入らないヤツのことを唄ったりする例があるそうですが、あまりにも歌の世界が閉じていて一般人が共有できないのが残念。あ、桑田佳祐が「孤独の太陽」に当時のメジャーな歌手では珍しく具体的な歌を収録していましたが、すぐ謝っちゃったしねえ…。

閑話休題。
また、RCサクセションの歌詞はいわゆる「ブルーカラー」の若者の歌です。
"PLEASE"の歌詞の世界では、主人公の若者は「金が欲しくて(結構キツい職場で)働いて」いて、夜や週末にカノジョとドライブしたり部屋で過ごしたりすることを生き甲斐にしています。恋人との間では楽しくいちゃいちゃすることもあれば、「妊娠したかも」と新たな苦労が発生したりします。勤めている零細企業にはすぐに「クビだ」というしょぼい社長がいて、給料は上がりません。

今、派遣切りだなんだと若者をめぐる状況は80年代よりも不幸なものになっています(ま、我々オジサンたちも親の代よりも厳しい気がしますが)。何年に生まれて何年に学校を卒業するという確率的要素だけで、就職するにも著しい条件の違いがあるのは不条理だと思うのですが、そのことに対する怒りを忌野清志郎的センスで昇華した歌があっていいと思います。しかし、少なくとも売れてる音楽の中にはそういうものが見当たりません。非常に抽象的で、すべての苦難を自分の精神世界だけで解決(「夢を持って」とか「あきらめないで」とか「自分らしく」とかね)してしまい、自分をその状況に陥れた個人とか組織とか社会に対して具体的な怒りをぶつける歌が不思議なほど出てきません。
別に自分の不幸をすべて他人のせいにしろ、とそそのかしているわけではありませんが、明らかに政治や経済における不備や人災的なものに対してはきちんとその原因を見極め、攻撃すべきは攻撃するのが主体的に生きることだと思うんですけどね。
それに、そういう歌を唄うことでガス抜きすることも大事だと思うんです。今、ガス抜きが出来なくてひとりで内側から爆発しちゃう人が多いじゃないですか?「そうか、そうやって考えて良いんだ」「それを表現して良いんだ」というところから若い人に教えてあげるべきじゃないかと…。

だからキヨシローの追悼も良いんですけど、彼とは違う表現で今の時代に生まれたメッセージを発する、若い才能に光を当てることが大事だし、彼の遺志を継ぐことなんじゃないでしょうか?

2009/04/29

ハナウタ〜遠い昔からの物語〜/エレファントカシマシ

レコード業界の物流がどうなっているのか知りませんが、休日にも関わらず今週の新譜は今日29日に発売になっています。
エレファントカシマシのニューアルバム「昇れる太陽」も本日発売なんだそうです。



私はアルバム買うほどのファンではありませんので、iTSで美味しいとこだけダウンロードしようと思って、一番人気があったこの曲を落としてみました。
エレファントカシマシ - 昇れる太陽

以前に触れた時にも書いたのですが、エレファントカシマシの音楽は「良い意味で」アマチュアっぽく、ちょうど私くらいのレベルの音楽ファンにとって耳で拾いやすく、マネをしてみたくなるような音楽です。
この曲もイントロ8小節→Aメロ8小節→Bメロ8小節(+ブリッジ)→サビ前半8小節→サビ後半8小節と構造がはっきりしていて、ノートにばっばっと線を引いて分解しやすいことこの上無し。ピアノとギターとオルガンが聴きやすいので、コードも拾えそうです。

同じような編成のバンドでもミスチルやスピッツだと途中でそんな作業はしたくなくなりますが、エレカシだと最後まで挑戦しようかな、と思わせる。敷居が低いです。ついでに歌詞の聞き取りも容易で、これは最近のJ-POPでは希有と思わせるスタイル。喉大丈夫かなと思うほどストレートな発音と発声です。
昔、私が今よりもうちょっと熱心に曲作りをしていた頃、やろうとしていた方向に近いです。
ただ私はコーラスとシンセ音は入れたかった人なので、これほどロックではありませんでしたが、エレカシも有名な曲は意外と普通のポップスと共通する展開をしているので、遠い感じはしません。
この「ハナウタ」でも前半のコード進行はロックっぽい動きをしているようですが、サビの後半では「クリシェ」と云われるベース音の半音下降がやけにはっきり使われていて、作り手の発想の順番がトレースできるような気がします。

ただJ-POPとはいえ、エレカシのメンバーも既に40代。この音楽が今どのように受けとめられているのかが良く分かりません。ファンは30代女性?あるいは30代男性?
私が今から曲を作ったら間違いなく同じような背景を感じさせるスタイルになると思っていて、それが恥ずかしくて自作から遠ざかっているのですが、今でもこういうの本当にありですか?オジサンもやっていいすか?と誰かに訊いてみたい気分。

2009/04/19

It's all Love!/倖田來未×misono

桑田佳祐とは打って変わって、倖田來未と実妹・misonoのデュエットを聴いてみました。


iTSでバラバラ落としてくれば、200円で聴けます。
サウンドのみ→倖田來未×misono - It's all Love! - EP - It's all Love!
ミュージック・ビデオ→It's all Love!

倖田來未にはほぼ全く興味が無く、特にここ2年くらいは主観的には全く退屈なよくあるバラードを唄っている人としか思っていませんでした。ですが今回、狸顔がかわいい妹と組んでなにやらはじけた気配の歌を出したということで、ビデオをiTSで落としてみました。

すると曲が全く印象に残らなかったので、改めてもう200円出して曲だけiPhoneでループさせながら聴いてみたところ、まあまあ良かったです。もともとこの曲は、歌手として行き詰まりを感じさせる(というキャラでバラエティに出ている)妹の方の救済措置であるかのように見せて、実は倖田來未へのレバレッジにもなっている、というよく考えられた戦略商品だと思われます。曲のフォーマットは遠い昔に私が相棒とカラオケで歌った"BOMBER GIRL"(近藤房之助&織田哲郎)に似ています。
個々のメロディをバラして聴くと、どこかにあったような部品の寄せ集めで、とにかく美味しいところをずらっと並べましたから、歌に自信がある人はカラオケで遊んでね!という感じ。ハモリもちょっと楽器とか触っている人が良く聴けば耳コピ可能です。私はこのブログで商業主義ぷんぷんの曲を批判しているように思われているのかもしれませんが、本当に批判したいのは「計算とテクニックだけで作っているくせに素人の美しい誤解で良い曲だ、と思わせようとしている曲」で、このように最初から開き直っている曲は好きです。

さて、この作品ではビデオ映像やパート割りで「スリムなお姉ちゃん&ちび(でぽっちゃり)の妹」「低音のお姉ちゃん&ハイトーンの妹」という図式を成立させようとしています。Wikipediaの記載が本当なら、二人は同じ身長で、しかも意外と小柄(154cm)なようです。あと、ダンスは二人とも得意じゃないみたい。お姉さんはそれなりにビッグネームになって世間にもそれなりの幻想が流通していますが、妹の方は魔法が解けた倖田來未を体現しているような存在になっており、その意味でmisonoの存在は実は倖田來未にとって結構危険な存在になっていることに気づかされます。
でも、ルックスなら断然私は妹派ですが…。

2009/04/02

昭和八十三年度!ひとり紅白歌合戦/桑田佳祐(Disc-2)

「ひとり紅白歌合戦」の後半、Disc-2の話。

Disc-1が懐メロ主体であり、かつ作り込みの深いプログラムだったのに対して、後半はややリラックスムード。「ヒロシ&ハラ坊 from SAS」の「三年目の浮気」なども織り込み(桑田本人は休憩)、サザンと同世代または後輩に当たるアーティストのヒット曲をスピーディーに展開していました。

こうして、普段の自前のバンドにおける桑田佳祐とは違う顔を見ていると、いろんなことが分かってきて面白いですね。例えばMCで段取りを進めるときの口調が先代林家三平に似ている、とかハンドマイクで唄う時に動きのレパートリーが乏しい(ちゃんと踊りを勉強したことがないので)こととか。
善くも悪くも緊張感が漲っていないステージは長尺だけれど見ていて疲れるところがないのは好ましいところです。

私はこのDVDを見ながら、米米CLUBのライブビデオのことを思い出していました。

私が見たのは上の"THE 8TH OF ACE"という作品です。「君がいるだけで」がバカ売れした直後の武道館公演のライブビデオでしたが、これも長尺かつおふざけ要素たっぷりのプログラムです。オリジナルだけでなく、例えば「さらば恋人」のカバーとか郷ひろみのパロディなんかをやっていて、「ひとり紅白」に結構近い。米米CLUBはもともと山本リンダのネタなどもやっていたので、違和感はありません。

二者に共通なのは、「あくまでも余興」という前提で展開する冗談の気楽さです。桑田佳祐もちょっとそういうところがありますが、オリジナルの作品でも自分の内面をさらけ出すよりも、「これってこういういことだよね」という批評的作品作りで伸してきた人たちです。そして時折見せる本音を混ぜたときに、それでも商売になるのが桑田佳祐で、ちょっとつらくなっちゃうのが石井竜也。今の両者にちょっとランクの違いがあるとすればその辺じゃないかなあと私は思っています。

2009/03/29

昭和八十三年度!ひとり紅白歌合戦/桑田佳祐(Disc-1)

この1ヶ月はホントに中年狙いのコンテンツがたくさん出るので、ディスク貧乏になってしまいました。和幸、ユニコーン、布袋寅泰、Utadaと続いて、DVDが「容疑者x-」とこの「ひとり紅白歌合戦!」です。当分物理ディスクは自粛しないとカードの支払いが怖いです。幸い、買って後悔した物件はありませんが!

さて、桑田佳佑"Act Against AIDS 2008"のコンサートである「ひとり紅白歌合戦」はやじうまプラスの芸能情報で見て以来、DVDになったら買おう、と心に決めていたので早くからアマゾンで予約していました(だから今月に出費が集中したorz)。

昭和二十年代から現代までの、歴史に輝く歌謡曲とJ-POPの数々を桑田佳佑がひとりで(中略)唄い継ぐ!!(中略)壮大なミュージック・エンターテインメント・ショー!

とDVDのカバーにも書いてある通り、桑田佳佑が全61曲(TVサイズだったり一部メドレーも含むが)を唄うので、2枚組で3時間を越えるプログラムになっています。とてもいっぺんに全部見られないので、とりあえずDisc-1を見てみました。

Disc1は前半の39曲が入っています。曲目を全部書くとぐったりしますので、アマゾンなどのデータを参照してください。戦後間もない「青い山脈」ありGSあり、フォークVSニュー・ミュージックでは「学生街の喫茶店」「あの日に帰りたい」「ルビーの指環」。あるいはビッグバンド歌謡曲コーナーでは「経験」や「長崎は今日も雨だった」などエッジの立った選曲で徹底したエンターテイナーぶりを発揮しています。そしてDisc-1のクライマックスはクレイジーキャッツとザ・ピーナッツのメドレーです。

桑田佳佑は自作曲でも歌謡曲の影響を隠そうとしない人ですから、当然、昔の歌謡曲に関する知識と愛情は相当なものであることは想像できました。そして、これらの作品を予想以上に原曲に忠実なアレンジで、歌唱法もモノマネまでいかないけど「当時の俺にはこう聴こえたよ」というニュアンスを混ぜて唄っています。「スーダラ節」ではちゃんと「きたもんだ」と植木等風笑い声も加えています。うんうん、そうじゃないと!「きたもんだ」は大事だよね!と納得の前半でした。後半(Disc-2)に続く…。

2009/03/21

This Is The One/Utada

そんなわけで今週はずっと"This Is The One"を聴いておりました。
iTSでもダウンロードで買えるのですが、先方の技術的問題でリンクが貼れません。またアマゾンのリンクを貼っておきます。

前回も書きましたが、今回のアルバムは宇多田ヒカルとして日本で展開している音楽との乖離が小さく、アメちゃんがどう反応するかは知りませんが、私たち国内のファンには違和感が無い、英語であること以外は聴きやすいアルバムです。
一曲ずつ聴いていても、過去の作品のフレーズがいい具合に再利用されているのに気がつきます(再利用、というよりも好きで使う持ちネタですね)。

M2.Merry Chrismas Mr.Lawrence-FYI
コーラスのフレーズが"traveling"に似ている。歌メロでは"passion"の一部と共通したフレーズが聴けます。
M3.Apple And Cinnamon
サビは「はやとちり(シングル"Wait & See〜リスク〜"のカップリング曲)」の変形ですね。
M6.Automatic Part2
これはまあ、タイトルが。ゲンかつぎ?こういう自己紹介の歌って日本のアイドル歌手のアルバムにありがちだけれど、アメリカでもあるんですね。つまりまだこういうアピールが必要な段階なんですね、新人として。
M9.Come Back To Me
前回も書きましたが、どこがどう、ではなく"First Love"的作品。ベタベタのバラードかと思いきや、バックトラックを差し替えると表情が変わります。彼女の音楽はスローなナンバーでも「ロック」なノリがあるところが良いです。余談ですが以前ここで書いたスコット・マーフィーの"First Love"のパンク風カバーはすごくよくハマっていて、曲の再評価に貢献してますね。

こちらのサイトにはインタビューアーの聞き書きの形式をとって本人の弁が書かれていますが、"EXODUS"は「一所懸命やったがちょっと違った」と思っており、「今回は自然な表現ができた」というようなことを語っているようです(全部英語なんで)。

宇多田ヒカルは"EXODUS"の後、日本で活動しながら次の展開に向けて、修行に入ったのだと思います。これは野球のピッチャーに喩えるのがいちばん的確だと思いますが、松坂大輔がMLBに行くにあたってカットボールやツーシームを覚えたように、「新球の開発」をしていたと思われます。


今、アルバム"ULTRA BLUE"を聴き直すと曲作りで新しいことを試しつつ("passion"とか特に)、歌詞のテーマは重たく暗いのが多くて、私生活も含めていろいろ総括しようとしていることがうかがわれます。やっぱりタイトルのココロは「超憂鬱」だったのか。
それが次のアルバムである"HEART STATION"を聴くと、1曲目の"Fight The Blue"の歌詞でその種明かしをしてくれています。"BLUE"と戦うぞ、と。期待されてプレッシャーすごいけどやるしかない、憂鬱にまけそうになったがタフになるぞ、と。アルバム自体の音が明るいです。「ヱヴァンゲリヲン」のテーマだった"Beautiful World"では"passion"でやりかけたことに再度挑戦し、聴き手には普通の曲だと思わせることに成功しています。つまり新球が完成したのです。

"HEART STATION"にも収録されていますが、やはり先行したシングル"Flavor Of Life"が好評だったことが改めて自信回復させたのだと思います。しかも"Flavor Of Life"のジャケットを見ると、ボクサー風にパーカーの帽子をかぶった彼女は横を向いています。今になって分かるのは、彼女が向いている先にはアメリカがあったんです。"This Is The One"では同じようにパーカーを着た"Utada"が正面を向いています。そっちを見てやっていたんだぞ、と。
どこまでが最初から決まっていたのかは分かりませんが、当然その裏読みの余地があることを分かって作られたことはまず間違いありません。おにぎりの謎だけがまだ残っていますが。

2009/03/15

Come Back To Me/Utada(2)

ちょっと前に「どうも発売されるらしいよ」という話だけ書いた"Utada"名義の海外向けアルバム"This Is The One"が国内で先行発売(アメリカでは5月に発売されるらしい)され、私はアマゾンで買いました。

アルバム全体ではまだあまり聴き込んでいませんが、日本での活動を知っている私たちにとっては前作の"EXODUS"よりも親しみやすいように思いました。

前作"EXODUS"では日本で親しまれた宇多田ヒカル色をほとんど捨て、「米国風」あるいは「アメリカ人が考える日本人」を演じすぎ、ビジュアルにしろ(YMO風の?)電子音を多用したサウンドにしろ、なんか無理をしている感じがしました。「まあ、アメリカに合わせるというのはこういうことなのかねえ…」と田舎で孫の心配をするお爺さんのような気持ちになりました。

今作では、国内仕様の宇多田ファンにそんな居心地の悪さを感じさせる部分が小さく(無くはない。特に本人のキャラクターと合っているのか分からない大人ぶった歌詞等に違和感があるけど、英語で書いた歌詞の方が素の自分である可能性もあるしね)て、聴きやすい。サイトのトップやジャケットに使用されている写真も、黒髪+ナチュラルメイクの我々に見慣れた顔を使ってくれているのが良いです(あっちの人には中学生に見られそうだけど)。

マーティ・フリードマンの評論でも、「海外でももっと自分の良さを出せば…」と書かれていましたし、先日ネット上で公開されていたラジオ局でのプロモーションの動画でも「(単純計算では)日本人の二人に一人がCDを持っているビッグ・アーティスト」という紹介をさせていましたから、アメリカ人に通じるかどうかは別にして、日本ではそういう存在で、こういう音楽性なんだよ、というのを素直に展開するようにしたのかもしれません。

さて、このアルバムを象徴するナンバーである"Come Back To Me"を聴きましょう。
最初に"MySpace"のストリーミングで聴いた時は、タイトルにしろ大げさなピアノのイントロにしろ「ちょっとベタ過ぎるのでは…」と心配になりましたが、CDからきちんと聴いたら印象が変わりました。とても良い曲です。
どこが良いかというと、最近の国内作品で成功した部分("Flavor Of Life"あたり)のエッセンスをうまく取り入れて、我々日本のリスナーにとって違和感の無い曲だというところです。日本で好まれている彼女の声質や楽曲のもつ「切なさ」みたいな部分がかなり生かされているし、過去の彼女の(国内向け)作品の断片を思い出させるメロディが入っています。"First Love"が時を経て熟成したような曲と云えるかもしれない。ま、アメリカ人が喜んでくれるかどうかは(私はアメリカ人になったことがないので)知りませんけど。

それと、契約の関係で実現できるのか知りませんが、是非本人の訳詞による「Come Back To Me(日本語版)」を発売して欲しいです。日本語も載せやすそうなメロディだし。


<追記>
記事をアップしてから気がつきました。"This Is The One"のジャケット写真は、"Flavor Of Life"の正面版ですね。おにぎりの海苔部分が拡散してあのガラになっているんでしょう。やはり「宇多田ヒカル」を売るつもりなんだ、今回は。

2009/03/08

ギタリズムV/布袋寅泰

こちらはiTSでもダウンロード可能なアルバム、布袋寅泰の「ギタリズムV」です。
布袋寅泰 - GUITARHYTHM V
何度もスペルを目にしているはずなのに、最初に勘違いしていて、私はずっとこのタイトルを"Guitar+ism"、つまり「ギター(至上)主義」という意味だと思って納得していましたが、実際は"Guitar+Rhythm"なんですね。"Rythm Guitar"でもない。

私はBoφwyは聴いていませんでした。だから布袋寅泰に気がついたのはCOMPLEX以降です。ギターのうまい、体のでかいロック・ギタリストという認識。ただ志向する音楽が意外なほど王道路線で、これまでの作品も聴けばかならず良かったという信頼感があります。

さて、今回もさすがほぼ同年輩ということもあってか、私たちが少年時代から現在にかけて好んできたサウンドが上手く発展させた上で盛り込まれていて、iPhoneに取り込んで繰り返し聴いても飽きないし、ちょっとニヤリとさせられる引用もあったりして、ある年代にとっての山下達郎のような効果があります。
ちょっとプログレっぽい(というか"Queen"のような)音色が出てきたり、三三七拍子や「かごめかごめ」が聴こえてきたりして、その辺の元ネタの持ってきかた、選択のセンスがちょうど私のツボにハマります。

また、現代のテクノロジーで磨き上げられたギターサウンドは美しく、どうということもないスケール練習のようなフレーズやコードカッティングでも素人には及びもつかないような音で出てくるのが羨ましいです。しかもその至高のギターサウンドを(もったいなくも?)サンプリングして遊んでいたりもします(M.15 APPLESとか)。

一方、ボーカリストとしてはこんなに飾り気の無い声で歌を入れる人をあまり知りません。最近のJ-POPの、よく練った「歌用の発声」をする歌手の多い中で、無防備と云って良いような声です。杉山清貴のようにそのままで美しい声ならともかく、近所のアンちゃんみたいな声(音程等には問題ない)がそのまんま聴こえてきます。

珠玉のギターとこの無防備な声がほぼ対等なものとして扱われ、その二つが合わさって布袋寅泰の作品であり、「ギタリズム」と名付けながらインストのアルバムではなく、歌ものの体裁をとって発表されているところになにかがあるんでしょうね。

と、ここまで書いてから気がつけば、最初の"GUITARYTHM"が出てから、もう20年以上経っているし、"IV"から数えても15年も間があったんですね(その間に違うタイトルのアルバムは発表されていますが)。全然、そんな気がしなかった!
玉手箱を開けてしまった浦島太郎の気分です。

2009/03/01

CHAMBRE/UNICORN

この春は我々中年音楽ファンのサイフを狙いうちするような商品が次々と出てきます。
この2月18日には前回書いた和幸、はっぴいえんどの復刻版以外にもユニコーンの新作、布袋寅泰の"GUITARITHM V"、はてはムッシュかまやつの古希記念アルバムなんていうのまで発売されています。
3月11日にはUTADAのセカンドアルバム(これは中年関係ないか。でも彼女のファンは年齢層高いだろう)、さらに25日には桑田佳祐のひとり紅白歌合戦のDVDなど、買っておきたいアイテムが目白押しで、ただでさえ年末以来懐が淋しいのに、困ったものです。

やっぱりCDを買う年齢層自体が高くなっていて、30代後半〜団塊世代あたりが一番魚影が濃いと思われているのでしょうか、業界的に。

そしてまんまとユニコーンを買ってきてしまった私。

"SPRINGMAN"を買って以来のユニコーンのアルバム。

私の世代はユニコーンなんて聴かないと思っている若い連中がいるのですが、世代的には奥田民生とは2歳しか違わないし、ドラムスの人なんてもう50歳じゃないですか?まったく問題ないと思います。
実際、「イカ天」ブームの頃に雨後の筍のように出てきたバンド群の中で、一番理解しやすかったのがユニコーンでしたから。

さて、15年だか16年だかぶりの新作"CHAMBRE"は玉置浩二の恋愛のように時を超え、「SPRINGMANの次のアルバム」として違和感の無いアルバムになっています。ギター、ドラム、ベース、オルガンを柱にしたオーソドックスなロックサウンドでガンガン押してきます。オーソドックス故に古びることもありません。

また、「はっぴいえんど」がそうだったように、複数のメンバーが作詞・作曲し、作った曲は自分で唄うという、ある意味アマチュア的なバンドの有り様が楽しい。ファインアートであるクラシックにはそんな余地は無いかもしれないけれど、ポピュラー音楽には「お前も曲作れよ、詩かけよ。作ったんならお前唄えよ」という適当さがあった方が絶対楽しい。

最近のユニットってやつは、「僕作る人。私唄う人。俺らその他応勢の楽器隊」というのが固定化していてそれが閉塞感を生んでいると思います。多分その方が生産管理がしやすいんだと思いますが、もう一度この辺のテキトーさから生まれるクリエイティヴィティを見直して欲しいなあ。

2009/02/22

ひっぴいえんど(初回生産限定盤)(DVD付)/和幸

今週水曜日にアマゾンから到着しました。タイトルだけで必ず聴かなければならない、と思わされた和幸のセカンドアルバム「ひっぴいえんど」です。

さて、早速その感想を、と思っていたら同じ日に鈴木茂が大麻所持で逮捕されてしまい、偶然にもほどがあると思ってちょっと途方に暮れました。鈴木茂はこのアルバムでもゲストで1曲ギターを弾いています(M4「あたし元気になれ」)。しかも同日に復刻発売された「はっぴいえんど」「風街ろまん」が販売中止になったとのこと。
メンバーの一人が逮捕されたとはいえ、40年前の音源(それも歴史的な、ね)を販売中止にするなんてロックの精神から考えればナンセンスだと思うが、野田聖子に絡まれるとやっかいだからか、ものすごく神経質になっていますね。はっぴいえんどのバックには松田聖子が付いてるからケンカになっても勝てると思うが。和幸にも被害が拡大しないといいですが…。

そんな思わぬ雑音で違った意味が付いてしまった「ひっぴいえんど」を聴いてみます。

まずアルバムタイトルおよび曲名は明らかに「はっぴいえんど」のパロディです。
M1.ひっぴいえんど(はっぴいえんど)
M2.タイからパクチ(はいからはくち)
M3.ナスなんです(夏なんです)
M4.あたし元気になれ(あしたてんきになれ)
M5.池にゃ鯉(春よ来い←これは遠すぎて気がつかなかったぜ)
M9.花街ロマン(風街ろまん←これは曲名じゃないけど)
あとは加藤和彦の昔の作品やかまやつひろし、遠藤賢司のカバーです。私が買ったのは(初回生産限定盤)(DVD付)で全12曲ですが、(通常版)はこれにボーナストラックが2曲付いて全14曲だそうです。


DVD付の方は、中のインタビューで本人たちが解説してくれるので、このアルバムがどういうものなのか、当時の音楽事情や加藤和彦のキャリアについてよく知らない人にもヒントを与えてくれます。

さて、そのDVDによると、この「ひっぴいえんど」は70年代前半のロックサウンド、特にCSN&Yの音に日本語を載せる、というのが第一義で、「だったら年代的にも…」というのではっぴいえんどが出てきたのだそうです。ジャケットもCSN&Yの代表的アルバム「デジャ・ヴ」のパロディにしてあります。




私も一聴して「はっぴいえんどはこんなに明るくねえよ」と思いました。
今となっては微妙な違いですが、はっぴいえんどは"Buffalo Springfield"の音に日本語を載せるのが目標だった(本人たちがそう云っている)ので、サウンドがその分ずれています。
それじゃ、CSN&YとBuffalo Springfieldがどれだけ違うの?というとメンバーは半分くらい同じで、日本で云うとチューリップとオールウェイズくらいしか違わないん(これはあまり良い喩えではありませんね)ですが、年代が3〜4年違う。ぱっと聴いて違うのはCSN&Yはアマチュアがちょっと困るくらいの音の取り辛いコーラスが入っています。私はよく知りませんが、CSN&Yというのは日本人にM7(メジャーセブンス)というコードの存在を教えてくれたバンドだそうです。
日本のバンドで云うと、Buffalo Springfieldがはっぴいえんど的であるのに対してCSN&YはTHE ALFEEに似ています(もちろん逆ですよ)。

そんなわけで、「ひっぴいえんど」は実際にははっぴいえんどより4〜5年後、CSN&Yを聴いた日本人がその影響を受けて始めたロック(それってやっぱりアルフィーじゃん?)のシミュレーションになっています。
ただ、一応「はっぴいえんど」に対するパロディ(リスペクト?)を感じられる箇所もあります。
M2.タイからパクチ
全体に「かくれんぼ」の雰囲気。「夕餉」などという古い言葉の使用。ただ松本隆は「ストーブ」を「ストウヴ」とは書かないと思うけど。
M3.ナスなんです
細野晴臣作品をごった煮にした感じ。風街ろまん以降のカントリー風曲調とか全編裏声を使うのは「あしたてんきになれ」か?「あしたてんきになれ」はM4の曲名のネタにもなっていて、この辺はややこしいです。
M4.あたし元気になれ
鈴木茂のギターが本物っぽさを加えているのと、声の加工のしかたが「花いちもんめ」風ってことだと思います。メロディは細野作品寄りか。
M5.池にゃ鯉
「春よ来い」的な重たいリズム、無理に気合いを入れて長尺にしているところ、ちょっとヨーデルっぽい発声も大滝詠一風でパロディとしては一番力が入ってるのかな。でもアコースティック・ギターの音とCSN風コーラスが入るので、「春よ来い」の音とは違っています。
M9.花街ロマン
これは「春らんまん」あたりでしょうか?「じゃぶじゃぶ」「ぶつぶつ」「ういんどう」「お白粉」あたりの歌詞もそれ風ですね。

3月1日の追記
ところで、これら「ひっぴいえんど」「風街ろまん」「Buffalo Springfield Again」「デジャ・ヴ」の4枚のアルバムをiTunesで一つのプレイリストに入れてシャッフルすると、どれがどれだか分からなくなって、とても良かったです。

2009/02/07

天気予報の恋人/CHAGE and ASKA

情報が錯綜した後、結局「活動休止」が発表された"CHAGE and ASKA"です。もうすっかり音楽的にも物心がついていて、デビュー当時から見聞きしてきた我々の世代からすると、思えば遠くに来たなあ、という感慨があります。
CHAGE & ASKA - Pride - 天気予報の恋人
公式サイト→http://www.chage-aska.net/

デビューはYAMAHAのポプコンで、私がよくニューミュージックの話で書く、年端も行かない大学生がギターを抱えてなぜか失恋した女性の心を唄う、という当時のステレオタイプでした。その頃はアルバムタイトルも「風舞」とか「熱風」とかいうセンスで、芸名も飛鳥涼とか云ってちょっと恥ずかしかったんですが、英語表記になったあたりでギター2本の演歌フォークから脱皮してみせました。
この間の流れは、PRIDEという本(1と2がある)で読むことができます。


この本を読む限りでは、CHAGE and ASKAの音楽性はASKAがシンセサイザーによる曲作りに目覚めたところから変わり始めているようです。周りのスタッフとの交流の中で徐々に音楽の知識が深まるにつれて、主にASKAが、より構成の複雑な音楽を志向するようになって、チャゲアスはデュエットとしての必然性を失ってきました。
結成されたアマチュア時代は、CHAGEの方が実績があったようなのですが、その後の伸びしろがどうも違っていたようです。あと長髪のASKAのルックスが、良く云えば池上遼一のマンガから抜け出てきたようにも見え(悪く云えば大仁田厚に似てますね)、女性ファンがそっちについたのも大きいか。

さて、表題曲はすでにそんなASKA独走状態に入りつつあった89年のアルバム"PRIDE"の中の1曲。前年に「恋人はワイン色」という曲があって、ほとんど同じものに聴こえますが、ASKAも自分の楽曲作りに拘るタイプなので、なにかやり直したかったんでしょう。

この曲にしても、"SAY YES"にしても、もはや2声のコーラスで成立する楽曲にはなっていません。そうすると作曲とメインボーカルをしている方への比率が高くなり、ことシングル曲に関してはそれはASKAの仕事でしたから、CHAGEはバックコーラスの中に埋没しています。しかしそれにしても、サザンもそうですが、ここまできて改まって活動休止も解散もないと思うんですが、熟年離婚みたいなものなのでしょうか?


ASKAの奥さんは、たしか名古屋の放送局の美人アナウンサーでしたから、天気予報も読んだでしょうね、みたいなこともちょっと思い出しました。