2009/10/26

罪と音楽/小室哲哉〜その1〜

小室哲哉が執行猶予判決を受けた後に発売された「罪と音楽」を読んでみました。
Twitter上で引用されていた一部分がとても気になったからです。
僕の勝手な見解としては、僕ら2人が両輪となり、拍車をかけてしまった現象がある。Jポップの「わかりやすさの追求」だ。

「僕ら2人」とは小室哲哉自身とつんく♂のこと。
では、「わかりやすい」とは何か?
僕は、「高速伝達」「より早く伝えようとするための方法のひとつ」と捉えている。
「できる限り、直感的、反射的に伝わるように心がけること」

その結果、NHK「みんなのうた」にかぎりなく接近していくわけだ。
 だから、21世紀になってから、宇多田ヒカルさんの「ぼくはくま」(06年)をはじめ多くのアーティストが「みんなのうた」に楽曲提供するようになったのは、至極当然だと思う。

実際にはこの文章には当然前後があって、彼自身とつんく♂の才能の違い(主に「歌えるつんく♂」と「歌えない自分」の違い)にも触れた上で書かれていますが、それにしてもちょっと違うんじゃないかと思いました。
それは、
1.自分の過ちを告白する時に直接関係ない人間を引き合いに出すのは良くない
2.「みんなのうた」とJポップの「わかりやすさの追求」は同じ線上にはないだろう?
3.ましてやなんでこの流れで宇多田ヒカルの「ぼくはくま」が出てくるのか?
の3点。

宇多田ヒカルの「ぼくはくま」は「みんなのうた」の為にわかりやすく書いた作品なんかじゃありません。(その話を読んでくださる方は音楽ネタも書いていた頃の「はてなダイアリー」でこちらを読んでください。)あるいは、小室哲哉も、「だからあまりマーケティングを考えずに作品を発表できる『みんなのうた』に曲を提供するアーティストが出てきたんだ」と言いたかったのかもしれません。
でも、もしそうだとしたらあまりにも文章の流れが粗すぎる(聞き書きまたはテープ起こししたライターの才能の問題かもしれないけど)。

もちろん彼ほどの音楽頭の持ち主が書いていることなので、「罪と音楽」には「なるほど」と思えるところも多いです。
最近のJポップは聞き手のリテラシーをものすごく低く設定してあるように思えるし、小室哲哉がその片棒を担いでしまった、とここで反省してみせるのは今後なにか意味を持つかもしれません。この本は時節柄、彼の犯罪やプライベートへの言及を期待する層がターゲットとされていますが、半分くらいはかつて一世を風靡した音楽プロデューサーが何を考えて作品を作っていたかを読むことができ、私はその方に興味がありました。


それはさておき、今日の本題に入ります。

TM NETWORKの頃から、90年代後半の絶頂期に至るまで小室哲哉の作品を(積極的にも消極的にも)聴いている間、私にはずっと疑問がありました。
「小室哲哉の曲ってなんで歌って楽しくないの?気持ちよくないの?」ってことです。
私は小室哲哉の作品は好きです。特に"humansystem"の頃のTM NETWORKは好きで、アルバムも買いましたし、中山美穂の「50/50」なんかも好きでした。

「小室作品は歌いにくい」ということを言葉として明確に思ったのは、圧倒的歌唱力ではないにしろ、海外曲のカバーをさらりさらりと歌っていた安室奈美恵が、こと小室作品についてはテレビでとても歌いにくそうにしている様子を見るようになってからです。TMで宇都宮隆が歌っている頃はあまり気にならなかった(が、自分でカラオケで歌ってもあまり楽しい曲はなかった)が、安室奈美恵という定規をあてることによって小室作品の変さが改めて明らかになったというようなことです。

私はひとつの仮説を立てました。
1.小室哲哉は自分で歌う喜びを(少なくともボーカリストとしては)知らない人である
2.彼の自己表現はキーボードプレイまたはコンピュータによる作曲として行われる
3.だから彼のメロディには「歌心」がない

結論の「歌心がない」はあまりにもぼんやりしているので、もう少し正確な表現を試みると、
1.ボーカルトラックだけだと感動が少ない
2.ボーカリストにとって過酷な表現を強いられるわりに、歌いきった時の達成感が少ない
3.結果として歌っている最中、歌い終わった後に快感が得られない
と考えたのです。

さて、この本によると小室哲哉自身は1996〜1997年が絶頂期で、2001年以降下降線を辿った、と自分の人生を捉えているようです。ひょっとしたら小室哲哉も20世紀末にやってきた「爆撃機・宇多田ヒカル(C)近田春夫」に家を焼かれたひとりなのかもしれません。当時、近田春夫が書いていたのは主に本格和製R&Bと言われたアーティストが受けた影響についてです。では、なぜ私の連想が、和製R&Bとは路線の違う小室哲哉にまで及んだのかというと、この「歌心のなさ」を攻撃されたんじゃないかと思うのです。
そこで次回、小室作品の何をもって「歌心がない」と私が思うのかという説明をしたいと思います。

ただし、今のうちに私は言っておきますが、「歌心がない」ことをもって小室哲哉には才能なんか無かったんだ、とかそういうことを言いたいのではありません。
私は今回の準備のために改めてCDを買ってTM NETWORKの作品を集中的に聴きました。やはり良かったです。また、記憶の中から彼の過去の作品を一所懸命思い出そうとしていました。「My Revolution」のように「歌心」の面でも優秀な作品も思い出しました。

そんなわけで次回のテキストはこの辺りになりますのでよろしくお願いします。


0 件のコメント:

SOFTLY/山下達郎(初回限定版)(特典なし)

 先週末くらいからメディアでがんがん露出していて、嫌でも目についた山下達郎の新作アルバム、Amazonでぽちっておいたら無事に今日、郵便ポストにメール便で入っていました。 前作「Ray Of Hope」の感想文を書いたのもそんなに前のことではない、と思っていたのですが、あれからも...