ベストアルバム"SCIENCE FICTION"を買った後しばらくぼーっとしていましたが、5月になった途端にYouTubeでライブ配信的なものを見かけました。配信は途中から見たのですが、過去のMVが次々流れていて、いつから新作発表になるのかわからず、見るのやめてしまいました。とにかく5月2日に配信されていたのが本作"Mine or Yours"です。「わたしのものまたはあなたのもの」?
曲調は最近の宇多田ヒカル作品としてはかなりわかりやすいカラオケ、というか80年代っぽいです。このままユーミンが出てきて歌い始めてもまったく違和感がないようなミドルテンポのお洒落サウンドです。キャラメルママっぽい。
なんでもコカコーラ「綾鷹」のCMソングらしい。だからあまり難しくせず、お茶のCMだからリラックスさせたいというわけなんですね。「じゃあ、流行ってるみたいだから今回はシティポップってことで(笑)」みたいな感じかもしれない。
Apple Musicで歌詞を見てみると、いつも通り一筋縄ではいかない感じの作詞がされています。唐突に「緑茶」が出てくるのはご愛嬌として、CMソングとしてはかなりギリギリな言葉を選んでます。"I love making love to you"なんて物騒な(?)英語がぶち込まれています(ホセ・フェリシアーノの曲名の引用?)し、だいたいタイトルの"Mine or Yours"も中学英語の試験範囲ですが、だったら"Yours or Mine"じゃない?とやや違和感が。
試しにGoogleで検索してみると、今は宇多田ヒカル関連がずらっと出てきてループしてしまうので「-宇多田ヒカル」とか「-Utada」とかつけて振り落としていくと、どうやら最近のイギリス英語で「私の場所、あなたの場所」という意味に使われており、それはフランス語の”Chez moi ou chez toi”という言い回しの影響らしい。今、宇多田ヒカルはたしかロンドン在住でフランスも近いから(恋人とはマルセイユで会うのが都合いいらしいし)、今の現地の雰囲気からのフィードバックなのでしょう。
つまりタイトルの意味は「私の場所(または)あなたの場所」ということなんだと。
歌詞の中でも「毎日一緒はしんどいかも」と言っているので無理に結婚とか形式にこだわらずに、たまにトラブルもあるけどいい関係でいようね、ということを歌ってるのかなと思う。若い時にいろいろあったあとで辿り着く40代のパートナーシップってことでしょうか。
ところで私もいくつかSNSをやっていますが、この曲の歌詞「令和何年になったらこの国で夫婦別姓OKされるだろう」に引っかかって、「政治的だ〜」と言っているバカが発生している一方、「ヒッキーが夫婦別姓を応援してくれてる」と喜んでいる向きもいて、いずれにしても日本人てほんと小さい穴の中で生きているのだなあと悲しい気持ちになる(だから"X"はなにか通知があった時しか見ない)。
宇多田ヒカルほどの知性がこのような問題に無関心なわけがなく、自作品に反映するのはあたりまえであるし、欧米のアーティストであればこのような問題にはもっとあからさまに政治的メッセージを発信するでしょう?だからいちいちその背後になにかあって言わされているとか考えるのは自身がそのような発想しかできない小市民的やっかみでしょう。
一方で「応援してくれてる〜」と喜ぶのも変で、そもそも有名人の発言に必要以上に依存した挙句の果てにわずかな主張の差異を見つけては手のひらを返すようにして「裏切られたー」とか言い出すのがこの国のパターンだから、変に巻き込まれない方が良いと思います。
そして、ここからは意地悪な書き方になるけれど、「ロンドン在住で10代の間に一生分稼いでしまった宇多田ヒカル」は今さら日本からの金や圧力で動くようなことはないし、極東に住む小市民がなにを言っても、彼女が今の生活を脅かされるようなことはないということです。反応するとしたらせいぜい呆れ返って日本に来なくなるくらいでしょうし、それを打ち破って手を出そうとしたら訴えられて七度生まれ変わっても報えないくらいの賠償金を請求されるでしょう。レベルが違いすぎるんだから。
SNSは利用するすべての人をつなげてくれるけれど、同じ土俵にあがるにはそれなりの教養だったり知性だったりがいることを自覚していない人がすっかり多くなり、バカな理屈で難癖つける例が過剰に目につきます。
今一度自分の足りない教養を補う作業をいたしましょう、お互いに。
以下、蛇足だが
僕は夫婦別姓について反対する立場ではない。
会社員時代に私が見聞きした例を二つお伝えする。
ひとつは仕事でお付き合いしていたよその組織だったが、そこは早い時期から結婚後の女性が仕事の場で旧姓を使用するか配偶者の姓を使用するかを本人の希望にまかせていて、日々の仕事で特に混乱はなかった。ただ海外出張する時は名簿を戸籍名で作成しなければいけないので、いつも呼び合っている名前と違う名前(姓)が並んでいるので「これ誰?」みたいなことが起きる。夫婦別姓がパスポートに反映されればそのようなことはない。
もうひとつ、これは自分が勤めていた会社だが、社員が結婚すると「◯◯A子さんは結婚して△△A子さんになったので社内での呼称も△△A子さんに統一するように。」と総務が通達を回していた。同僚の男性でも養子に入って戸籍名が変わる人がいて、彼は営業をしていたので得意先からは旧姓で呼ばれ続けていたので、社内呼称と電話などの伝言が違う名前になってしまうため新人さんなどは大いに混乱した。ちょっと間抜けなのはそんな通達まで出しておきながらメールアドレスが旧姓を元にしたアドレスをそのまま使わせていたので、そこでも混乱していた(おせっかいだが、メールアドレスをもう一つもらうように助言させていただいた)。さらには社内結婚していたカップルが途中で離婚して、女性が別れた配偶者の姓を戸籍で使用し続けることになったということもあった。あー面倒くさい。
もともと明治以降の新しい習慣なんだから便利な方に変えればいいじゃん、というのが私の立場です。
不思議なのは女性の側にも反対する人がそれなりにいること。
私の世代はそれこそ「男女機械均等法」施行の頃に社会人になったのだけれど、一方で「あなたの苗字になる私」なんて歌詞を女性が書く時代もその後しばらく続いていたから、実際に総合職で長く会社勤めするというのが一般的になったのはちょっと時間差があった。実際、同期や近い世代の後輩たちは普通に「寿退社」していったから、そういう人たちにとっては配偶者の名字を名乗るのが当たり前かつ嬉しいことで、今さらそんな問題はピンと来ないのかもしれない。でも、あくまでも「選択的」なのだから自分たちで決めれば良いこと。
そういえば、とつい連想してしまうんだが、「アグネス論争」の時も、いちばん口汚く罵っていたのは林真理子とか中野翠とかの女性陣だったのが学生だった自分には不思議だった。女性が権利を主張しているのを女性が攻撃する意味がどうしてもわからず、これは今も僕の中で謎のままだ。
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