2022/05/29

M八七/米津玄師

 シン・ウルトラマンを見て参りました。最初の週末に1回見たんだけど、ビール飲みながら見てたらトイレに行きたくなって、話の途中で頭が追いつかなくなったのを猛省し、さっき改めてコーラとフライドチキンをお供に(健全に)再鑑賞してきました。

(以下、ちょっとだけ映画本編のネタバレになりますが)シン・ウルトラマン、とても良かったです。

本日昼のお台場の上映では空席が多かったですが、若い子連れ夫婦なども来ていましたし、3〜4人の若い男性(と、そこに女の子も交ざった)グループ、若いカップルもちらほら。そして私のような50代半ば以上と思われるリアルタイム世代またはその弟世代らしき単身入場者ももちろんかなりの割合でいます。同年輩のトム・クルーズがすぐ横のスクリーンで大活躍しているのを尻目に、永遠の14歳たちはウルトラマンを見るのです。

私はこの作品の制作意図を、昭和40年代に初めて特撮巨大ヒーローを見た原体験を、初代ウルトラマンを知らない世代、特に子どもたちに対しては、今の子どもたちが囲まれている各種メディアのクォリティに合わせた上で「当時の自分たちと同じ体験をしてほしい」ということなんだと理解しました。一方、ウルトラマンをよく知っている世代に向けては、昔のもすごく面白かったけど、子ども心にもちょっとあれはどうなの?と思ったところを「このくらいの表現だったらもっと良かったよね」というところまで調整してくれたということもあると思います。

ウルトラマンが飛ぶところとか硬質な人形がピアノ線で吊られて飛んでいくような質感で表現してますが、あれはCGがしょぼいんじゃなくて、手元にあるフィギュアを持って遊ぶ子どもの心を再現しているのだと思う。「シン・ゴジラにくらべて手抜きだ」みたいに言っている人も見かけますが、高名なオタク教祖様の言を借りるまでもなく、現実の中にゴジラという1個だけの嘘を加えたシン・ゴジラと、禍威獣、禍特対、外星人そしてウルトラマンと嘘てんこ盛りのシン・ウルトラマンとでは当然いわゆる「SFボリューム」の調整も違うわけですから、あまりそこでムキになってもしょうがない。そんなこと言ったらシン・ゴジラだって前半あんなにリアリティ頑張ってたのに、最後は無人在来線爆弾と「血液凝固剤をポンプ車で経口投与」で解決しちゃうという、まあまあひどいSFだったわけだし。

その点、外星人にころりと騙されちゃう政府と「神永さん、どこ行っちゃったの?」が許される組織が危機に対応するという、いい具合のゆるさの中で話が展開されるシン・ウルトラマンの方が世界観としては破綻が小さい。映画館でポップコーン食べながら見るのにちょうどよく、上映期間終了後にアマゾンプライムで寝っ転がって酒飲みながら見るのが今から楽しみです。あと、時間はかかるかもしれないけど続編も期待できそうですね。最後に「お帰りなさい」と言われたんだから、次は「帰ってきたウルトラマン」てことだよね。

さて、そんなことでシン・ウルトラマンのテーマソングが米津玄師というのも納得の採用です。この曲はニューミュージックで育った世代(=60年代に生まれて80年代に色気づいた世代)にもわかりやすいし、もちろん今の若い世代の代表でもある。この映画を見に来る人すべてがわかるし、映画のエンディングに流しても格調が足りないこともない、豪華なアレンジもされている。ボリューム調整の腕、満点。

【3日後の追記】映画音楽的格調をキープするというお題で、出だしをどう始めるか、の参考にしたのがドヴォルザークのジュピターだったんじゃないかな。出だしとサビはこれの翻案だと思うけど、これによって格調を保証した感じ。なにせいまの日本でいちばん不謹慎と言われない曲だもんね。【追記終わり】




桑田佳祐が世良公則、Char、佐野元春、野口五郎と組んで作ったチャリティソングはすみません、拍子抜けでした。眠い。

SCIENCE FICTION/宇多田ヒカル

前回の更新から2年近く経ってしまいました。その間に会社を定年退職したり引っ越ししたりで自分のことで精一杯でしたが、まあ晴れてほぼ自由の身(経済的にはどんどん不自由になるわけですが)ということで、これからは身バレしようが炎上しようが誰にも迷惑がかからないことになっています。 さて、...