2008/11/29

ガラスのジェネレーション/佐野元春

昨夜は久々に洒落の分かるメンバーでの飲み会があって、二次会でカラオケボックスに行きました。久しぶりにこの曲を歌いましたが気持ちよかったあ!

今日までラベルを設定するのを忘れていましたが、佐野元春については主に「日本語の問題」シリーズで触れていました。この中で私は「佐野元春は、子音+母音の繰り返しである日本語の構造に抵抗し、一つの音符に複数の音節を持つ言葉を強引にぶち込んだ存在」であり、その手法は「現代J-POPの直接の祖先である」と考えてきました。

今回は、細かい分析ではなく、佐野元春の味わいについてライトなお話をさせていただきます。

さて、普通に考えるとロックンローラーというのは、体力自慢、不良自慢の人がやっているイメージですが、佐野元春には文化系の狂気を感じます。
インドア派。体弱い。神経質。そして狂気。
佐野元春は「新人類」の先駆者でもありました。

私の数年下の年代には尾崎豊という伝説的存在がいます。
私と同年代のオッサンでもカラオケで"I LOVE YOU"とか唄う人がいますが、私はカラオケで尾崎豊を唄ったことはありません。尾崎豊を唄う権利というのは彼と同年齢か、それ以下の世代が持っていると思うからです(年下がリスペクトする分にはアリだと思う)。
そして同時に、「僕らには佐野元春がいるじゃない?」と思うのです。

「ガラスのジェネレーション」の最後で、佐野元春は「つまらない大人にはなりたくない」と叫びます。この曲を歌っていたとき、彼は24歳。年齢的にはもう「大人」であるのにそう唄うことは、とてもリスキーなことです。
口にしたとたんに「もうなってるぞ、お前は」というツッコミが入るかもしれない…。
そう言われないためには安住を捨てて「転がり続け」るしかなく、細かいことは知りませんがその後の活動をみるにつけ、彼はその言葉に忠実に生きようとしているように思います。

実社会において大人になるということは、自らの位置を確認してその場で頑張ることであることが多いのですが、その位置が「つまらない」と思ったら人生負けになってしまいます。「つまらない大人」にならずに生きて行くことは非常に難しく、「転がる石」であり続けられるかというのは、ロックに触れてから大人になった、我々に対してつきつけられた課題でもありますね。

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