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2019/05/05

日本の恋と、ユーミンと。/松任谷由実

 さて、とうとうユーミンがストリーミング配信されるようになりました。随分と掘りがいのある鉱脈に出会ってしまったものです。

 私は兄弟もおらず、基本的に昭和一桁の両親と見るテレビだけで幼少期の音楽体験をしてきましたので、ユーミンのことを知ったのは、随分と年長になってからのことでした。
 おそらく最初に聴いたのは母が午後に多分再放送で見ていた連続ドラマの主題歌として使われていた「あの日にかえりたい」だったと思います(なんのドラマだったんだろう。あまり重要なことではないので調べずに素通りしますが)。

 私にとっては検証をしないうちにとんでもない大きな存在であることだけが結論として伝えられたのがユーミンです。そりゃ私もバブル時代を生きてきましたし、「私をスキーに連れてって」もレンタルビデオで見ましたから、大人になった頃にはなんとか追いついたんですけどね。

 Wikipediaなどで確認してみると、1983年の「VOYAGER」から1995年の「KATHMANDU」までの干支一回りの間、判で押したように11月下旬から12月上旬にアルバムが発売されています。この間、日本人が毎年の暮れになるとユーミンのアルバムを買ってクリスマスを迎えることが国民的行事になっていたということがわかります。恐ろしや。

 で、荒井由実時代のことについては実はほとんどよく知らないということで、何年か前に慌てて「ひこうき雲」など買って聴いたりしたんですが、改めて表題のアルバムに収められた曲の中から荒井由実時代の作品に注意しながら聴いていると、そりゃまあ、我々の上の世代が崇め奉るのもよくわかります。私も今後は改めてユーミンの旧作をアルバム1枚ずつ、ゆっくり味わってみようと思っています。

 大衆音楽家の先進性というのは、当然、その時代と込みで考察されるべきであり、当時の荒井由実が出てきたときに他にどんな音楽が流行していたかを考えるとその突出ぶりはすごいです。例えばアルバム「ひこうき雲」が発売された1973年のヒット曲をWikipediaでひろってみると、「おんなの道」「喝采」「危険なふたり」とか梶芽衣子「怨み節」とか出てくるわけですよお立ち会い!
 若者(大学生あたり)に対象を絞り込んだとしても「神田川」「心の旅」「ひなげしの花」「てんとう虫のサンバ」とか…。おそらく多少なりとも音楽に関心がある人にとっては、1999年当時の宇多田ヒカル「Automatic」がそうだったように、「これは買って聴かなければいけない」とつき動かされるような新しさがあったことは間違いないと思います。

 初期のユーミンを聴くことは、はっぴいえんどの流れを汲むキャラメル・ママまたはティン・パン・アレーの演奏を楽しむことでもあります。今の高度に処理されたカラオケを聞き慣れた耳には、多少もたつきを感じさせる箇所もあるような気がしますが、当時最新の演奏法を取り入れ解釈し再現することの初々しさを感じさせ、逆にすーっと聞き流すことを許さない演奏になっていますね。

2019/05/04

The Best Year of My Life/オフコース

 過去に何度か名前だけ出して項目を作っていなかったので、1984年のアルバム「The Best Year of My Life」の話も書いておきます。

 オフコースの最盛期はやはり武道館10日間コンサートをやりきった1982年でしょう。前年の秋にはNHKがアルバム「over」のメイキングを「若い広場」の枠でドキュメンタリーとして放映しましたし、6月の武道館公演あとの9月にはTBSで2時間の特番「NEXT」が放映されました。シングルヒットとしては1980年の「さよなら」が突出していますが、その後のライブの動員やアルバムの売り上げは82年の方が大きかったと思います(すみません、すべて記憶で書いていますので、ちゃんと知りたい方はちゃんと調べましょう)。
 しかし、武道館コンサートを区切りとして、グループ結成以来のコンビだった鈴木康博が脱退したことで、オフコースは無期限活動停止してしまいます。天下を取ったような、もう少し上に行けたような、微妙な状態でした。大メジャーになるチャンスを自ら放棄したようなその活動停止は、当時の経過をやはりドキュメンタリーとして執筆していた故・山際淳司に「オフコースは早漏だった」と書かれてしまいました。

 そしておそらくいろんな事情で、鈴木康博がいなくなった4人のまま、1984年にオフコースは活動を再開し、今日のお題であるアルバム「The Best Year of My Life」を発表します。先行シングルである「君が、嘘を、ついた」はなぜかフジテレビ「オレたちひょうきん族」の「ひょうきんベストテン」コーナーにご本人登場という形でプロモーションビデオが本邦初公開されました(よく覚えてるなあ、我ながら)。「スリラー」以降、世界的に流行した凝ったプロモーションビデオを作っていたのもこの頃ですね。

 4人になってからのオフコースのナンバーは、最近になって何度も発売されるベスト盤でも冷遇されているみたいで、「YES-YES-YES」の後すぐに「君住む街へ」になっておしまい、みたいなのが多いんですが、私はこの頃から解散手前までのオフコースの曲が好きでした。とはいえ、一般の人にとっては後期オフコースの曲って、「君が、嘘を、ついた」でだいたい完結していると思いますから、このアルバムはお買い得だと思います。後期オフコースのライブで欠かせない、「夏の日」「緑の日々」も入っていますし、私が以前、AKBの「ラブトリップ」に(が、ですね)似てると書いた松尾一彦のナンバー「愛を切り裂いて」も入っています(笑)

 5人時代のオフコースは良くも悪くも小田・鈴木の二頭政治の緊張感がすごくて、小田さんも異常にストイックな感じの曲作りと歌いぶりだったんですが、4人体制になって誰がどう見ても「小田バンド」になった小田さんは、いい意味で曲作りにも歌いっぷりにも少しではありますが中年らしい「生臭み」が加わってきます。「よるがなあがれえていくう」みたいに高音で大きなコブシを回す感じとか「いきがとまるうーううー」の唸りとか。歌詞も恋愛がらみの即物性が加わってきます。

 以降、ライブでもサポートメンバーを入れることが前提になって、それまでほとんど使ってこなかった金管の音や打ち込みのリズムを使い、明らかにジェネシスおよびフィル・コリンズ風の分厚いロックサウンドを臆面もなく展開するようになりました。

2019/05/03

K.ODA/小田和正

 連休中に気が大きくなったので、iMacの画面下で鳴らすためのBluetoothスピーカーを買ってきました。BOSEのSondLink Mini Ⅱです。ビックカメラのポイントが何千円ぶんかあったので、ちょっと足してJBLあたりの8,000円くらいのを買ってくるつもりでしたが、たまたま「再販されました!」とか書いたPOPがついてたもんだから。
 おかげで予算に対して経費が倍になってしまいました。

 さて、新しいスピーカーで何を聴こうかと思うと私の場合はオフコースの「over」がどう聞こえるのかってことになっているのですが、そういえば久しぶりに昔の小田さんも聴こうかと思って、昔カセットで買った気がする「K.ODA」を改めてiTunes Storeで落としてみました。バラで1曲250円、アルバム8曲2,000円。まんまやん!

 さて、この「K.ODA」はオフコースの末期活動中だった小田和正が満を持す形で世に問うた初のソロアルバムです。発売は1986年、この後オフコースを1989年に解散、あの「ラブ・ストーリーは突然に」が1991年です。
何も知らない人に「小田和正は何を聴けば良いか?」と尋ねられたら、ソロならこのアルバム(オフコースなら「over」と「The Best Year of My Life」ね)と答えます。そのくらいこのアルバムは小田和正のど真ん中にあるアルバムだと思います。オフコース好きだけど、松尾一彦の声とかいらないんだよねー、という人、小田さんの声だけでオフコースを聴きたい人はこれを聴けば良い。そのくらいオフコースの音楽と地つづきですし、「ラブ・ストーリー〜」以降の小田サウンドへのブリッジとしてもわかりやすいです。

 1曲めのタイトルが「切ない愛のうたをきかせて」。すごいでしょ。時はニューミュージック末期、数年後にはレコード屋さんのコーナー分けも「J-POP」とか書き始める寸前のこの頃、小田さんが見つけた「ニューミュージック」の最終定理の解=「切ない愛のうた」が最初に置かれているわけです。実は玉置浩二も気づいていたようなのですが、タイトルとして残したのは小田和正でした。オフコース自体は自分たちが「ニューミュージック」であると規定していたわけではないようですが、それはL'Arc-en-CielやGLAYが「俺たちはビジュアル系じゃない」と言っていることと世間の目のギャップ、とほぼ同じことなんだと思います。

 「K.ODA」に戻りますが、小田さんが作る切なくて売れそうな曲の展示会のようなアルバムで、どれをシングルにしてCMタイアップにしても絶対嵌る、捨て曲が一つもないです。

2011/04/24

A LONG VACATION 30th Edition/大滝詠一

1981年、私が大学入試に向けて「受験勉強」などしている頃に発売され、当時のFMラジオと大学生のカーステレオを占拠していたお化けのようなアルバムが"A LONG VACATION"でした。
私はこれをミュージックテープ(カセット)で買って、確か「サンヨーおしゃれなテレコ」で聴いていたのではなかったか?(我が家は私が生まれて以来ずっとアパート住まいだったので、ついぞ大型ステレオセットやオーディオコンポには縁がないまま、現在に至る)

その後長じて自らマイカーを持つようになり、カーステレオにCDが装着されればCD版を買い足したり、度重なる引越しでそのディスクのありかが分からなくなったりもしながら、付き合ってきました。そんな先日、3月の終わりに銀座山野楽器に行ったら、店頭に"30th Edition"と書いた新盤が陳列されているのを見て、通算何枚目か分かりませんが買ってきてしまいました。なんたって、今回はボーカル無しトラックがかっきり全曲分別ディスクで付いているので、コレクターズアイテムとしても貴重です。

大滝詠一作品についてはものすごく詳しい人がさんざん解説を書いていますし、ご本人があちこちで解説しまくる(今ならとりあえず「レコード・コレクターズ 2011/04を買うべきでしょう)ので、今さら素人がなにかコメントすることも無いです。
それでもラジカセの10cmスピーカーで聴いていた時代から、だんだん聞こえる音が多くなって、いよいよiPhoneにつないだヘッドホンやBOSEのPC用モニター(これもスピーカーはちっちゃいけど)を使って改めて聴いてみると、このアルバムの情報量の多いこと!
この30年、ミニにタコじゃない、耳にたこが出来るほど(結局、表現がなんか違うがw)聴いているはずが、実は全然聴こえてなかった音があることや、逆に自分の頭の中で勝手に付け足していた音があったことにまた気が付きました。30年経ってまだ味が出てくるか!
ボーカル無しディスクの方は喉の調子がよければ車で聞きながらひとりカラオケで遊ぶのにも絶好。どうせ歌詞は全部頭に入ってますからw ただ今は、3月の喉風邪以来、得意のファルセットが全く出ないので、大滝風歌唱が出来ないのが残念。早く治そう。

さて、大滝詠一はこの作品の後、1984年に"Each Time"を出して以来、ほとんど新しい作品を発表しておらず(一度、木村拓哉のドラマ主題歌をやったくらいで)、精神衛生上はもう新作を待つのは諦めた方が良いです。しかし実はこのような過去の作品の音源発掘や再構成されたCDをコンスタントに出し続けていて、これらすべてを収集しようとすると実はもう、恐ろしいほどのアイテムがあります。「彼は常に新作を出し続けていて、追いかけるのが大変なんだ!」と言えてこそ「真の大滝詠一ファン」を名乗れるのかもしれません。あたしにゃ無理だけど。

2010/11/28

グッバイ/小田和正

宇多田ヒカルと並んで好物である小田和正の新作が出ました。なんやら獣医ものドラマのタイアップになっている「グッバイ」です。

いつかも書いたんですが、小田さんは意識としては郷ひろみと似ているのではないかと思います。郷ひろみが50代半ばになってもジャケットをぴらぴらさせながら舞い踊るのと、小田さんが60過ぎてハイトーンで熱唱するのは、「精進が年齢を超越する生き方の実践」をファンに見せたいからとしか考えられません。そしてそれは歳相応に老いて行く同年輩(の同業者やひょっとしてファン)への批判でもあります。

それにしても最近の小田さんのマンネリズムはもう確信犯を通り越してストイックさすら感じます。
裏にアクセントのあるアコースティックギターとタンバリンは「YES-YES-YES」や「BETWEEN THE WORD & THE HEART~言葉と心」などのやり直しでしょう。歌詞も相変わらず、夏は終わるし、夢はくじけそうになるし、風は強く吹いています。おまけにサビが「Goodbye Goodbye Goodbye~」って、「さよなら さよなら」が英語になっただけ、というオチまで!

小田さんの歌詞は「じつは何も言ってない」ということにかけては最近のJ-POPの嚆矢ではないかと私は思います。
具体性が非常に乏しい。
「この」「その」「そんな」「そのまま」などの指示語がなんの前触れもなく使われ、単なる字数稼ぎではないか?詩作の作業から逃げてるのではないか?と。
だから世の中に「小田和正全詞集」なんて出版物があることを知ったときは驚きました。
好意的に解釈すると、彼の場合は下世話な具体性に満ちた同年輩の「フォーク」に対するアンチという意識が強かったから、という考察も成り立つのですが、今の大多数のJ-POPの、「じつは何も言ってない歌詞」の氾濫を見るにつけ、小田和正(オフコース)の負の遺産ではないかと思ってしまいます。

2010/03/07

ひこうき雲/荒井由実

先日、TwitterのTL上でちょっと盛り上がったのが、以前にNHK BS2で放映された荒井由実「ひこうき雲」のビデオ。
元々、私は受験が終わった1982年の春に教育テレビで再放送されたオフコースのアルバム、"over"のメイキングを見てから音楽趣味が高じた経験者なので、このテの番組は大好物ですが、BSを視聴できる環境になかったので見ることが出来ませんでした。
Twitter上で教えてもらったときは全編分が6分割されてYouTubeに上がっていた(今は全編は見られないようです)ので、しっかり見ました。おかげで普段はカーグラTVでしか知らない松任谷正隆が音楽をやっているところを初めて見ることができました。

オフコースのメイキングがどちらかというと制作手順の面白さだったのに対して、「MASTER TAPE -荒井由実“ひこうき雲”の秘密を探る-」はミュージシャンの芸そのものにスポットが当たっていて、見る順番が違ったら私ももうちょっと楽器演奏そのものにこだわって、少しはギターの腕前が上がっていたかもしれません。

そこではたと気づくのが、私は荒井由実をちゃんと聴いてないということ。私の年だと、音楽的に早熟な人は別にして、「松任谷由実」になってからの音楽しか聴いてないと思うんです。ドラマの主題歌になった「あの日にかえりたい」は母と一緒にテレビ見てれば聴こえてきましたが、基本的にテレビに出ない人だったので子どもの目にはとまりにくかったのです(いや、当時の子どもなりのたしなみとして名前ぐらいは知ってましたけど)。

せっかくの出会いなので、「ひこうき雲」を聴いてみようじゃないかととりあえずiTunesで「荒井由実」と入れてみたら一発検索。「ひこうき雲」も「ミスリム」もiTSから落とせるじゃないですか。
荒井由実 - ひこうき雲
「ひこうき雲」は1973年の発売で、バックを勤めている細野晴臣と鈴木茂がいるキャラメル・ママは、解散間もないはっぴいえんどの発展型でもあります。「ひこうき雲」は荒井由実のデビュー・アルバムであると同時にはっぴいえんどのその後を追うためのアルバムでもありました。件のNHKのビデオではユーミン自身は「イギリスのロックが好き」と言っていて、一方キャラメル・ママはアメリカンな方向。そのせめぎあいと融合が「ひこうき雲」だった、という発言が収められていました。

さて、中身を聴いてみましょう。
はっぴいえんどにはいなかったキーボーディストとして松任谷正隆がピアノとハモンドオルガンを弾いていて(ピアノはユーミンも弾いています)、1曲目の「ひこうき雲」を聴いていると「青い影」を思い出します。いわゆるシンセサイザーが普及する前、ハモンドオルガンは一種の波形加算型シンセ(波長の異なる正弦波を重ねることで音色を作る)として使われています。
「雨の街を」はユーミンには珍しいどっぷりマイナーな曲かと思うと、とちゅうでファラミーと跳躍して、「お、来た来た!」と思わせます。何処かで聴いたな、と思ってたら、TAK MATSUMOTOのカバーアルバム、"THE HIT PARADE"で松田明子という人が歌っていたのを聴いていました。
ユーミンの歌い方はずっと変わらず、人工的でクールと思い込んでいましたが、このアルバムではそれなりの青さ、若さのほとばしりを感じさせ、当時の若者の支持を集めた訳がなんとなく分かりました。

さて、当時のフォークソングが、歌詞の意味重視でサウンドやテクニックは二の次だったときに、ユーミンは詞、曲、アレンジの3つが高いレベルでバランスした、しかも若い世代の手による新しい音楽ジャンル(ニューミュージック)を開発しました。
ユーミン以前にも、自分で作詞作曲した手作りの音楽でありながらアレンジやサウンドを重視した音楽を志向していた人たちがいましたが、そういう音楽性の人たちは本人のキャラクターが薄く、大衆音楽として大きく成功した人がいなかった。ユーミンをきっかけに「ニューミュージック」というジャンル名ができたことによって、改めて飛躍のきっかけを掴んだ人は多かったと思います。

例えば赤い鳥が解散してハイ・ファイ・セットが結成されたのが1974年です。ハイ・ファイ・セットはユーミンのカバーを多く歌っています。

また、オフコースは1970年にレコードデビューしていますが、1973年というと、初の全曲オリジナルのアルバム「僕の贈りもの」を発売したところ。1975年にユーミンを意識したと思われるアルバム「ワインの匂い」とシングル「眠れぬ夜」を発表します。頭の中で「もしも小田和正が『ひこうき雲』を歌ったら」というネタをやってみてください。違和感ないでしょ?

さらに山下達郎がシュガー・ベイブでデビューしたのが1975年、尾崎亜美(デビュー時からポスト・ユーミンと言われた)のデビューが1976年です。この二人にはそれぞれ大滝詠一、松任谷正隆が関わっています。はっぴいえんどからつながる人脈の輪の中でユーミン、タツロー、尾崎亜美がその第一歩を踏み出しているということを思うと、その影響力に改めて愕然となりますね。

2010/01/24

Expressions[Disc 1]/竹内まりや

竹内まりやの3枚組(4枚目はカラオケ)ベストの1枚目です。
90年代にはソングライターとして松任谷由実、中島みゆきと並ぶ位置を確立した彼女ですが、1978年のデビューから山下達郎と結婚するまでは、基本的に作家に提供された楽曲を歌う歌手でした。同期をWikipediaで拾うと石野真子、杏里、中原理恵、サザンオールスターズ…。時代はピンク・レディーの全盛期であり、沢田研二と山口百恵がザ・ベストテンで歌う一方、アリスのブレイクや原田真二、世良公則&ツイスト、渡辺真知子らが現れた「ニューミュージック」の開花期にもあたります。

竹内まりやは大卒後のデビューという年齢的なものもあってか、太田裕美や中原理恵がそうだったようにアイドルとニューミュージック・シンガーの中間的イメージでテレビに出ていました。一番良く見かけたのは年末賞レースがらみで「September」を歌うところです。「September」の発音がなんか本場モンぽく、ちょっと偏差値が高そうな感じでした。
70年代デビューの女性歌手の中ではもっとも現役感がある人なので、もっと若いと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、南沙織、太田裕美とほぼ同い年で、大器晩成タイプとも言えます。
それでは聴きましょう。

M1.戻っておいで・私の時間
加藤和彦夫妻の楽曲。オシャレだが素人の耳に残りにくいですね。ゴダイゴのブレイク以前にしては英語部分が多い。

M2.グッドバイ・サマーブリーズ
これ、全く憶えてないわ…。歌詞カードはカタカナですが、本人は英語風に歌っています。またそれを許す譜割りになっています。

M3.ドリーム・オブ・ユー〜レモンライムの青い風〜
これは有名ですね。キリンレモンのコマーシャルソング。個人的にはまだ顔と歌が一致しておらず、意識して聴いたことはありませんでした。

M4.涙のワンサイデッド・ラヴ
ワンサイデッドと過去分詞がカタカナで表記されるのは当時の曲名としては珍しかったと思いますよ。これはアルバム用ということですが、自身の作詞作曲で、編曲には早くも山下達郎の名があります。

M5.September
前年に同い年の太田裕美が「September rain」と儚げに歌っていた単語を、彼女は乾いた声で、バリバリのRの発音で歌いました。この曲で集中的にテレビに出たので私もようやく竹内まりやを認知しました。私の第一印象は「南沙織が風邪ひいたみたいな声だなあ」。もっと年配の人は「伊東ゆかりみたいな声だなあ」と思っていたみたいです。

M6.不思議なピーチパイ
シンガー・ソングライターとしての作品以外ではもっとも成功した曲でしょう。安井かずみと加藤和彦のコンビによるポップな曲。当時はCMもガンガン流れててサビはいやでも覚えたし、しかもCM曲によくある「サビまでいくまでが退屈」ということもありません。前半からめくるめくように展開して、一気にCMで使われる箇所まで行ってしまいます。さすが!「かーくしきれない(っぱん)」と入るハンドクラップが効いてます。コーラスには山下達郎の声が。

M7.象牙海岸
松本隆と林哲司の作品ですが、ちょっと退屈。この頃の竹内まりやって歌い方が一本調子でこういうミディアム・スローなナンバーを聴かせられるタイプではなかったようにも感じます。アレンジはいろいろ頑張って変化をつけているんですけどね。

M8.五線紙
ギター1本の伴奏に3声コーラスという渋い曲。「いかにも松本隆」という歌詞で、メロディが変われば太田裕美のアルバムに入っていても全く違和感が無いでしょうね。

M9.Morning Glory
山下達郎のを先に聴いちゃったからなあ…

M10.僕の街へ
竹内まりやに対して林哲司が提供している曲は、いまいちキレが無いように思うのは何故だろう?なんかこう、この子の声はこう、と枠を決めてそこから一歩も踏み出さないような作り方をしているような気がする。それが悪いのかと言われると「いや、べつに…」としか言えないんですが。

M11.ボーイ・ハント(Where The Boys Are)
これはもう、もろに伊東ゆかりに挑戦したわけですね。

M12.恋のひとこと(Something Stupid)/Duet with 大滝詠一
これはオシャレ。しかも相手が大滝詠一。アレンジが服部克久という豪華版。

M13.Never Cry Butterfly
「スローなブギにしてくれ」みたいですが、作曲は南佳孝ではなく杉真理。学生時代に杉真理と活動していた、と自筆ライナーノーツに書いてあります。なるほど、そういうルーツの人なんですね。

M14.Let It Be Me [Studio Version]
2008年の新録音だそうです。サンデーソングブックの夫婦放談でも聴いたことがある曲。山下達郎とのデュエット。

気が向いたら来週辺りに[Disc 2]をやります。

2009/08/29

夏の終り/オフコース

今年の秋はいつもの秋よぉり、長くなりそなそんな気がしますね。
今週は仕事で東北に行ってきましたが、夏がくるまえに秋が来てしまったような、そんな天気でした。


小田和正はあちこちのインタビューなどで「季節で好きなのは夏の終り」と答えています(ソースは明示できませんが、好きな人は調べてみてください)。そんな自分が好きな季節をまんまタイトルにしたのが「夏の終り」です。初出は1978年のアルバム"FAIRWAY"のB面1曲目。
オフコース - i (ai)~Best Of Off Course Digital Edition - 夏の終り

1978年頃のオフコースは知ってる人はすごくよく知っているが、TVで流れる音楽しか知らない人には「誰、それ?」というレベル。この曲もシングルでヒットするようなとっかかりがありません。
それでも後のキリンジそっくりな小難しさ(キリンジの方が似てるんですけどね。もちろん)はかなり抑えられ、鼻歌で歌えるようなメロディですが、それでも不思議な拘りも残っています。
イントロ無しでいきなり始まるアカペラコーラス部分では裏にアクセントがあるのに、楽器が重なってくる(すてーきにーみえるーの直後)と突然3拍目の頭にアクセントがある8ビートになる、というこの切り替わりが何を表現しているのか、私には今も分かりません。

さて、小田和正の声域は広く非常に高い、という印象があります。この曲の歌メロではE3-A4の範囲を使っています。なつはーふゆにーの「にー」が最高音。エンジン掛けたらすぐ7000回転みたいで、歌うのが大変です。また、地声かファルセットか、男なのか女なのかどちらにも取れるように声が加工されていて(コンプレッサーと、なんだろう)、あまり力強い感じはしません。メロディもちょっとユーミンから借りてきたような部分があり、"We are"以降にはっきりしてくる「小田節」は完成していない模様。
この後、バンドの音がよりハードになるに連れて、曲は一段とシンプルになり、唸るような強い声を出すようになります。音域もB4くらいまでが常用されます。

「小田節」が完成するのは「君が、嘘を、ついた」なんですが、秋の夜長に"FAIRWAY"、"Three and Two"、"We are"、"The Best Year of My Life"の一気聴きなどをやって、小田和正の変貌ぶりを研究するのも面白いですよ。

2009/07/04

Around40 〜サマフォー〜/オムニバス

このタイミングならMJ問題とかやればアクセスが稼げるんでしょうが、見解が持てないので分かりやすい邦楽オムニバスの話にします。

TVでコマーシャルもやってた気がする恥ずかしいオムニバスアルバム「サマフォー」を買ってしまいました。なんでも人気投票かなんかやって選曲して、帯には「今の私も歌えちゃう15曲」なんて書いてある、ぁぁああ…。


01 夏を待ちきれなくて/TUBE
季節労働バンド、とかの自虐ネタも含めて「偽サザン」ぶりが板についた頃の1曲。あー、こんなにテンポがゆっくりだったんだ。前田亘輝が一番声が出てた頃なんでしょう、1オクターブ半を越える歌メロをゆうゆうと歌っています。
(ボーカルの音域、以下同じ:E3-A#4) 

02 世界で一番熱い夏/プリンセス プリンセス
しかけが一杯で楽しい曲ですね。過去に聴いた名曲を俯瞰して、良いところを抽出して書いているのが良く分かる。奥居香はそういう作家みたいです。サビの元ネタは"Can't Take My Eyes off of You"でしょうか?奥居香は一番目立つサビを引っ張ってきましたが、広瀬香美はAメロとBメロを巧妙に使って「ロマンスの神様」を作った。私はそれにずっと気づかなくてつい最近気づいて、今は「今夜飲み会〜」のあたりで「もう気づけよ、もう気づけよ」と云われている気分になる(余談)。
(A3-C#5)

03 私の夏/森高千里
ブレイクした前後の金属的なサウンドはすっかり改められて超オーソドックスなバンドサウンド。こういう「へたうま」な感じって、世知辛い今の世の中で新しく出てくるのは難しいんでしょうね。
(G3-C5)

04 夏の扉/松田聖子
あーこれ高校生のときだ。吹奏楽部が文化祭でやってた。
この曲って1オクターブで出来ているんですね。
(B3-B4)

05 モニカ/吉川晃司
この曲はもう、当時いろんなこと云われ尽くした気がします。今回改めて聴いてイントロが「フットルース?」と思ったけど、どっちが先か分からないくらい同時期なんで見立て違いでしょう。
(F3-F4)

06 アクアマリンのままでいて/カルロス・トシキ&オメガトライブ
男性ボーカルとしては驚くほど高いところ(F4あたり)から始まるので、どうなっちゃうのかと思うと意外と常識的な音域で収まる不思議な曲。転調を絡めながら絶対的な音域は1オクターブ。最後に転調したコーラス部分ではA#くらいまで使っているみたいですが。稲垣潤一と同じタイプで、うまいのか下手なのかよくわからない歌いかたです。
(G3-G4)

07 ふたりの夏物語/杉山清貴&オメガトライブ
杉山清貴については「うまい・へた問題」の時に書いたので、声については割愛。チョッパーベースとクリアなギターカッティングのバックに、レファドラとかファラミドとかM7コードをシンセでバラして弾いたサウンドに乗った、「白いセダン」と「海」と「人魚のようなオネエちゃん」が出てくる歌っていうのがいっぱいあったんだよなー。「キール」と「ディンギー」がなんなのか結局分からないままカラオケで歌ったなぁぁああアア…(脳みそが痒くなってる様子を表現中)
(F3-G4)

08 ラストショー/浜田省吾
浜田省吾は買って聴いたことがないです。大学時代、父が失業してて貧乏だったので名古屋の大学生としては致命的なことに車を持っていなかった僕は、いつも友人の車に便乗させてもらっていました。その間に助手席でお腹いっぱい聴いちゃった感じです。感性がすごく普通で、基本真面目なんだけどちょっと不良っぽいのにも憧れる当時の健康な男の子の気持ちとシンクロしやすかったのでしょう。僕は若い頃から病んでいたので、ちょっとこの世界は恥ずかしかったです。ボーカルと歌詞が暑苦しい割にコーラスの感じとかは杉真理なんかと共通な可愛さがあり、そのアンバランスさにも抵抗がありました。
このCDに入っているのは91年のリメイク版だと思いますが、後の作品"J.BOY"と良く似ています。
(F3-F#4)

09 夏のクラクション/稲垣潤一
あ、噂していたら出てきましたね、稲垣潤一。
この人も以前書きましたので、詳細は割愛しますが、この曲は意外と低音も使っています。声の出しかたが上も下も変わらないので、そういう意味ではうまいのでしょうね。
この曲の情景を想像すると、お金のない稲垣潤一はいつも彼女に車で送ってもらってたんでしょうか?石巻あたりの人でしょうか?2番では波間で手を振ってるし、訳が分からん。「夏のクラクション」って、響きはカッコいいが意味を考えると結構まぬけです。
(D3-G4)

10 夢をあきらめないで/岡村孝子
世の中にレンタルビデオというものが現れたとき、狭い部屋で両親と同居していた私は、あまり物騒なものも借りられないので、音楽ビデオをよく借りて見ていました。岡村孝子のライブというのも借りてきましたが、そのMCのエンターテインメント精神のかけらもないところやたまにキーボードの前に座ると小節の頭のコードを白玉で弾くだけという演奏スキルに半ば呆れつつ、善意の塊のようなファンとの関係にちょっと鼻白んだ覚えがあります。
ところでこの曲のどこが「サマー」なんでしょうか?「乾いた空」は私の感覚では晩秋から冬の季語だと思いますが…。
(G3-A#4)

11 MOON/REBECCA
この曲も、ひとことも夏という言葉は出てきませんが、音色(おんしょく)は夏といえば夏のような気がするからまあいいか。歌詞をじっくり読むと、バブル前夜の80年代後半の日本にも階級らしきものがあったことが分かりますね。日本の音楽って一部の極端な例を除いて社会性とか感じないんですが、そういう意味では洋楽的アプローチなのかな?こういう音がかっこ良かったんだよなー、この頃。
(B3-C#5)

12 LA・LA・LA LOVE SONG/久保田利伸 with ナオミ キャンベル
この曲も歌詞というより音そのものが夏、という見立てでしょう。
「メリーゴーラウンド」と「(とーまる)くらいの」のメロディが、ミミレミなのかミレレミなのかどうしても聞き分けられません。
(D#3-G#4)

13 あなたに会えてよかった/小泉今日子
この曲も夏とは云ってませんが「星」とか出てくるので、我々にとって「星空を見る行為」が夏なのかな?キャンプとか林間学校とかのイメージ?プロは冬なんでしょうが。あるいは「素敵な恋」が夏?猫じゃないんだからさあ…。
小泉今日子の歌唱力はデビュー当時からほとんど変わっていませんが、うまくオーラを纏うことでOKにしてしまえた違う意味での実力派。
(A#3-B4)

14 サマータイム ブルース/渡辺美里
イントロ-A-B-A-B-C-A-B-C-D-間奏-C-D-D-D-エンディング。Cだけ転調。本当のサビ(D)がなかなか出て来ないけれど、ひとたび出てきたら後は間奏を挟んで畳み込み、という大きな構造の曲です。音域も広く、いかにも渡辺美里と言う感じ。作曲は誰だろうと思ったら本人の名前が書いてありました。へえ。
(G3-C5)

15 夏の終わりのハーモニー/井上陽水・安全地帯
それで最後がこれですか?ベタだなあ。どのくらいベタかというと、名古屋の外れのスナックに地元中小企業の若手社員が集まって好き勝手歌いまくって、閉店時間になるとリーダー格(主任クラス)が「マスター、あれ」とか云って代表2名で必ずこの曲を歌って帰っていた、というくらいベタです。
今のJ-POPからすると最低音がかなり低いですが、本来日本人男子の音域というのはこの辺が普通。上のFが出ると高い声が出る、と褒められたものです。今はカポ4つ分くらい上ですね。
(B2-F#4)

このシリーズはまだ続くらしく、CDの中に「Around 40 "バラードソング募集"」という紙が入っていました。インターネットで応募できるらしいです。ぁぁああア!
ちなみに会社の同僚にこのサマフォーを「貸してやろうか?」と云ったら「音源全部あるからいらん」と云われました。カルロス・トシキは無いだろう、と思うんだけど…。

2009/05/07

綺麗ア・ラ・モード/中川翔子(その2)

今週の始めに、去年書いた中川翔子の話のところにaediftさんからコメントをいただきました。このBloggerのフォーマットはコメントが埋もれてしまうので、本文の方に出させていただきます。
この曲は、まずメロディの系統的には、80年代より前、ニューミュージックよりさらに前の(それこそ筒美第一全盛期の)70年代前半の、(このメロ自体が特にどれに似ているということではないが)尾崎キヨ彦や、ちあきなおみ(や和田アキ子)が歌いそうなトーンのものに「強いて言うなら」聞こえる。
 そしてサウンド、響きの雰囲気的には、それらに加えて、80年代後半以降の、オルタナロックの影響を受けたそれ以後のポップスに出てくる音使いが頻出。
 つまり、80年代前半の、松田聖子全盛期の音楽の雰囲気を多分ほとんど持っていない。その時代部分だけがなぜか抜けているというほどに。当時の聖子のアルバムも多く聞いているが、特に似ていると感じさせるような曲はない。
 端的に言っても、当時の音楽はもっと「垢ぬけ志向で軽やか」、これは「やや熱め」。
 単に筒美氏が自由に書いたらこうなってしまっただけなのか、百戦錬磨だった御大二人が、管理人さん仰るその「松田聖子ごっこ」を巧妙にずらしてやったらどうなるか、の作戦に意図的に出たものなのかはわからないが。
 ・・とまあ、個人的にはそういうふうにも思えます。

aediftさん、コメントありがとうございました。

大意としては80年代の松田聖子にはあまり似てないと思うよ、ということだと思います。

そうですね。記事を読み返すと確かに私が書いた「(当時の松田聖子を)忠実に再現」はあまりに筆が滑り過ぎなのは間違いありません。週に1回くらいは更新しようと毎回焦って書いているのでどうも話を単純化して進めようとしてしまいます。

というわけで本日は、aediftさんご指摘のオルタナロックの影響までは絶対に行き着きません(よく知らないので)が、良い機会なので普通科高校卒業程度の音楽知識で追加の考察を書かせていただきます。

「綺麗ア・ラ・モード」の何をもって私が「松田聖子風」と思ったのかからお話しします。
表面的な聴き方かもしれませんが、最初に思いついたのが「ガラスの林檎」です。どこがどう、とは指摘し辛いのですが、例えば「ガラスの林檎」のAメロと「綺麗ア・ラ・モード」のBメロを4小節ずつハ長調にして貼付けてみました。

ギターコードは私がいい加減に弾き語り用につけました。実際の演奏音を拾ったわけではありません。「やにいぬ」は16分音符4つですが、体裁が揃うように恣意的に変えてあります。
不自然な音域の跳躍がありますが、ハ長調で始まって途中で短調っぽくなる、というニューミュージック系作品はたくさんあるので、これもありかなと…。
8小節目をG7にして「ガラスの林檎」の頭に戻ることもできますし、E7を入れて「綺麗ア・ラ・モード」のサビに向かうこともできます。似ていると思うのは4拍子なリズムと私がFのコードをはめたあたりの雰囲気ですね。強いて言えばこの辺?と思うところを緑で囲んでみました。

ところがBメロ後半からサビに向かうと全然違ってきます。
きっかけは「ながいてがすき」の「ナガイテ」のソ#です。
ここから後ろの臨時記号付き音符の多さはニューミュージック系作家の聖子作品(シングル曲だけ考えています)ではあまり見られないものです。
ちなみに、引用した範囲では臨時記号付き音符は出てきませんが、この「ナガイテ」以降、「かみにふレる」「ちがうソおらー」「すきーとオったみずノおと」のカタカナがそう。ハ長調に直したにもかかわらずピアノの黒鍵を使わなくてはいけない音は、1コーラスの歌メロで数えてみるとじつに11個あります。

同じことを松田聖子全盛期のヒット曲でやってみます。
チェリーブラッサム(作曲・財津和夫)=0
赤いスイートピー(作曲・松任谷由実)=0
ガラスの林檎(作曲・細野晴臣)=0
天使のウインク(作曲・尾崎亜美)=1(A♭ 冒頭部の「つケてあげる」)
ハートのイアリング(作曲・佐野元春)=2(B♭ サビ「くれなイの」「くないケど」)
裸足の季節(作曲・小田裕一郎)=1(E♭ ワたしです)
風立ちぬ(作曲・大滝詠一)=4(A♭ したためテイます」「あなたガクれた」)

参考
中川翔子/綺麗ア・ラ・モード(作曲・筒美京平)=11(A♭、G♭、B♭、D♭)
郷ひろみ/裸のビーナス(作曲・筒美京平)=7(A♭、E♭、B♭)

たとえば私がギター片手に、マイナーコードの曲の最後に「あなたがここにいる」というメロディを作ったとします。

一段目は歌謡曲風で無伴奏でも唄いやすく、流麗ですが「い」の半音がウェットな感じがして、年寄り臭い、暗いとも言えます。
二段目はギターの伴奏に引っ張られて何にも考えずに出てきた感じ。フォーク?としてみました。
三段目は意識的に一段目に似ないように注意しながら作ったメロディ。コードのE7-Amを例えばEm7-FM7などに変えちゃうとニューミュージック風になるかな?と。

80年代ニューミュージック系作家の闘いは、いかに歌謡曲や演歌にならずに曲を作るかということだったんじゃないでしょうか?その時に特に忌避されたのが、終止手前の「い」の音。E7のソ#の音なんじゃなかったのかなあ、と。これをやると流麗過ぎて歌謡曲になってしまうから。いっそ転調ならビートルズもやってるからいいけど、この音を入れるのはいやだったんじゃないか?

松田聖子に起用された作家たちはニューミュージックの中でも優等生で、特に大滝詠一や尾崎亜美はそのレベルから抜けていたと思いますが、一般にニューミュージック系の人たちはそれなりに耳が良かったり、外国の音楽に対する知識が豊富だったりしたんでしょうが、抽き出しの数や系統だった知識については不自由だったと思われます。
それに加えて「歌謡曲と距離を取りたい」という思いの狭間で、わざと棒を飲んだようなメロディを作っていたんじゃないでしょうか?あるいは起伏を抑えたメロディの、バックの和音が変化して行くことのかっこよさとかを打ち出したり…。
そのことで、当時、片や既成の音楽として演歌や歌謡曲の存在(さらに近親憎悪としての四畳半フォーク)があって、その湿っぽさに辟易としていた若者を中心にした音楽ファンは、この感じを洗練、クールと捉えたのでしょう(私はたしかそうだった)。
今思い出しましたが、当時の若者(つまり私たち)の間ではファッションでもカラフルなものよりモノトーンな感じが流行っていました。そして人間臭いことはカッコわるいことで、いかに無味無臭無色なクールでドライな存在でいられるか、という意識がとても強かったと思うのです。

そして、この「綺麗ア・ラ・モード」において筒美京平がやったことは、ある程度は80年代松田聖子ごっこ(相棒の松本隆はその気だし)にはつきあいつつ、でも自分の持つ能力をデチューンしてまで「忠実に」つきあいはせずに、半音階を多用した流麗でカラフルなメロディを作った(しかも「参考」で上げた「裸のビーナス」もそうですが、無伴奏で唄ってもこの半音が取れない、というメロディになっていません。鼻歌でうたってもちゃんと元の音に帰って来れるのが流行歌として素晴らしいですね)。
その結果、「綺麗ア・ラ・モード」は当時の音楽が持っていなかった色(彩度)や湿度を持ったのではないでしょうか(aediftさんは「熱め」と書かれていますが、私は彩度と湿度の違いと考えました)。

サウンド面の考察は私の手に余りますので割愛させていただきます。

2009/04/02

昭和八十三年度!ひとり紅白歌合戦/桑田佳祐(Disc-2)

「ひとり紅白歌合戦」の後半、Disc-2の話。

Disc-1が懐メロ主体であり、かつ作り込みの深いプログラムだったのに対して、後半はややリラックスムード。「ヒロシ&ハラ坊 from SAS」の「三年目の浮気」なども織り込み(桑田本人は休憩)、サザンと同世代または後輩に当たるアーティストのヒット曲をスピーディーに展開していました。

こうして、普段の自前のバンドにおける桑田佳祐とは違う顔を見ていると、いろんなことが分かってきて面白いですね。例えばMCで段取りを進めるときの口調が先代林家三平に似ている、とかハンドマイクで唄う時に動きのレパートリーが乏しい(ちゃんと踊りを勉強したことがないので)こととか。
善くも悪くも緊張感が漲っていないステージは長尺だけれど見ていて疲れるところがないのは好ましいところです。

私はこのDVDを見ながら、米米CLUBのライブビデオのことを思い出していました。

私が見たのは上の"THE 8TH OF ACE"という作品です。「君がいるだけで」がバカ売れした直後の武道館公演のライブビデオでしたが、これも長尺かつおふざけ要素たっぷりのプログラムです。オリジナルだけでなく、例えば「さらば恋人」のカバーとか郷ひろみのパロディなんかをやっていて、「ひとり紅白」に結構近い。米米CLUBはもともと山本リンダのネタなどもやっていたので、違和感はありません。

二者に共通なのは、「あくまでも余興」という前提で展開する冗談の気楽さです。桑田佳祐もちょっとそういうところがありますが、オリジナルの作品でも自分の内面をさらけ出すよりも、「これってこういういことだよね」という批評的作品作りで伸してきた人たちです。そして時折見せる本音を混ぜたときに、それでも商売になるのが桑田佳祐で、ちょっとつらくなっちゃうのが石井竜也。今の両者にちょっとランクの違いがあるとすればその辺じゃないかなあと私は思っています。

2009/03/29

昭和八十三年度!ひとり紅白歌合戦/桑田佳祐(Disc-1)

この1ヶ月はホントに中年狙いのコンテンツがたくさん出るので、ディスク貧乏になってしまいました。和幸、ユニコーン、布袋寅泰、Utadaと続いて、DVDが「容疑者x-」とこの「ひとり紅白歌合戦!」です。当分物理ディスクは自粛しないとカードの支払いが怖いです。幸い、買って後悔した物件はありませんが!

さて、桑田佳佑"Act Against AIDS 2008"のコンサートである「ひとり紅白歌合戦」はやじうまプラスの芸能情報で見て以来、DVDになったら買おう、と心に決めていたので早くからアマゾンで予約していました(だから今月に出費が集中したorz)。

昭和二十年代から現代までの、歴史に輝く歌謡曲とJ-POPの数々を桑田佳佑がひとりで(中略)唄い継ぐ!!(中略)壮大なミュージック・エンターテインメント・ショー!

とDVDのカバーにも書いてある通り、桑田佳佑が全61曲(TVサイズだったり一部メドレーも含むが)を唄うので、2枚組で3時間を越えるプログラムになっています。とてもいっぺんに全部見られないので、とりあえずDisc-1を見てみました。

Disc1は前半の39曲が入っています。曲目を全部書くとぐったりしますので、アマゾンなどのデータを参照してください。戦後間もない「青い山脈」ありGSあり、フォークVSニュー・ミュージックでは「学生街の喫茶店」「あの日に帰りたい」「ルビーの指環」。あるいはビッグバンド歌謡曲コーナーでは「経験」や「長崎は今日も雨だった」などエッジの立った選曲で徹底したエンターテイナーぶりを発揮しています。そしてDisc-1のクライマックスはクレイジーキャッツとザ・ピーナッツのメドレーです。

桑田佳佑は自作曲でも歌謡曲の影響を隠そうとしない人ですから、当然、昔の歌謡曲に関する知識と愛情は相当なものであることは想像できました。そして、これらの作品を予想以上に原曲に忠実なアレンジで、歌唱法もモノマネまでいかないけど「当時の俺にはこう聴こえたよ」というニュアンスを混ぜて唄っています。「スーダラ節」ではちゃんと「きたもんだ」と植木等風笑い声も加えています。うんうん、そうじゃないと!「きたもんだ」は大事だよね!と納得の前半でした。後半(Disc-2)に続く…。

2009/02/07

天気予報の恋人/CHAGE and ASKA

情報が錯綜した後、結局「活動休止」が発表された"CHAGE and ASKA"です。もうすっかり音楽的にも物心がついていて、デビュー当時から見聞きしてきた我々の世代からすると、思えば遠くに来たなあ、という感慨があります。
CHAGE & ASKA - Pride - 天気予報の恋人
公式サイト→http://www.chage-aska.net/

デビューはYAMAHAのポプコンで、私がよくニューミュージックの話で書く、年端も行かない大学生がギターを抱えてなぜか失恋した女性の心を唄う、という当時のステレオタイプでした。その頃はアルバムタイトルも「風舞」とか「熱風」とかいうセンスで、芸名も飛鳥涼とか云ってちょっと恥ずかしかったんですが、英語表記になったあたりでギター2本の演歌フォークから脱皮してみせました。
この間の流れは、PRIDEという本(1と2がある)で読むことができます。


この本を読む限りでは、CHAGE and ASKAの音楽性はASKAがシンセサイザーによる曲作りに目覚めたところから変わり始めているようです。周りのスタッフとの交流の中で徐々に音楽の知識が深まるにつれて、主にASKAが、より構成の複雑な音楽を志向するようになって、チャゲアスはデュエットとしての必然性を失ってきました。
結成されたアマチュア時代は、CHAGEの方が実績があったようなのですが、その後の伸びしろがどうも違っていたようです。あと長髪のASKAのルックスが、良く云えば池上遼一のマンガから抜け出てきたようにも見え(悪く云えば大仁田厚に似てますね)、女性ファンがそっちについたのも大きいか。

さて、表題曲はすでにそんなASKA独走状態に入りつつあった89年のアルバム"PRIDE"の中の1曲。前年に「恋人はワイン色」という曲があって、ほとんど同じものに聴こえますが、ASKAも自分の楽曲作りに拘るタイプなので、なにかやり直したかったんでしょう。

この曲にしても、"SAY YES"にしても、もはや2声のコーラスで成立する楽曲にはなっていません。そうすると作曲とメインボーカルをしている方への比率が高くなり、ことシングル曲に関してはそれはASKAの仕事でしたから、CHAGEはバックコーラスの中に埋没しています。しかしそれにしても、サザンもそうですが、ここまできて改まって活動休止も解散もないと思うんですが、熟年離婚みたいなものなのでしょうか?


ASKAの奥さんは、たしか名古屋の放送局の美人アナウンサーでしたから、天気予報も読んだでしょうね、みたいなこともちょっと思い出しました。

2009/01/19

男と女-TWO HEARTS TWO VOICES-/稲垣潤一ほか

せめて週末には更新したいのですが、風邪をひいて寝込んでしまったので1日遅れです。
しかもUtada新作問題は、書くととても大変そうなので後回しにして、今日はニューミュージックの話に戻りつつもやや寄り道、ということにします。

TVでも盛んにCMが流れている、稲垣潤一と女性歌手によるカバーアルバム「男と女-TWO HEARTS TWO VOICES-」を聴いています。会社の同僚から回してもらいました。


私がつくづく「ニューミュージックだなあ」と思うど真ん中辺りにいる人が稲垣潤一です。「ニューミュージックの真ん中」とはなんぞや?ていうか「ニューミュージックとはなんぞや?」と考えたとき、稲垣潤一はその最大公約数な感じがするのです。

これは好き嫌いの問題ではなく、私なりの客観的な考察の上で本当にそう思ったから書くのですが、「ニューミュージック」というのは「フォークソングによってすっかり素人との区別がつかなくなった大衆音楽をもう一度プロフェッショナルなもの、または品質管理可能なものへと修正して行く途中のもの」であると思います。
同じことですが、歌へた・演奏へた・曲はむっちゃくちゃ(勢いだけはあった)だったフォークソングをマスメディアで扱えるように、大人が手伝って最低限の音楽理論や普遍性を付加して、TVの歌番組に嵌められるように直していった過程が「ニューミュージック」だった、と思うのです。

それが完成して何になったか、というとJ-POPです。前にも書きましたが、80年代にアーティストと呼ばれていた人と、今のTVに出てくる(あまり出てこない人も)J-POPのアーティストを比べたら、今の人たちの方がずっとレベルが高いです。曲だって凝ってるし、歌唱も演奏も素人とは一線を画すものを持っている人が多いと思う。

誰だったか忘れてしまいましたが、今の若い人に80年代のアイドル歌手の歌を聴かせたら、「わざとヘタクソに唄っているんですか?」と言われた、という話を書いている人がいました。アイドル歌手に限らず、80年代に「アーティスト」と呼ばれていた人で「こりゃちょっと真似できねえや」と素人に思わせる人なんてほとんどいませんでした。
強いて上げれば井上陽水やクリスタルキングの人の声とか、Charのギターとか、矢野顕子の歌とピアノとかでしょうか?
曲の構成だって耳コピーは無理でも、バンド譜を入手すれば意外と単純に再現できそうなのが多かった(実際に演奏技術があるかどうかは別にしても)。そういう意味で「ニューミュージック」の時代は、売れている音楽が我々素人が手を伸ばして届く辺りをさまよっていたのだと思います。

稲垣潤一も、今の人には信じてもらえないかもしれませんが、私らの若い頃は使われる形容詞はともかく、メディアで紹介される時には「実力派」という意味を付与されて流通している名前でした。

おそらく今のポルノグラフィティとかコブクロを聴き慣れている人たちが、このアルバムを聴いて「稲垣潤一ってすげえ上手いなあ」とか言わないと思います。私はこのブログで「うまい・へた」ってなんだという話を何遍か書いてきて、いろんな人の良いところを見つけてきたつもりですから、稲垣潤一の良いところも書くことができます。
例えば声質が独特の硬質さを持っていて、しかもその堅さが嫌な感じじゃなく、年齢を超越したイノセンスが感じられるところとか。あるいは歌詞が伝わりやすいし(CDで聴く限り)音程もしっかりしているとか…。
逆に「何を唄っても同じ唄い方しか出来ない不器用な人」とか「声質が違うのに無理矢理郷ひろみの真似してる人みたい」とか、悪く書くこともできます。

結論として、稲垣潤一は個性的で商品価値はあるけれど、「実力派」とは違うと思います。

さて、このアルバムでは稲垣潤一も、参加している女性歌手も(我が愛しき太田裕美も)、主役とサポートの攻守を上手く入れ替えながら、楽しく聴けるできばえになっています。
1曲だけ質感が違うのは、「ドラマティック・レイン」を中森明菜と唄っているトラック。中森明菜も商品価値はあったけど本当の実力派ではなかった人なので、二人のデュエットはスナックのカラオケで字幕の♠と♡のマーク見ながら合わせて唄っているように聞こえます(中森明菜にボイスコントロールという概念が無い?)。
そんなことばっかり書いて、あなたは稲垣潤一や中森明菜を熱心に消費してきた世代として偉そうなことが言えるのか?と問いつめられそうですが、最初に書いたようにそれが嫌いだというわけじゃない。そして若い頃に愛しくも歯がゆい、そういうレベルの音楽に囲まれていたからこそ、なんの専門的な音楽教育を受けていないにもかかわらず「今に見ていろ俺だって」と音楽を諦めずに生きてこられたわけです。

それに引き換え、現代J-POPから音楽に入った若い人は大変だ。
素人とプロの境目にある壁が、相当高くて立派になっちゃってる(例外はあるけれど。またおいおい触れますが)から、よっぽど渇きを感じていない限り、若くても素人に徹してカラオケボックスに行っちゃうもんね。

2009/01/03

決定盤!!「ニュー・ミュージックの時代」ベスト〜その4〜(パープルタウン/八神純子)

新年おめでとうございます。
今年もいたってマイペースに書き進めて参りますが、よろしくお願いします。

年末は毎度のことですが、結構熱心に紅白歌合戦を見て、今の日本の音楽の裾野の広がりとその真ん中はどこにあるのかと観察しておりました。演歌勢の相変わらずの現場での強さと、若手J-POP勢の保守化が目立ちました。景気が悪くて冒険ができないのか、抽き出しがないのか、もう私には読み取れないのですが、「そんなに『イイ歌だ』と言われることが大事なんですか?」と作り手に訊いてみたい気分になりました。聴き手を信用してないんでしょうなあ、というか今の若い購入層たちは、相当バカにされていると思いますよ。

一方、昨日は母のマンションで、自宅では見られないBSで「大集合!青春フォークソング」というのを見ていました。はっきり言って現代で鑑賞に堪える音楽性があるのは一握りで、山崎ハコなんてこんなもんだったのかなあと変な感慨に耽る一方で、岡林信康の神様ぶりに圧倒されたりして、全体ではとても面白かったです。バブル前夜の80年代に青春を送った私にはほとんどリアリティが感じられなかった「チューリップのアップリケ」なんて歌が、今の時代のひどさに再びマッチし始めた恐ろしさ。

かつて日本語の問題シリーズをやったときは、言葉ののせ方とかのテクニックの問題に終始しましたけど、聴き取れたところですっかり角が取れてつるつるになった抽象的な歌詞から何かを読み取ることは、どのみち難しいということに気がついてしまいました。
これだけ若者が虐げられている世の中で、それを具体的な場面を描写しながら怒りや悲しみを唄う若者が出てこないのは不思議な気がしますが、それもこれも社会的メッセージを「カッコワルい」で否定した「ニューミュージック」の後遺症なのかもしれないなあ。

そんなわけで「決定盤!!「ニュー・ミュージックの時代」ベスト」からの4曲目は
M6.パープルタウン/八神純子
です。

私はこの頃、今までの人生で一番熱心に歌番組を見ていましたが、この曲は出てくる度に「作詞・作曲」のクレジットが変わるという、コドモ心にも不思議な現象が起きていたことを覚えています。今となってはWikipediaにも記述があるほど有名な話ですが、この曲は最終的に邦題「ロンリー・ガイ」とされるRay Kennedyの曲に八神純子のオリジナルなメロディを付け足したものである、ということになっています。


以前、広瀬香美の話の途中や「ポーラー・スター」のお題でこの人について書きました。好き嫌いで言うと私はこの人の声が好きだし、作品もフォーク・ロックの世界に歌謡曲的「歌心」を持ち込んで「ニューミュージック」という分野を拡大した人であると思っています。宮川泰のザ・ピーナッツ用の曲を思い出させる、洒落た中にも歌謡曲的に唄って楽しい要素が入っているのが良い。

ただ曲作りにおいてちょっと元ネタがはっきり分かりすぎるという欠点があったかな、と。彼女の最初の大ヒットである「水色の雨」にもそっくりの外国曲があるという指摘は当時からされておりました(私は後から自分で気がつきましたがデビュー曲の「思い出は美しすぎて」もユーミンの「あの日に帰りたい」そのまんま)。
「パープルタウン」では、A-B-Cと展開する曲のうち、歌メロは違うのだけれどもA-Bとさらにイントロまでもがあまりにも「そのまんま」だったので、言い訳ができなかった、ということでしょう。歌メロは大幅に書き換えられており、アレンジャーに罪をかぶせることはできなかったのかな?と思いましたが、"I love you more and more"のメロディがまんまなので、やっぱり確信犯ですね。
今なら「サンプリング」しました、と言ってはじめから「ご挨拶」しておけば、問題なかったのだと思うのですが、まあしょうがないか!

さて、実際にこの曲を聴いてみると、突然健康的になる後付けのサビも含めて、上手に唄っています。
歌詞を読むと、事情は良く分かりませんが、彼氏と喧嘩かなんかがあって、「一人でニューヨークに来てみたらすっかり機嫌が直ったので、仲直りのエアメールを日本に送りました。ニューヨークに来ると元気になっていいですよ」みたいな感じ。当時のJALのキャンペーンソングだったとのこと(Wikipediaによる)。さもありなん。

なんぼ軽薄な80年代とはいえ、こんな生活をリアルに受けとめられる人は少なかったと思いますが、この背伸び感が後のバブルに繋がったんでしょう、多分。

2008/12/21

決定盤!!「ニュー・ミュージックの時代」ベスト〜その1〜(青空、ひとりきり/井上陽水)

ちょっと前にスペシャル的に昔の歌謡曲の事を書いていました。その頃に副読本(?)として買ってきたのが、表題のアルバムです。

2枚組で全32曲。発売元がポニーキャニオンということで、それなりにバイアスがかかった選曲がされているのだと思うのですが、それなりに味のあるラインナップになっており、小椋佳の次の話題として、また、J-POPの直接の先祖である「ニューミュージック」について語るにも良いテキストだと思いますので、この年末はこのCDを聴いていきたいと思います。
Disc1の1曲目はこの曲。
M1.青空、ひとりきり/井上陽水

井上陽水は時代的にはニューミュージックという言葉が使われる前にデビューした人です。しかし、その音楽性は同時代のフォークシンガーたちに比べると、ずっとメロディアスでシャレた音楽に聴こえ、ニューミュージックのはしり、または前兆、という感じ。1973年のアルバム「氷の世界」は本邦LPレコード史上初のミリオンセラーであり、TVに出ない歌手の代表でありながら、売上的には超メジャーでした。当然、彼のバックバンド出身の安全地帯=玉置浩二はものすごく影響を受けています(この曲に似た感じの歌をたくさん唄っていますね)。

さて、このCDに収録されている「青空、ひとりきり」は1975年の作品です。
メロディの種類で数えると、A-A'-A-A'-B-B'-B''-C(オチ)というシンプルなもので、構造だけ見れば同時期のフォークシンガーの作品と似たようなもののはずなんですが、井上陽水の高い声で唄われると一筋縄ではいかない曲のように聴こえるのが不思議です。
ちなみにこの曲ではBb4まで使ってるようですが、当時の男性歌手としては珍しいキーの高さだと思います。また、蛇足ですがこの録音では2番の「ぽっかーりー」のところで音が割れそうになります。ダイナミックレンジが広い唄い方なんですね。

2008/12/13

シンフォニック・コンサート 2008/小椋佳(&東京フィルハーモニー交響楽団)

私には大変珍しい事ですが、知人の誘いがあったのでコンサートに行ってきました(音楽が趣味と言っている割にコンサートには滅多に行かない。この前に行ったのは一昨年のビリー・ジョエルのナゴヤドーム公演で、その前は2000年の宇多田ヒカルのファーストツアーなんですorz)。12月10日に渋谷のBunkamuraオーチャードホールで行われた、小椋佳と東京フィルハーモニー交響楽団による「シンフォニック・コンサート 2008」です。


小椋佳は、現段階では「夢芝居」とか「愛燦燦」とか、結果としてショップの棚割り的には「演歌」とされるヒット曲を持つ作家ですが、もともとは「ニューミュージック」の最初のランナーの一人でした。世代としては「団塊」より2〜3歳上ですが、デビューは1971年ですから、団塊世代と同じか少し遅れ気味にキャリアをスタートしています。
音楽性無視の乱暴なメッセージソングとしてのフォークでなく、大先生が大量生産するいわゆる歌謡曲でもない、アマチュアの善良性と美しいメロディを併せ持つ新しいジャンルの流行歌(=ニューミュージック)。ただし、他のニューミュージック系アーティストのようなビートルズおよびそれ以降のロックからの影響は表立って見られません。戦前戦後を通じた日本の流行歌の良心のようなものを再生するような方向性が感じられます。

また、そのもっとも注目されていた時期に、彼は東大卒のエリート銀行員であり続けたというところも特異なところで、メガヒットを持ちながらも専業音楽家でなかったライフスタイルも独特でした。その全盛期に中学生だった私もその音楽にはいろいろと影響を受けました。
しばらく前に大病をして、その後は声も衰えた印象があったので、いかがなものかと思いながら会場に足を運びました。

小椋佳は、もともとどんな曲でも唄いこなすような実力派歌手ではありません。生まれ持った声質が良く、その声の説得力で通用してしまう人(松山千春も同じタイプですが、あっちは芸能人パワーが強いので「実力派」に収まってる)です。小椋佳の声は木管楽器のようで、オーボエに似ています(人の声を楽器に喩えるのもどうかと思いますが、ついでに書いちゃうと宇多田ヒカルはバイオリンに似ています)。

そんなわけで、10日のコンサートでも時々声が裏返ったり、マイペースなテンポでオーケストラを振り回したりしながらも最後まで唄いきってくれました。特に肩が暖まった(?)後半は安定して、声が良く出ていました。途中のMCで本人が言っていましたが、歌の中でテンポを変えることによって「自分なりの説得力」を付与しているつもりなのだそうで、「ポップスのバンドだと気にせずにオンタイムで演奏を続けてくれるんだけれど、オーケストラはそれに合わせようとしてくれるので、却って申し訳ない」と言っていました。この話も深めると面白いのですが、多分とても長い余談になるので、今日は止めます。
MCは饒舌で、選ぶ単語は抑制されているのに、内容はそれなりに辛辣な話をするのが良い意味でインテリ臭く、庄司薫のエッセイ等と共通する匂いがあります。

さて、久々に小椋佳を聴いて、確認できたことがいくつかありました。
これはCDで改めて拾ってみたのですが、彼の曲はほとんどC3〜D4(最大でA2〜F4くらい)で作られており、一般成人男性が一緒に唄ってストレスが無い音域で作られています。もっと高いキーのように聴こえるのですが、彼の高音部はキー以上に伸びやかな印象を受ける声になっているのです。

もう一つは曲の作り方、構成の仕方の特徴です。
初期の自身のヒット曲や、布施明・中村雅俊らに提供した曲は、ちゃんと分析すると、A-A-B-A-Bというパターンが多い(これより後の「夢芝居」はA-A'-B、「愛燦燦」はA-(B)-Cと、わりと普通)んですが、この"A"の部品が大きい。この"A"だけで展開がくるくると代わり起承転結があるので、それだけでもう1コーラスの様に聴こえる。ところがそれを2回繰り返して2コーラスが終ったのかと思うと、そこから更に派手な"B"が来て、聴いている方は「こりゃうれしい不意打ちじゃわい」という満腹感があるのです。

こうした構成は、その後のニューミュージックでA-B-A-B-C-Bみたいな「大サビ付き」という形で一般化するので、今の人にはありがたみが分からないかもしれませんが、当時の歌謡曲やフォークではあまり見られない構成でした(ひょっとしたら「無法松の一生〜度胸千両入り〜」あたりがその大元かもしれない)。
ということは、小椋佳はその頭の良さから、曲をかなり俯瞰で見ながら作っているのではないかと思われます。生まれてくるメロディがその瞬間に曲全体の構成の中でどういう位置にハマっていくのかが見えてくるような。構成を決めて、コード進行を決めて、後は現物合わせ、というニューミュージック的作曲法はしていないような気がする。昔の腕のいい大工さんが図面を引かなくても家を建てられたように、頭の中に全体像がぱーっと浮かぶんじゃなかろうか?と同時に、唄う快感にも敏感な人なので、部品単位でちゃんとおいしいメロディを紡いでいきます。

2008/11/29

ガラスのジェネレーション/佐野元春

昨夜は久々に洒落の分かるメンバーでの飲み会があって、二次会でカラオケボックスに行きました。久しぶりにこの曲を歌いましたが気持ちよかったあ!

今日までラベルを設定するのを忘れていましたが、佐野元春については主に「日本語の問題」シリーズで触れていました。この中で私は「佐野元春は、子音+母音の繰り返しである日本語の構造に抵抗し、一つの音符に複数の音節を持つ言葉を強引にぶち込んだ存在」であり、その手法は「現代J-POPの直接の祖先である」と考えてきました。

今回は、細かい分析ではなく、佐野元春の味わいについてライトなお話をさせていただきます。

さて、普通に考えるとロックンローラーというのは、体力自慢、不良自慢の人がやっているイメージですが、佐野元春には文化系の狂気を感じます。
インドア派。体弱い。神経質。そして狂気。
佐野元春は「新人類」の先駆者でもありました。

私の数年下の年代には尾崎豊という伝説的存在がいます。
私と同年代のオッサンでもカラオケで"I LOVE YOU"とか唄う人がいますが、私はカラオケで尾崎豊を唄ったことはありません。尾崎豊を唄う権利というのは彼と同年齢か、それ以下の世代が持っていると思うからです(年下がリスペクトする分にはアリだと思う)。
そして同時に、「僕らには佐野元春がいるじゃない?」と思うのです。

「ガラスのジェネレーション」の最後で、佐野元春は「つまらない大人にはなりたくない」と叫びます。この曲を歌っていたとき、彼は24歳。年齢的にはもう「大人」であるのにそう唄うことは、とてもリスキーなことです。
口にしたとたんに「もうなってるぞ、お前は」というツッコミが入るかもしれない…。
そう言われないためには安住を捨てて「転がり続け」るしかなく、細かいことは知りませんがその後の活動をみるにつけ、彼はその言葉に忠実に生きようとしているように思います。

実社会において大人になるということは、自らの位置を確認してその場で頑張ることであることが多いのですが、その位置が「つまらない」と思ったら人生負けになってしまいます。「つまらない大人」にならずに生きて行くことは非常に難しく、「転がる石」であり続けられるかというのは、ロックに触れてから大人になった、我々に対してつきつけられた課題でもありますね。

2008/10/19

GOLDEN☆BEST[Disc 2]/太田裕美

いよいよ息が続かなくなったので、太田裕美の後半を通って現代に戻りましょう。
"Hiromi Ohta GOLDEN☆BEST Complete Singles Collection"のDisc2を聴いていきます。

ここ何回分かやってきたように、楽器を持って太田裕美の声域を拾ってみると、デビュー後しばらくはG#3〜B4あたりを地声で出し、C5〜E5あたりをファルセットで出す、というのが一定の範囲になっているようです。その後、低音方面にレンジが拡大してE3くらいまでが使われるようになります。印象よりもキーが低いんですね。
さて、こちらDisc2は、アメリカ留学(?)による休業宣言時に発売された、1981年の「君と歩いた青春」から始まって、帰国後の(どっちかというとファンの方が)ぶっ飛んだニューウェイヴ路線の曲、さらに結婚後の開店休業時代を通り抜けて(2002年)現在に繋がっています。ちなみに太田裕美は今も、伊勢正三や大野真澄(ガロの人)と組んで精力的にコンサートをし、ぽつりぽつりと新作を発表し続けています。

太田裕美は、ヒット曲を連発しているときでもミュージックシーンの真ん中にいる感じではなかったので、彼女の流れを追ってもこの25年間の日本のポップスを振り返れるわけではありませんが、これもまた歴史の側面であるということで、ひとつおつきあい願います。


M1.君と歩いた青春
渡米前の、ファンへのけじめのような形で発売された曲。実は1976年発売のアルバム「12ページの詩集」の中に入っている、ファンにはお馴染みの曲です(たぶん録音はしなおしている)。タイトルがあまりにそのままだったのが、熱心なファンの涙を誘いました。
作詞・作曲は元・かぐや姫で元・風の伊勢正三。この人は「地方出身の大学生が卒業間際に恋人と別れる場面」というネタで詩を書かせると日本一で、他にも「なごり雪」「海岸通り」などがほぼ同じテーマです。「君と歩いた青春」の二人は同郷の幼なじみで、子どもの頃は近所の仲間と男も女も無く自然の中を駆け回っていたが、二人だけが(進学か就職で)上京したようです。同郷の二人が都会で暮らす内に異性としての関係に発展したものの、上手くいかなくなって女の子は故郷に帰る、という話です。
これは、個々のシチュエーションの違いはあれ、二十歳前後の若者にとっては恋愛の黄金パターンです。
「グループ交際」内での(精神的なものも含め)ぬけがけ、三角関係、乗り換え、などを経験するうちに、お互いに深く傷ついたり、「最初に声をかけたのは僕だったよねー」とヤクタイの無い自問自答を繰り返す。そうして若者は大人になったり、なりきらなかったりして生きていくわけです。
同名のアルバムジャケットの、内巻きカールで微妙な表情をしたポートレートには、これまでは皆様の夢(幻想)におつき合いしましたが、この先は分かりませんよ、というメッセージが込められていたように思います。


M2.ロンリー・ピーポーⅡ
太田裕美は半年の予定を延長し、結局渡米による空白期は1年を越えました。アルバム「君と歩いた青春」からおよそ1年半経って、アルバム"Far East"で復帰を果たします。
このアルバムは(買ったので良く覚えていますが)、A面はアメリカ人作家による「ニューヨーク・サイド」、B面はその後展開するニューウェイヴ風「トーキョー・サイド」という成り立ち。A面ではAORな風味満載で、なぜか日野皓正のラッパまで入っています。これもなかなか良いものでしたが、彼女はそちらの路線にはいかずにB面のニューウェイヴ路線を過激に発展させていきます。その勢いは、なにかの反動か、とも思えるものでした。
太田裕美は(私の記憶が確かならば)たった一度「ザ・ベストテン」に出演したときにこの曲を歌いましたが、それはランクインしたのではなく、ニューヨーク生活を小説風に書いた「八番街51丁目より」が一部で注目されたことによる「スポットライト」コーナーでの出演でした。


M3.満月の夜 君んちへ行ったよ
いよいよニューウェイヴ路線が本格化し、作詞には山元みき子(=銀色夏生)の起用が増え、アレンジャーには大村雅朗や板倉文(小川美潮とチャクラをやってた人)、バナナ(=川島裕二?)といった名前が出てくるようになります。
この曲は、まるで「新・怪物くん」のテーマみたいですが、子どもっぽいフォーマットの中に辛辣な男女関係も読み取れる、不思議な世界が展開されます。ここまで過去のイメージを捨てて、やっと太田裕美は年齢を超越するとともに、舌足らずの発音のまま成人としてやることやってる男女の歌を唄うようになれた、とも言えます。
私は、同じく太田裕美好きの友人とこの頃の太田裕美のコンサートに行きましたが、「木綿のハンカチーフ」までもぐじゃぐじゃのニューウェイヴ調で唄う太田裕美をみて、「こんなの太田裕美じゃない」と怒って帰っていきました。"Far East"で予習が済んでいた私には想定内のことでしたが、そういう反応はこのころ全国いたるところで見られたんだと思います。

M4.青い実の瞳
太田裕美流ニューウェイヴ路線の頂点がこの辺り。この頃はジャケット写真もつんつんの刈り上げです(アルバム「君と歩いた青春」とのギャップを見よ)。すでに戸川純がメジャーになりつつある80年代の気分を積極的に吸い込んでいった結果がこれ。



M5.雨の音が聞こえる
1984年に結婚による休業が発表され、ニューウェイヴ路線での活動は2年弱で中断することになります。この曲は太田裕美にとっての「微笑がえし」であり「さよならの向う側」です。作詞は当時のお気に入り山元みき子、作曲は筒美京平。編曲は板倉文とバナナの連名になっていて、当時の路線のサウンドに筒美京平メロディが乗っかっているという作り。確か唯一の12インチシングルとして発売されたと思いますが、私は買ってません。なぜ松本隆が絡んでこなかったのかは良く分かりませんでした。

M6.はじめてのラブレター
1992年に童謡を唄ったアルバム「どんじゃらほい」を発売し、1993年になってオリジナルを発表するようになります。もっとも88年の遊佐未森のアルバムには曲を提供しているので、空白期間中も「内職」はやっていたようですが。「ママドル」を目指していたのかは(その時代にそういう言い方があったのかも)分かりません。

M8.ファーストレディーになろう
これは確か、化粧品販売会社のCMに使われていたと思います(○○レディになろう、ということで)。作曲と演奏にゴンチチが加わっています。太田裕美っていう人は、この辺のカルチャーっぽい人を呼び寄せる力が強い人ですね。
聴いていると、ゴンチチの演奏はカッコいいですし、喉を酷使していないせいか、音域も広がっているようです。
とはいえ、実生活に(たぶん)即した主婦・母親ものは、本人にとってはいちばん素直な表現なのだと思いますが、私ら昔の男の子たちはどこで絡んでいいか良く分からないです。

M9.魂のピリオド
その点、松本隆はツボを心得ていて、久しぶりの松本隆/筒美京平コンビの作品は、ちゃんと恋愛ものになっています。淡い不倫ものと思われる歌詞の内容ですが、おそらく松本隆と太田裕美の、この25年にわたる関係の隠喩であろうと思われます。女性の方が飛行機の切符を隠し持っているからね。

M10.僕は君の涙
太田裕美はソングライターとしてはそれほど鋭さを持った作家ではない、と私は思っています。彼女が書いた曲で印象に残っているのは3曲くらいしかないんですが、これはその1つ。女性がこぼした涙が循環してワインになって彼女の元にもどってきましたよ、という童話っぽい話。たしか「みんなのうた」かなんかで放送されていたと思います。「きーみーの、ひーとみから」の跳躍は筒美京平から払い下げてもらったようなメロディですが、強いて言えばこれが太田裕美節なんでしょう。

M16.風信子(ルビは「ヒヤシンス」)
M13、M14と原田真二、はっぴいえんどのカバーが続きます(そういうミニアルバムを1999年頃出していた)。この曲は私は知らなかったけれど、鈴木茂のカバーだと思います。明るい曲ではないけれど、単純なマイナーコードの曲ではなく、かなり凝った作り。初出がなんなのか分からず、オフィシャルサイトで探したら、2000年に出たベスト盤の特典として入っていたようです。

M17.First Quarter〜上弦の月〜
こちらは1999年に出た11,000円する「25周年メモリアルBOX」に収録された曲。25年間皆勤賞でつき合ってくれたファン向けとして、分かりやすい曲です。アコースティックな中にポップさがあって、たしかにファンは気に入るだろうな、という良くまとまった曲になっています。きちんと照合した上での感想では無いけれど、たぶんポリスの「みつめていたい」を参考にしていると思われます。「みつめていたい」を下敷きにした曲は、いったい日本に何曲あるのだろう?

2008/10/18

南沙織ベストコレクション/南沙織

沢田研二に続いて、もう1枚聴いてから現代に向かおうと思います。先日来拘っていた南沙織です。

本当はiTunesでダウンロードできればいいんですけど、ソニー系は相変わらずiTMSに対してかたくなな態度を続けています。消費者は不便しているので、寛大な心でiTMSに結集していただけないですかね(どうせ負けてんだし!)。


さて本題です。
南沙織は私が小学校の低学年の頃から唄っていたので、ものすごく昔の歌謡曲の人という印象なんですが、年齢で言うと太田裕美や竹内まりやと同学年なので、活躍時期がもう少し遅ければ、私が中学生くらいで夢中になっていてもおかしくなかった人です。デビューが早すぎたんですね。

そして、この「ベストコレクション」のラインナップ(後で紹介します)を見ると、15曲のうち12曲の作曲/編曲が筒美京平(作詞は有馬三恵子)です。そうか、南沙織を聴くことは初期の筒美京平を(アレンジ込みで)聴くことでもあったのか!なんかいろいろと繋がってきます。


先日の「青春歌年鑑('73年)」を聴いている時も突出して聴こえたのですが、この人は絶対歌うまいです、今風の意味で。最終的には彼女はレコード大賞の歌唱賞(最優秀ではない)を受賞していますが、現役時代を通じて、アイドルとしての評価はあっても「うまい」という言われ方はあまりされていなかったように思います。

その理由を考えてみると、一つには、彼女は本土復帰前の沖縄から「来日」してきたということ。これは当時の日本人の感覚では、「舶来品=プレミアム」である一方、「違和感」でもありました。いずれにせよ、「外国人枠」のアイドルだったので、そういう(うまいとかへたとかの)問題をきちんと考察する機会がなかったんだと思います。

もう一つ本質的なところでは、彼女の声がそれまでの歌謡曲にあまりいなかったタイプだからだと思います。
当時の日本の一般大衆が「いい声」と思うのは、小柳ルミ子のような声を頂点とする「音楽学校で発声を習ったソプラノ系」でした。南沙織の声はそれとは対称的な、低音成分の豊かな声で、エレキギターでいうとオーバードライブを繋いだような太さがあります。しかも低音から高音までその発声法が変わらない(すばらしい!)ので、どのくらいの音域があるのかもちょっと分かりにくい。
実際にこの15曲を聴く間、EZ-EGで音を取っていたのですが、確認できただけで下はF3、上はD5と2オクターブ近く使っています。これはポピュラー音楽としては必要十分なレンジです。一人アカペラの達人・山下達郎だって、ラジオで「どのくらい音域がありますか?」と質問されると「下はA(2)、2オクターブ上のA(4)。その上はファルセット」と答えていましたから。

そういうことを考えると、南沙織というのは、この間ずっと活動していた結果、「実力派アーティスト」として扱われている竹内まりやなどと同じグループに入れた方が良いと思います。ただし、非常に若い時にデビューして、評価が固まる前に引退したため、「実力派」としての実績が残ってないことは、傍目にはもったいないですね。
しかし、彼女は人気絶頂の時から「引退」を口にして騒ぎを起こしていましたから、あまり芸能人であり続けることに興味が無かった人なのかもしれませんね(あるいは南国娘の情熱で、恋をするとほかのことはどうでもよくなっちゃう性格だ、という妄想の余地もある)。


それでは、聴いていきましょう。忘れている曲も多かったんですが、聴けば「ああ、これだったのか」と思うものばかり。
M1.17才
「たしかめたくってえー」の2個目の「た」の音が森高千里版より2音階高い。昔NHKのドラマで昭和40年代の風景として子どもがこの歌を唄っている場面がありましたが、ここのメロディが森高版だったので「チェック甘いぞ」と画面につっこんだことがありました。この曲、エレキギターの音が入っていないんですね。

M2.潮風のメロディー
これもエレキギター無し。ビートはエレキベースで支えられています。ストリングスがカッコイイ。近田春夫がよく褒めているのはこの辺なのかしら。

M4.純潔
イントロからエレキギター全開で始まります。ブラスの音も派手で、南沙織にしてはうるさめの曲です。当時の歌謡曲の歌手としてはめずらしく、自分の声をダビングしてコーラスをつけています。後に太田裕美も多用しますし、今では常識ですが、この当時にやっていたということは、南沙織は楽譜が読める人だったのかもしれません。

M5.哀愁のページ
冒頭、英語のセリフが入っています。内容は日本人が考えたような文章ですけど。バイリンガルと声質のせいで、どうしても竹内まりやとキャラクターがかぶります。南沙織も上智大学卒業直前くらいでデビューしていたら、全然違うアーティストになっていたかもしれませんが、そうするとどっちかがいらなくなっちゃうか!

M6.早春の港
アコースティック・ギターのスリーフィンガー奏法がずっと続くこの曲は、当時のフォーク青年の心にも響いたようで、Wikipediaによると吉田拓郎の「シンシア」はこの曲へのアンサーソングなのだそうです。

M7.傷つく世代
子どもの頃はこの曲が一番好きだったなあ。アイドル歌手としての可憐さが爆発している曲。曲もそうだが、南沙織が従来の歌謡曲的テクニックを駆使して、若い女の子としての色気を思い切り使ってみた感じ。

M8.色づく街
彼女の代表曲として有名な曲。「すこしおとなすぎる」のポリリズムっぽいのせ方がアクセントになっています。これだけアイデアが入って演奏時間は2分51秒しかありません。贅沢だなあ。ときどきリズムが走り気味に聴こえるのが味になっています。
このM6〜M8の3曲は甲乙付け難く、1973年は南沙織と筒美京平コンビの絶頂期、という感じがします。

M10.バラのかげり
この辺りの曲は、このまま太田裕美が唄っても全く違和感がなさそう。この曲は「ドール」なんかに似ているので、特にそんな気がします。

M12.思い出通り
M9〜M11が重苦しかったので、ここで一息つけます。この辺までくると声の使い方がかなり多彩になっていて、それまでよりかなり軽く唄えるようになっています。彼女なりに芸の完成に近づいている感じがします。

M13.人恋しくて
筒美京平作品から「春うらら」で有名な田山雅充に作曲家が変わっています。ベースが頑張っていますね。この曲でレコード大賞の歌唱賞だったそうです。上手いだけならM7やM12の方が上手く唄っていると思いますが、こういうものは「欲しい」と言わないともらえないものですから、いろいろ事情があったんでしょうね。

M14.哀しい妖精
作曲がジャニス・イアンという、南沙織の記念碑的作品。作詞はすでに太田裕美作品等でも活躍していた松本隆です。南沙織自身はこういう方向の音楽が好きだったんでしょうね。そういえば、「夜のヒットスタジオ」でアリスと共演してとても喜んでいました。彼女が育った頃の沖縄ではどんな音楽が流行っていたのかしりませんが、もともと日本の歌謡曲よりも外国曲やシンガー・ソングライター的なものへの嗜好が強い人だったのでしょう。


M15.春の予感~I've been mellow~
作詞・作曲・編曲が尾崎亜美。
尾崎亜美の曲としても一番好きな曲です。「タイトルが現在完了形だ」と思ったのは憂鬱な中学生だった頃の僕。事実上、彼女の結婚前の最後のヒット曲でしょう。尾崎亜美はこのブログではまだ触れていませんが、山下達郎と並ぶ、自分でアレンジが出来るシンガー・ソングライターの走りで、まあ一言で言えば天才です。南沙織も唄い方がかなり影響されています。このままニューミュージック方面に突っ走るのも大いにありだったと思うんですが、彼女は主婦(篠山紀信夫人)になることを選択しました。

Mine or Yours/宇多田ヒカル

ベストアルバム"SCIENCE FICTION"を買った後しばらくぼーっとしていましたが、5月になった途端にYouTubeでライブ配信的なものを見かけました。配信は途中から見たのですが、過去のMVが次々流れていて、いつから新作発表になるのかわからず、見るのやめ...