2019/08/04

Take My Time/シーナ・イーストン

今日も元ネタはApple Musicになります。
シーナ・イーストンのことを思い出しました。

ちょっと前にシティ・ポップなんちゃら、という話を書きましたが、当時私の考えでは、日本のシティ・ポップというのは「モダンガール」みたいなカラオケで声のきれいな人が歌うもの、という認識だったんですが、さてシーナ・イーストンてどんなだったかなあ?という振り返りです。


で、「9時から5時まで」や「モダンガール」が入ってるやつで検索すると一番古い1980年のアルバムが出てきました。まあ、そのくらいの知識量。私はレコードは買わず、「夜のヒットスタジオ」などに出てきて歌っていたのをテレビで見ていました。


ほぼ初めての感覚で聴いていると、まあとにかく我々の世代にとって聴きやすいことこの上ないです。ちょっとフォーキーなアコースティックギターの入る曲から、ぶっといエレキギターの音が入るロックっぽい曲もあり、ちょうどこの少しあとで日本のアイドル歌手 (とそのプロデューサーたちが)ベンチマークしたと思われる当時のオシャレ系ポップスの定石集という感じです。70年代はちょっと歌えるアイドルはやたらとドナ・サマーの真似をされられましたが、こっちでもいいじゃん!て感じです。

そういうわりにはシーナ・イーストン風のアイドル歌謡はあまり心当たりがないんですが、ちょっと上の世代のニューミュージック系の女性歌手はかなり取り入れていたと思います。ビビアン・スーあたりも台湾で似たような曲を出していたに違いない(妄想)。なんなら、2000年代ですが、宇多田ヒカルの「SAKURAドロップス」だって、M8の”So Much In Love”に似ています。


あと、シーナ・イーストンは声が恐ろしいほどきれい。声がきれいな歌手というと、オリビア・ニュートン・ジョンとかケイト・ブッシュとかの大御所がいますが、シーナ・イーストンもすごい声してます。しかし、その後の活躍はその声のわりに地味な気がします。あまりにものっぺりときれいなのでBGM的に消費されてしまったのでしょうか?

2019/07/21

Apple Musicでお勉強する「渋谷系」

ちょっと前の投稿で、90年代は私の音楽ファン歴の中でちょっと空白期間である、という話をしたような気がしますが、90年代といえば日本のミュージックシーンでは「渋谷系」ということになります。
たまたま当時いっしょにオリジナル曲の制作に勤しんでいた頃の仲間が、「最近聴いているもの」の例としてピチカート・ファイブのことを教えてくれた(浅香唯の「Candid Girll」も教えてくれたのは内緒です)ので、ピチカート・ファイブだけは聴いていたんですが、それ以外はほとんどよく知らず、フリッパーズ・ギターも解散してから知ったような有様です。


そんじゃあ、「渋谷系」で手っ取り早いの見繕ってくれい!という乱暴なリクエストにもすぐに応えてくれるのがApple Musicです。検索するとホラ出た!「渋谷スクランブル50」1曲めがDAOKOという、意外に新しい名前が出てくるのがちょっと心配ですが、それを否定する知識もないので唯々諾々という感じで自分のライブリラリに追加してみました。


まあ、ほとんど知らない名前ばかりが並んでいますが、ところどころカヒミ・カリイとか「痛快ウキウキ通り」とか高野寛「虹の都へ」、「接吻」、「今夜はブギー・バック」なんてのが混じっていて、さらには先日「昭和のテクノ」の括りで聴いたヒカシューやPLASTICSなどの曲も混ざっています。大丈夫か、これ?
キング・ギドラと小沢健二が一緒の箱に入っていていいんでしょうか?まあそれを否定する知識も(以下略)


あと、永年その姿を捉え損ねていた土岐麻子が所属していたCymbalsも入っています。あーなんだ、この曲は当時からLOFTだか無印良品だか東急ハンズだかのBGMでいつも聴いてた曲じゃないですか!てっきり洋楽だと思ってたわ、と思って急に分かった。つまり渋谷系っていうのは(一部かもしれないけど)英語で歌っていたらそのまま洋楽と見分けがつかないところまで行った音楽だったんだなあと。でも日本人て「なぜなぜ英語ができなぁ〜い♬」なんで英語で歌っている限り、歌詞は理解してもらえない片肺飛行。1970年からの課題を結局いつまでも持ち越しています。

まあ、今となっては日本語で歌ってても聞きとってもらおうなんて思ってない人の方が多くなっちゃっているんですけどね。

2019/06/27

Apple Musicでは聴けないポリドール時代の原田真二

 2019年もあと数日で半分が終わります。
今年の投稿は前回までで18本。1ヶ月あたり3本か。
まあ近年の開店休業状態から思うとまあまあですね。これもApple Musicで聴きたい(というか昔違うメディアで聴いていた)曲が聴けるようになった事が大きいかな。
最近もちょっと良いネタを見つけたのでそのうち書きますけど、今日はちゃんとディスクで買ったものの紹介です。

買ったのは原田真二&クライシスの3枚組です。
原田真二もある程度はApple Musicで聴くことができます。当時テレビで見て好きだった、という人が覚えているヒット曲はだいたい網羅されています。
ところが、私の場合、高校時代の友人のせいで(普通はおかげで、と言う)その後のメッセージ色の強いロックをやっていた原田真二のことも覚えていて、「あー、たまにはSTRAWBERRY NIGHT とか聴きたいなあ」と思い出すことが年に1回くらいあるわけです。
ところが、その頃の曲(つまり「原田真二&クライシス」というバンド
名義で活動していた頃の曲)はApple Musicでは一部しか聴くことが出来ません。「スウィート・ベイビー」の次はすぐ「Modern Vision」みたいな繋がりになっていて、まさに「STRAWBERRY NIGHT」のあたりが抜けています。
Amazonのストリーミングサービスでも似たような状況なんですが、そのままAmazonで検索していたら「原田真二&クライシス ポリドール・イヤーズ完全盤」という物理ディスク(CD3枚組)が販売されていました。以前、タワーレコードで見て、ちょっと高くて買い損ねていたものですが、4500円くらいするはずが3000円そこそこで売っていました。てっきり中古の掘り出し物だと思い、慌ててポチって、届いてみたらちゃんとした新品でした。ラッキー!

さて、ほとんど仕様を確認もせずに買ったので、届いてから「どんなもんじゃい?」と開けてみると、ディスク1がアルバム「HUMAN CRISIS」、ディスク2がアルバム「ENTRANCE」、ディスク3が「シングル&ミニアルバム」となっていて、今まで買ったベスト盤とはほとんど曲が重複していません。よかった、探してみるものです。

実際に聴いてみると高校生の頃には気がつかなかった良さが改めてわかった感じです。
ヒット曲連発時代の原田真二は「ロックの御三家」とか言われながら、オーケストラをバックにしたポップス的サウンドでしたが、原田真二&クライシスはロックバンドの音です。ギターもドラムも生々しく録音されていて洋楽のロックのレコードに近い音がします。演奏の角を変に丸めずにそのままざらっとした手触りのまま聴きてに届けてくる感じ。それでも原田真二の絶妙にかすれた声はチャーミングで、とても聴きやすい。曲も1曲の中で展開する幅が大きく「才気煥発」という言葉を思い起こさせる自由さがあります。やっぱり天才だと思う。
このころの原田真二といえば、「&クライシス」になる直前、「MARCH」というバスドラ4つ打ちにピアノのオクターブ弾きのイントロから始まる曲をシングルで発売し、それを1年後くらいに「&クライシス」の「STRAWBERRY NIGHT」でやり直し、さらにディスク3に入ってる「街で散歩」という曲でもう一度使って、という三兄弟みたいな曲があります。当時こだわっていたテーマなんだと思うんですが、それが何を表していたのかは残念ですが今もわかりません(わからないままで好きですが)。ああ、「STRAWBERRY NIGHT」といえば、これからこの曲を初めて聴く人は、エンディングで低い声で英語のセリフが入ってくるところで「マイケル・ジャクソンのスリラーじゃん!」と思うかもしれません。残念!発売はこっちが先です。少なくとも「スリラー」の真似ではありませんので。

原田真二&クライシスのポリドール時代は1980年〜1981年。オフコースが「さよなら」とかをヒットさせていた時代です。
私は高校時代に原田真二という才能に接していながら、大学時代は堅苦しいオフコースをずっと聴いていました。それはなんでかというと、今思うと「オフコースの方が真似しやすそう」だったからだと思います。オフコースの音楽と似た曲を作るには才能は要らない。必要な知識を順番に増やしながら指差し確認で音符を増やしていけば、いつか「小田和正が作りそうな曲」をパロディ的に作ることが可能です。でも原田真二の自由な跳躍に追いつくには、瞬発力のある音楽的才能が必要な気がします。

2019/06/17

Apple Musicで聞く太田裕美の第3期(ニューウェイブ期)

 当ブログ開設以来、基本的には購入した音楽ソフトの感想文を書いてきたのですが、いまやストリーミング配信での音楽消費がかなり定着してきました。
 ストリーミングが始まったころはオジさんが聴くような音楽が配信対象にならず、あえて深掘りしてきませんでしたが、ここにきてユーミンをはじめ私が若い頃に聴いてきた音楽がかなり配信されるようになっているようです。何回か前から「Apple Musicで聴く」シリーズを何本か上げてみましたが、飽きるまでもうしばらく続けてみようかと思います。
 私は少年時代から今まで、ちゃんとしたオーディオセットとは無縁の生活をしていたので、若い頃はミュージックテープ(LPレコードと同じものをカセットテープのフォーマットで販売するもの。基本は円盤と同価格)を購入していました。今聴くとカセットテープの音なんて本当にショボいんですが、当時はそれより良い音に触れることがなかったので、それはそれで満足していました。しかし、音楽の媒体がCD、MDと変化し、ついにはネット経由のデータで配信されるようになった今、当時買いそろえたカセットテープ資産は、何度かの引越しを経てすべて失ってしまいました。CDで買いなおした音源もかなりありますが、全部をフォローしきれませんので、忘れるともなく忘れているアーティストや作品があるものです。
 ところが、Apple Musicで思いついた名前をダメ元で検索してみると意外なほどヒットするんですねえ。ちょっと前は有料ダウンロードだった作品も改めて検索してみると配信されるようになっていて、iPhoneにダウンロードすることもできる!いい時代になったものです。月極めの家賃は取られますが、ただより怖いものはないですからね。

さて、今日は、発表当時は(一部で)賛否両論だった太田裕美のニューウェイブ路線作品3作をまとめてみます。

 太田裕美自身は音楽学校出身でそれなりの素養はあったのでしょうが、スクールメイツでキャンディーズといっしょにアイドル修行?をしていたし、渡辺プロにも入っていますから、普通のアイドル路線でのデビューもあり得たはずですが、ピアノの弾き語りスタイルで登場しました。おそらくちょっと前に小坂明子がピアノの弾き語りで大ヒットを飛ばした(今思えばヤマハ世界歌謡祭のグランプリ曲であることを前面に押し出して売り出された最初が小坂明子だったと思う)後だったからではないかと思われます。小坂明子より可愛い子がピアノ弾いて歌ったらもっと売れるんじゃないか?大手の商品開発ってのはえてしてそういうものです。

 さて、太田裕美の音楽は4つか5つの時代に分けられると思います。デビューしてから数年間のアイドル的消費をされ、シングルヒットを続けていた時代(アルバムでいうと「ELEGANCE」、シングルだと「ドール」くらいまで)。アルバムでは自作曲を披露したりしていましたが、シングルに関しては判で押したように作詞・松本隆/作曲・筒美京平(/編曲・ 萩田光雄)でした。これが第1期になるのではないかと思います。
 その後、二十代半ばを迎えて少しアダルトな感じにモデルチェンジしようとしてやや迷走気味になりました。この頃の目立ったヒット曲となると、清涼飲料水のCMソングだった「南風」くらいでしょうか。「木綿のハンカチーフ」以来連続出演していた紅白歌合戦にも選出されなくなり、本人も思うところがあったのか、休養&渡米を発表するところまでが第2期。
 半年くらいと言って出て行ったアメリカ留学ですが、休養期間は1年を越え、ようやく活動を再開したのが今回紹介する第3期で、その後、結婚を機に活動は縮小します。
 しばらくして母親の立場から童謡を歌ったアルバム「どんじゃらほい」を発表した一方、自作曲や、久しぶりに松本隆/筒美京平コンビの作品を発表しました。また、近年は同時期に活動していたガロのメンバーや伊勢正三とのコンサート活動を継続しているようです。

 で、やっと本題。
 太田裕美(勝手な区分けで)第3期・ニューウェイブ編の3枚のアルバムもApple Musicで聴くことができます。
時代順に聴くのが良いと思いますが、タイトルは「Far East」(1983年)、「I do,You do」(1983年)「TAMATEBAKO」(1984年)となります。
 「Far East」はニューヨーク帰りでちょっと大人になった太田裕美をフィーチャーしたアルバムで、当時はLPレコードの時代でしたからA面とB面でコンセプトが違い、A面が「ニューヨーク・サイド」、B面は「トーキョー・サイド」と言っていました。A面は当時主流になりつつあったシティ・ポップの音で、なぜか日野皓正のラッパまで入っている豪華版です。B面もまったく違うわけではないのですが、「窓から春の風」のようなシンセの音が前面に出たテクノポップ風味のサウンドが強くなります。私は太田裕美はコンサバティブな人だと思っていたので、A面の路線で行くのだろうなと思っていたら豈図らんや、次作の「I do,You do」はデビュー当時もやっていなかったミルキーボイス全開のテクノポップでした。第2期の迷走は、つまりはどうやったら大人の歌手になれるかと足掻いた上でのことだと思うのですが、声質と舌足らずな滑舌のために本格派になりきれなかったのを完全に開き直った感じがして、「よくやった!」と思う出来でした。私はこのアルバムの「こ・こ・に・い・る・よ」という曲で初めて「5拍子」を理解したものでした。
 しかし、デビュー当時の「可愛い女子大生風弾き語り」のイメージでついてきていた人はこの辺りでいわゆる「オタ切り」されてしまったようです。私の学生時代の友達も一緒に行ったコンサートの後で「こんなの太田裕美じゃない!」と怒って帰って行きましたから、そういうファンは多かったんだと思います。
 そんなデジタル穏健派の私でもちょっと行き過ぎでは?と思ったのが3枚目の「TAMATEBAKO」。
 「ランドリー」とか「チラチラ傘しょって」とか奇天烈なタイトルが並び、前作よりもさらにぶっとんだ曲が並びます。

 でも、今聴くと「TAMATEBAKO」がいちばん完成度が高いですね。太田裕美の時代は、ちょうど音楽向けの機材が現代化していった過渡期なので、「ELEGANCE 」あたりまでは(曲はすごく好きなのが多いですが)音が古いです。次の「海が泣いている」は海外録音で音は良くなったんですが、曲が小難しくなって愛聴するにはいたりませんでした。大瀧詠一復活の時期にシングルで出した「恋のハーフムーン」はさすがのナイアガラ・サウンドですがこれはちょっと例外とすると、やはり「Far East」以降のサウンドは今の商品と比べても音の面で遜色がなく、改めてちょっとおススメしたいと思います。 

2019/06/13

A FILM ABOUT THE BLUES/TRICERATOPS

聞き逃し大物アーティストシリーズ、本日はTRICERATOPSです。Apple Musicよありがとう!

 和田誠の「倫敦巴里」は中学生の頃の愛読書で、私があまり喜んで読んでいるものだから、父が「その本、貸してくれ」ということになってこころよく貸してあげたところ「通勤電車で読むと笑ってしまって読めない」と変なクレームをもらった名作パロディ集。数年前に復刻?しているようなのでリンク貼っておきます。


 さて、和田誠の息子がミュージシャンになったらしいと言う話をどこからか聞きつけてはいましたが、実際にはテレビで何回か見ただけで、そのときなんという曲をやっていたのかも覚えていない。その後かなり経ってから、毎年クリスマスになると小田和正と歌っているよなー、て感じで見ていた和田唱(とTRICERATOPS)です。
 昔々、ニューミュージックの売れっ子たちがテレビに出ない理由として「3曲くらいはやらせてもらわないと音楽性が伝わらない」とか言う例があり、「いやいや、本当に見るべきものがあれば1曲でも伝わるんじゃないの?」と思っていた方だったんですが、確かにTRICERATOPSみたいな音楽は、1曲だと分からないかもしれないですね。
スリーピースのシンプルな音はテレビで見てるとちょっとさみしいし、小難しそうに見えるということもあるような気がします。
 それよりも、以前ここに書いた土岐麻子のアルバム「乱反射ガール」の中でデュエットしていた「HUMAN NATURE」のハモり具合いとか、それこそ「クリスマスの約束」で小田和正の「相方」としての達者な歌とギターを見ていると、なんだこの子すごく上手いんじゃないか!と急に分かるようになります。

 さて、TRICERATOPSの音楽はギターとベースとドラムの音で出来ていて、私が普段好きで聴いているピアノとシンセサイザーがいる5人以上のバンドの音とは全然違うわけです。しかし、上手なスリーピースのバンドというのは本来そういうものなのかもしれませんが、ベースとギターのアンサンブルが巧みですし、キーボードはいないけれど、ハーモニーについてはコーラスできっちり表現されています。とてもよく練られている曲ということは、素人にもよく分かる。
 蛙の子は蛙、だと悪口になっちゃうか。なんていうんだか、親から授かる才能ってあるもんだなあと思いました。




2019/06/09

Apple Musicで聴く平成の天才たち

90年代の音楽は、私にとってちょっと空白になっています。
当時は、学生時代から一緒に音楽作りをやる友人がいたので、もっぱらアウトプットの時期で、今さら新しい日本の音楽をチェックしようとか思っていなかったのです。下手に聴き込んで影響受けるのも癪だったしね。
98年、実際には99年に宇多田ヒカルに後ろからドカンと頭を叩かれて目が醒めるまで、7〜8年くらいちゃんと贔屓にして聴いていた音楽はなかったかもしれません。

なので、テレビでさんざん出てくるような超メジャーな人以外、多少は音楽に興味があれば聴いててしかるべきビッグネームも聞き逃しているものが多いです。

そんなわけで、一般教養レベルで欠けているアーティストに触れるにもApple Musicはちょうど良いような気がします。
浜田麻里のところでも書きましたが、私がApple Musicで聴くことでアーティストにはいくらお金が入るのでしょうか?月間使用料が980円で1週間平均で30曲聴いたとすると4週間で120再生か。そんなに聴かないか?まあ1再生あたり10円くらいの売上でしょうか。そのうちショップであるアップルの取り分とメーカーでどのくらい取りますかねえ。物理的にプラスティックの円盤を箱に入れて売っているわけではないから、レコード会社というよりも音楽出版社の手数料なのかな。再生数はなんとでもカウントできると思うので、最後は按分でやるんでしょうが、アーティストにはいくら入るのかなあ。せめて1再生1円くらい入ってるといいですね。

まずは岡村靖幸です。
テレビに出ていた川本真琴はちょっと知ってましたが、そのプロデューサーである岡村靖幸はちゃんと聴いたことがない。
最近になって年に2回くらいテレビで見ているような気がします。スーツを着て踊っているので、須藤元気と同じ箱に入れちゃってるんですが、たぶん全然違う人。
もっと若い世代なんだと思っていたら、ウィキペディアで見ると1965年生まれと書いていあります。なんだ私と似たようなもんじゃないですか。

当時の紙媒体でタイトルだけ見ていた「家庭教師」をライブラリに追加してみました。発売は1990年11月。今聴いてもぜんぜん古い感じはしません。これなら踊れるよね(私はやらないけど)。電子楽器の音もいっぱい入っていますが、生楽器が色っぽく、なんか肉感的な音で、好きな人はハマるでしょう。私もこのアルバムはこれから何度も聞き直すと思う。30年近く前の曲の歌詞が、風俗として今とほとんど変わらず通じるのには「Nippon大丈夫か?」と考えさせられます。私だけでなく国全体が平成ジャンプだなあ。


つづきましては、中村一義です。
岡村靖幸以上になにも知りませんが、たしか「天才」と言われていたはずです。なにがどう天才なのかは知らないんですけど。天才なら最初の作品を聴くべきだろうと思ったので「金字塔」というのをダウンロードしてみました。
中村さんは1975年生まれ、このアルバムは1997年の発売です。岡村くんより一時代若い感じですね。

えー正直、どこが天才かはわかりませんでした。若いのに70年代の古い音をよく知っててセルフプロデュースでまとめられるほど達者なのはわかった。でも我々は原田真二も知ってるしなあ…。最後の曲からどんなメッセージを受け止めれば良いのかもわからず?
でも、聴き終わった後で私には珍しく「Sgt.Pepper’s Lonely Hearts Club Band」を(これもApple Musicで)聞き直してしまいました。そういうパワーをいただきました。


2019/05/28

Apple Musicで聴く森高千里

週末に出張で特急電車に乗っていて、暇だったのでApple Musicを開いてみたら、今度は森高千里がトップ画面に出ていました。あー懐かしいねえ。「非実力派宣言」のジャケットが見えたのでそのまま聴いてみました。CD買ったわ、あの頃。

南沙織の「17才」をカバーしたことをきっかけに一気に知名度を増した森高千里がその勢いを加速させたアルバムです。この頃は「アルバムで聴く」というのが一般の人にも根付いていました。多分、カーステレオで流しっぱなしにしてたからなんでしょうけど。あの頃はみんな自動車に乗ってましたから。

「非実力派宣言」は森高千里をブレイクさせた記念碑的作品ですが、そうなってくると「俺はその前から知ってた」症候群の人がたくさん出てきたわけですが、そういう人たちが聴いていたのはアルバム「ミーハー」です。森高千里が自分で作詞するようになった最初の作品ですが、今聴くとやはり眠たい。杉山清貴と同じカラオケにちょっとおぼつかない感じで森高千里の声が乗っているミスマッチな感じ。森高千里は歌は下手じゃないけど声が小学生みたいなので、面白いっちゃ面白いんだけど、ちょっとどっちに行けばいいかわからない感じがします。

それが「非実力派宣言」になるとかなりガラッと音が変わります。
印象的なのは 「ぎゅっぎゅっぎゅっ♪」と入ってくるうるさいシンセのフレーズ。その一方で妙にネイキッド?なギターの音の多用。この2つの要素がいかにも「森高千里」の音、という感じがしますし、ここで森高千里はロックになったと思う。ちなみにZARDが出てくるのはこの後なんですね。当時はこの2組の音が似ていることに気がつきませんでしたが。

森高千里は当初はアイドル的に売り出すつもりだったが、そこそこ年齢がいってからのデビューだったので、作詞をさせることでアーティストっぽく売ることにしたようなのですが、その作る歌詞が挑戦的で面白かったので見事にハマったんですね。下に紹介する3枚を遡って聴くと、中途半端なシティ・ポップ風から森高千里自身の詩の力で風穴を開け、それがサウンドプロデュース側に影響を与えてだんだん個性が固まってきたんだということがよくわかります。

彼女が成功したおかげで、若いうちにブレイクし損ねたままトウが立っちゃったアイドルに作詞をさせれば、ちょっとルックスの良いアーティストとしてリサイクルできることがわかり、そこから巨万の富を稼ぎ出すビジネスモデルが確立したようです。







2019/05/21

Long Slow Distance/鈴木康博

80年代に聴いていた音楽の話は記憶でどんどん書けます(要注意w)。

オフコース脱退後のYassさんこと鈴木康博のアルバムもいくつかApple MusicからiPhoneに落として聴くことができます。ただし、私がフォーカスを当てたいソロ活動最初の10年くらいについては、アルバム単位で落とせるのがこれだけなんですね。ちょっと寂しい。

「Long Slow Distance」は鈴木康博のソロ・アルバム3枚目。1985年の作品です。タイトルは長距離走トレーニングの用語ですね。

おそらくこの頃のYassさんは、活動再開した4人のオフコースを横目で見ながら作品を作っていたと思います。もともと脱退の理由は音楽性の違いではなかったと言われていますので、あっちこっちと合わせてその後のオフコース、といった曲作りになっていても不思議はありません。

当時、私が音楽関係の雑誌記事などから断片的に読み取った情報としては、Yassさんは独立にあたって当時の最新鋭シンセサイザーであるところのフェアライト(たしか1600万円とか言ってた。小田さん愛用のPROFET5の10倍ですね)を購入していたはずです。これはデジタルシンセの走りであり、電子ペンで波形を書くとそのとおりの音を再生できるというものだったはずです。生身のギタープレイヤーである自身とコンピューターサウンドの融合をテーマにしていたようです。

さて、このような前振りがあって、Yassさんは、かたや活動再開メドも発表されないままの古巣を尻目に、1作目のアルバム「Sincerely」を1983年に発表します。私も発売早々に入手して聴きましたが、フェアライトのピコピコではなく、いきなりアコースティックギターとブラス音をメインにしたオーソドックスな曲が流れてきて、ちょっと拍子抜けした記憶があります。「素敵にシンデレラコンプレックス」もいっしょに収録しちゃえばよかったのに(すみません、ミーハーで)。なるほど、Yassさんは一人で完成度の高い音楽を作るためのツールとしてフェアライトを導入したのであって、別にテクノをやりたかったわけではなかったようです。ミディアムテンポの、オフコース時代の湘南海岸シリーズ(?)に近い曲が多かったかな。「潮の香り」の続編のような「入り江」という美しいバラードが収録されています。

翌年の1984年はオフコースが活動再開し、4月にシングル「君が、嘘を、ついた」を、6月には先日ここで書いた「The Best Year of Life」が発表されます。
 Yassさんは同年の9月に2作目の「Hello Again」を発表しています。制作過程でオフコース新作の影響があったのかなかったのか、興味深いところです。私は2曲めの「雨がノックしてる」を「君が、嘘を、ついた」のアンサーソングと見ました。

で、やっと今日の本題「Long Slow Distance」の話にたどりつきます。

1985年、年1作のペースを守って3作目のアルバムとして発売されたのがこのアルバムです。私の見立てではYassさんのキャリアの中でももっともヒットを意識して作られた作品だと思います。アルバムの最後に「City Woman」が入っていますが、この曲はWikipediaによると「黄桜マイルドのCMタイアップ」となっていますし、当時なにかのインタビューでYassさんは「『City Woman』は自分の中では演歌」と語っていました。ハッタリの効いたシンセサウンドと覚えやすいメロディはかなり売れセンを意識したものになっています。「Long Slow Distance」は8曲入り36分のわりとコンパクトなアルバムですが、奇しくも小田さんの「K.ODA」がそうだったように「鈴木康博はこういうことができます」というプレゼン資料としてよくできていると思うのです。

そして、久しぶりに通してこのアルバムを聴いてみると、実はYassさんの音楽は意外なほど山下達郎に近いことに気がつきます。メロディとかじゃなくて作り出す全体の音が。オフコース時代、ハ長調カノン進行担当の小田さん、R&Bとハードロック方面担当がYassさんというイメージでしたが、オフコース結成時での音楽的素養はYassさんの方が高かったようですし、音の嗜好が山下達郎とカブるのは不思議ではありません。

要するに、とまとめるのも変ですが、オフコースのふたりでいうとYassさんの方が小田さんよりミュージシャン的というのか職人的な人なんだろうな、と思います。大学でもロボット工学を学んでいたエンジニア志望の人だったんですよね。小田さんは建築家の勉強をして、後に(総合芸術である)映画の監督をやるような人だったわけで、その辺の個性の違う二人の緊張感でオフコースができていたんだなあと思いました。

2019/05/19

Apple Musicで聴く昭和のテクノ

先日、出張中に新幹線の車内でふと「ヒカシュー」という単語を思い出して、「そういえば、Apple Musicで昔のテクノポップとか聴けるんだったかな?」と検索してみたら、なんだたくさんあるじゃないか!というわけでそのまま何枚か聴いてみました。


  • ヒカシュー/ヒカシュー

アルバムタイトルとしては「うわさの人類」の方が記憶に残ってたような気がするけど、「20世紀の終りに」を聴きたかったので1980年作のこちら。リズムマシン、モノシンセによるベース音というテクノポップらしい音と、今思うと劇団ひとりに似た感じのボーカルが、独特の歌い方で押し切るバンド。楽器の音が数えられるようなシンプルなトラック。後年のヤマハのキーボードでそのまま出せるようなコーラス音も使われています。



  • WELCOME PLASTICS/PLASTICS

関連するアーティストのところに今度はPLASTICSを発見!
プラスチックス(プラス「ティ」ックスじゃないんやで)も1980年の作品。知ってる曲は「COPY」。YMOを別格とすると当時のテクノポップではこれがど真ん中だったのではないかな?
どうせ機械が演奏するんだからと、プロっぽいテクニックとかニュアンスとか関係ないところで作られた音楽は当時聴いても単純でしたが、それは当時のテクノロジーの限界に規定されていました。
なんせ、当時の電子楽器はやっと和音が出る(それも4音とか6音とか上限があった)ようになったところで、素人がギターを買うように買える値段のシンセサイザーは、たいてい単音か、せいぜいユニゾンで二つ目のオシレーターを鳴らせる程度。作曲ソフトとかもなくて、物理的に機械で次に鳴らす音(音程、音量、長さ)を指定して並べ、16音符ぶんを自動演奏させる程度のものしかなかったわけです。1曲を再生するにはテープレコーダーに多重録音するしかない。今はタブレットひとつで数段高いレベルの曲を作ることができます。でも、当時はそれがカッコよかったし、演奏能力に関係なくセンスだけを武器に音楽で勝負ができたいい時代だったとも言えます。YMOは別格として。

  • 改造への躍動/ゲルニカ

同じく、ヒカシューのページに関連で出てくるのが戸川純とそのユニット。時代を合わせてゲルニカでいいか、と「改造への躍動」を聴いてみます。これはテクノというよりニューウェイブて感じでしょうか。上の2枚の頃はは高校生でしたが、ゲルニカが出たときは大学生になっていました。
私の大学だけではないと思うのですが、当時はキャンパスに薄ぼんやりと学生運動のにおいが残っていて、そういう残り火的左翼系サークルやら、もっと怪しい宗教系サークルなどが夕方になるとじわじわと湧いてきて活動しているという雰囲気。メディアも今よりずっと為政者に対して批判的だったし、なによりまだ戦争体験をリアルに語れる人がそれぞれの親類縁者にたくさんいて、不用意な勇ましい発言に対するチェックも今より敏感で、それに対する批判ももっと論理的だった気がします。
そんな「偏向報道」が横行する世の中をなんとか変えて、自民党がやりやすいメディア環境を作るため、フジテレビなどが日本人がもう、みんな馬鹿になるような「楽しい番組」を積極的につくり始めたころです。その後、ソ連の崩壊や謎のバブル景気などもあって、この活動は大成功するのですが、そのちょっと前の時代ですね。
私もそういう「もっと資本主義と仲良くしようよ」的なサークルの部室から漏れてくるYENレーベルのレコードの音を、隣の部室でぼんやり聴いていたものです。
ゲルニカのアルバムには、そんな時代の気分を先取りしたような、あるいは茶化したような、戦前の日本あるいは近代化をめざすアジアの独裁国家の唱歌のような曲が並んでいます。YMOの人民服とはつながっているようないないような…。そしてプロデューサーが細野晴臣。当然、音楽性は当時の「雨後の筍」的テクノポップとは全然レベルが違います。

この3作はいずれも80年代の文化の代表として捉えていただいて良いのですが、残念ながらどれを知っていても若い女性にモテるためのツールにはならないところが残念です。

それにしても今思うと80年代というのは何をやってもOKな空気があって、玉石混交ではありますが、思いつく限りのあらゆるおふざけ、不謹慎、楽屋落ちの実験がされた時代でもあります。だから最近のメディアに出てくる挑戦的と評価される文化についても、大概は「あー、はいはいその感じね」で消化できてしまう可愛くない年寄りになりつつあります。








2019/05/05

日本の恋と、ユーミンと。/松任谷由実

 さて、とうとうユーミンがストリーミング配信されるようになりました。随分と掘りがいのある鉱脈に出会ってしまったものです。

 私は兄弟もおらず、基本的に昭和一桁の両親と見るテレビだけで幼少期の音楽体験をしてきましたので、ユーミンのことを知ったのは、随分と年長になってからのことでした。
 おそらく最初に聴いたのは母が午後に多分再放送で見ていた連続ドラマの主題歌として使われていた「あの日にかえりたい」だったと思います(なんのドラマだったんだろう。あまり重要なことではないので調べずに素通りしますが)。

 私にとっては検証をしないうちにとんでもない大きな存在であることだけが結論として伝えられたのがユーミンです。そりゃ私もバブル時代を生きてきましたし、「私をスキーに連れてって」もレンタルビデオで見ましたから、大人になった頃にはなんとか追いついたんですけどね。

 Wikipediaなどで確認してみると、1983年の「VOYAGER」から1995年の「KATHMANDU」までの干支一回りの間、判で押したように11月下旬から12月上旬にアルバムが発売されています。この間、日本人が毎年の暮れになるとユーミンのアルバムを買ってクリスマスを迎えることが国民的行事になっていたということがわかります。恐ろしや。

 で、荒井由実時代のことについては実はほとんどよく知らないということで、何年か前に慌てて「ひこうき雲」など買って聴いたりしたんですが、改めて表題のアルバムに収められた曲の中から荒井由実時代の作品に注意しながら聴いていると、そりゃまあ、我々の上の世代が崇め奉るのもよくわかります。私も今後は改めてユーミンの旧作をアルバム1枚ずつ、ゆっくり味わってみようと思っています。

 大衆音楽家の先進性というのは、当然、その時代と込みで考察されるべきであり、当時の荒井由実が出てきたときに他にどんな音楽が流行していたかを考えるとその突出ぶりはすごいです。例えばアルバム「ひこうき雲」が発売された1973年のヒット曲をWikipediaでひろってみると、「おんなの道」「喝采」「危険なふたり」とか梶芽衣子「怨み節」とか出てくるわけですよお立ち会い!
 若者(大学生あたり)に対象を絞り込んだとしても「神田川」「心の旅」「ひなげしの花」「てんとう虫のサンバ」とか…。おそらく多少なりとも音楽に関心がある人にとっては、1999年当時の宇多田ヒカル「Automatic」がそうだったように、「これは買って聴かなければいけない」とつき動かされるような新しさがあったことは間違いないと思います。

 初期のユーミンを聴くことは、はっぴいえんどの流れを汲むキャラメル・ママまたはティン・パン・アレーの演奏を楽しむことでもあります。今の高度に処理されたカラオケを聞き慣れた耳には、多少もたつきを感じさせる箇所もあるような気がしますが、当時最新の演奏法を取り入れ解釈し再現することの初々しさを感じさせ、逆にすーっと聞き流すことを許さない演奏になっていますね。

2019/05/04

The Best Year of My Life/オフコース

 過去に何度か名前だけ出して項目を作っていなかったので、1984年のアルバム「The Best Year of My Life」の話も書いておきます。

 オフコースの最盛期はやはり武道館10日間コンサートをやりきった1982年でしょう。前年の秋にはNHKがアルバム「over」のメイキングを「若い広場」の枠でドキュメンタリーとして放映しましたし、6月の武道館公演あとの9月にはTBSで2時間の特番「NEXT」が放映されました。シングルヒットとしては1980年の「さよなら」が突出していますが、その後のライブの動員やアルバムの売り上げは82年の方が大きかったと思います(すみません、すべて記憶で書いていますので、ちゃんと知りたい方はちゃんと調べましょう)。
 しかし、武道館コンサートを区切りとして、グループ結成以来のコンビだった鈴木康博が脱退したことで、オフコースは無期限活動停止してしまいます。天下を取ったような、もう少し上に行けたような、微妙な状態でした。大メジャーになるチャンスを自ら放棄したようなその活動停止は、当時の経過をやはりドキュメンタリーとして執筆していた故・山際淳司に「オフコースは早漏だった」と書かれてしまいました。

 そしておそらくいろんな事情で、鈴木康博がいなくなった4人のまま、1984年にオフコースは活動を再開し、今日のお題であるアルバム「The Best Year of My Life」を発表します。先行シングルである「君が、嘘を、ついた」はなぜかフジテレビ「オレたちひょうきん族」の「ひょうきんベストテン」コーナーにご本人登場という形でプロモーションビデオが本邦初公開されました(よく覚えてるなあ、我ながら)。「スリラー」以降、世界的に流行した凝ったプロモーションビデオを作っていたのもこの頃ですね。

 4人になってからのオフコースのナンバーは、最近になって何度も発売されるベスト盤でも冷遇されているみたいで、「YES-YES-YES」の後すぐに「君住む街へ」になっておしまい、みたいなのが多いんですが、私はこの頃から解散手前までのオフコースの曲が好きでした。とはいえ、一般の人にとっては後期オフコースの曲って、「君が、嘘を、ついた」でだいたい完結していると思いますから、このアルバムはお買い得だと思います。後期オフコースのライブで欠かせない、「夏の日」「緑の日々」も入っていますし、私が以前、AKBの「ラブトリップ」に(が、ですね)似てると書いた松尾一彦のナンバー「愛を切り裂いて」も入っています(笑)

 5人時代のオフコースは良くも悪くも小田・鈴木の二頭政治の緊張感がすごくて、小田さんも異常にストイックな感じの曲作りと歌いぶりだったんですが、4人体制になって誰がどう見ても「小田バンド」になった小田さんは、いい意味で曲作りにも歌いっぷりにも少しではありますが中年らしい「生臭み」が加わってきます。「よるがなあがれえていくう」みたいに高音で大きなコブシを回す感じとか「いきがとまるうーううー」の唸りとか。歌詞も恋愛がらみの即物性が加わってきます。

 以降、ライブでもサポートメンバーを入れることが前提になって、それまでほとんど使ってこなかった金管の音や打ち込みのリズムを使い、明らかにジェネシスおよびフィル・コリンズ風の分厚いロックサウンドを臆面もなく展開するようになりました。

2019/05/03

K.ODA/小田和正

 連休中に気が大きくなったので、iMacの画面下で鳴らすためのBluetoothスピーカーを買ってきました。BOSEのSondLink Mini Ⅱです。ビックカメラのポイントが何千円ぶんかあったので、ちょっと足してJBLあたりの8,000円くらいのを買ってくるつもりでしたが、たまたま「再販されました!」とか書いたPOPがついてたもんだから。
 おかげで予算に対して経費が倍になってしまいました。

 さて、新しいスピーカーで何を聴こうかと思うと私の場合はオフコースの「over」がどう聞こえるのかってことになっているのですが、そういえば久しぶりに昔の小田さんも聴こうかと思って、昔カセットで買った気がする「K.ODA」を改めてiTunes Storeで落としてみました。バラで1曲250円、アルバム8曲2,000円。まんまやん!

 さて、この「K.ODA」はオフコースの末期活動中だった小田和正が満を持す形で世に問うた初のソロアルバムです。発売は1986年、この後オフコースを1989年に解散、あの「ラブ・ストーリーは突然に」が1991年です。
何も知らない人に「小田和正は何を聴けば良いか?」と尋ねられたら、ソロならこのアルバム(オフコースなら「over」と「The Best Year of My Life」ね)と答えます。そのくらいこのアルバムは小田和正のど真ん中にあるアルバムだと思います。オフコース好きだけど、松尾一彦の声とかいらないんだよねー、という人、小田さんの声だけでオフコースを聴きたい人はこれを聴けば良い。そのくらいオフコースの音楽と地つづきですし、「ラブ・ストーリー〜」以降の小田サウンドへのブリッジとしてもわかりやすいです。

 1曲めのタイトルが「切ない愛のうたをきかせて」。すごいでしょ。時はニューミュージック末期、数年後にはレコード屋さんのコーナー分けも「J-POP」とか書き始める寸前のこの頃、小田さんが見つけた「ニューミュージック」の最終定理の解=「切ない愛のうた」が最初に置かれているわけです。実は玉置浩二も気づいていたようなのですが、タイトルとして残したのは小田和正でした。オフコース自体は自分たちが「ニューミュージック」であると規定していたわけではないようですが、それはL'Arc-en-CielやGLAYが「俺たちはビジュアル系じゃない」と言っていることと世間の目のギャップ、とほぼ同じことなんだと思います。

 「K.ODA」に戻りますが、小田さんが作る切なくて売れそうな曲の展示会のようなアルバムで、どれをシングルにしてCMタイアップにしても絶対嵌る、捨て曲が一つもないです。

2019/04/30

東京少年少女/角松敏生

 シティ・ポップといえば、というお題で話し始めた時に比較的すぐに出てくる名前と思われる角松敏生。残念ながらiTunesのストリーミングでは見当たらず、個別にお金を出さないと聴くことができません。

 ゴールデンウイークは頑張ってギター弾いたりブログ更新したりしようと考えて、会社帰りにまた山野楽器に行って来ました。目当ては「HOCHONO HOUSE」だったんですが、念の為1周回ってみたら角松敏生の新作と思われるアルバムが出ていました。「東京少年少女」なにそのタイトル?

 実は私自身は当時のシティ・ポップには冷淡な態度をとっていたので、角松敏生のことも名前ぐらいしか知りませんでした。杉山清貴のところでも書きましたが、私はその頃オフコースに深く肩入れしていましたので、彼らのような「知識と技術がある人が作る完成度の高い音楽」にはあまり興味を持てませんでした。この後、ブラコンていうさらに魅力的な音楽がJ-POPに影響を与えて、さらにとっつきの良い音楽が流行るようになったんですが、そういうのにハマる自分が嫌だったので、出来るだけ距離を置いていました。こういう「ロックじゃない」もの(まあ多分誤解です)に取り込まれたくない感じ。若かったんですね。山下達郎だけは唯一ロックのストーリーの中から出てきて、結果としてシティ・ポップに近いところにたどり着いた人と思い、抵抗なく聴いていたんですが。

 なので、角松敏生については、V6の「Waになっておどろう」を作った人らしいよ、くらいのことしか知らず、曲名も一つも知らない有様でした。

 そんなわけで初めて聴いてみました。
 私が買ったのは銀座の山野楽器に置いてあった6曲入りですが、限定盤9曲入りもあるようです。発売は2019年4月3日、偶然にしては良いタイミングでの入手です。
 M1は結構ファンキーな(っていうの?)ラッパがガンガンに入ったカッコいい曲で、ブラスのアレンジは新田一郎か?と思ってライナーノーツをみたら違う人でしたが、スペクトラムな感じで好きです。
 Wikipediaで調べるとこの人は今58歳ということで私より歳上なんですが、「へーよくこんな若い声が出るなあ」と感心しました。万年青年系ですね。
 「Waになっておどろう」のような南方民族系なサウンドはデビューして少し後に始めた分野のようですが、まあすべてよくできています。白いクーペでドライブに行きたくなりますね。
 Amazonのリンクは「東京少年少女」2種と友人が好きだと言っていた関連アルバムを貼っておきます。


2019/04/14

宮川泰テレビテーマ・ワールド/宮川泰

 こんな辺境のブログを書いていて良かったことといえば、歳とともに消え去りそうになる「音楽を聴こう」という情熱を無理矢理にでも維持されることで、そのことによって出会えた音楽も多いです。こないだのKing Gnuもそうだし、相対性理論とか、土岐麻子とか。
 で、なんでこんな音楽ブログを書き続けているかというと、30年以上前に潜り込んだ地方私立大学の学生時代にたまたまレベル的にちょうどいい音楽仲間に会えたことで、バンドの真似事ができたこと。それによって音楽をやることの楽しさと大変さのさわりだけでも知ることができたことが大きな理由。一方、当時の自分に与えられていた時間と才能の限界もあって、そこから先の一消費者になった自分の「よすが」としてこのブログがあるわけです。

 ところで、なぜ大学生という遅いスタートから拙い音楽活動を始めたのかというと、実はそこに宮川泰先生の存在があったわけです。
 奇しくも(?)この方は私の父と同じ年の生まれで、作家としていちばん売れていたのはザ・ピーナッツや園まりのヒット曲を書いていた頃でしょうから、おそらく30歳前後だったんでしょう。今よくテレビで見かける息子さんもその頃生まれているんだと思う。そのあと、ヒットチャートではあまり名前を見かけない時期があって(まさにこのCDの曲の多くがその間に作られてるわけですが)、そして我々が中学生の頃に「宇宙戦艦ヤマト」の大ブームが起きました。あの勇壮なオープニング曲と「真赤なスカーフ」の作曲家として再ブレークしたのがおそらく40代後半、ということになると思います。

 ちょうどその頃、宮川泰先生(珍しく敬称をつけてしまうが)はうちで取っていた新聞、確かこの頃は朝日新聞だったと思うけど(読売だったらゴメン。Wikipediaでも出てなかった)しばらくの間、毎週金曜日の夕刊に歌謡曲の評論をかなり大きなスペースで連載をしていらっしゃった。毎回、ポイントのところは譜面付きで解説がされていて、主に曲作り(メロディ、コード付け、歌詞)についての解説が詳しかったと記憶しています。現在も続く近田春夫の評論は、どちらかというと声質や歌唱テク、作品が出てきた文脈やサウンドについて詳しいのとは微妙に力点が違ってました(より教科書的使いでがあった)。
 一方、この新聞連載の期間を挟んでもっと長い期間、宮川先生は毎週土曜日午後にFMで「コーセー歌謡ベストテン」という番組のMCも勤めておられました。ですから、70年代後半の一時期、私は当時の代表的ヒット曲を、常に新聞かラジオを通じた宮川泰の解説付きで聞いていたのです。

 ご本人は音大出で、理屈を熟知しているはずですが、当時雨後の筍のように出現するニューミュージック系のシンガーソングライターたちにもやさしい評論を加えていました。今でも覚えているのは横浜銀蝿が出てきたとき、「(本人たちは)3コードのロックンロールでやれるだけやってからっぽになったらやめると言っているらしいが、馬鹿な真似はよせ、あと3つくらい覚えたら10年くらいできる」と書いていたこと。めっちゃウケる!
 それでもやっぱり音楽性が高い新人が出てくると嬉しかったようで、原田真二、渡辺真知子、八神純子、山下達郎なんかはお気に入りだったように思います。

 こうして私は歌謡曲にも作り手の巧拙や志の高低や、いろんな思惑があることを学ぶことができました。その興味が私を音楽という趣味に走らせた、ということです。

 さて、長くなりましたがCDの話です。
 最初に書いた通り、ブログ更新のため意識的に音楽に触れようとする行動の一つとして銀座の山野楽器に行ってきました。渋谷だったらタワーレコードですが、今日は銀座だったので山野楽器です。最近は一階のエスカレーター近くの、五十音順から漏れた、オムニバスというか企画ものコーナーをざっと見てくることが多いんですが、たまたまそこにジャケットを正面に向けて置いてあったのがこのCDです。
CD1枚にボーナストラックも含めて38曲!しかも内容は宮川泰がテレビ番組用に書いた曲ばかり。38全部は書きませんが、「シャボン玉ホリデー」から始まって「ゲバゲバ90分」「(あの「チコちゃんに叱られる」にも流用されている)カリキュラマシーン」「ズームイン!朝」「ふたりのビッグショー」。もちろん「宇宙戦艦ヤマト」の2曲も入ってます。作詞以外のクレジットはいちいち書いてありませんが、おそらく編曲もほとんど本人がやっているはずです。世代はかなり違いますが、大瀧詠一と並べて聞いても良いような内容で、しかも完成度はある意味こっちが高いわけです。
 職人的になんでもやれちゃう音作りと、濡れたようなメロディラインのギャップが宮川泰サウンドの特徴なのかなと漠然と捉えていますが、何れにせよそのバリエーションの豊かさとボリュームに圧倒されます。

 ちなみに隣には「浪花のモーツァルト キダ・タローのほんまにすべて」という3枚組CDも並んでいて大いに気になったんですが、今日はパス。こっちは「恋するフォーチュンクッキー」の元歌ともいうべきキャンディーズの「プロポーズ大作戦」が収録されているようです。

2019/03/31

realtime to Paradaise/杉山清貴

一時期完全に更新をサボっていたこともあり、おそらく数少ない定期購読者も去っていかれたことと思います。
一方、ブログの性格上、有名アーティストの名前が散りばめられているので、おそらく検索によって間違って訪問してくださる人も少しはいらっしゃるようです。そういう皆さんにはお気の毒に、としか言いようがないのですが、まあ犬にでも噛まれたと思って勘弁していただきたいと思います。
で、その検索ワードなんですが、最近「杉山清貴」で来てくださる人の割合が意外なほど高い。多少なりとも更新している昨年末以降に気がついたんですが、なんで今「杉山清貴」を検索している方がいらっしゃるのでしょうか?
ずっと謎でした。

で、ひょっとしたらと考えたのが、先週の金曜日(2019年3月29日)に会社に配達された新聞「日経MJ」に載っていた記事です。


日本の80年代の「シティ・ポップ」が海外(記事によると韓国や東南アジア)で話題になっている。竹内まりやの「プラスティック・ラブ」がYoutubeで大人気だ、と。
話題そのものは昨年末か今年のはじめにも聞いた気がする内容ですが、天下の日経(MJだけど)が記事にしたとなればこれはもう大人の常識(笑)、本当だろう、と。
ということは、「シティ・ポップ」とはなんぞやと思った若い方が研究のためにネットを彷徨っているうちに「杉山清貴」を検索しているのではないか?と考えてみたわけですが、いかがでしょう?

本当にそんな意図で訪れた方には大変申し訳ありませんが、当ブログでは杉山清貴について過去に手抜きの投稿を一度だけしたことがありますが、彼を含めた「80年代シティ・ポップ」についてちゃんと考えたことはありませんでした。

というのも彼らの全盛期はちょうと鈴木康博脱退後、4人体制になったオフコースの活動時期と重なっていて、私はそちらに気を取られていたということが大きいです。

オフコースも当時はお洒落なサウンドという評価をされていましたが、今聞くとかなりゴツゴツした不器用な音楽をやっていて、当時の私はそのゴツゴツ&不器用さこそがロックだと思って好きでした。
一方その頃、山下達郎を頂点とするもっとシャレたポップスを作る達人たちがいたわけですが、私はシティ・ポップというのはそういう「達者な人」が作る音楽という印象をもっていました。
歌のうまいボーカルがいて、バックはジャズもロックもできるいわゆるフュージョン・バンドの音です。編成はキーボードのいるロックバンドと同じような感じですが、ギターやシンセサイザーの音の選び方、リズムは16ビートが基本なので楽器演奏の手数や力の入れどころなどが違ってより流麗に。チョッパーベースもこれみよがしという感じでなく「やれて当然」の技法としてさり気なく、しかもたくさん使われます。

フォークやニューミュージックがその拙さゆえに素人に音楽を開放し、そこにシンパシーを感じて、素人丸出しのままオリジナル楽曲など作っていた私にとって、シティ・ポップ系アーティストは大衆音楽を超絶テクニックと音楽理論をもつプロフェッショナルの世界に奪い返そうとする、仮想敵でもありました。

そうしてまああれから20年だか30年だか経って、今ではすっかり消費するだけの人間になってしまった気楽な立場で改めて杉山清貴を聞いてみました。

表題のアルバム「realtime to Paradise」はiTunesのストリーミングで提供されています。シングル曲で有名なところでいうと「最後のHolly Night」が収録されています。
買い物ついでにちょっと長く歩くことがあったので、ヘッドホンで聞きましたが、「あれ、こんなにシンプルだったっけ?」というのが最初の印象です。もっと楽器の音が多いと思い込んでいましたが、ギターやシンセが倍音たっぷりな音色を使っているのに騙されていたのかも。キーボードがやたらとコードそのままの音階をアルペジオで弾いていて、あ、これならできるわ、とか思ったり。まあでも当時の仲間とお前でやれたか?と言われたらゴメンナサイです。

さて、シティ・ポップがロックと袂を分かっているのは歌詞の世界にも感じられます。オフコースは1960年代の終わりという特殊な時代に生まれ、その中ではあえてメッセージ色を排除した歌を歌っていましたが、そこにも「あえてメッセージを抜く」という思想があったと思います。しかし、80年代のシティ・ポップには最初からそんな葛藤はなく、当時の物質文明を肯定も否定もせずにあたりまえの風景として歌います。それは我々80年代に成人を迎えた世代にとっては自然なことでもあります。まさに一億総中流だったわけですから。
リゾートホテルのラウンジで知り合ったカノジョは長く黒い髪、白い肌、細い肩。しかし翌日ビーチに誘うとまるで別人のプロポーション!
東京に戻って都心で待ち合わせるとパンプスとスーツの彼女が背伸びしながらのベーゼでお出迎え。
帰り道に青山通りを走る白いセダンのヘッドライトはハロゲンライト。黄色くないフォグランプとガラスのサンルーフが装備されています。オートエアコンの操作パネルと重なって配置されるカーステレオは残念ながらまだカセットですが。

私はその頃の若者でしたがこんなに楽しい生活ではありませんでした。

4曲目に「タイをはずして」というタイトルの曲があります。アルバムの曲名の中にこんなタイトルが並んでいる感じ、当時の創作センスを表しているようで、脳みそを内側からくすぐられているような感じになるんですが、他の世代の人にわかるかな?わかんねえだろうなぁ。







2019/02/24

Sympa/King Gnu

録画で見たんですが、2月22日のミュージックステーションはなかなか気合の入った出演陣で、久しぶりに早送りをほとんど使わず見せてもらいました。
その中で、知らないロックバンドが出てきたのですが、これがよかった!
King Gnuというバンドで`"Gnu"ってのは昔よくドキュメンタリー番組で出てきた牛みたいな生き物だったかしら、と思って辞書を引いたらやっぱりそうでした。渋い選択。

で、出てきた絵面がワルそう。
しかも演奏している曲がなにやらプログレ入ってる感じのロックで、最近あまり見なかったスタイルです。ストリングス系の音を使ってぎゅんぎゅん転調するし、ちゃんとリズムとってないけどたぶん2拍子、4拍子を切り替えながら、せっかちに次へ次へ進んでいくところも楽しい。

最近テレビに出てくるロックバンドって、前髪垂らした細っこい男の子がブツブツいってるのばっかりだったから、こういうワイルドな感じを待ってた!芝居っ気たっぷりにトラメガで歌うアンチャンの後ろにはマッドキーボーディストまでいるじゃないですか。こういうの大好きだ~。

そんなわけで「2曲続けて」で後攻めをやらされたセカイノオワリがGSに見える(やってる曲が悪かったんでしょうが)という、1980年頃「夜のヒットスタジオ」にRCサクセションが出てきたあと、みたいな場の乱れかた。
その影響はその後もしばらく続き、ケミストリーもJUJUもこの流れでは歌謡曲に聞こえてしまいました。

こりゃアルバム1枚くらい聴いてみないと、とiTunesで検索かけたところ、テレビでやっていた曲「Slumberland」が入っているアルバムがストリーミングで落とせました 。
早速、翌日の休日出勤のときにiPhoneで聴きながらでかけてみました。

まあとにかく、1曲めの短いインストからテレビでやってた2曲め、さらにそこから4曲めまで、次のインストナンバーが挟まるまでの最初のブロックがハッタリが効いてて圧倒的に良い。「Slamberland」の感想は上に書いたとおり、そのまま畳み掛ける感じで3分くらいの尺にアイデアが詰まったテンポの速い曲が続きます。
その様子は、1983年にアルフィーが勝負をかけたアルバム「ALFEE'S LAW」のA面と同じ気合を感じます。

さて、アルバム「Sympa」の後半は、今風の普通さに寄っちゃって少し眠いんで、この次は前半の勢いのまま最後まで走り切るアルバムを作って欲しいな。


2019/02/03

Hikaru Utada Laughter in the Dark Tour 2018/宇多田ヒカル

先週の日曜日、前日になってBSスカパーで宇多田ヒカルのライブが放映されることがわかって、慌てて録画をとりながら視聴しました。あー驚いた。

昨年秋に行われた全国ツアーの最終日の実況とのこと。タイトル"Hikaru Utada Laughter in the Dark"はまたまた一筋縄ではいかない感じの矛盾した概念を表しています。ちょっとこのところこの路線の頻度高すぎませんか?と思って、元ネタを探ってみたらナボコフに同じタイトルがあるようです。「暗闇の中の笑い」、試される教養。

セットリストはやや地味というか渋い印象で、ズンドコお調子系の曲はかなり絞り込まれています。休養前のヒット曲は前半にメドレー形式でぽんぽんと放り込まれて客席を温めたあとは最新の2枚のアルバムのナンバーをじっくり聴かせる構成。相変わらず、歌以外のパフォーマンス(MCや肉体を使った表現部分)にはデビュー以来の素人臭さを感じさせつつ、ドレスから露出した肩や腕には定期的なトレーニングを欠かさないプロ意識をにじませていました。

また、前半終了後の着替えタイムには、芸人であり芥川賞作家である又吉直樹の脚本・出演によるコントビデオ(なぜか笑いの質がドリフあるいはゲバゲバ90分的)が上映されるというおまけ付きでした。

さて、新作アルバムでもそうなのですが、このライブを見ていて少し心配になったのは、ひとつはちょっと声が細くなったかな、というところ。歌声としては休養寸前の、ネット配信された横浜スタジアムのライブの頃がもっとも脂が乗っていた感じで、まだそこまで戻ってないかなと思いました。まだ三十代なので、衰えではなく出来上がってないだけだと思いますが。
もうひとつは作品のことで、復帰以来、「母親の鎮魂」というテーマが非常に大きいのはわかるのですが、自分が母親になったことがあまりストレートに作品に反映されないのがちょっと気にかかります。クマのぬいぐるみにも歌を捧げていた彼女の私小説作家的体質を思えば、そろそろ子供との関係を題材にした曲がもっと生まれてきても良いのではないかなあ、と余計な心配をしてしまいます。ことによっては童謡集作るくらいのことをしても不思議ではないんだけど(太田裕美はそうなって、昔からのファンは置き去りにされましたので、そうなってほしいわけではないんですが)。

宇多田ヒカルの家庭環境を思うと、子供を生むということについてもいろんな葛藤があったと思うし、現在はシングルマザーになっているわけですから、いろいろ苦労していると思います。なにかあったときに駆け込む実家にはおばあちゃんはいないわけですし。プロデューサー宇多田照實氏が全面協力しているんだとは思いますが、さてその実際はどうなのでしょう。
https://hikaruutadatour2018.jp




2019/01/26

Face My Fears/宇多田ヒカル

え、もう新曲出るの?海外でもトップソングに?
と一瞬思ったけど、ああ、ゲームのテーマソングなのね。と自己解決。
一応、ネットで確認。→http://www.billboard-japan.com/d_news/detail/71745/2

コンピューターゲームはまったくやらないので知識は超・乏しいのですが、たしか宇多田ヒカルとゲーム音楽の関係は「光」からだったと記憶しています。「KINGDOM HEARTS」というのがどのくらいメジャーなゲームかは知りませんが、発売すぐに世界中でプレイする人がいるくらいのゲームなんでしょうね。
ヱヴァンゲリヲンのテーマもそうですが、こういったコラボレーションはどっちかがどっちかに寄生している感じのない、対等な提携関係という感じがして座りが良いと思います(ちびまる子ちゃんの大滝詠一や桑田佳祐は「大御所、サービスしすぎ!」と思ってしまいましたが)。

さて、iTunesでEP版をそっくりダウンロードすると、4曲入でM1(表題曲日本語版)、M2誓い(アルバム「初恋」から)、M3(表題曲英語版)、M4(M2の英語版)となっていました。「誓い」もゲームの中に使われてるのかしら?
タイトルの"Face My Fears"は直訳すると「私の恐れに向き合え」で良いのかな?相変わらず厳しめなタイトルで、曲調もかなり緊張感があります。音階はかなり和風な感じで、外国人にとってはかなりオリエンタルな感じがするんだろうなあと想像します。ゲームのテーマだったらもっとド派手な感じになってるのかと勝手に変な期待をしていましたが、ちょっと違ってました(「光」もそうでしたけどね)。尺も短いですし。



さて、ここからは余談。ちょっと前に書いた米津玄師のことへの追加です。米津玄師の曲についてはすごく感心したし、その後のメディアの情報でも吉田拓郎や桑田佳祐からも高い評価を受けているということで、やはり良いものである、という評価が(紅白歌合戦以降)確立した感じがします。

その一方でちょっと思ったのですが、米津玄師の音楽には洋楽成分があまり感じられない気がします。彼の音楽的生育史はまったく知りませんが、「Lemon」を書くために必要な音楽的素養はほぼほぼJ-POPを聴いていれば得られるのかな、と思いました。

基礎としてオフコース(小田和正)ひょっとしてはっぴいえんど。あと桑田佳祐、小室哲哉、ミスチル、宇多田ヒカル、椎名林檎くらい。なんだ我々とそんなに変わらないじゃん。

以前に、いきものがかりのことをこのブログか、もう一個のブログで書いたとき、使われている部品があまりに80年代ニューミュージック的だったので、若者としてどうなのよ?って論調になりましたが、いきものがかりのデビューから10年くらい?たった今、いよいよJ-POPだけをベースにしてもこれだけのクォリティが出せるのか、とちょっと進歩を感じました(米津玄師が洋楽聴いているとかいないとかは知りませんよ。勝手な解釈です)。






2019/01/06

あなたとトゥラッタッタ♪/DREAMS COME TRUE

さて、無理に若い人たちの話をしたままで正月休みを終えてしまうのも居心地が悪いので、最後に同年輩の人たちの作品について書きます。超ひさしぶりにドリカムの話です。

DREAMS COME TRUEについては最初の10年は本当に大好きで、新しいアルバムが出るたびに発売日にCDショップに行き、カーステレオで聴きながら帰ったものです。アルバムでいうと、「the Monster」までかな。そこからはおそらくアルバムは買っていません。デビューが平成元年です。私は「彼は友達」で引っかかったクチでその後遡ってファーストアルバムまで聴いていますから、まあ30年前からのつきあい(?)です。

私がドリカムを聴かなくなった直接の理由は宇多田ヒカルが出てきたからです。宇多田ヒカルは当時人気のあったアーティストの何組かを押しのけてしまいましたが、私の中で直接宇多田ヒカルによって駆逐されてしまったのがドリカムです。いや、ホント申し訳ないです。その理由は長くなり、かつ結果としてドリカムの悪口になるのでここでは省略します(過去の記事にはもう少し詳しく書きました)。

今回、「あなたとトゥラッタッタ♪」を取り上げるのは、NHKの国民的ドラマの主題歌として聴くとはなしに聴いていたのと、移動中のFMラジオで聴いたのがきっかけです。まあ、気になったというか聞き捨てならないというか。
だって、朝ドラの主題歌で、この曲調といえば40代以上の方はいやでも1992年の「晴れたらいいね」を思い出さざるを得ないと思います。当時の上り調子、直前に「決戦は金曜日」をリリースして人気絶頂、なんでもできるときの「晴れたらいいね」と、すっかりビッグネームになったとはいえ、年齢もある程度いってメンバーにもいろいろあったあとでの今のドリカムが、およそ30年後にこの曲調で出してきた意味はなんなのか気になるじゃないですか。

私はiTunesでダウンロードしてしまいましたが、円盤で買うとカップリングで「晴れたらいいね」のニューバージョンも収録されているようです。

「晴れたらいいね」はあっけらかんとした良い曲で、当時のドリカムの勢いを体現したような曲だと思うけれど、今聴くと「やっぱり『雨にぬれても』を踏襲しすぎだよなー」と思ってしまいます(それがオシャレなんじゃないか、という意見はアリです)。「晴れたらいいね」の作曲は吉田美和ひとりの名前になっていて、この頃の彼女は「曲が天から降りてくる」みたいな発言をしていた、と当時の中村正人がラジオで語っていた記憶があります。
私も1995年ころまでオリジナル曲の作曲を仲間うちでやっていましたが、私の拙い経験では「天から降りてくる曲」というのはたいてい自分でも忘れていた昔の超有名曲にそっくりだったりしたものです。
しかも中村正人がよせばいいのに、「このメロディならこれ」って元ネタそっくりのおまけまでつけてしまうものだから…。

「あなたとトゥラッタッタ♪」は曲は中村正人と吉田美和の共著ということになっています。最近の曲作りの分業体制がどうなっているのかもまったく知らないのですが、天然の吉田美和、計算の中村正人という役割はおそらく変わってないと思います。元ネタはわかりませんが、ミュージカルナンバーまたはディズニー映画のタイトル曲にありそうな、オールディーズ的であり、かつきらびやかなものになっています。ドラマのオープニングという課題も尺も計算した、上手な作り方です。
「晴れたらいいね」の出だしはハ長調でいうとCのコードからあっけらかんとベースが下降していく進行でしたが、この曲はFから始まりG7を経由してCに戻ってくる形で、30年分の経験が滲んでいます(んなわきゃないか!)。そういえば昨日の「Lemon」もいわゆるサブドミナントコードから始まっていました。この方が頭良さそう?

追記です。一晩たって気がついたんですが、「晴れたらいいね」はA-A'-B-C-C的な1コーラスだったのを「あなたとトゥラッタッタ♪」では縮めてA-CにしてCを前に持ってきたんですね。共作者・中村正人はその仕事をしたのでは?

歌詞については「晴れたらいいね」時代の細かい生活のディテイルは省略されて抽象的なものになっています。かつての「(野球観戦前に)メガホンとクリスプを買い込んで」みたいな世俗的なくすぐりはなくなっているのが、昔のファンとしてはちょっと物足りないかも。



2019/01/05

Lemon/米津玄師

しょうがない、行きがかり上、米津玄師もちゃんと聴いてみます。

お金払わないでブログのネタにするのは申し訳ないので、ちゃんとiTunesで落としてきました(ストリーミングでは出てこなかった)。その後でちょっと検索したらYouTubeでタダでたくさん聴けるのもわかってしまいましたが。

そんなわけで、YouTubeでぱっと最初に出てくる「Lemon」と「Flamingo」を何度か再生してみました。「Lemon」のMVの雰囲気はなんとなく平井堅の「楽園」を思い出させますが、これは余談。

米津玄師の曲は、驚くほど新しい感じはしませんが、前回のあいみょんに比べるととても複雑というか、今までのJ-POPの歴史をすべて内包しているような、引き出しにいっぱいものが入っているのがよくわかる作品になっていました。
その昔、作家の大先生の手による歌謡曲から離れたところから始まった、フォーク、フォーク・ロック、ニューミュージックがメジャーになる中でJ-POPになっていった歴史。棒を飲んだようなぎくしゃくした曲が、もう一度洗練され、フュージョンのテクニックやコンピューターミュージックを取り込み、ブラック・コンテンポラリーやらヒップホップやらにも振れながらできてきた今の日本の大衆音楽の流れが、米津玄師の作品の中にどれかひとつでなく総合的に組み込まれています。

「Lemon」の冒頭は堂々の王道な進行で、「ことをーゆめーにみる」のあたりの流れは、我らニューミュージック世代が、歌謡曲と差別化するためにあえて避けて通ってきた流麗さなんですが、照れずにいちばんきれいな旋律でまとめています。そこにスクラッチノイズが被るのも流行りではないけれど、気にせずやる。歌がうまく、歌詞も聞きやすいですが、ミスチル以降の流儀である1音符に複数母音を載せるやり方も使われます。また、「Flamingo」では松本隆~桑田佳祐~椎名林檎らがやってきた死語、古語、落語的口調の掘り起こしもやっています。
なにが新しいとか、今の流行が、というよりも日本の歌謡史を俯瞰した中から自分の好みに合うものをチョイスして、現代のクォリティでまとめた、大変良くできたものです。

印象としては、桑田佳祐(ベースに歌謡曲がある洋楽マニア)に近い、超雑食性を感じます。桑田佳祐はあれほどのエンターテイナーでありながら、ついにダンスだけは諦めているようなのですが、MVを見ている限り米津玄師はダンスもできるようですね。

次の時代の山下達郎、桑田佳祐になっていくのではないでしょうか。


2019/01/02

マリーゴールド/あいみょん

2019年あけましておめでとうございます。

慢性的ネタ不足により更新が停滞しています。英語が聞き取れないのでどうしても日本語で歌われているものを中心に追いかけてしまうことも原因です。そういえば年末に買い物ついでにタワーレコードに行ってみましたが、私が`"Working Girl"を引っこ抜いたあとのLittle Bootsの棚は空っぽのままでした。メーカー欠品(生産終了)か。

さて、年末の大型歌謡番組も見させていただきました。主にレコード大賞と紅白歌合戦。
結論から言うと、「歌謡ショー」としては両方ともなかなかレベルが高くなっていたと思います。全編すばらしいクォリティというわけではないけど、番組制作側で「ここは自信あるからじっくり見て(聴いて)」というメッセージは感じました。例えば「レコード大賞」でいえば、DA PUMPの"USA"のフルサイズ歌唱や、MISIAの2曲とか。紅白もユーミンが出てきてから一気に番組の格が上がり、最後のサザンオールスターズの2曲フル歌唱もいっそ清々しいほどの特別扱いで、しかもそれにちゃんと応えられるところまで成熟した桑田佳祐のエンターテイナーぶりも素晴らしかったです。で、この2つの番組の足を引っ張っていたのが、レコード大賞であれば「大賞の発表」であり、紅白歌合戦でいえば「紅、白、勝ったのはどっち?」という番組の根幹部分だということが面白いといえば面白い。もはやどちらも蛇足です。

レコード大賞受賞曲については、今更ここでどうこう言うものではないのだけれど、念の為、オフィシャルホームページで過去の受賞作リストを確認してみました。
https://www.tbs.co.jp/recordaward/winner.html#winner
毎年じわじわ更新されるリストにどんな曲が並んでいるか。
もしも数百年先に、20世紀後半から21世紀にかけての日本の大衆音楽を研究する人が、当時の第一級資料であるとしてレコード大賞の受賞者リストを参考文献として使用したとします。そこには悲しいことに新御三家も、山口百恵も、松田聖子もB'zも宇多田ヒカルも(ついでに藤圭子も)出てこない。運営側にそんな「歴史を刻んでいる」んだという意識があるのか、もう一度よく考えていただければ幸いだと思います。

さて、この話はとりとめもないので、なにかタイトルになる曲を見つけてこの投稿を締めていきたいと考えているので、今日はあいみょんの「マリーゴールド」を使わせていただきます。

新しい音楽はどこにある?と思って、若い人が作るものは新しいんだろうと思って聴いてみる。あるいは自分で近い将来(ずっと先延ばししているんだけど)、また曲とか作ろうとか思ったときに自分ができることがどこに残っているのかと「お勉強」のつもりで聴いたことのない人の曲を聴いてたりします。

でも、自分を含めた一般人が理解でき、伴奏があれば歌えるメロディというのはきっともう新しいものは出てこないのだろうと思います。今新しいものを作ろうと思うと、それはもうすでにある曲の断片の貼り合わせであり、腕の見せ所はその編集作業ということなんだろう、と。小林亜星が同業者を「盗作だ」と訴えて、驚くことに確かその裁判に勝ったと記憶していますが、あんな5音階の単純なメロディについて著作権を主張することについて、当時は心底驚きました。そんなこと言ったらあのメロディはフォスターあたりがすでに作っていたんじゃないか?「もう私は新しいものは作らない」と決めた人だけが、過去の作品を盾にそういう裁判を起こせるのではないかな?現役のうちは多少の貸し借りはお互い様だろう(しかも裁判になった2曲はたいして似てないし)と思うんですけど。

しかしそれでも、今日も新しいミュージシャンはデビューし、新作を発表し続けています。

あいみょんは1回なにかのテレビで「君はロックを聴かない」という曲を歌っているのを見たんだけど、とりあえず「あいみょん」という1分で考えたTwitterのアカウントみたいなアーティスト名にずっこけて、あまりちゃんと歌が入ってきませんでした。
その後、この年末の一連の大型音楽番組で何回か見ました。

試しにiTunesで検索したらストリーミングでいっぱい聞けるので流しっぱなしにしてみました。「新しい」というよりも、洋楽だったら「カントリー」ってラベルが付きそうな音楽です。自分たちが若い頃に聴いていた日本の音楽ともかなり直につながっているような、世代も年代も限定しない曲に思えます。これが若い人に受けているんだとすると、やっぱりいつの世にも保守本流ってのが必要なんだよな、ということです。平成30年の新しい商品として出す方もいろいろ考えたと思うんですが、あいみょんの場合はテイラー・スウィフトが流行っているのも良い呼び水になったのかもしれないですね。

で、気になる名前については来年の今頃あたりに改名するか名前の表記を変えてくると思いますよ、という予想をして今日はここまで。今年もヨロシク。




SCIENCE FICTION/宇多田ヒカル

前回の更新から2年近く経ってしまいました。その間に会社を定年退職したり引っ越ししたりで自分のことで精一杯でしたが、まあ晴れてほぼ自由の身(経済的にはどんどん不自由になるわけですが)ということで、これからは身バレしようが炎上しようが誰にも迷惑がかからないことになっています。 さて、...