四捨五入すると五十、さらに四捨五入すると百!という歳になってから友人の結婚式に呼ばれてしまい、同僚とセットで1曲歌うことになりました。
選曲にあたっては、自分たちの趣味は横において新婦の好みでやろう、ということになり、新郎にリサーチしてもらったら「ケミストリーが好き」とのこと。
ケミストリーに結婚式で歌えるような曲なんてあるのかいなとネットで検索したら「君をさがしてた」という曲が定番化しているということなので、さらにYouTubeで探したところ、最初に出てきたのがこれ。
調達担当の相棒に音源を探してもらい、聴いてみると、ゴスペル風コーラスがうるさくて音が取りにくいこと!バックコーラスだけでなく、本人たちも多重録音でコーラスを重ねているので、どこが主旋律なのか分かりません。
2年前に「最期の川」を聴いたとき、凡庸になろうとしてしまう骨組みを無理やり急ハンドルを切って今風にしているようで、あまり好意的な感想が書けませんでした。
この曲もちょっとそんなところがあります。
実際に歌うために覚えようとしても、Aメロもサビもコーラスごとにメロディが変わるんで覚えにくいこと!
全体の骨格は変化しないのですが、歌が進んでいくに連れてメロディが上にずれていくのです。
ポピュラーソングでもニューミュージック以降は、コード進行は同じだけどメロディが1番と2番で変わる曲はあります(もっと昔、歌詞のイントネーションにメロディを合わせる、というのがもっと重要だった頃の唱歌にも例はありますが、それは別の話ってことで!)。コード進行が変わるものもあって、1番でメジャーだったコードがマイナーになるとか、うまくはまるとおしゃれに聞こえます。財津和夫とかが得意だった気がします。
「君をさがしてた」は曲が変化するというよりも、歌い手がフェイクした結果メロディが変わっていっている、ということにしたいようです。でも、CDに収められているメロディですから、歌手が歌いこんでいく間に何かした、というよりも作り手が指定したメロディであるはず。こういう曲作りはちょっとサービスしすぎのような気がする。やっぱり、「コレ」っていうメロディでしっかり話を進めて、最期にちょっと盛り上げる方が粋じゃないかなあ。
で、結婚式の歌の方ですが、カラオケではどうなっているのかと思って、U-NEXT(GYAO NEXTが12月1日で名称変更したサービス)でUGAカラオケのビデオを見てみたら、もう少しあっさりした"wedding song"というバージョンがあるらしいことが分かって、今そっちを練習中です!
↑これはボクじゃないよ!
2009/12/12
2007/10/29
最期の川/CHEMISTRY
ここ十何年か、「いい唄アレルギー」になってしまい、特に年末を控えたこの時期、若いアーティストがえらく保守的なバラードを出して来たりすると、背骨の下の方がこそばゆくなるような感じを覚えて、「やめてぇー」と云いたくなる。
できるだけそういう曲の情報は聞かないようにしているんですが…。
先日、たまたま車で移動中にかけていたラジオで、なんとかいう映画の主題歌であるCHEMISTRYの新曲、と紹介されていたのが「最期の川」でした。辛島美登里なイントロから驚くほど普通のバラードが聴こえて来て、CHEMISTRYってもうちょっと志の高い曲を歌ってたんじゃなかったっけ?とちゃんと確かめたくなりました。
GYAOでクリップが配信されていたのでアクセスしてみると、紹介文に「作詞が秋元康」と書いてあって、謎も解けたし聴かなくていいような気がしましたが、つい恐いもの見たさで聴いてしまいました。
うーん。凡庸な詩と曲を、歌い手二人の根性で無理矢理2007年にアジャストしている感じでした。内容は「千の風になって」のヒットを下敷きにマーチャンダイジングされた、過去に「人の死」について書かれた作品(歌、マンガ、ドラマなど)のフレーズをパッチワークしたようなもので、曲も平凡。これで感動するためには、聴く側も童心に帰るか、または歌い手のCHEMISTRYに匹敵するくらい根性を入れて、独自の思い入れをするしかありません。
これを陳腐というと、おそらく秋元康は「俺は『川の流れのように』の作者だぞ、『川』は俺様が本気になったときの象徴なんだ!ありがたく感動しろ!」と居直るんだと思いますが、あれだって戦後最大の歌手が自らの命を削って一人前の曲に聴こえるようにしてくれていたんだから、作家の手柄じゃないし…。
たしかにCHEMISTRYは上手いし、二人揃っていい声を聴かせてくれますが、そのメロディラインは普通に動くと昔の曲に似てしまうのを、必死になって別方向にねじ曲げているのが分かりすぎです。結果、歌い手二人のハンドル操作の巧みさだけが伝わってくるのが気の毒です。
その昔、演歌は時代と歩いていけなくなった人を、いつまでも名前だけで大センセイ扱いし続けたことで世間から見捨てられましたが、今のJ-POPの生産ライン内にもそろそろ整理しないとボトルネックになる、老朽化したセンセイが多くなって来たのではないかな?どうせ減価償却は終わってるんでしょ?
できるだけそういう曲の情報は聞かないようにしているんですが…。
先日、たまたま車で移動中にかけていたラジオで、なんとかいう映画の主題歌であるCHEMISTRYの新曲、と紹介されていたのが「最期の川」でした。辛島美登里なイントロから驚くほど普通のバラードが聴こえて来て、CHEMISTRYってもうちょっと志の高い曲を歌ってたんじゃなかったっけ?とちゃんと確かめたくなりました。
GYAOでクリップが配信されていたのでアクセスしてみると、紹介文に「作詞が秋元康」と書いてあって、謎も解けたし聴かなくていいような気がしましたが、つい恐いもの見たさで聴いてしまいました。
うーん。凡庸な詩と曲を、歌い手二人の根性で無理矢理2007年にアジャストしている感じでした。内容は「千の風になって」のヒットを下敷きにマーチャンダイジングされた、過去に「人の死」について書かれた作品(歌、マンガ、ドラマなど)のフレーズをパッチワークしたようなもので、曲も平凡。これで感動するためには、聴く側も童心に帰るか、または歌い手のCHEMISTRYに匹敵するくらい根性を入れて、独自の思い入れをするしかありません。
これを陳腐というと、おそらく秋元康は「俺は『川の流れのように』の作者だぞ、『川』は俺様が本気になったときの象徴なんだ!ありがたく感動しろ!」と居直るんだと思いますが、あれだって戦後最大の歌手が自らの命を削って一人前の曲に聴こえるようにしてくれていたんだから、作家の手柄じゃないし…。
たしかにCHEMISTRYは上手いし、二人揃っていい声を聴かせてくれますが、そのメロディラインは普通に動くと昔の曲に似てしまうのを、必死になって別方向にねじ曲げているのが分かりすぎです。結果、歌い手二人のハンドル操作の巧みさだけが伝わってくるのが気の毒です。
その昔、演歌は時代と歩いていけなくなった人を、いつまでも名前だけで大センセイ扱いし続けたことで世間から見捨てられましたが、今のJ-POPの生産ライン内にもそろそろ整理しないとボトルネックになる、老朽化したセンセイが多くなって来たのではないかな?どうせ減価償却は終わってるんでしょ?
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