いつかは自分の音楽趣味におとしまえをつけるために、"MySpace"への参入をちょっと検討し始めているのですが、実際にどんなとこなんだろう?とトップページをぽちぽちクリックしていたら、変なものを見つけてしまった。
ちょっと前に書いた「相対性理論」のヘタウマ&ロリータ声のボーカル、やくしまるえつこが近田春夫と組んだCDのプロモーションビデオが流れていました。
やくしまるえつこ / おやすみパラドックス
なんだー結局こういうところに収斂して行くのかぁ、とちょっと残念な気がしました。
やっぱりオヤジのアンテナに引っかかるところにはオヤジがいるんですね。
近田春夫のこの仕事には昔々の「ディスコ桐島」と同じ匂いを感じます。あれはあれで良かったけれど、そうかここにも手を出していたか!
週刊文春の連載でも触れていなかった(多分)ので、「相対性理論」は全然違うところにあるものなのかと思っていたのにお釈迦様の手の上だったわけだorz
ディスコ桐島→
ディスコ桐島のジャケットはこれね↓発売当時に買ったんだ!
2009/09/27
2009/09/21
overdose/pizzicato five
芸能人の薬物問題などのニュースを見ていると、ふとこのアルバムのことを思い出して、改めてiTunesに取り込んでみました。pizzicato fiveの"overdose"です。タイトルからして「薬物の異常摂取」ということですから、最近の生真面目な風潮の中ではタイトルとして成り立たなかったかもしれません。発売はWikipediaによると1994年の秋。もう15年も経っているんだなあ。
リンクはビデオ「東京は夜の七時」→
pizzicato fiveという、「渋谷系」の本丸みたいなユニットの話は本来はきちんと文献を漁って、ペダンチックにやらないと格好がつかないんですが、私はいたって個人的な感想を書きます。
1994年というと、ちょうどこの頃は我が音楽活動がもっとも充実していた頃で、週末になると私が転勤先の静岡から、もう一人が岐阜からそれぞれ車に機材を積んで、名古屋の友人の部屋に籠り、4chのカセットMTRに安いシンセサイザーとギターのライン撮りでオリジナルを録音していたものです(PCも少し使うようになっていた)。
そんな中で、私が作曲の抽き出しがあまりに少ない(なにせ歌謡曲とニューミュージック中心の音楽体験だったので)のに悩んで、岐阜在住の私よりは多少は洋楽とロックに明るい(高校の時に一応バンドをやっていた)相方に「今、何聴いてる?」と訊いたら、「ピチカート・ファイブ」と答えたので「お勉強」のために買ったのがこのCDでした。
「お勉強」のつもりで聴き始めたら、これが面白くて!
一見古めかしいドラムとベースの音が一度テクノポップを通って再構築されたようなトラックの上で、フレンチ・ポップスが似合いそうな野宮真貴の声とラップが絡んでくる、一言で言うと「おっしゃれー」な音楽でした。
そして歌われる世界はバブル期の刹那的で退廃的な生活が一段落して、当時の自分を冷めた目で俯瞰するような…。個人的にはバブルの恩恵なんて毛ほども無かった(おかげで崩壊の影響も少なかったが)けれど、空気だけは同じ空気を吸ってましたから、それなりに気分を共有できたんでしょうか?
今の日本の、表面的にはずいぶん生真面目になってしまった世の中では、このアルバムに詰まっている世界が共感を持って受け入れられるかというと、多分難しいのでしょうね。pizzicato fiveもこの作品世界をフィクションとして演じているのですが、今はそういう洒落も通じにくいしな。
でも景気が悪いのはともかく、表現上の形式的な自主規制とか、どうも息苦しくてねえ!
リンクはビデオ「東京は夜の七時」→
pizzicato fiveという、「渋谷系」の本丸みたいなユニットの話は本来はきちんと文献を漁って、ペダンチックにやらないと格好がつかないんですが、私はいたって個人的な感想を書きます。
1994年というと、ちょうどこの頃は我が音楽活動がもっとも充実していた頃で、週末になると私が転勤先の静岡から、もう一人が岐阜からそれぞれ車に機材を積んで、名古屋の友人の部屋に籠り、4chのカセットMTRに安いシンセサイザーとギターのライン撮りでオリジナルを録音していたものです(PCも少し使うようになっていた)。
そんな中で、私が作曲の抽き出しがあまりに少ない(なにせ歌謡曲とニューミュージック中心の音楽体験だったので)のに悩んで、岐阜在住の私よりは多少は洋楽とロックに明るい(高校の時に一応バンドをやっていた)相方に「今、何聴いてる?」と訊いたら、「ピチカート・ファイブ」と答えたので「お勉強」のために買ったのがこのCDでした。
「お勉強」のつもりで聴き始めたら、これが面白くて!
一見古めかしいドラムとベースの音が一度テクノポップを通って再構築されたようなトラックの上で、フレンチ・ポップスが似合いそうな野宮真貴の声とラップが絡んでくる、一言で言うと「おっしゃれー」な音楽でした。
そして歌われる世界はバブル期の刹那的で退廃的な生活が一段落して、当時の自分を冷めた目で俯瞰するような…。個人的にはバブルの恩恵なんて毛ほども無かった(おかげで崩壊の影響も少なかったが)けれど、空気だけは同じ空気を吸ってましたから、それなりに気分を共有できたんでしょうか?
今の日本の、表面的にはずいぶん生真面目になってしまった世の中では、このアルバムに詰まっている世界が共感を持って受け入れられるかというと、多分難しいのでしょうね。pizzicato fiveもこの作品世界をフィクションとして演じているのですが、今はそういう洒落も通じにくいしな。
でも景気が悪いのはともかく、表現上の形式的な自主規制とか、どうも息苦しくてねえ!
2009/09/13
愛をこめて花束を,やさしい気持ちで/Superfly
今、街のCDショップのいちばん良い場所に大陳(って言わないか、CD業界は?)してあるのがSuperflyのアルバム"Box Emotion"です。
ここ何ヶ月かで突然よく名前を聞くようになり、あっと驚くタメゴロー的ジャケットがやけに気になる存在です。ちらりとテレビで歌っているのを聴くと、やたら中年に分かりやすい音楽のようなので、とりあえずiTunesで最近売れてたシングル曲を2曲落としてみました。
愛をこめて花束を→
やさしい気持ちで→
1960年代生まれの私でもリアルに捕捉できないフラワーチャイルドなキャラが、若い人にどのように受けとめられるのかよく分かりませんが、曲のタイトルもヒッピー・ムーブメント風になっていますね。
ヤホーならぬWikipediaで読める範囲では、ボーカルの女性も作曲の男性も60〜70年代の洋楽好きで、影響を受けたミュージシャンとして出てくる名前はジャニス・ジョプリン、ドゥービー・ブラザーズ、キャロル・キング等。若いのにシブいなあ…。
そんなバックボーンを持つ人たちなので、最初に書いた通り、我々40過ぎのオッサンもまったく無理せず着いて行ける曲ですし、現代J-POPのお約束で一部今風のやや強引に母音の処理をして乗せているところもありますが(この辺は「日本語の問題」ラベルの投稿でご確認ください)、歌詞が大筋で聴き取りやすいのも好ましい。
ボーカルはしっかり声が出る上に、手元のキーボードで取ってみた限り音域もかなり広いです。特に「やさしい気持ちで」ではF#3〜E5とほぼ2オクターブを使っていて、カラオケで上手く歌えたらちょっと自慢ができますね。
そんなわけで褒めようと思ったらいくらでも褒められるんですが、一方で「ジャニス・ジョプリン」なんていう名前とともに語られるばっかりに「それは違うだろう」というつっこみもあちこちで出ているようです。あの頃の音楽とミュージシャンはこんなに健康的じゃないし、へたに真似したらすぐに事務所を解雇されてしまいます。あくまでもそういう人たちがやってた「音楽」を良いと思っている、というスタンスで押し通すしかないわけで…。とにかくジャニス的なブルースを感じさせる曲調とはちょっと違います。
その点、いたってドメスティックな音楽観の持ち主である私などはSuperflyを聴いてこういう風に理解しました。
「ミスチル風サウンドで吉田美和(五輪真弓でもいいけど)風の女性が歌ってる」
「愛をこめて花束を」はフォーク・ロックのバンドの音にストリングスがかぶってきて、これはミスチルの「CROSS ROAD」です。偶然だと思いますが、2コーラスの終わりまでは、尺も曲調の変わり目の小節も、全部あっています。一緒に歌えるんじゃないかと試してみましたが、(特にAメロの)コードは少し違うみたいでちょっと無理でしたが、かなりいけます。
同様に「やさしい気持ちで」は「innocent world」です。あるいは「innocent world」+「アジアの純真」か。作っている人の年齢を考えるとこの方が素直な読み筋だと思うんだけどなあ…。
あるいは1970年頃のロックナンバーで、共通の祖先に当たる曲があるのかもしれませんね。私はそれを特定するほどの洋楽知識を持ち合わせていません。
ここ何ヶ月かで突然よく名前を聞くようになり、あっと驚くタメゴロー的ジャケットがやけに気になる存在です。ちらりとテレビで歌っているのを聴くと、やたら中年に分かりやすい音楽のようなので、とりあえずiTunesで最近売れてたシングル曲を2曲落としてみました。
愛をこめて花束を→
やさしい気持ちで→
1960年代生まれの私でもリアルに捕捉できないフラワーチャイルドなキャラが、若い人にどのように受けとめられるのかよく分かりませんが、曲のタイトルもヒッピー・ムーブメント風になっていますね。
ヤホーならぬWikipediaで読める範囲では、ボーカルの女性も作曲の男性も60〜70年代の洋楽好きで、影響を受けたミュージシャンとして出てくる名前はジャニス・ジョプリン、ドゥービー・ブラザーズ、キャロル・キング等。若いのにシブいなあ…。
そんなバックボーンを持つ人たちなので、最初に書いた通り、我々40過ぎのオッサンもまったく無理せず着いて行ける曲ですし、現代J-POPのお約束で一部今風のやや強引に母音の処理をして乗せているところもありますが(この辺は「日本語の問題」ラベルの投稿でご確認ください)、歌詞が大筋で聴き取りやすいのも好ましい。
ボーカルはしっかり声が出る上に、手元のキーボードで取ってみた限り音域もかなり広いです。特に「やさしい気持ちで」ではF#3〜E5とほぼ2オクターブを使っていて、カラオケで上手く歌えたらちょっと自慢ができますね。
そんなわけで褒めようと思ったらいくらでも褒められるんですが、一方で「ジャニス・ジョプリン」なんていう名前とともに語られるばっかりに「それは違うだろう」というつっこみもあちこちで出ているようです。あの頃の音楽とミュージシャンはこんなに健康的じゃないし、へたに真似したらすぐに事務所を解雇されてしまいます。あくまでもそういう人たちがやってた「音楽」を良いと思っている、というスタンスで押し通すしかないわけで…。とにかくジャニス的なブルースを感じさせる曲調とはちょっと違います。
その点、いたってドメスティックな音楽観の持ち主である私などはSuperflyを聴いてこういう風に理解しました。
「ミスチル風サウンドで吉田美和(五輪真弓でもいいけど)風の女性が歌ってる」
「愛をこめて花束を」はフォーク・ロックのバンドの音にストリングスがかぶってきて、これはミスチルの「CROSS ROAD」です。偶然だと思いますが、2コーラスの終わりまでは、尺も曲調の変わり目の小節も、全部あっています。一緒に歌えるんじゃないかと試してみましたが、(特にAメロの)コードは少し違うみたいでちょっと無理でしたが、かなりいけます。
同様に「やさしい気持ちで」は「innocent world」です。あるいは「innocent world」+「アジアの純真」か。作っている人の年齢を考えるとこの方が素直な読み筋だと思うんだけどなあ…。
あるいは1970年頃のロックナンバーで、共通の祖先に当たる曲があるのかもしれませんね。私はそれを特定するほどの洋楽知識を持ち合わせていません。
2009/09/06
大瀧詠一ファースト/大瀧詠一
7月に散歩で武蔵小山に行ったとき、立ち寄った本屋で大瀧詠一のムックを買ってきました。
情報量がとても多いので、一気に読むことができずに興味のあるところだけ拾い読みしているのですが、その中のところどころに後輩ミュージシャンが選ぶ「私的大瀧詠一ベスト5」というコラムがあります。
その中に高い頻度で入っているのが「指切り」という曲。
青山陽一(誰?)が5位、伊藤俊吾(キンモクセイ)が2位、サンボマスターが1位、田中拡邦(誰?)、山本精一(誰?)が3位に挙げています。
私は寡聞にして知らなかったので、「素直に『君は天然色』とか書け、カッコつけやがって!」と思っていましたが、知らないままなのも癪なので銀座の山野楽器で持っていなかった「大瀧詠一ファースト」を買ってきました。
はっぴいえんどの「風街ろまん(1971年)」と「HAPPY END(1972年)」の間隙である1972年に発売されています。各曲のクレジット(手書きで読み辛い)を読むとはっぴいえんどのメンバーの名前も見られますが、はっぴいえんどという制約の多いバンドではできないことをやったということで、とてもまともな成り立ちのソロアルバムと言えるでしょう。吉田美奈子、松任谷正隆といった後のビッグネームも名を連ねています。
問題の「指切り」は3曲目、「それはぼくぢゃないよ」と「びんぼう」に挟まれた位置に入っていました。
なるほど、「風街ろまん」にも、「A LONG VACATION」にも、あの展覧会のような「ナイアガラ・カレンダー」にも似た曲が思いつかないダンスミュージック風。キンモクセイの人が「好き」というのはちょっと納得。
その他、「五月雨」のオリジナル(僕は先に「ナイアガラ・カレンダー」に入ってる谷村新司みたいな方から聴いちゃった)が聴けたのも収穫。
それと、はっぴいえんど用のものより少し分かりやすくしてある松本隆の歌詞に、その後の職業作詞家になってからの作品で使うようになる言葉の断片が予告編的に見え隠れしているのも興味深いですね。「髪を切りすぎたね。まるで男の子だよ」とか「約束なんて何もないけど」なんて言い回しとか。
大瀧詠一って人は大河ドラマみたいな作家だから、やはり年代順にひとつずつ聴いた方が良い、というのが今日の結論かな。
そう考えるとまだまだ買わなきゃいけないものがいっぱいあるなあ。
情報量がとても多いので、一気に読むことができずに興味のあるところだけ拾い読みしているのですが、その中のところどころに後輩ミュージシャンが選ぶ「私的大瀧詠一ベスト5」というコラムがあります。
その中に高い頻度で入っているのが「指切り」という曲。
青山陽一(誰?)が5位、伊藤俊吾(キンモクセイ)が2位、サンボマスターが1位、田中拡邦(誰?)、山本精一(誰?)が3位に挙げています。
私は寡聞にして知らなかったので、「素直に『君は天然色』とか書け、カッコつけやがって!」と思っていましたが、知らないままなのも癪なので銀座の山野楽器で持っていなかった「大瀧詠一ファースト」を買ってきました。
はっぴいえんどの「風街ろまん(1971年)」と「HAPPY END(1972年)」の間隙である1972年に発売されています。各曲のクレジット(手書きで読み辛い)を読むとはっぴいえんどのメンバーの名前も見られますが、はっぴいえんどという制約の多いバンドではできないことをやったということで、とてもまともな成り立ちのソロアルバムと言えるでしょう。吉田美奈子、松任谷正隆といった後のビッグネームも名を連ねています。
問題の「指切り」は3曲目、「それはぼくぢゃないよ」と「びんぼう」に挟まれた位置に入っていました。
なるほど、「風街ろまん」にも、「A LONG VACATION」にも、あの展覧会のような「ナイアガラ・カレンダー」にも似た曲が思いつかないダンスミュージック風。キンモクセイの人が「好き」というのはちょっと納得。
その他、「五月雨」のオリジナル(僕は先に「ナイアガラ・カレンダー」に入ってる谷村新司みたいな方から聴いちゃった)が聴けたのも収穫。
それと、はっぴいえんど用のものより少し分かりやすくしてある松本隆の歌詞に、その後の職業作詞家になってからの作品で使うようになる言葉の断片が予告編的に見え隠れしているのも興味深いですね。「髪を切りすぎたね。まるで男の子だよ」とか「約束なんて何もないけど」なんて言い回しとか。
大瀧詠一って人は大河ドラマみたいな作家だから、やはり年代順にひとつずつ聴いた方が良い、というのが今日の結論かな。
そう考えるとまだまだ買わなきゃいけないものがいっぱいあるなあ。
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