2009/09/21

overdose/pizzicato five

芸能人の薬物問題などのニュースを見ていると、ふとこのアルバムのことを思い出して、改めてiTunesに取り込んでみました。pizzicato fiveの"overdose"です。タイトルからして「薬物の異常摂取」ということですから、最近の生真面目な風潮の中ではタイトルとして成り立たなかったかもしれません。発売はWikipediaによると1994年の秋。もう15年も経っているんだなあ。
リンクはビデオ「東京は夜の七時」→東京は夜の七時

pizzicato fiveという、「渋谷系」の本丸みたいなユニットの話は本来はきちんと文献を漁って、ペダンチックにやらないと格好がつかないんですが、私はいたって個人的な感想を書きます。

1994年というと、ちょうどこの頃は我が音楽活動がもっとも充実していた頃で、週末になると私が転勤先の静岡から、もう一人が岐阜からそれぞれ車に機材を積んで、名古屋の友人の部屋に籠り、4chのカセットMTRに安いシンセサイザーとギターのライン撮りでオリジナルを録音していたものです(PCも少し使うようになっていた)。
そんな中で、私が作曲の抽き出しがあまりに少ない(なにせ歌謡曲とニューミュージック中心の音楽体験だったので)のに悩んで、岐阜在住の私よりは多少は洋楽とロックに明るい(高校の時に一応バンドをやっていた)相方に「今、何聴いてる?」と訊いたら、「ピチカート・ファイブ」と答えたので「お勉強」のために買ったのがこのCDでした。

「お勉強」のつもりで聴き始めたら、これが面白くて!
一見古めかしいドラムとベースの音が一度テクノポップを通って再構築されたようなトラックの上で、フレンチ・ポップスが似合いそうな野宮真貴の声とラップが絡んでくる、一言で言うと「おっしゃれー」な音楽でした。
そして歌われる世界はバブル期の刹那的で退廃的な生活が一段落して、当時の自分を冷めた目で俯瞰するような…。個人的にはバブルの恩恵なんて毛ほども無かった(おかげで崩壊の影響も少なかったが)けれど、空気だけは同じ空気を吸ってましたから、それなりに気分を共有できたんでしょうか?

今の日本の、表面的にはずいぶん生真面目になってしまった世の中では、このアルバムに詰まっている世界が共感を持って受け入れられるかというと、多分難しいのでしょうね。pizzicato fiveもこの作品世界をフィクションとして演じているのですが、今はそういう洒落も通じにくいしな。
でも景気が悪いのはともかく、表現上の形式的な自主規制とか、どうも息苦しくてねえ!

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