2019/03/31

realtime to Paradaise/杉山清貴

一時期完全に更新をサボっていたこともあり、おそらく数少ない定期購読者も去っていかれたことと思います。
一方、ブログの性格上、有名アーティストの名前が散りばめられているので、おそらく検索によって間違って訪問してくださる人も少しはいらっしゃるようです。そういう皆さんにはお気の毒に、としか言いようがないのですが、まあ犬にでも噛まれたと思って勘弁していただきたいと思います。
で、その検索ワードなんですが、最近「杉山清貴」で来てくださる人の割合が意外なほど高い。多少なりとも更新している昨年末以降に気がついたんですが、なんで今「杉山清貴」を検索している方がいらっしゃるのでしょうか?
ずっと謎でした。

で、ひょっとしたらと考えたのが、先週の金曜日(2019年3月29日)に会社に配達された新聞「日経MJ」に載っていた記事です。


日本の80年代の「シティ・ポップ」が海外(記事によると韓国や東南アジア)で話題になっている。竹内まりやの「プラスティック・ラブ」がYoutubeで大人気だ、と。
話題そのものは昨年末か今年のはじめにも聞いた気がする内容ですが、天下の日経(MJだけど)が記事にしたとなればこれはもう大人の常識(笑)、本当だろう、と。
ということは、「シティ・ポップ」とはなんぞやと思った若い方が研究のためにネットを彷徨っているうちに「杉山清貴」を検索しているのではないか?と考えてみたわけですが、いかがでしょう?

本当にそんな意図で訪れた方には大変申し訳ありませんが、当ブログでは杉山清貴について過去に手抜きの投稿を一度だけしたことがありますが、彼を含めた「80年代シティ・ポップ」についてちゃんと考えたことはありませんでした。

というのも彼らの全盛期はちょうと鈴木康博脱退後、4人体制になったオフコースの活動時期と重なっていて、私はそちらに気を取られていたということが大きいです。

オフコースも当時はお洒落なサウンドという評価をされていましたが、今聞くとかなりゴツゴツした不器用な音楽をやっていて、当時の私はそのゴツゴツ&不器用さこそがロックだと思って好きでした。
一方その頃、山下達郎を頂点とするもっとシャレたポップスを作る達人たちがいたわけですが、私はシティ・ポップというのはそういう「達者な人」が作る音楽という印象をもっていました。
歌のうまいボーカルがいて、バックはジャズもロックもできるいわゆるフュージョン・バンドの音です。編成はキーボードのいるロックバンドと同じような感じですが、ギターやシンセサイザーの音の選び方、リズムは16ビートが基本なので楽器演奏の手数や力の入れどころなどが違ってより流麗に。チョッパーベースもこれみよがしという感じでなく「やれて当然」の技法としてさり気なく、しかもたくさん使われます。

フォークやニューミュージックがその拙さゆえに素人に音楽を開放し、そこにシンパシーを感じて、素人丸出しのままオリジナル楽曲など作っていた私にとって、シティ・ポップ系アーティストは大衆音楽を超絶テクニックと音楽理論をもつプロフェッショナルの世界に奪い返そうとする、仮想敵でもありました。

そうしてまああれから20年だか30年だか経って、今ではすっかり消費するだけの人間になってしまった気楽な立場で改めて杉山清貴を聞いてみました。

表題のアルバム「realtime to Paradise」はiTunesのストリーミングで提供されています。シングル曲で有名なところでいうと「最後のHolly Night」が収録されています。
買い物ついでにちょっと長く歩くことがあったので、ヘッドホンで聞きましたが、「あれ、こんなにシンプルだったっけ?」というのが最初の印象です。もっと楽器の音が多いと思い込んでいましたが、ギターやシンセが倍音たっぷりな音色を使っているのに騙されていたのかも。キーボードがやたらとコードそのままの音階をアルペジオで弾いていて、あ、これならできるわ、とか思ったり。まあでも当時の仲間とお前でやれたか?と言われたらゴメンナサイです。

さて、シティ・ポップがロックと袂を分かっているのは歌詞の世界にも感じられます。オフコースは1960年代の終わりという特殊な時代に生まれ、その中ではあえてメッセージ色を排除した歌を歌っていましたが、そこにも「あえてメッセージを抜く」という思想があったと思います。しかし、80年代のシティ・ポップには最初からそんな葛藤はなく、当時の物質文明を肯定も否定もせずにあたりまえの風景として歌います。それは我々80年代に成人を迎えた世代にとっては自然なことでもあります。まさに一億総中流だったわけですから。
リゾートホテルのラウンジで知り合ったカノジョは長く黒い髪、白い肌、細い肩。しかし翌日ビーチに誘うとまるで別人のプロポーション!
東京に戻って都心で待ち合わせるとパンプスとスーツの彼女が背伸びしながらのベーゼでお出迎え。
帰り道に青山通りを走る白いセダンのヘッドライトはハロゲンライト。黄色くないフォグランプとガラスのサンルーフが装備されています。オートエアコンの操作パネルと重なって配置されるカーステレオは残念ながらまだカセットですが。

私はその頃の若者でしたがこんなに楽しい生活ではありませんでした。

4曲目に「タイをはずして」というタイトルの曲があります。アルバムの曲名の中にこんなタイトルが並んでいる感じ、当時の創作センスを表しているようで、脳みそを内側からくすぐられているような感じになるんですが、他の世代の人にわかるかな?わかんねえだろうなぁ。







SCIENCE FICTION/宇多田ヒカル

前回の更新から2年近く経ってしまいました。その間に会社を定年退職したり引っ越ししたりで自分のことで精一杯でしたが、まあ晴れてほぼ自由の身(経済的にはどんどん不自由になるわけですが)ということで、これからは身バレしようが炎上しようが誰にも迷惑がかからないことになっています。 さて、...