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2012/07/08

タマシイレボリューション/Superfly

この前にSuperflyのことを書いたのはいつだったかと思って自分で検索してみたら2009年でした。いやもう、時の流れに押しつぶされそうな気持ちになりましたが、気を取り直して。

この曲も半年前くらいの感じでいたんですが、この前の南アフリカで開催されたワールドカップの中継テーマ曲だったことを思い出すと、もう2年前。あの、本田圭佑が狩りを教える母猫のようなパスを岡崎に出してやっていたのは、もう2年前なんだ!


さて、前回の記述ではSuperflyについて、

  1. 中年のおっさんでも無理なく聴ける音楽性
  2. 歌がうまい、悪いところがない
  3. 「フラワーチャイルド」のイメージはちょっと怪しい
  4. ミスチルの影響

という話を書いたんですが、今回はその「ミスチル以降の日本語の問題」について。

Mr.Childrenによる日本語をロックに乗せる解決方法、「日本語の発音から母音を抜いたりリエゾンさせたりしてノリに合わせる」は先駆者として評価はできるが、やっぱり歌詞カード見ないと分かんないじゃん!というのが私の立場だったわけです。
しかし、その後継者の一人であるSuperflyについては、ことこの「タマシイレボリューション」で相当な完成度でそれをやりぬいたことについてひとこと書いておきたいと思ったのです。

歌詞カードをお持ちでない方は、Goo音楽・歌詞情報などを参照しながら読んでいただきたいのですが、この歌詞は短い英文がかなり入る上に、カタカナで書かれる外来語もふんだんに入っています。しかも、Superflyはカタカナ語もかなり元の英語的発音で歌っています。この辺はB'zの段階でも行われていたことです。
さらに、ミスチル風の母音の省略も行われています。
「みちなー(き)みちうぉを~」とか「ざわめ~(く)」とか。

しかし、歌詞カードを見なくても言いたいことはなんとなく伝わってきます。なぜか?

放送部でアナウンスを習うときに「無声化」というのを習います。
「ネクタイ」をカタカナとして読むときに「ク」を無声化するのが標準語です。タモリがやる関西人の「ネクタイ」の発音は「ク」を無声化せず母音を強調することで行われます。
会員以外読めるのはさわりだけですが、こちらが分かりやすいです。

で、この「タマシイレボリューション」に関して言えば、日本語の母音省略が普段我々の日常会話における「無声化」からあまり逸脱しないところで行われているからではないか?と思うのです。
厳密に言うと上記リンク先で言われる「無声子音に挟まれたイ・ウ」では無いのですが、普段無声化される実績の多い音については耳がなんとか従いていくのではないでしょうか?
ということは、曲先で歌詞を書いているときに、「ここは音を省略したい」と思った箇所に「無声化される実績をもった単語」をはめ込むことにより、ミスチル式でも歌詞を伝えられる可能性が提示されたわけです。

ただし、その実現のためにはクロスワードパズルを解くような能力が必要で、乗せられる単語を意識的にストックする必要もあるでしょう。「タマシイレボリューション」の歌詞がどのように作られたかは分かりませんが、こうした成功例が出てしまった以上、そのレベルを意識して作品作りをする人が出てきてしかるべきです。と、同時にこうした細かい気配りをきちんと伝えられる発音と発声がなければ伝わるものも伝わらないわけで、やはりSuperflyは歌うまいよな~と改めて感心したところで本日は終わります。

2009/05/04

PLEASE/RCサクセション

忌野清志郎が亡くなったことについては、はてなダイアリーの方で書きましたので、こちらではRCサクセションの作品について考察しましょう。
私が高校の時にミュージックテープで買ったアルバム、"PLEASE"です。「トランジスタ・ラジオ」が入ってるヤツ。私、この曲大好きなんですよ。
RCサクセション - Please

本来は、一昨年の夏休みの自由研究でやった「日本語の問題」で触れるべきだったのかもしれませんが、忌野清志郎の歌詞の乗せかたがあまりに自然であったので、どちらかというとテクニカルな考察になってしまったあのシリーズでは通り抜けてしまいました。

年代で云うとRCサクセションは1970年前後から活動しているので、「日本語ロック」としてはサザンよりも前、はっぴいえんどの次くらいに位置します。ただしメジャーになったのは80年前後なので、私は「ニューミュージック」の一つとして認識していました。
かたやサザンオールスターズや佐野元春が日本語の実験をしている一方、RCサクセションは自然に聴き取りやすい歌詞をロックサウンドに乗せて唄っていました。この"PLEASE"を通して聴いても歌詞カードが無いと分からないという部分はありません。普通のボリュームで聴いていれば、唄っている内容が100%伝わります。

その理由を考えると、彼らの音楽にはR&Bの要素がかなり入っていて、R&Bは日本語との相性が良いからということが考えられます。余談ですが90年代前半に「和製ブラコン」が流行ったのは、既に演歌がパロディもしくは伝統芸のお手本として以外の商品価値を失っていて、その頃成人になった私たちが聴いたりカラオケで遊んだりするためのジャンルが無かったからだと思いますが、R&Bはその意味で演歌の代替として非常に優れたものでした。
そうした技術論は別にしても、唄っている忌野清志郎の意識として、歌にはメッセージがあるべきで、それを発信するためには聴く側が分かるように唄わなければ意味が無い、と思っていたということが何より大きいんだと思います。

さて、その聴かせたいメッセージはどんなものだったか?
実は80年当時、RCサクセションのような具体的すぎる歌詞は、ださい四畳半フォークを典型として「ニューミュージック」で否定されていたものです。

たとえば同じ頃オフコースで小田和正が書いていた歌詞は5W1Hが全然揃ってません(オフコースは大好きなんですけどね)。
「君が」「そのまま(でいる)」「そのとき」「そこで」「わけもなく」「そんなふうに」
まあ、だいたいこんな感じ。そして、(乱暴に言えば)オフコース以降のほとんどのメジャーなアーティストの歌詞がこんな感じです。良く云えば作り手の限定的なイメージを聴き手にぶつけるのでなく、聴き手が自分なりに物語を付け加える余地を残しているとも云えますが、悪く云えば無責任な歌詞です。

それがRCサクセションだと
「君が」「ズボンを縫っている」「年末に」「アパートの部屋で」「僕の正月用のズボンを仕上げるために」「徹夜で部屋中がゆれるようにミシンをふんで」多分、彼女もいろいろと忙しくてクリスマスには間に合わなかったんでしょうね、などと背景まで見えてきます。

忌野清志郎はその具体的な歌詞から生まれるリスクを自身のこととして引き受けながら表現をしていました。「あきれて物も言えない」では明らかに忌野清志郎自身が誰かに発した言葉として唄っています(Wikipediaによると「どっかの山師」=泉谷しげる ということらしい)。最近でもラッパーの世界では歌詞に気に入らないヤツのことを唄ったりする例があるそうですが、あまりにも歌の世界が閉じていて一般人が共有できないのが残念。あ、桑田佳祐が「孤独の太陽」に当時のメジャーな歌手では珍しく具体的な歌を収録していましたが、すぐ謝っちゃったしねえ…。

閑話休題。
また、RCサクセションの歌詞はいわゆる「ブルーカラー」の若者の歌です。
"PLEASE"の歌詞の世界では、主人公の若者は「金が欲しくて(結構キツい職場で)働いて」いて、夜や週末にカノジョとドライブしたり部屋で過ごしたりすることを生き甲斐にしています。恋人との間では楽しくいちゃいちゃすることもあれば、「妊娠したかも」と新たな苦労が発生したりします。勤めている零細企業にはすぐに「クビだ」というしょぼい社長がいて、給料は上がりません。

今、派遣切りだなんだと若者をめぐる状況は80年代よりも不幸なものになっています(ま、我々オジサンたちも親の代よりも厳しい気がしますが)。何年に生まれて何年に学校を卒業するという確率的要素だけで、就職するにも著しい条件の違いがあるのは不条理だと思うのですが、そのことに対する怒りを忌野清志郎的センスで昇華した歌があっていいと思います。しかし、少なくとも売れてる音楽の中にはそういうものが見当たりません。非常に抽象的で、すべての苦難を自分の精神世界だけで解決(「夢を持って」とか「あきらめないで」とか「自分らしく」とかね)してしまい、自分をその状況に陥れた個人とか組織とか社会に対して具体的な怒りをぶつける歌が不思議なほど出てきません。
別に自分の不幸をすべて他人のせいにしろ、とそそのかしているわけではありませんが、明らかに政治や経済における不備や人災的なものに対してはきちんとその原因を見極め、攻撃すべきは攻撃するのが主体的に生きることだと思うんですけどね。
それに、そういう歌を唄うことでガス抜きすることも大事だと思うんです。今、ガス抜きが出来なくてひとりで内側から爆発しちゃう人が多いじゃないですか?「そうか、そうやって考えて良いんだ」「それを表現して良いんだ」というところから若い人に教えてあげるべきじゃないかと…。

だからキヨシローの追悼も良いんですけど、彼とは違う表現で今の時代に生まれたメッセージを発する、若い才能に光を当てることが大事だし、彼の遺志を継ぐことなんじゃないでしょうか?

2007/09/03

R35 Rock&Pops Super Hits/オムニバス(Disc2)

昨日に引き続き、R35 Rock&Pops Super Hitsの話の続きをします。
今日は後半、Disc2の18曲を紹介します。

1.The Power Of Love/Huey Lewis & The News
例のゴースタバスターズの元ネタがこの曲なんだとずっと思っていたら、その2年前のアルバムの中の曲のことだったんですね。ま、いずれにせよこの人が「ガッツだぜ!!」のお祖父さんというわけか。声も歌い方も"Van Halen"のデイブ・リー・ロスに似ている、というかこれが正統派ロック・ボーカルというものなのか?このR35のDisc2は映画のテーマソングが多いんです。

2.Don't Stop Believin'/Journey
高校の同級生が、これと"Cheap Trick"が好きだった。テレビに出てくる音楽しか知らない私には何のことやら…でしたが。

3.Danger Zone/Kenny Loggins
「トップガン」は面白かったなあ。会社の先輩の家で3回くらい見たのですっかり内容を覚えてしまいました。中森明菜の"DESIRE"が聴こえてくるのは空耳が過ぎるか?

4.Eye Of The Tiger/Survivor
映画のテーマ、しかも人気シリーズの何作目、というのはその世界の中で思いっきりやれるので、作る方もピントが絞りやすいんでしょうか?もう、臆面も無い盛り上げ方です。ギターのカッティングもいいが、ピアノがカッコいいですね。シンセサイザーは奥の方でストリングス系の音を出しているだけですが…。

5.The Final Countdown/Europe
ロッキー3が"Eye Of The Tiger"で、"4"がこの曲です。こちらはもっと派手にするにはこれしかない、という倍音たっぷりのシンセから始まります。前に書いた"Every Little Thing"の"Dear My Friend"のイントロがこんな感じ。ハウンドドッグの"ff"と書こうと思ったら、あっちの方が発表が早いようです。逆輸出?というか世界中のロックバンドがシンセサイザーというものをどうかっこ良く使うかを研究していた成果なんでしょうか?

6.Mr.Roboto/Styx
「まーたーあうひまでー」は「ま」を前に出して「(ま)たーあーうひまでー」と載せた方が日本人的だと思うんですが、Styxの人は二重母音は万国共通で長音になるだろうから、と「あう」を一つの音符に載せたんでしょうか?ところが歴史的には「あう」は「あふ」だから、やっぱり2音節使ってくれないとネイティブ・ジャパニーズには違和感があるんだよなー、という屁理屈を最近買った旧仮名遣いの本を読みかじって構築してみた。

7.Owner Of A Lonely Heart/Yes
これもイントロが特徴的。イントロにそのまま使っちゃうとあんまりなので、間奏でちょっと拝借してみたのが中森明菜の「サザン・ウインド」。さっきの"DESIRE"が濡れ衣でないとすると、本家が流行った翌年に使う、というのが彼女のスタッフの常習的手口だったようです。

8.Get It On(Bang A Gong)/The Power Station
このギターのカッティングもカッコいいですね。真似したくなる。なんかすごく良く聴く気がするけど、具体例が思い浮かばない。

9.Wild Thing/X
こちらはもっと泥臭いですがギターが印象的。Disc2はそういう曲を集めたんでしょうか?「メジャーリーグ」の一番良い場面でかかる、メガネのピッチャーのテーマソングです。

10.La Bamba/Los Lobos
日本では菅原洋一も歌う、もはや古典です。解説を読むと映画用にロス・ロボスが演奏したとのこと。おそらくアレンジもオリジナルに近く、録音だけが新しいということだと思います。

11.Call Me/Blondie
"Blondie"って、ボーカルのお姐さんが金髪美人だったんですよね、確か。香坂みゆきの2つあるヒット曲のうちのひとつ「気分をかえて(1981年)」がやはり1年後に出ていますが、これも言い訳できないレベルで似ている。山崎ハコも外見に似ず大胆なことをやるなあとリアルタイムで思っていたが、今はどういう打ち合わせでそういう曲作りになったのかに興味がある。それにしてもこの頃のアイドル歌謡ってやつは…。

12.Long Train Runnin'/The Doobie Brothers
歌詞カードには1973年と書いてありますが、どうしてこんなに音がいいんでしょう?この辺になってくると似ている場合は「引用」と解釈した方が良い例が多いでしょうね。山下達郎「スパークル」のイントロなんか雰囲気ですが、押さえているコードが違いますし、こういうギターの聴かせ方という定石がここで出来た、ということなんでしょうね。

13.What A Fool Believes/Matt Bianco
オールドスタイルな感じのする曲にシンセベースが当時の「現代」を感じさせます。トランペット(だよな)の音がこんなに和む作品も珍しいのでは?

14.My Sharona/The Knack
出ました。イントロクイズが全く無意味な1曲。ずっとイントロみたいな曲だもんな。このフレーズは不滅というか、神懸かりと云って良いと思う。

15.I Was Made For Loveing You/KISS
KISSって、もっとうんと昔のバンドだと思っていたら、この曲が79年なんですね。音楽的にはちょっと他のナンバーより落ちるような気がするが、ファンは多いですから、入ってくるのは当然でしょう。これもギターの「ざっざー、ざっざざーん」という音が印象的ですが、一度頭の中でこのギターに合わせて「せくしゃる、ばいおれーっと」と歌ってしまうと、後はそうとしか聴こえなくなります。試してみよう!

16.Black Night/Deep Purple
ここからラスト3曲はR35というよりもR50の世界のような気がしますが…、まあ何度もCMなどに使われていますから、意外と幅広い年代でそれぞれに懐かしい曲なのかも知れませんね。間奏部分のギターの低音弦で弾く3連フレーズを延々と弾くとオフコース「歴史は夜つくられる」のイントロに…。

17.Born To Be Wild/Steppenwolf
これもイントロのギターが印象的。ユニコーン「与える男」のイントロはこれの「引用」ですね。奥田民生は拝借したアイデアだけで1曲を作ることはなくて、きっかけだけとかブリッジのフレーズに有名曲の一部をはめるのが得意で、初期のPuffyではそれを徹底的にやって「見せた」わけですね。

18.Stand By Me/Ben E.King
最後は1960年の曲です。うーんすごいですね。シンプルです。ベースラインが最後まではっきり聴こえて、音階を覚えて歌えそうです。これも古典であり定石でしょう。なぜか舘ひろし「泣かないで」が聴こえてくるのは、空耳が一段と酷くなっていますか?


というわけでDisc2まで聴き終わりました。
今回、このCDを買って来た理由は、お盆休みに書いていた「日本語の問題」を考えているうちに、「外国のボーカリストは英語をどう歌っているのか?」という疑問が改めて湧いたからです。ロックサウンドを優先する中で、ミスチルのように単語を変形させたり、巻き舌で歌ったりしているのかをできるだけ多くのサンプルを集中して聴いてみたかったからです。
ただ、私には英語のヒアリング力がありませんから、結局本当のところは分からないのですが、おそらく多くの英語圏のロックボーカリストは母国語を聞き取り可能な発音で歌っているのではないかと感じました。ちょっと違うんじゃないのかな、と思ったのはM.C. HammerとDavid Bowieの芝居がかった2例でした。

では日本人はどうやってロックを歌ったら良いのか?その答えはもう出ているのか、まだなのか?風に吹かれているのか?

2007/09/02

R35 Rock&Pops Super Hits/オムニバス(Disc1)

さて、ニューミュージックからJ-POPへと邦楽が発展する中で、消化すべき元ネタとなったのが、この"R35"に収録されている曲たちなんでしょう。
欧米で成立した音楽を日本人がやるにあたって、いきなりオリジナリティを要求するのは難しいのかもしれませんね。また、本家の欧米のアーティストにしたって、先人の成果の上に自分のものを積み上げて行くわけですから、日本のアーティストに対してだけこれはあれの真似だ、パクリだと指摘するのは音楽の可能性を狭めることになって、結局は日本の音楽をつまらなくしてしまうことになるのかもしれません。

ただし、短期間で売れれば良い、または経営上売らなきゃならない、という動機で安易に既存の外国曲のアイデアを拝借してヒット曲を作ったところで次に繋がるものはないわけで、やはり自分たちでそこに何か付け加えた形で新たに発信しなければ、自分は創作活動をしているとはいえないのではないでしょうか?

このR35に収録された曲は、1から10までではないかもしれないけれど、後に続く者になにかをインスパイアさせる力を持っている曲だと思います。

それでは、このオムニバスに収録されている曲を紹介しましょう。まずはDisc1から。

1.JUMP/Van Halen
7月1日のエントリでも触れているので話題が重複しますが、シンセサイザーの白鍵を2本指で適当に弾いてると生まれるシンプルだがカッコ良いイントロ、しかもその後のギターがとんでもない名演。曲自体は似ていないが、前に書いたように"Every Little Thing"の"FOREVER YOURS"の間奏はこの曲のエディのギターソロの、不完全コピーです。

2.Wake Me Up Before You Go-Go/Wham!
Wham!のアイドル歌謡っぽい可愛い曲。彼らのヒット曲である「ラスト・クリスマス」に夏の話の日本語詞をつけてカバーし、一躍有名になったのが"J-WALK"。

3.Psychic Magic/G.I.Orange
サビがむちゃくちゃ印象的ですが、実はイントロやAメロに使いやすそうなアイデアがいっぱいありますね。

4.Take On Me/a-Ha
発声練習みたいな曲。地声でかっきり2オクターブ(Aから2つ上のA)使って、ファルセットでまだ上がある(ちょうど山下達郎の音域ですね)。4オクターブ出る、とか云って威張っている人は一回テレビでこの曲を歌ってみせて欲しい。宇多田ヒカル「蹴っ飛ばせ!」はたぶんこの曲へのオマージュ。

5.Mickey/Toni Basil
最近ゴリエがカバーしてリバイバルヒットしました。渡辺美里「恋したっていいじゃない(1988年)」がそっくりですね。

6.There Must Be An Angel/Eurythmics
ちょっとJ-POPでは生まれてきそうにない、キリスト教文化を感じる格調高い曲。スティービー・ワンダーのハーモニカがカッコイイ。

7.Relax/Frankie Goes To Hollywood
イントロだけでなんの曲かすぐ分かるオリジナリティがすごい。中森明菜の"BITTER AND SWEET"というアルバム(1985年)の中に"BABYLON"というそっくりの曲がある。多分明菜が「コンサートで"Relax"を歌いたい」と言い出して、アイドルにちょっとこの歌詞の内容は…ということで似た曲を発注したんでしょう。

8.Venus/Bananarama
Bananaramaのバージョン自体がカバー曲であり、日本で孫カバーしたのが当時の中途半端なアイドル、長山洋子。この曲でやっと日の目を見た(その後の意外な展開には驚いた)。モーニング娘。もこの曲のパロディ「LOVEマシーン」で国民的アイドルグループになった。底力がある曲なんでしょうね。

9.U Can't Touch This/M.C. Hammer
「バブルへGo!!」の船上パーティーの場面でも使われた超有名曲。M.C. Hammerの発音だと「ケンタシティス」と聴こえるが、これが正規の英語の発音なのか、黒人独特の訛りなのか、彼の国でのツッパリ系発音なのか、極東の島国から1歩も出たことのない私には判断が付かない。とにかく現代日本のヒップホップの原点がここに。強面に喋るだけ喋って、疲れると「休憩~っ」てサボって、いいところになると「俺の番だぜ」って戻ってくる繰り返しが可笑しい。"Stop,Hammer time"のニュアンスをきっちり日本語に出来た奴が日本のラッパーの頂点になる、と私は思う。

10. Every Little Step/Bobby Brown
これもラップですが、M.C. Hammerと違っていたってイージーリスニングな曲です。似てる曲がいっぱいありそうだが、具体例が浮かんで来ない。いつもどこにでも流れているような気がするんですが。というか、M.C. Hammerを聴いてた連中がデブ5人くらいで輪になって歌うラッパーになって、こっちを聴いてた人がリップ・スライムとかケツメイシになったんでしょうか?また勉強しときますけど…。

11.Let's Go Crazy/Prince
この人はオリジナリティがありすぎて真似しにくいんでしょうね。岡村君?ちゃんと聴いたこと無いのでパス。

12.The Reflex/Duran Duran
この頃のイギリスもののボーカルって声がよく似てますよね。ボーイ・ジョージだといわれればそんな気がするし、ジョージ・マイケルだと言われればそんな気がする。特にカルチャー・クラブとは、全然違うものと思いきや、ギターの音とかも似てるんだな。曲はとにかく派手。理屈抜きで楽しい。ちょっと子どもっぽいけど…。

13.Let's Dance/David Bowie
それにしてもデビッド・ボウイのルックスと発声のギャップに改めて驚かされる曲。M.C. Hammerとはまったく別の流儀ですが、この発音もわざとなんでしょうね。「ふろーぅぅわ」って怖いわ。Gacktがなんでいつも声をあーゆー風に加工しているのか、という答えのヒントがこれかも。ビジュアル系の元祖がこれなんでしょうね。あと、荻野目洋子がコーヒー・ルンバの途中で叫んでいたのもこれだ。

14.Don't Stop The Dance/Bryan Ferry
"I Like Chopin"(1983年に出ているので、そっちが先)に似てない?解散直前のオフコースもこのテのサウンドが多い。例「昨日見た夢」

15.Invisible Touch/Genesis
英語は出来ないけれど、このPhil Collinsの英語はすごくよく聴き取れるような気がする。基本的に外国のロックボーカリストは発音がしっかりしてると思うんですが、どうでしょうか?
オフコースの"I'm a man"(1987年)がこのまんま。ミキサーのビル・シュネーは止めなかったのか?ビジネスに徹していたのか?

16.She Drives Me Crazy/Fine Young Cannibals
このイントロはさすがにパクれないよな。シンプル&有名すぎる。

17.Don't Get Me Wrong/The Pretenders
今でも何かの番組のテーマソングに使われてますね。ちょっと言い訳できないほど似ているのが本田美奈子の「ワンウェイ・ジェネレーション(1987年)」。

18.Silly Love Song/Wings
同じCDに入っているとこの曲だけ音圧が低くてボリューム調整してしまう。テクノロジーが一世代昔なんでしょうね。さて時は1979年。"Three and Two"のレコーディングに集まったオフコースの面々、
「仁、ベース練習してきたか」
「Wingsだったらバッチリや」
「じゃ、この曲そんなかんじで」と小田和正が持ってきたのが「愛あるところへ」
「俺のもそんなかんじで」って松尾一彦が持ってきたのが「君を待つ渚」。
「キャラかぶっとる(当時はこの言い回しはない)やん。元は一緒やから俺はどっちでもいいけど…」
「じゃ、松尾の曲は没ね。コンサートの時はやらしてやるからさ」
「せっかく作曲印税が入ると思ったのに…」
「年下なんだから口答えするなよ」
このときの不満が10年後に爆発し、オフコースの解散に繋がった…というのは嘘にしても、出だしの効果音は後に「アレンタウン」になったような気がするし、 "I〜Love〜you〜"が"Take〜 on〜 me〜"になったようにも思う。ついでにこの、"I 〜love〜 you〜"の声って小田さん?とか思うんだよなあ。やっぱり、ポールって偉大?

R35 Rock&Pops Super Hits/オムニバス(トレイにCDが入っていません)

この項では、まだ中身の話にはなりません。


"R35 Rock&Pops Super Hits"は熱心な洋楽ファンには呆れ返っておヘソで茶を沸かしたくなるような、ベタなヒット曲がまとめてあります。その分、私のように音楽的にぼんやり生きていた一般消費者でも、曲名とアーティストは答えられなくても、あ、これあの頃よくかかってたなあと思える曲ばかりです。惜しむらくはおそらく大人の事情系理由でマドンナやマイケル・ジャクソン、ビリー・ジョエルが入ってないのが唯一の弱点ですが…。

もし、同じように"R50 Rock&Pops Super Hits"というのが企画され、ビートルズ、ストーンズ、キャロル・キング、PPM、S&G、CSN&Yなどが入ったら、J-POPの歴史が全部語れる素材になるかもしれませんね。


ビートルズやストーンズの出現をきっかけにして、60年代の日本では片やグループサウンズ、片や商業主義に背を向けたロックという大きく分けて二つの流れが出てきました。その前にはフォークソングのブームもあり、こちらも小奇麗なアイビールックの大学生がアメリカのフォークソングのカバーや職業作曲家の作品を歌うタイプと、小汚いカッコで自作の反体制的メッセージを歌うタイプの2種類が存在しました。

70年代の初頭にはグループサウンズは廃れ、アンダーグラウンドなフィールドから出現した「はっぴいえんど」が新たな日本語ロックの潮流を作りました。一方フォークソングも、「帰ってきたヨッパライ」や「走れコータロー」などのメガヒットが生まれ、また吉田拓郎が森進一へ楽曲を提供して成功するなど、大手による商業音楽への合流(吸収?)が進みました。また、フォークソングもある程度「サウンド」に目覚め(または、ボブ・ディランもそうやってるからという理由か?)、ギター1本で絶叫していた歌手が、いつしかエレキギターを手にロックバンドの編成で歌うようになりました。これがフォーク・ロックと言われ、直接のニューミュージックの祖先にあたります。人類で言うとクロマニヨン人のようなもので、遺伝子的にはニューミュージックとなんら違いのない存在です。

70年代中盤から後半にかけては、名称も定まって、いわゆる「ニューミュージック」が成立しました。
テレビの世界には無縁だった「シンガー・ソングライター」が、テレビの歌番組で、キンキラキンの演歌や歌謡ポップスの歌手と同じ画面で並んで映ることが珍しくなくなりました。その画面の中には、歌謡界からフォーク・ロック界への親善大使だった太田裕美がいましたし、シンガー・ソングライターでありながら歌謡曲のステージに飛び込んだ庄野真代や五輪真弓がいました。


ニューミュージック連中のサウンドへのこだわりは、最新の洋楽ヒットをチェックし、自分たちで再現するという方向で、どんどん新しい技術を吸収していきました。
折しもジャズとロックが融合した「クロスオーバー」や「フュージョン」と呼ばれる、ロックバンドの編成で超絶的テクニックを交えた格好いいインストロメンタルの演奏を聴かせる音楽も流行してきました。

ニューミュージックもそれらの影響を受けて発展していきました。演奏テクニックならチョッパー・ベース、バイオリン奏法、ライトハンド奏法…。また、音作りの技術も発展します。バスドラムやスネアドラムの音色の変化、コンピューターと同じテンポで驚異的な発展を続けるシンセサイザー類…。
1980年代になると、もはや「ニューミュージック」というジャンル名自体に手垢が付き始め、「俺たちはニューミュージックじゃない」というのが当時のミュージックシーンのトップランナーの自意識になりました(それは時代が下っても「俺(たち)は渋谷系じゃない」とか「俺たちはビジュアル系じゃない」と云うアーティストの意識と同じでしょうね)。

オフコースなんかが代表でしょう。TOTOやWingsのサウンドを取り入れ、5人のメンバーのうち4人がリードボーカルをとれる歌唱力があって、完成度の高い声のハーモニーと演奏で、半年かけて作り込んだレコードと同じ音をライブで再現できるのが当時の彼らのウリでした。本人たちの自意識はどうあれ、1980年代初頭において、彼らは「ニューミュージックの頂点」でした。

その後数年の間にニューミュージックは一段とロック色を強めたり、R&Bやテクノポップの要素を加えて、"J-POP"と呼ばれるようになり現在に至るわけです。

ここまでが前段です。

2007/08/15

チャンピオーネ/ORANGE RANGE

夏休み自由研究も最終回となりました。明日から会社なんで…。

とりあえず「日本語とロック」の問題を現代J-POPまで行ってしまおうということで、またレコード屋に行って"ORANGE RANGE"と"サンボマスター"を買って来ました。おかげで今月はCDがいっぱい買えましたorz

1980年の佐野元春から2007年までの間、何をテキストにしたら良いんだろうと、インターネットの年代別ヒット曲データベースをいろいろ見ていました。今回触れなかったビッグネームとしては、尾崎豊、X JAPAN、小室哲哉あたりかなあと思うんですが、「日本語」のアプローチとしてはMr.Childrenほどの特異性は無いと思ったので、今回は通り過ぎることにします。また、雨後の筍のように存在する「作詞する女性ボーカル」についても、同様に通過させてもらいます。aiko、BONNIE PINKなんかはちょっと研究した方が良いかもしれません。宇多田ヒカルはもうすぐ新曲が出るので、その時に…。

買って来たのは、"ORANGE RANGE"というアルバム。サンボマスターはシングルの「全ての夜と全ての朝にタンバリンを鳴らすのだ」を買って来ました。

先にサンボマスターについて一段落だけ。
このシングルだけで判断すると、評判の割にたいしたことありませんでした。今の世の中、一つくらいこういうバンドがいても良いし、言葉を大事にしていることは評価できますが…。ロックである以上、ミックスでボーカルのボリュームをやたら上げるわけにはいかないのであれば、もうちょっと滑舌よく&通る声を鍛えないと、歌詞が聞こえません。曲についてもこういうことを思いつく人って云うのはそんなに珍しくないし、私らの上の世代にこういう感じの人はいっぱいいました(よくしりませんが、三上寛ってこんな感じだったのでは?)。また、RCサクセションまたはブルーハーツ(ザ・ハイロウズ、クロマニヨンズ)に比べて特に優れたところがあると思えませんでした(あ、この二つも通り過ぎてしまいました)。C/Wの「あの鐘を鳴らすのはあなた」も「あなあたー」の譜割りがもっちゃりしててダサいです。私は和田アキ子が嫌いですが、ここは本家に習って「あなーたー」と歌わなければ(「な」で音程を上げきっておかないと)だめです。できなきゃキーを下げなさい。以上。

で、本題の"ORANGE RANGE"。仕事で会う、得意先のえらい方もカラオケのレパートリーに入れている、J-POPの代表選手です。表題の曲は散々だった去年のワールドカップ中継のテーマソングでした。

聞いてみました。サンボマスターよりはだいぶ楽しかったです。
アルバム全体が笑ってますね。ポジティブシンキングの積み重ねが結晶になってる感じです。ミスチルの時のように重箱の隅をつつく気になりません。聴く方も難しいことを考えずに気楽に消費した方が良い音楽です。叩くとほこりが出そう。
キャベツ炒めて、もやし炒めて、ウインナーも入れとく?みたいな料理で、食べたら「あ、これはこれで旨いじゃん」みたいな音楽でした。
歌詞なんか、わざと聴こえないようなミックスにしてあるところもあって、これは「一応歌詞カードには書いておくけど、要は後ろで何か喋ってるってことが大事なの」っていうことでしょう。そういう捨て駒みたいなところが多いんですよ。本人たちも「サビだけにもりあがろう」と云っていますから、今の音楽の消費のされ方に合っているんでしょう(多分、サビだからこそ一層もりあがろう、の意味で書いてるんだと思いますけどねw)。
メロディがついてるところはそんなに難しいことをやっていませんでした。主旋律の人とオクターブ下の人と上でオープンでハモる3人で歌ってて、日本語の載せ方も佐野元春までの手法に収まっていました。というか、意外なほど松本隆でした。

最近のJ-POPの言葉がなぜ聞き取れないのか、この3日間でだいぶ分かって来ました。
1.サウンド重視の中でボーカルの音が相対的に小さくなっている(洋楽的ミックス)
2.相対的に小さくなる音量の中で言葉を届かせるだけの声の出し方ができてない
3.同時に日本語の発音として滑舌が悪い
4.従来の日本語、新規なカタカナ語、英語がランダムに混ざるので聴き手の耳がアジャストできない
5.前後の関係から言葉を類推できるような起承転結のある歌詞が少ない
あたりが考えられます。
私は中年ですが現代に生きる人間ですから、表現において何がいけないなどという野暮は云うつもりはありません。だから、1、4、5については容認します。問題は2、3かな…。ただ、前提として云っておきますが、私たちが若い頃喜んで聴いていたものより、歌唱・演奏・楽曲の平均レベルは最近出て来た人たちの方が高いです(その意味では"ORANGE RANGE"は例としては良くなかったかもしれません)。でも結果として耳に入った時の説得力がなぜ無いのか?という話です。

さて、クドかったこのシリーズは一度お休みして、明日更新するとしたら通常ペースに戻ります。

次にこのシリーズをやるときは、ラップ&ヒップホップ特集をやります。副題は「秋田音頭からケツメイシまで」かな。

最後に超余談ですが、「チャンピオーネ」のBメロ(なのかな?)「かんがえたって〜ハッハ」のところ、「走れコータロー」に良く似てますね。

2007/08/14

シーソーゲーム〜勇敢な恋の歌〜/Mr.Children

日本語の問題、まだやっています。

現代J-POPの日本語はどうなっておるのか?という話になってきました。
ああ、難しい問題に手を出してしまったかもしれません。この話を書くために彼らのベスト"MR.CHILDREN 1992-1995"を買って来てしまいました。やれやれ…。

さっきMacのiTunesに取り込みながら頭から聴いていたのですが、デビューからシーソーゲームまでの間に相当歌い方が変わっているんですね。3曲目の「抱きしめたい」あたりから私が知っている歌い方になってきて、"CROSS ROAD"で路線が完成し、"innocent world"で完全に突き抜けた感じがします。大げさなアレンジ、意外な拍子の変化。音は洋楽っぽく、カッチョイイです。

Mr.Childrenはサザンオールスターズとも仕事をしていたプロデューサー・小林武史が制作に深く関わっていることもあり、やはり日本語ロックにおける先駆的試みを行うべく宿命づけられたバンドなんでありましょう(大げさ?)。実際、昨日から大きすぎるテーマで書いているので、あえて無視していたんですが、桑田佳祐も一カ所で停まっていたわけではなくて、デビュー以降もいろんなことをやっています。特に"KUWATA BAND"で英語で歌ったりしていたころに、日本語と英語のノリというものを改めて追究していたようです。"スキップ・ビート"の「すけべぇすけべぇすけべぇすけべぇ」などその現れでしょう。

そしてMr.Childrenは"KUWATA BAND"の実験をきっと引き継いでいる。
それを「シーソーゲーム」を題材に分析しようと思って、まず桜井和寿がどう歌っているのかを自分なりに再現しようとしているのですが、これが難物で…。

ということで本題です。
自覚的に日本語でロックを歌おうとするアーティストは、いかに曲のノリを壊さないかということを考えてきたはずです。8ビートだから1小節に8音節使えるわ、ではだめで、ずんずんちゃーつくずんずんちゃーつくというリズムを刻んでいたら、歌詞が載ってもそのリズムに載っていて欲しいわけです。そのために日本語の構造上無理なことにも果敢に挑戦して来た人たちの歴史を、何故か今、私は振り返っているわけです(しかし変なことを始めてしまったなあ)。
で、ですね、Mr.Childrenはそれをかなり真面目にやっているみたいなんですよ、一所懸命聴いて分かったんですが。まあ、聞いてください。

「シーソーゲーム」の冒頭です。私は以前この曲が流行っていた頃に聞き流している時は、こう聴いていました。
「あいしょーなーしゅのーちみがーらったー ぐじゃぐじゃぐじゃぐじゃぐじゃりぃー」
正解は、
「あいそうなしのきみがわらった そんなたんじゅんなことでついに」です。
で、さっきから頑張って聴いてみたところ、桜井氏はこんなかんじで歌っています。
|AI,SOU,NAASH,NOU|KIMI,GAW,RAT,TAA|
|(-),SONA,TANJU,NAKO|TODE,TSUI,NII,(-)|

"|"は小節の切れ目。"-"は休符または音引き。以下同様に書きます。

かなり無理矢理ですが。
本来ローマ字で忠実に書くとこの歌詞は
「AI SOU NASHI NO KIMI GA WARATTA,SONNA TANJUN NA KOTO DE TSUINI」です。
何が云いたいかというと、ところどころ音が省かれている、と云いたいのです。
NASHI→NASH、WARATTA→WRATTA、SONNA→SONA、TANNJUNNA→TANJUNA。
実際にはここまでひどくありません。WARATTAのAは発音してると云われればそうとも取れる。でも日常会話の発音とは完全に違っています。

なぜかというと、頭打ち4拍子的なこの曲のリズムに載せるには、どん・どこ・どん・どこのリズムに言葉を丸めた方がカッコいいからです。

「あいそうなしのきみがわらった」
は、ギターを8ビートのアップダウンでじゃかじゃかじゃかじゃか(↓↑↓↑↓↑↓↑)と弾いて、普通の日本語の発音のまま、

|A,I,SO,U,NA,SHI,NO,(-)|KI,MI,GA,WA,RA,AT,TA,A|
と歌うことが出来ますが、

実際にはじゃんじゃかじゃんじゃか(↓ ↓↑↓ ↓↑)とリズムを取りながら、

|AI,SOu,NASHi,NOu|KIMi,GAWa,RAaT,TAa|
と4つに区切ったほうが、この曲のリズムに合います。

この曲は全編このリズムを壊さないように日本語が載せられています。

「ゆうじんのひょうかはいまいちでも」は、
|YOU,JIN,NOu,-HYO|UKA,WAi,MaiCH,DEMO|と歌われますし、
「じゅんばんをまってたんじゃつらい」は、
|(-),(-),JUnBAn,WOO|MAAT,TETA,AaN,JATSu|RA,-A,Aa,-I|と歌われます。

(小文字は0.5音節くらいに聞こえる音)



これ、ただ感覚でやってるんじゃないと思うんですね。デビュー当時の「君がいた夏」ではこのような日本語の載せ方は見られませんので、やって行く中で意識してそういう載せ方を(プロデューサーと打ち合わせの上で)選択しているんです。実際、私もさっきから自分で歌ってみようとしているんですが、一つ載せ方を失敗すると、譜割りがガラガラと崩壊して字余りになってしまいます。

このミスチルの手法は昨日書いた佐野元春のやり方に近いのですが、佐野元春は日本語を強引にぶち込みましたが単語は壊しませんでした。Mr.Childrenはローマ字に分解した上で母音を抜いたり、アポストロフィを付けるように単語を作り替えています。
端的に言うと、SOMEDAYはうろ覚えでも歌詞カードがあればカラオケでそれらしく歌えますが、ミスチルをカラオケで歌おうと思うと歌詞カードを見ているレベルではダメで、「この『ひょうかはいまいち』は『ひょかわい|まぃchでも』だよな」「この『野獣と化して』は、『野獣溶かして』だったよな」と譜割りのポイントを全部頭に焼き付けておかなくては、歌になりません。

昨日までに整理した6流儀にミスチル流をひとつ加えましょう。
7.ミスチルのようにビートに合うように母音を中心に一部の音を省略して日本語を載せる

Mr.Childrenの日本語の載せ方が大変高度であることは分かりましたが、さてこの歌、ラジオやCDで聞き取れますか?
カラオケで歌いたくて、今日私がやっていたように、「ここはこう」「ここはこう」と重箱の隅をつつくようにチェックして行った人が、ようやく歌詞とメロディの関係を理解できるんじゃないでしょうか?まあ、実際1995年頃にはそういう若者がたくさんいたと思いますが。

こういう日本語の載せ方を、他のJ-POPのアーティストが始めたのか、Mr.Childrenが始めたのかは私は知りませんが、その先駆者は評価され、オリジナリティを認められるべきだと思います。ただ、この「ミスチル流」を無批判に真似している「アーティスト」が実は多いんじゃないでしょうか?

もともとこの話を書き始めたのは、最近のJ-POPは歌詞が何を言っているのか分からない曲がとても多いように感じている(いつの時代も年寄りは常にそういうものなんですが、それにしても…と思う)からです。
その理由の一つに、ヒアリング不能なほどJ-POPの言葉は破壊されているのではないか?という考えがありました。
もう少しサンプルを収集する必要がありそうですね。

2007/08/13

BLOWIN'/B'z

まだ日本語問題が続きます。

現代J-POPまで話を続けてしまいたいので、あと2本くらい書くのかなあ…。

さて、現代J-POPの最初のテキストは、B'zの"BLOWIN'"です。

B'z - B'z the Best "Treasure" - Blowin'

耳の古い私にとって、歌詞が聞き取れる一番新しい世代がB'zまでだからです(宇多田ヒカルは除く。詳細はいずれ…)。また、実年齢が若くても、手法的な冒険をしていない人も別(論外とも云う)です。つまり歌詞の扱いについて、オジサンはここまでは許せるぞ、という境界線です。

佐野元春のところでまとめた、日本語でロックを歌う時の歌詞の載せ方6種類
1.松本隆のように音符に載せやすい言葉を収集して作詞する
2.大滝詠一のように文章の音節を分解して曲に載せ、その違和感込みで楽しむ
3.キャロルのように適宜英単語を混ぜて調子を整え、違和感をなくすために日本語も外人風に歌う
4.桑田佳祐のようにテープの早回しみたいに歌う
5.ゴダイゴのように英語の方が載せやすければある程度は英語で歌ってしまう
6.佐野元春のように日本語の音節を無視して、1つの音符に複数の音節の言葉でも強引に載せてしまう
をB'zはとても上手にやってると思います。

BLOWIN'の中で探すと、
1.「汗まみれ」「麻痺状態」などの言葉の選び方
2.「きーっさ|てんでまいにっ|ちおなじ|よっと」の切り方
3.「シャドウボクシング」、「ハニー」の英語化
4.全編早口
5.サビの英語部分
6.「きみにしがみついた」を「(き)みに」「しがみ」「つい」「たー」と大きい音符に載せる
等でしょうか。ま、結論が先に決まって書いてるんでだいぶ恣意的ですが…。

B'zは商業ロックの権化ですから、いろいろ毀誉褒貶もあるようですが(外国曲に似ている例が非常に多い、等)、ロックサウンドへの日本語の載せ方としてはほとんど満点なんじゃないでしょうか?日本語だということを忘れてしまうほどカッコいい、と私は思います。歌詞が聞き取れるかというと部分的に厳しいのですが、歌詞カードで1度答え合わせをすれば(特に混ざっている英語の部分が確認できれば)「腑に落ちる」レベルはキープしていると思います。
実際、長年にわたって大衆に支持されているわけですし、伝わる言葉を持っているからこそ成功しているのだ、と私は思います。特にファンというわけではありませんが、売れているのは当然だと思います。

No Damage/佐野元春

日本語の問題は更に続きます。

以前のエントリを削除して、佐野元春の話を書き直さなければなりません。

サザンオールスターズから数年遅れて佐野元春が現れました。桑田佳祐とは流儀が違うが、やはり日本語の載せ方について新しいやり方を実践した人です。
「ナイアガラトライアングルVOL2」に参加していますから、大滝詠一とも接点があり、その意味では「はっぴいえんど」直系の、日本語ロックのアーティストです。

彼も狭い小節に日本語をぎゅうぎゅうに押し込める点では、桑田佳祐と同様ですが、日本語をより英語的に音符に貼付けた人だと思います。

何処が違うかというと、サザンオールスターズの曲では、歌詞の字数が多くなっても言葉の1音節ごとに対応する音符があると思うんです。「しゃいなはーとにるーじゅのいろっがーたーだうーかーぶー」を思い浮かべながら鍵盤を叩くとすると、とんととんとととんととととっとーん、とととんとんとん」と叩けると思う(「シャイ」だけは英語的に1音節で扱ってください)のですが(分かるかこれ?)、"SOMEDAY"の佐野元春の歌声を思い浮かべて、「ひとーりきりじゃいられなくなる」で鍵盤を叩くとどうでしょうか?
まず「ひ」が叩けません。叩けるのは「とー」「り」「き」「り」「じゃい」「られ」「な」「く」「な」「る」です。
「ガラスのジェネレーション」ではどうでしょう?「つまらなーいおとなにはなりたーくなあい」は「つ」「まら」「なーい」「お」「と」「な」「に」「は」「なり」「たー」「く」「な」「あい」じゃないですか?いや、倍で刻めば弾けないことは無いんですが、そうするとノリが変わりますよね?佐野元春は大きい一つの音符に複数の音節をぶち込んでいるのです。

昔の作曲家は音符と言葉の音節の関係について、今思うと笑えるほど神経質に曲を付けていました。有名な話では、服部良一が「一杯のコーヒーから」で「コーヒー」に「こお(↑)ひい(↓)」とメロディを付けたら、「そんな関西弁みたいなアクセントはおかしい」と云われたそうです。今は演歌のセンセイでもその辺は適当にやってると思いますが。
英語の場合は、原則1音節に一つの音符が対応します。しかも日本語のように子音と母音が交互に出てくるわけではありませんから、一つの音符に載せられる単語がたくさんあります。日本語は母音が邪魔をして、音節ごとにメロディをつけると間延びしてしまいます。日本語でロックを歌うことが大げさな論戦を巻き起こしたのはこのせいです。

それを解決する手段として、70年代の10年間で、
1.松本隆のように音符に載せやすい言葉を収集して作詞する
2.大滝詠一のように文章の音節を分解して曲に載せ、その違和感込みで楽しむ
3.キャロルのように適宜英語を混ぜて調子を整え、違和感をなくすために日本語も外人風に歌う
4.桑田佳祐のようにテープの早回しみたいに歌う
5.ゴダイゴのように英語の方が載せやすければある程度は英語で歌ってしまう
などが実践されて来ました。
80年に出て来た佐野元春は、"3"のキャロル流でもありますが、加えて
6.日本語の音節を無視して、1つの音符に複数の音節の言葉でも強引に載せてしまう
を実践したんだと思います。
白井貴子の"SOMEDAY"がなにかもっさりして聞こえたのは、作った本人である佐野元春が遠慮なく暴力的に音符に言葉をぶち込んでいるのに、白井貴子は他人の作品故に正確に(倍で刻んでピアノを叩くように)音符を追いかけたからではないでしょうか?

この後、日本初のラップのアルバムと云われる"VISITORS"を発表していることと合わせて、私は佐野元春が、現代のJ-POPの直接の先祖なのではないか、と考えています。

ガンダーラ/ゴダイゴ

「日本語の問題」はまだ続きます。

サザンオールスターズが早口でまくしたてている頃、もう一つの流儀が主流となってきます。それは、「歌詞の一部を大幅に英語にしてしまう」という方法です。

この話に入る前段階で、本来は「キャロル」などに触れなくてはいけないのですが、私はリアルタイムの記憶として彼らの音楽を聴いていません。こちらのリンクで「ファンキー・モンキー・ベイビー」の歌詞を参照していただければ良いと思うのですが、何が云いたいかというと、日本語の歌詞の中になんの断りも無く突然に英単語が入ってくるということです。キャロルはWikipediaによると1975年には活動をしています。この頃にはもう、こういう歌を歌っていた人(矢沢永吉)がいた、ということです。「風街ろまん」の項で紹介した萩原健太著「はっぴいえんど伝説」でもはっぴいえんど後の日本語ロックの展開例として、キャロルに触れています。日本語がはまらないところは英語で歌ってしまう、というのは大きなブレイクスルーだったと思います。

で、ゴダイゴが何をやったかというと、Aメロでは日本語で話の筋を提示しておいて、サビはほぼ全部英語にしてしまう、というやり方です。
もともとゴダイゴはメンバーが外国人や、留学経験者や外語大生であり、英語に対する抵抗が無かったのでしょう。また、外国でも一定評価されていたらしい(私は真偽および詳細は知りません)という評判もありました。リードボーカルのタケカワユキヒデも「英語で歌う方が得意」という意味の発言をテレビでしていました。

「ガンダーラ」は、有名なテレビドラマ「西遊記」のサウンドトラックから大ヒットになりましたが、それまでこんなに英語の含有量(?)が多いヒット曲は稀でした(外国曲は別ですが)。特にこの曲は「テレビで孫悟空の話を見る子ども」をターゲットにしていたわけですから画期的です。言ってることは「ガンダーラはインドにあったと言われています」ぐらいの内容ですが、とりあえず中学2年程度の英語力が必要です。キャロルは"baby"や"I love you"などほとんど単語か慣用句のレベルだったと思いますが、「ガンダーラ」の英語は歴とした英作文です。

「ガンダーラ」を日本中の子どもたちが歌ったことで、洋楽風メロディに無理に日本語を載せなくても、一番カッコいいところは英語で歌ってしまえば、子どもだってついてくることが証明されました。さらに邦楽でありながら全編英語である"モンキー・マジック"までが大ヒットしてしまうという現象が生まれました。

この後、キャロル以上ゴダイゴ未満の英語含有量で歌を作る、という手法は1980年頃までに、ポピュラーミュージックの常套手段となり、当時の多くのヒット曲がこのパターンで作られています。
「エーゲ海から風が吹いてくるわ(ロックじゃないけどね)」「セクシーな紫の君は俺をいい感じにしてくれるぜ(訳はこれで良いのか?)」「私を覚えてる?(加藤和彦作品)」など。あげくの果てに85年には1番で歌った日本語の歌詞を、2番で直訳の英語で歌うという、シーゲル梶原のネタのようだが大真面目な大ヒット「恋におちて」が生まれます。

こうなると日本語ロック論争は、ほぼ沈静化してしまい、この後この問題が深刻に論争されることがなかったように思います。

C調言葉に御用心/サザンオールスターズ

続きです。

「はっぴいえんど」の次に日本語とロックの問題で俎上に載せられることが多いのがサザンオールスターズです。桑田佳祐のバックボーンについて私は良く知らないのですが、歌謡曲も好きなようですし、邦楽にも水準以上の興味と知識を持っていると思われます。また、1978年デビューということは、既に作詞家として売れっ子だった松本隆の仕事も知っていたことと思います。

さて、桑田佳祐がやったことは、よりサウンド重視。ノリを阻害しない言葉を優先してロックの歌詞を作ることだったと思われます。意味はあえて解体し、耳につくフレーズを次々と貼り合わせ、イメージの固まりをそのまま聞き手にぶつけるような手法です。

桑田佳祐の歌詞にも、松本隆的な、当時既に死語または古語といっていい単語が出て来ます。
「C調言葉に御用心」で拾ってみると、
「アンタ」「たまにゃ」「狂おしく」「うなじ」「ちょいと」「ふらち」「なるがままに」「あろうとなかろうと」「照らう(衒うじゃないの?)」「もどかしや」など。これらは、30年前とはいえ、若者の喋り言葉で使われる言葉ではありませんでした。もっと昔の歌謡曲(芸者の格好をした人が、三味線をバックに歌うやつ)とか、もっと云えば都々逸や落語で使われる言葉です。「風街ろまん」に入っている「春らんまん」と共通した言語の世界です。
しかもこれらの言葉をものすごい早口でメロディに載せたのが桑田節の真骨頂でした。
この個性があまりに強すぎて、早口でまくしたてる系は意外とフォロワーがいません。やると「サザンの真似」と云われるからだと思います。佐野元春がサザンの2年後にデビューしていますが、彼はまた流儀が違うので改めて触れます。

語彙の部分だけ真似たのが、デビュー後数年間「にせサザン」として活動していたTUBEです。「あー夏休み」で顕著ですが、「葦簾」「誰かれ」「切れ込み」「熱冷めやらぬ」「ちゃうのかい」「チョイト」など。「はっぴいえんど」の孫引きとも云えますが、おそらく書いた本人(前田亘輝)は当時サザンだけを意識していたのでしょう。
*各曲の歌詞の仮名遣いは「うたまっぷ」を参考にしました。


この項まだ続きます。

風街ろまん/はっぴいえんど

夏休みで時間があるので、ちょっと自由研究をしてみましょう。

ポピュラーミュージック、特にロックにおける日本語と歌詞の問題です。
まず、40年にわたる日本語とロックの問題で、このアルバムの話をしないわけにはいきません。歴史上(?)何度となく繰り返された命題「日本語によるロックは可能か?」の最初の回答として、かならず引き合いに出されるはっぴいえんどの「風街ろまん」です。このアルバムも全部聴いても35分くらいの作品ですし、トータルな話をしたいので、アルバムごとテーマにしておきます。

まず、素朴な疑問。本邦初の母国語のロックという言い方をされるはっぴいえんどですが、ファーストアルバム「はっぴいえんど(通称:ゆでめん)」が出たのが1970年です。この前からエレキギターを持って日本語で歌っていた人はいたんじゃないですか?そう、グループサウンズ(GS)です。ブルー・コメッツが1966年、ザ・スパイダースが1965年。もりとー、いずみにー、さーそー、われてー、と普通に日本語で歌っていたじゃないですか!
「はっぴいえんど」を本邦初とする立場からはGSはロックじゃないという前提があるんでしょうね。じゃあ、何がロックなんでしょうか?

先日、ニッポン放送のテリー伊藤の番組に加藤和彦がゲスト出演したとき、加藤和彦がこんなことをいっていました。正確には再現できないんですが、主旨としては「今の日本にはロックサウンドのポップスはあるけど、ロックはないでしょ?ロックというのは生き方だから」ということでした。つまり、既存の歌謡曲の枠組みの中でエレキギターを持って歌うだけではロックではないらしいです。これは、今のJ-POPに対する批判ですから、いつかまた蒸し返してこの話も書きたいと思っていますが、今ははっぴいえんどに戻ります。

難しい理屈は抜きにして、はっぴいえんど以前のロッカーにとって問題だったのは、「日本語でロックを歌うとかっこわるい、ずっこける」ということだったと思います。かといって、英語で歌えばいいかというと、それでは「メッセージ」が伝わりません。東京ビートルズなど極北の例を上げなくとも、日本語でロックを歌うことは「かっこわるさをいかに回避するか」の歴史であると云ってしまいましょう!

そこで「風街ろまん」です。ものの本(萩原健太等が書いています)や松本隆のサイトを読むと、大滝詠一や細野晴臣は当初日本語で歌うことに抵抗したそうですが、松本隆が日本語で歌わなければ意味が無い、と説得したのだそうです。メンバーを納得させるべく松本隆が作って行ったのがはっぴいえんどの楽曲の歌詞です。松本隆は日本語の中からロックに乗りそうな単語を抽出したそうです。「悸く」とか「唐紅」とか「摩天楼」とか…。そういう語彙を収集した上で、オリンピック開発前の東京の風景をテーマに書き上げたのが「風街ろまん」の詩の世界です。
今聴くと「風街ろまん」は、ロックと言い張るにはカントリー&ウェスタン的な楽曲(主に細野作品)も多く、「ほんとか?」と思う部分もあると思いますが、この実験する精神がロックなんです。

また、歌詞が聞き取れるのか?という問題もあります。
内田裕也は当時、「日本語とロックの融合というが、成功したと思えない。せっかく母国語で歌うのに聞き取れない」という発言をしています(萩原健太著:はっぴいえんど伝説)。
私は、はっぴいえんどの歌詞は「聞き取れない」というよりも「意味が理解出来ない」だと思います。これは松本隆が収集した語彙がほとんど当時ですら死語のような古い単語にまで及んでいたからだと思います。だって、文字で読んでも分かりにくいですから。
一方、大滝詠一の好きな「とてもぉ、すばやくーとー、びおりるのでっ」などの単語の繋がりの分解は、このテンポであれば、一種の謎かけとして通用していると思うので、これによって意味が取れないということは無いと思います。

この項続きます。
今回のネタ元に興味のある方は、下のリンクで原典に当たってみてください。

関白宣言/さだまさし

昨日、Coccoの話の中で、J-POPは歌詞を聴かせることを諦めている、ということを書きました。昔のフォークシンガーには、歌で革命を起こそうとか本気で思っていた人もいたんですから、世の中変わるもんです。
革命はさておき、音楽で世の中に影響を与えようと思ったら、歌詞を聴かせることはとても大事です。
歌で世の中を騒がせた実績では「関白宣言」がダントツでしょう?
彼の前の世代は、啓蒙のためのメッセージを歌に込めたが、それに熱狂したのはもともとの信者だけでした。さだまさしは前時代的発想をカリカチュアにすることで国民的論争を巻き起こしました。まあ、論争の中心にいた人は、リテラシーが低くて本気で怒っちゃった女性と、それに対してムキになって反論する男性という不毛なものでしたが…。

しかし、こうした論争が起きたのも歌詞が聞こえたからです。

さだまさしの音楽について乱暴にまとめると、彼の作品は、彼の一つ前の世代の音楽性の低さ、歌詞の内容の直情径行さに対する批判でしょう。
音楽としてのレベルが高いこと(メロディだけでも通用する曲の芸術性)、古今東西の教養をふまえた上でのソフィスティケートされた歌詞。そして内容(歌詞の情報量)はメッセージフォークに負けない、ということを考えていたのではないかと思います。

今、日本の音楽で歌詞カードを見ないで何についての歌なのかが分かる曲はとても少ないです。単語は聞き取れるけれども筋も結論も無いとか、断片的に「がんばって」みたいなことが聞こえるだけだったり。
「ラップ」という音楽がありますね。特に数年前にはいわゆる「ヒップホップ」な格好をした男たちが4〜5人出て来て、輪になって内側を向いて歌うというパフォーマンスをたくさん見ましたが、あの手の音楽で何を言ってるのか聞き取れない、というのは問題だと思います。分かるのはアオリのかけ声だけなんだもん。
だって、彼らは世の中に対する不満とか、他人への批判とかを歌っているわけでしょう?攻撃の対象に歌詞を伝えなければ、歌う意味が無いじゃないですか?結局輪になって内向きに歌っているということは、歌詞カード読んでくれる仲間内での愚痴のこぼし合いというレベルなんでしょうね、彼奴らは。"DA.YO.NE"の方がきちんと世の中に向かって発信していた分、筋が通っていたと思います。

2007/08/12

甘い香り/Cocco

名前だけが大きくて、本当のことは良く分からない人っているじゃないですか?例えば、えーと、聖徳太子…違うか。えーと、稲盛和夫(!)…。どうもうまくないですね。芸能人で言うと、「季節の中で」を出す前の松山千春とか、鳥肌実とか…うまくないorz

とにかく(^_^;) 、私にとってCoccoってそういう人でした。「なんか詩がすごいらしい」「裸足で歌う女の子の元祖」「絶頂期に突然活動休止した」「沖縄で環境運動をしているらしい」等々。断片的な知識はあるんですが、顔も知らないし曲も知らない。

そしたら、ここ何週間かぼんやりテレビを視ていたら、Coccoが2回ほど出て来ました。フジの「僕らの音楽」とテレビ朝日「ミュージックステーション」です。おお、こういう人だったか!確かに裸足で歌っていました。余談ですが、Coccoと一青窈と中島美嘉が同じステージで歌う時に、一人水虫になってたらえらいことだなあ、と愚考したことがあります。余談終わり!

テレビで歌っていた「甘い香り」は、分かりやすい、そのまま聞き流せる感じでそれほど引っかかりを感じませんでしたし、歌詞が聞き取れず評価保留。どちらかというと「僕らの音楽」でのトークの方に引っかかりを感じました。云ってる内容よりも喋り方が。「なんだこいつ?」と。悪気はなさそうですが、小学生でももうちょっと人に気を遣って喋るだろう、と。実際に会ったら腹立つだろうな…と思っていたのですが、どうも彼女の出身地だとこういう喋り方が普通で、彼女だけの問題ではないんだろうと仮説を立てました。
さらに偶然なんですが、この放送を見た翌週に、沖縄出身の女性と話をする機会がありました。そしてその人の喋り方が、やっぱりこの時のCoccoと同じでした(仕事上なのでもうちょっと丁寧でしたが)。とにかくマイペースなんですね。相手に合わせて話し方を変えるとか、そういう感覚がないのです。そういうことか、と私は膝を打ちました。

そこまで分かったところで"iTMS"で「甘い香り」をダウンロードしてみました。

Cocco - きらきら - 甘い香り

でも、サビのところの歌詞が聞き取れない。「は〜い、」の後が。英語?仕方が無いので「うたまっぷ」で歌詞を検索して読みました。ほほう、なるほど。良く分かりませんが、自分と外界の境目を、正確に捉えようとしていることはなんとなく分かりました。ただ、そこそこセンスの良い人というのはこの程度の資質はあるだろう。そこで"iTMS"で一番ダウンロードの多い「強く儚い者たち」も落としてみました。おお、この曲は聴いたことあるわ。これも「うたまっぷ」で歌詞を読んでみました。おお、なんか凄いことになっています。なるほど。今の世の中ではかなり珍しい路線かも知れません。確かにこういう詩を書く人はあんな喋り方になるかもしれないなあと納得しました。これはちょっとじっくり聴いてみた方が良いかもしれません。

Coccoのセンスは1970年頃の若者に共通した匂いがします。自分を捜して捜し損ねて薬飲んで壊れて行ったり、突然エコに目覚めて放浪したりしそう。1969年の夏に新宿で庄司薫クンが出会った若者の中には、Coccoのような女の子がいたでしょう。本州で生まれ育ったら、1963年生まれの私でさえ追いつけなかったこの文化に、15年後に沖縄で生まれた女の子が一人で追いつこうとしている。地に足がついていることについては、私は彼女に負けています。

ただ、一つだけ注文が。
これだけの歌詞が書けるのに、今の歌い方では伝わらないんです。特に語尾はCDでも聞こえない。興味がある人は歌詞カードを読むだろう、では「歌」は独り立ちした表現になりません。サウンドとの親和性など他に考えなければいけないこともあるんでしょうが、サウンド重視だから歌詞は聞き取れなくても良い、と割り切ってしまえば進歩がありません。J-POPは今、そこを考えないことにしちゃってます。そこをなんとかすれば、Coccoはもっと凄いことになると思います。

Mine or Yours/宇多田ヒカル

ベストアルバム"SCIENCE FICTION"を買った後しばらくぼーっとしていましたが、5月になった途端にYouTubeでライブ配信的なものを見かけました。配信は途中から見たのですが、過去のMVが次々流れていて、いつから新作発表になるのかわからず、見るのやめ...