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2009/05/07

綺麗ア・ラ・モード/中川翔子(その2)

今週の始めに、去年書いた中川翔子の話のところにaediftさんからコメントをいただきました。このBloggerのフォーマットはコメントが埋もれてしまうので、本文の方に出させていただきます。
この曲は、まずメロディの系統的には、80年代より前、ニューミュージックよりさらに前の(それこそ筒美第一全盛期の)70年代前半の、(このメロ自体が特にどれに似ているということではないが)尾崎キヨ彦や、ちあきなおみ(や和田アキ子)が歌いそうなトーンのものに「強いて言うなら」聞こえる。
 そしてサウンド、響きの雰囲気的には、それらに加えて、80年代後半以降の、オルタナロックの影響を受けたそれ以後のポップスに出てくる音使いが頻出。
 つまり、80年代前半の、松田聖子全盛期の音楽の雰囲気を多分ほとんど持っていない。その時代部分だけがなぜか抜けているというほどに。当時の聖子のアルバムも多く聞いているが、特に似ていると感じさせるような曲はない。
 端的に言っても、当時の音楽はもっと「垢ぬけ志向で軽やか」、これは「やや熱め」。
 単に筒美氏が自由に書いたらこうなってしまっただけなのか、百戦錬磨だった御大二人が、管理人さん仰るその「松田聖子ごっこ」を巧妙にずらしてやったらどうなるか、の作戦に意図的に出たものなのかはわからないが。
 ・・とまあ、個人的にはそういうふうにも思えます。

aediftさん、コメントありがとうございました。

大意としては80年代の松田聖子にはあまり似てないと思うよ、ということだと思います。

そうですね。記事を読み返すと確かに私が書いた「(当時の松田聖子を)忠実に再現」はあまりに筆が滑り過ぎなのは間違いありません。週に1回くらいは更新しようと毎回焦って書いているのでどうも話を単純化して進めようとしてしまいます。

というわけで本日は、aediftさんご指摘のオルタナロックの影響までは絶対に行き着きません(よく知らないので)が、良い機会なので普通科高校卒業程度の音楽知識で追加の考察を書かせていただきます。

「綺麗ア・ラ・モード」の何をもって私が「松田聖子風」と思ったのかからお話しします。
表面的な聴き方かもしれませんが、最初に思いついたのが「ガラスの林檎」です。どこがどう、とは指摘し辛いのですが、例えば「ガラスの林檎」のAメロと「綺麗ア・ラ・モード」のBメロを4小節ずつハ長調にして貼付けてみました。

ギターコードは私がいい加減に弾き語り用につけました。実際の演奏音を拾ったわけではありません。「やにいぬ」は16分音符4つですが、体裁が揃うように恣意的に変えてあります。
不自然な音域の跳躍がありますが、ハ長調で始まって途中で短調っぽくなる、というニューミュージック系作品はたくさんあるので、これもありかなと…。
8小節目をG7にして「ガラスの林檎」の頭に戻ることもできますし、E7を入れて「綺麗ア・ラ・モード」のサビに向かうこともできます。似ていると思うのは4拍子なリズムと私がFのコードをはめたあたりの雰囲気ですね。強いて言えばこの辺?と思うところを緑で囲んでみました。

ところがBメロ後半からサビに向かうと全然違ってきます。
きっかけは「ながいてがすき」の「ナガイテ」のソ#です。
ここから後ろの臨時記号付き音符の多さはニューミュージック系作家の聖子作品(シングル曲だけ考えています)ではあまり見られないものです。
ちなみに、引用した範囲では臨時記号付き音符は出てきませんが、この「ナガイテ」以降、「かみにふレる」「ちがうソおらー」「すきーとオったみずノおと」のカタカナがそう。ハ長調に直したにもかかわらずピアノの黒鍵を使わなくてはいけない音は、1コーラスの歌メロで数えてみるとじつに11個あります。

同じことを松田聖子全盛期のヒット曲でやってみます。
チェリーブラッサム(作曲・財津和夫)=0
赤いスイートピー(作曲・松任谷由実)=0
ガラスの林檎(作曲・細野晴臣)=0
天使のウインク(作曲・尾崎亜美)=1(A♭ 冒頭部の「つケてあげる」)
ハートのイアリング(作曲・佐野元春)=2(B♭ サビ「くれなイの」「くないケど」)
裸足の季節(作曲・小田裕一郎)=1(E♭ ワたしです)
風立ちぬ(作曲・大滝詠一)=4(A♭ したためテイます」「あなたガクれた」)

参考
中川翔子/綺麗ア・ラ・モード(作曲・筒美京平)=11(A♭、G♭、B♭、D♭)
郷ひろみ/裸のビーナス(作曲・筒美京平)=7(A♭、E♭、B♭)

たとえば私がギター片手に、マイナーコードの曲の最後に「あなたがここにいる」というメロディを作ったとします。

一段目は歌謡曲風で無伴奏でも唄いやすく、流麗ですが「い」の半音がウェットな感じがして、年寄り臭い、暗いとも言えます。
二段目はギターの伴奏に引っ張られて何にも考えずに出てきた感じ。フォーク?としてみました。
三段目は意識的に一段目に似ないように注意しながら作ったメロディ。コードのE7-Amを例えばEm7-FM7などに変えちゃうとニューミュージック風になるかな?と。

80年代ニューミュージック系作家の闘いは、いかに歌謡曲や演歌にならずに曲を作るかということだったんじゃないでしょうか?その時に特に忌避されたのが、終止手前の「い」の音。E7のソ#の音なんじゃなかったのかなあ、と。これをやると流麗過ぎて歌謡曲になってしまうから。いっそ転調ならビートルズもやってるからいいけど、この音を入れるのはいやだったんじゃないか?

松田聖子に起用された作家たちはニューミュージックの中でも優等生で、特に大滝詠一や尾崎亜美はそのレベルから抜けていたと思いますが、一般にニューミュージック系の人たちはそれなりに耳が良かったり、外国の音楽に対する知識が豊富だったりしたんでしょうが、抽き出しの数や系統だった知識については不自由だったと思われます。
それに加えて「歌謡曲と距離を取りたい」という思いの狭間で、わざと棒を飲んだようなメロディを作っていたんじゃないでしょうか?あるいは起伏を抑えたメロディの、バックの和音が変化して行くことのかっこよさとかを打ち出したり…。
そのことで、当時、片や既成の音楽として演歌や歌謡曲の存在(さらに近親憎悪としての四畳半フォーク)があって、その湿っぽさに辟易としていた若者を中心にした音楽ファンは、この感じを洗練、クールと捉えたのでしょう(私はたしかそうだった)。
今思い出しましたが、当時の若者(つまり私たち)の間ではファッションでもカラフルなものよりモノトーンな感じが流行っていました。そして人間臭いことはカッコわるいことで、いかに無味無臭無色なクールでドライな存在でいられるか、という意識がとても強かったと思うのです。

そして、この「綺麗ア・ラ・モード」において筒美京平がやったことは、ある程度は80年代松田聖子ごっこ(相棒の松本隆はその気だし)にはつきあいつつ、でも自分の持つ能力をデチューンしてまで「忠実に」つきあいはせずに、半音階を多用した流麗でカラフルなメロディを作った(しかも「参考」で上げた「裸のビーナス」もそうですが、無伴奏で唄ってもこの半音が取れない、というメロディになっていません。鼻歌でうたってもちゃんと元の音に帰って来れるのが流行歌として素晴らしいですね)。
その結果、「綺麗ア・ラ・モード」は当時の音楽が持っていなかった色(彩度)や湿度を持ったのではないでしょうか(aediftさんは「熱め」と書かれていますが、私は彩度と湿度の違いと考えました)。

サウンド面の考察は私の手に余りますので割愛させていただきます。

2008/10/28

綺麗ア・ラ・モード/中川翔子

この1ヶ月、結果として筒美京平作品をたくさん聴いてきました。Wikipediaによると1967年から専業作曲家として活動しているということですから、40年に渡って流行歌を作り続けているといることになります。作曲家別シングル売上枚数日本一、だそうで、恐ろしいことです。

そして、まったくの偶然だったのですが、数週間前に"HEY! HEY! HEY!"を見ていたら中川翔子が出てきて、新曲は松本隆/筒美京平コンビだと言って唄っていました。また、松田聖子を「神」とあがめているということも語っていました。ちょっと待て、プロフィールによると彼女は松田聖子が結婚した1985年生まれで、松田聖子が神がかっている頃(結婚直前の2年間くらい)のことは生では見ていないはず。若い彼女がどうしてそこまで影響されたのかは良く分かりません。亡くなった父親の影響、ということらしいのですが…。

なんにせよ、この曲は中川翔子がする「松田聖子ごっこ」のために松本隆と筒美京平が一肌脱いだ、ということなのでしょう。
実際には、松田聖子の代表的シングル曲は筒美京平よりも80年代ニューミュージックのアーティストが関わっているわけで、忠実にやるならユーミンか財津和夫を起用するのがスジですが、ちょっとそこまでのキャスティング(?)は無理だったか。ただし、筒美京平もアルバムには曲を提供しており、無縁ではありません。そしてこのコンビは前回までしつこく書いていた南沙織、太田裕美の曲を作っていた二人ですから、話はちゃんと繋がっています。

では聴いてみましょう。ソニー系のためiTSでは落とすことができませんので(とっとと白旗上げてiTSの軍門に下って欲しい。ソニー系にはよい邦楽のコンテンツが揃っていますからね)、アマゾンで注文してしまいました。



いきなりピアノのお稽古風イントロから、分かりやすいベースラインで進行していきます。この辺は80年代のニューミュージック系作家が好んだ(というか、それしかできなかったりもする)コード進行で、ストリングスが美しいアレンジと相まって、「野ばらのエチュード」から「ガラスの林檎」の頃の松田聖子のイメージを忠実に再現しています。筒美京平はフォークソング系アーティストの曲作りのマネも上手で、私はずっと「赤い風船」は吉田拓郎の曲だと勘違いしていましたし、「しあわせ未満」の転調する前にもそんな雰囲気があります。おそらく松田聖子ファンなら、アルバムの中の「xx」に似ている、と指摘できると思うのですが、残念ながら私はそれほど熱心な聖子ファンではなく、細かい元ネタの照合ができないのが残念です。ちゃんと勉強しておけば良かった!

TVで聴いていた時は「ずいぶんキーが高いなあ」と思っていましたが、これは私が絶対音感を持っていないせいで、楽器で拾ってみたらC#5くらいまででした。中川翔子の声質と、半音刻みで上がっていくメロディに騙されました。実際には1オクターブそこそこの範囲で歌メロができています。さすがアイドル歌謡を作り続けて数十年のテクニックは素晴らしいです。
大雑把にいうとA-B-Cと展開するメロディもAよりB、BよりCと尺が長くなっていくので、サビに行くまでが早い早い。この辺、今のJ-POPに望まれる構成というのをしっかり意識していて、前半の状況説明的メロディは極端に短く作ってあります。

一方、作詞の松本隆も松田聖子的単語(「矢」とか「次元」とか「硝子」とか)を散りばめながら、あいかわらず女の子の視点(今風に言うと目線か)からの描写がうまい。「薬指の長い手が好き」は、実際私の乏しい経験に照らしても、女の子ってのは男の「手」の形状を良く観察してますからね。竹内久美子的にも合ってる。ここの描写は「タバコの匂いのシャツ」に対応している部分だと思います。

中川翔子の歌唱は80年代当時のアイドル(松田聖子じゃないよ)のような破綻はなく、うまいと言えばうまい。
ただし、声がアニメソング的で匿名性が高く、名前を言われないと誰が唄っているのか分からない感じがします。松田聖子よりも森口博子に近い感じ。
やはり数週間前のことですが、週刊朝日で連載されている林真理子の突っ込みの甘い対談(あれは何故ホステスが林真理子なんだろう?そのレベルは文春の阿川佐和子と比べるまでも無い)に松本隆が出ていて、その中で(うろ覚えですが)「中川翔子はまだアイドルのコスプレをやっている状態だから、もっと自分をしっかり出せば大成できる」というような発言をしていました。多分、その辺のことを言っているのだと思います。今のままではカラオケボックスのスターで終ってしまう。声は出るので、そこに自分の肉体をのせるような表現をすれば、匿名性は克服されるんじゃないでしょうか?
しかし、彼女の実年齢は23歳。化ける時間が残っているのか?かなり微妙です。渡辺プロ(今はワタナベエンターテインメントだっけ)は昔からアイドルのデビューが遅くて、売れる頃には実年齢が大人になっていることが多いのです。今、彼女が16歳だったらすごい事になると思うけど。


ちなみにC/Wの2曲も良かったです。「カミツレ」は松田聖子でいうと"Rock'n Rouge"の頃のイメージ。こっちが「A面」でも良い。
3曲目の「約束」は斉藤由貴の「卒業」をなぞったような、ギターの3フィンガー奏法がハマるフォーク調。歌詞の道具立ても「レコード」とか「ウイスキー・ソーダ」とか昔のアイテムを並べて、何がしたかったのかというと、携帯電話が無い頃の若者の恋はロマンティックだろう?とお父さん(お爺さん?)世代から今を生きる中川翔子へのメッセージになっています。

Mine or Yours/宇多田ヒカル

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