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2022/03/27

NIAGARA TRIANGLE vol.2 40th Anniversary Edition /NIAGARA TRIANGLE

 3月21日発売のナイアガラトライアングルvol.2、試しに池袋のタワーレコードを見に行ったら3300円の通常盤が置いてあったけれど、昨年の部屋の模様替えでCD置き場を大幅削減したのでダウンロードorサブスクで聴けるものは買わないことにしてしまっているので見送ってApple Musicのサブスクで聴いています。

CDは本当に資産価値がなくて、翌月の支払いに怯えながらカードで買い込んでも売る時は二束三文になってしまう、どころかただでも引き取れないと言われてしまうこのご時世、コレクションするならアナログディスクかなあ。でも、かける機械を持ったことない♪大瀧詠一のあの世からのライナーノーツでも付いてれば買いますが…。

さて、そんなApple Musicのサブスク音質でもAirPods Proで聴いていると過去にCDラジカセなどで聴いていたときには聞こえなかった音が入っています。「A面で恋をして」の2番、クラクショーンならしてー♪の後ろで鳴っている低音のアメ車っぽいクラクションの効果音は今回初めて認識しました。

さて、NIAGARA TRIANGLE vol.2は大滝詠一、杉真理、佐野元春というメンバーのコラボレーションですが、佐野元春は佐野元春でそれなりに聴いていましたが、杉真理はあまり意識して単品でチェックしたことがなく、若い頃に竹内まりやと音楽活動をしていたんだって、くらいの知識しかありませんでした。ヒット曲もいくつかあったような気がしますがあまり記憶にない。「バカンスはいつも雨」はこの人だったかしら?というくらい。このアルバムだとボーナストラック含めた5曲でメインをはっているので改めて聴くことができたのですが、こんなに原田真二に似てたっけ?というのが感想です。

杉真理は年齢的には原田真二よりも年上ですが、メジャーで売れた時期は原田真二が先だったと思われます。声のビブラートや原田真二が作るポップス系の楽曲と印象がかぶるところが多く、市場では後発になってしまったかな?村田和人と山下達郎の関係に似ているのかも?

2008/11/29

ガラスのジェネレーション/佐野元春

昨夜は久々に洒落の分かるメンバーでの飲み会があって、二次会でカラオケボックスに行きました。久しぶりにこの曲を歌いましたが気持ちよかったあ!

今日までラベルを設定するのを忘れていましたが、佐野元春については主に「日本語の問題」シリーズで触れていました。この中で私は「佐野元春は、子音+母音の繰り返しである日本語の構造に抵抗し、一つの音符に複数の音節を持つ言葉を強引にぶち込んだ存在」であり、その手法は「現代J-POPの直接の祖先である」と考えてきました。

今回は、細かい分析ではなく、佐野元春の味わいについてライトなお話をさせていただきます。

さて、普通に考えるとロックンローラーというのは、体力自慢、不良自慢の人がやっているイメージですが、佐野元春には文化系の狂気を感じます。
インドア派。体弱い。神経質。そして狂気。
佐野元春は「新人類」の先駆者でもありました。

私の数年下の年代には尾崎豊という伝説的存在がいます。
私と同年代のオッサンでもカラオケで"I LOVE YOU"とか唄う人がいますが、私はカラオケで尾崎豊を唄ったことはありません。尾崎豊を唄う権利というのは彼と同年齢か、それ以下の世代が持っていると思うからです(年下がリスペクトする分にはアリだと思う)。
そして同時に、「僕らには佐野元春がいるじゃない?」と思うのです。

「ガラスのジェネレーション」の最後で、佐野元春は「つまらない大人にはなりたくない」と叫びます。この曲を歌っていたとき、彼は24歳。年齢的にはもう「大人」であるのにそう唄うことは、とてもリスキーなことです。
口にしたとたんに「もうなってるぞ、お前は」というツッコミが入るかもしれない…。
そう言われないためには安住を捨てて「転がり続け」るしかなく、細かいことは知りませんがその後の活動をみるにつけ、彼はその言葉に忠実に生きようとしているように思います。

実社会において大人になるということは、自らの位置を確認してその場で頑張ることであることが多いのですが、その位置が「つまらない」と思ったら人生負けになってしまいます。「つまらない大人」にならずに生きて行くことは非常に難しく、「転がる石」であり続けられるかというのは、ロックに触れてから大人になった、我々に対してつきつけられた課題でもありますね。

2007/09/14

VISITORS/佐野元春

はい、ラップの話の続きです。
世に言う日本で最初のラップ作品を含むアルバム(Wikipediaにもそのような書き方がされています)、佐野元春"VISITORS"です。念のため、吉幾三の「俺ら東京さ行ぐだ」とどっちが早いのか調べてみたら、佐野元春が半年くらい早かったです。

さて、改めて聴いてみました。
特に1曲目の"COMPLICATION SHAKEDOWN"に驚いた。街で流れている今のヒップホップと云われても全然分からないと思います。すごいじゃん!
あえて今の作品と何処が違うかというと、カラオケを多分、ちゃんとミュージシャンを呼んで録音していると思われること。いきおいその演奏はロックまたはファンクの延長でそれが今の流行かというと、ちょっと違うのかもしれない、というくらいのものです。今のヒップホップはサンプリングでベーストラックを作るんでしょ?作曲・演奏力ではなくて、編集センスが勝負なんでしょうね。

もともと佐野元春は歌詞の文字数が多く、メロディが付いている曲でも同じ音程を連続して歌詞を乗っける歌い方をしていましたから、ここで聴けるラップもちょっとメロディが感じられ、Dragon Ashや今流行っているケツメイシ、リップスライムなどのラップに近い耳触りになっています。

「半年後」の吉幾三(セールス的にはこっちが上じゃないか?)は民謡調演歌のトラックで、あまり音程を感じさせないラップをやりました。これは秋田音頭にも似ていますが、本人はラップ(のパロディ)のつもりのはずです。
一方、日本には八木節や河内音頭のように節があって、最初に歌い手が自己紹介して(「ちょいと出ました三角野郎」、とか「お見かけ通りの若輩で」、とか)、そこからいろんな話を始める、というラップに近いスタイルがありました。無理な解釈ですが、佐野元春や現在のリップスライムやケツメイシに近いと言い張れるかもしれませんね。

とにかく、日本における現代ラップの夜明けは、佐野元春と吉幾三だった、と決めつけたところで次へ。

2007/08/13

No Damage/佐野元春

日本語の問題は更に続きます。

以前のエントリを削除して、佐野元春の話を書き直さなければなりません。

サザンオールスターズから数年遅れて佐野元春が現れました。桑田佳祐とは流儀が違うが、やはり日本語の載せ方について新しいやり方を実践した人です。
「ナイアガラトライアングルVOL2」に参加していますから、大滝詠一とも接点があり、その意味では「はっぴいえんど」直系の、日本語ロックのアーティストです。

彼も狭い小節に日本語をぎゅうぎゅうに押し込める点では、桑田佳祐と同様ですが、日本語をより英語的に音符に貼付けた人だと思います。

何処が違うかというと、サザンオールスターズの曲では、歌詞の字数が多くなっても言葉の1音節ごとに対応する音符があると思うんです。「しゃいなはーとにるーじゅのいろっがーたーだうーかーぶー」を思い浮かべながら鍵盤を叩くとすると、とんととんとととんととととっとーん、とととんとんとん」と叩けると思う(「シャイ」だけは英語的に1音節で扱ってください)のですが(分かるかこれ?)、"SOMEDAY"の佐野元春の歌声を思い浮かべて、「ひとーりきりじゃいられなくなる」で鍵盤を叩くとどうでしょうか?
まず「ひ」が叩けません。叩けるのは「とー」「り」「き」「り」「じゃい」「られ」「な」「く」「な」「る」です。
「ガラスのジェネレーション」ではどうでしょう?「つまらなーいおとなにはなりたーくなあい」は「つ」「まら」「なーい」「お」「と」「な」「に」「は」「なり」「たー」「く」「な」「あい」じゃないですか?いや、倍で刻めば弾けないことは無いんですが、そうするとノリが変わりますよね?佐野元春は大きい一つの音符に複数の音節をぶち込んでいるのです。

昔の作曲家は音符と言葉の音節の関係について、今思うと笑えるほど神経質に曲を付けていました。有名な話では、服部良一が「一杯のコーヒーから」で「コーヒー」に「こお(↑)ひい(↓)」とメロディを付けたら、「そんな関西弁みたいなアクセントはおかしい」と云われたそうです。今は演歌のセンセイでもその辺は適当にやってると思いますが。
英語の場合は、原則1音節に一つの音符が対応します。しかも日本語のように子音と母音が交互に出てくるわけではありませんから、一つの音符に載せられる単語がたくさんあります。日本語は母音が邪魔をして、音節ごとにメロディをつけると間延びしてしまいます。日本語でロックを歌うことが大げさな論戦を巻き起こしたのはこのせいです。

それを解決する手段として、70年代の10年間で、
1.松本隆のように音符に載せやすい言葉を収集して作詞する
2.大滝詠一のように文章の音節を分解して曲に載せ、その違和感込みで楽しむ
3.キャロルのように適宜英語を混ぜて調子を整え、違和感をなくすために日本語も外人風に歌う
4.桑田佳祐のようにテープの早回しみたいに歌う
5.ゴダイゴのように英語の方が載せやすければある程度は英語で歌ってしまう
などが実践されて来ました。
80年に出て来た佐野元春は、"3"のキャロル流でもありますが、加えて
6.日本語の音節を無視して、1つの音符に複数の音節の言葉でも強引に載せてしまう
を実践したんだと思います。
白井貴子の"SOMEDAY"がなにかもっさりして聞こえたのは、作った本人である佐野元春が遠慮なく暴力的に音符に言葉をぶち込んでいるのに、白井貴子は他人の作品故に正確に(倍で刻んでピアノを叩くように)音符を追いかけたからではないでしょうか?

この後、日本初のラップのアルバムと云われる"VISITORS"を発表していることと合わせて、私は佐野元春が、現代のJ-POPの直接の先祖なのではないか、と考えています。

Mine or Yours/宇多田ヒカル

ベストアルバム"SCIENCE FICTION"を買った後しばらくぼーっとしていましたが、5月になった途端にYouTubeでライブ配信的なものを見かけました。配信は途中から見たのですが、過去のMVが次々流れていて、いつから新作発表になるのかわからず、見るのやめ...