あー、結局10月は1回もこのブログ更新しませんでした。
年を取って感性が鈍くなっているのかもしれませんが、この秋は新しい音楽が全然耳に入ってきませんでしたから。ま、本業が忙しかったのもありますが。
そういう意味では11月になって宇多田ヒカルの休止前の最後の活動が活発化してきたのはありがたい。昨日からYouTubeで新曲のPVが公開されています。→http://www.youtube.com/watch?v=cfpX8lkaSdk 埋め込みコードは公開されておりませんので、参照しながら読んでいただければと思います。
もうすでに今朝の情報番組各種でも語られている通り、過去のPVのセルフパロディ満載の楽しいビデオになっています。AUTOMATICの椅子、Travelingの帽子と旗。固定カメラ1カット長回しは「光」ですね。他にも細かいネタがあるかもしれませんが、そういうのは得意な方にやっていただくとして、今日は楽曲の第一印象だけ「ざっと」書いておきます。歌詞の内容とビデオ(なんでも本人が監督したらしい)を合わせると前夫・紀里谷和明氏へのメッセージのような気もしますが、そのへんは本人しか分からないことなのでこれも深追いしません。
「本人が買って欲しい方」のベスト盤の、楽曲リストが公開されたとき、今回の新曲として"Goodbye Happiness"というのを見たときは「真っ暗」な気持ちになりましたが、楽曲としてはポップで分かりやすい曲で、まずはほっとしました。Amazonで予約した"SINGLE COLLECTION vol.2"が届くのが楽しみになりました。
それにしても問題はこのタイトルです。私はつっかえつっかえの受験英語程度の語学力しかありませんが、直訳すると「幸せよさようなら」ですよね。何かの引用かと思ってネットを検索してみましたが、ヒットせず(ていうかGoogle検索もほとんどこの曲関連でジャックされてる)。つまり決して前向きなタイトルじゃないわけです。
しかし曲調はこんな感じで、それはちょうど桑田佳祐が"TSUNAMI"を作った時のように、「みんなこういうの待ってるんだよね、分かってるよ」という感じで出してきた、そのギャップにちょっと驚きました。サビの入り方なんかはちょっと"COLORS"に似ています。
それにしてもなんというか歌作りの地肩の強いこと。結構上がり下がりのきついメロディですが、無理にでもいっしょに歌いたくなる楽しさがあるし、しかも全然力入れてない感じは申し訳ないけど最近の他の人がかく曲とは全然違います。今の彼女がやりたい音楽なのかどうかはわかりませんが、ただ「いわゆる宇多田ヒカル風売れセン」だけで作ってるとは思えない。きっと何か仕込んであるという感じがします。この曲で言えば、ひとつはその"Goobye Happiness"という「真っ暗」なタイトルであり、歌詞の端々に見え隠れするメッセージ色の強い単語です(そしてこの曲の根っこはやはり暗いものだと思う)。楽しげなPVは懸命なカムフラージュまたは彼女のテレでしょう。
宇多田ヒカルはこの10年ちょっとの間、質の良い大衆音楽をつくり続けてくれました。その間、彼女は超メジャーでありつつJ-POPの良心でもありました。純文学的、私小説的な彼女の作風は、コンスタントに新曲を吐き出し続けることは難しいと思われ、休業もやむなしではありますが、わざわざ宣言なんかしなくても竹内まりやみたいにぼつぼつとやってくれれば良かったのに…。そこだけが残念ですね。
彼女が戻ってくるまで、私はなにを聞いていたら良いかなあ…
2010/11/09
2010/09/19
NICE AND NAUGHTY/ビビアン・スー
9月1日発売、とオフィシャルサイトで見たので、8月末に慌ててアマゾンの予約購入ボタンを押したら、さすがのアマゾンも手配していなかったのか3日ほど遅れて到着したビビアン・スーの新作シングルです。日本復帰第1作の"Beautiful Day"が上品だけれどとてもおとなしい曲でしたが、今回は全然違う路線。オリコンのサイトで見るとランキング圏外で売上データは詳細不明。あまり売れてない(?)ようなのですが、楽曲としてはすごく良いと思います。
エレクトロニックなロックサウンドで、それもかなりパターン化されたベタなものですが、その臆面の無さがなんとも聴いてて楽ちんです。
実は彼女が中国でやってる音楽がこんな感じで、思いつく限り様々なジャンルの音楽をアイドル歌謡として歌っています。そのやり方は、80年代の日本のアイドル歌謡にもたくさんあったもので、私の世代にとってはとても馴染み易い。彼女は場所をアジアに変えてそれを続けていたのですが、今回はそれを日本語でやった感じ。それにしてもこの、歌詞をそのまま映像に起こしたようなPVはなんとかならんかと思うと同時に、年齢的にこの演出はもうキツイかな、とも感じますけど、かわいいから良いか!
さて、作曲とプロデュースはJeff Miyaharaという人ですが、Wikipediaによるとこの人は安室奈美恵やJUJUや青山テルマなどの楽曲も手掛ける人。しかも韓国ミュージックシーンにも関わりが深いようで、対アジア市場ということも視野に入れた作品を作れる人のようです。歌詞3行目の"Hot Pink Suit"は韓国のかき氷=ハッピンスにかけたシャレでしょう。
カラオケはこのままで北京語にすればアジア向け商品になり、おそらくそっちの方が稼げるんじゃないでしょうか?
エレクトロニックなロックサウンドで、それもかなりパターン化されたベタなものですが、その臆面の無さがなんとも聴いてて楽ちんです。
実は彼女が中国でやってる音楽がこんな感じで、思いつく限り様々なジャンルの音楽をアイドル歌謡として歌っています。そのやり方は、80年代の日本のアイドル歌謡にもたくさんあったもので、私の世代にとってはとても馴染み易い。彼女は場所をアジアに変えてそれを続けていたのですが、今回はそれを日本語でやった感じ。それにしてもこの、歌詞をそのまま映像に起こしたようなPVはなんとかならんかと思うと同時に、年齢的にこの演出はもうキツイかな、とも感じますけど、かわいいから良いか!
さて、作曲とプロデュースはJeff Miyaharaという人ですが、Wikipediaによるとこの人は安室奈美恵やJUJUや青山テルマなどの楽曲も手掛ける人。しかも韓国ミュージックシーンにも関わりが深いようで、対アジア市場ということも視野に入れた作品を作れる人のようです。歌詞3行目の"Hot Pink Suit"は韓国のかき氷=ハッピンスにかけたシャレでしょう。
カラオケはこのままで北京語にすればアジア向け商品になり、おそらくそっちの方が稼げるんじゃないでしょうか?
2010/09/05
ただいまの歌/やもり(森山良子と矢野顕子)
日清製粉の企業CMで流れている曲です。
森山良子と矢野顕子というのはとても意外な取り合わせですが、共通点はジャズ畑で育ちつつポップスのジャンルで活動してきたベテランってことでしょうか?イメージとしては森山良子はフォーク、矢野顕子は、え~とジャンルわかりませんが(オルタナティヴ?)。
歌のプロフェッショナルである森山良子と天才・矢野顕子が組んでいるので、悪いはずがありません。私は今発売されているアルバム「あなたと歌おう」をiTunesでアルバム購入しました。13曲入りで2000円。


アルバムの1曲目、「風のブランコ」は森山良子を象徴するギターと矢野顕子を象徴するピアノの掛け合いから歌が始まります。お互いに高いスキルがありながら、シーケンサーの様にきっちりした森山良子の声とポルタメントがかかったような矢野顕子の声は、ユニゾンの箇所でところどころズレながら、でも崩れることなく続いていきます。このへんのいい意味での緩さがベテランならではです。
「ただいまの歌」も2コーラス全編ユニゾンで、同じ様に楽しめます。
アルバムの中に反戦歌「死んだ男の残したものは」を入れているところも、今となってはこの世代ならではか。
このユニットはひょっとして坂崎幸之助が亡くなった加藤和彦とやった「和幸」をヒントにしたのかもしれません。二人で話し合って始めたのか、誰かプロデューサーがいるのか?と公式サイトに行ってみましたが詳しいことは分からず!トップページには「大人のフォーク」って書いてあります。
-------9月19日の追記-----------
今発売中の週刊文春9月23日号の阿川佐和子の対談がやもりでした。
この対談によると、ユニットの結成は二人の間での自然発生的なものなのだそうです。「私たちってなんでもできちゃう」し、「キーが同じだから、やりたいと思った曲をその場でぱっとやれちゃう」のだそうです。
なあるほど!&その音楽スキルの高さがうらやましい!
森山良子と矢野顕子というのはとても意外な取り合わせですが、共通点はジャズ畑で育ちつつポップスのジャンルで活動してきたベテランってことでしょうか?イメージとしては森山良子はフォーク、矢野顕子は、え~とジャンルわかりませんが(オルタナティヴ?)。
歌のプロフェッショナルである森山良子と天才・矢野顕子が組んでいるので、悪いはずがありません。私は今発売されているアルバム「あなたと歌おう」をiTunesでアルバム購入しました。13曲入りで2000円。
アルバムの1曲目、「風のブランコ」は森山良子を象徴するギターと矢野顕子を象徴するピアノの掛け合いから歌が始まります。お互いに高いスキルがありながら、シーケンサーの様にきっちりした森山良子の声とポルタメントがかかったような矢野顕子の声は、ユニゾンの箇所でところどころズレながら、でも崩れることなく続いていきます。このへんのいい意味での緩さがベテランならではです。
「ただいまの歌」も2コーラス全編ユニゾンで、同じ様に楽しめます。
アルバムの中に反戦歌「死んだ男の残したものは」を入れているところも、今となってはこの世代ならではか。
このユニットはひょっとして坂崎幸之助が亡くなった加藤和彦とやった「和幸」をヒントにしたのかもしれません。二人で話し合って始めたのか、誰かプロデューサーがいるのか?と公式サイトに行ってみましたが詳しいことは分からず!トップページには「大人のフォーク」って書いてあります。
-------9月19日の追記-----------
今発売中の週刊文春9月23日号の阿川佐和子の対談がやもりでした。
この対談によると、ユニットの結成は二人の間での自然発生的なものなのだそうです。「私たちってなんでもできちゃう」し、「キーが同じだから、やりたいと思った曲をその場でぱっとやれちゃう」のだそうです。
なあるほど!&その音楽スキルの高さがうらやましい!
2010/08/28
あー夏休み/TUBE
「TUBEが25周年」とテレビで見て、そりゃワシも年を取るわけじゃわい、と思いました。
Wikipediaで確認するとデビューが1985年で、「シーズン・イン・ザ・サン」が1986年。なるほど、サザンオールスターズが"KAMAKURA"発売後に休養していた時期に「夏バンド」として陣地を固めていった訳ですね。
突出した個性がメジャーな成功を収めたとき、その利用の仕方にはいろいろあります。
一番素直なのは、その人がシンガー・ソングライターだったときに、本人に曲を発注する。「襟裳岬」や「シクラメンのかほり」なんかがそうです。元ネタの人たちにお金が入るし、いちばん良心的です。それでも昔は「歌謡曲の歌手に曲を提供するなんて…」と非難されたりしましたので、リスクはあったんですが(みんながピュアでいい時代だったなあ)。
次にシンガー・ソングライターの作風というのはある程度パターンが決まってますので(日本のシンガー・ソングライターは勉強熱心なので、職業作家的な幅をだんだん持って行きますが)、職業作家にそれ風の曲を作らせて売る、という手もあります。ナベプロ期待の大型新人のデビュー曲が「これってアンジェリ…。でも作曲家違うよね…」と純真な高校生を動揺させたりするパターン。
また、休養が多くてインターバルの長い、天才肌のシンガー・ソングライターが静かにしているあいだに職業作家にそれ風の曲を書かせ、パフォーマーとしてそこそこ力量がある歌手に唄わせることで存在そのものの代替を作っちゃうことある。ビーイング以降はその手が主流です。「宇多田ヒカルを分かりやすくしてもうちょっとカワイイ女の子に唄わせ…」って話はもういいですね。
TUBEも基本的にはそういう存在でした。夏・海・湘南をテーマにした軽快なロックサウンド(?)…。最初のうちは織田哲郎などから提供された曲を歌っていましたが、やがて自作曲を歌うようになります。その最初の頃の曲がこれ。
この歌詞がすごいことになってます。
湘南・葦簾・防波堤…、あげるときりがない。「夏休みといえば」というお題に忠実に単語を並べ、つなぎでいかにも桑田佳祐が使いそうな「ちゃうのかい」「チョイト」などのくすぐり、なぜか渡辺美里ふうに「泣いたっていいんじゃない」なんてのを混ぜてます。できあがりは純和風。
桑田佳祐の書く湘南の歌は、生まれ育ったリアルな場所を歌っているにもかかわらず、どこか映画(加山雄三とかの日活も含む)のシーンのようですが、前田亘輝が書くと、うんと庶民的になるのが面白いっちゃあ面白い。
サザンオールスターズっていう大きい塊の中から「夏・湘南+コミックバンド的要素」だけ抽出したらそれで25年やれたってのはマーケティングの勝利ですなあ…。
とはいえ、前田亘輝の声はたいしたもんです。声が太くて高い。
この声があれば、それこそカバーアルバムでもなんでも商売に出来ます。変にアーティスティックなイメージを作らずに、「陽気な海のオニイチャン」になったところで彼らは勝負に勝ったんですね。
音域も広い。「あー夏休み」の音を鍵盤で拾ってみると、「あーなつやすみー」の「あー」はBです。もう女性歌手でも地声の限界近いです。
Wikipediaで確認するとデビューが1985年で、「シーズン・イン・ザ・サン」が1986年。なるほど、サザンオールスターズが"KAMAKURA"発売後に休養していた時期に「夏バンド」として陣地を固めていった訳ですね。
突出した個性がメジャーな成功を収めたとき、その利用の仕方にはいろいろあります。
一番素直なのは、その人がシンガー・ソングライターだったときに、本人に曲を発注する。「襟裳岬」や「シクラメンのかほり」なんかがそうです。元ネタの人たちにお金が入るし、いちばん良心的です。それでも昔は「歌謡曲の歌手に曲を提供するなんて…」と非難されたりしましたので、リスクはあったんですが(みんながピュアでいい時代だったなあ)。
次にシンガー・ソングライターの作風というのはある程度パターンが決まってますので(日本のシンガー・ソングライターは勉強熱心なので、職業作家的な幅をだんだん持って行きますが)、職業作家にそれ風の曲を作らせて売る、という手もあります。ナベプロ期待の大型新人のデビュー曲が「これってアンジェリ…。でも作曲家違うよね…」と純真な高校生を動揺させたりするパターン。
また、休養が多くてインターバルの長い、天才肌のシンガー・ソングライターが静かにしているあいだに職業作家にそれ風の曲を書かせ、パフォーマーとしてそこそこ力量がある歌手に唄わせることで存在そのものの代替を作っちゃうことある。ビーイング以降はその手が主流です。「宇多田ヒカルを分かりやすくしてもうちょっとカワイイ女の子に唄わせ…」って話はもういいですね。
TUBEも基本的にはそういう存在でした。夏・海・湘南をテーマにした軽快なロックサウンド(?)…。最初のうちは織田哲郎などから提供された曲を歌っていましたが、やがて自作曲を歌うようになります。その最初の頃の曲がこれ。
この歌詞がすごいことになってます。
湘南・葦簾・防波堤…、あげるときりがない。「夏休みといえば」というお題に忠実に単語を並べ、つなぎでいかにも桑田佳祐が使いそうな「ちゃうのかい」「チョイト」などのくすぐり、なぜか渡辺美里ふうに「泣いたっていいんじゃない」なんてのを混ぜてます。できあがりは純和風。
桑田佳祐の書く湘南の歌は、生まれ育ったリアルな場所を歌っているにもかかわらず、どこか映画(加山雄三とかの日活も含む)のシーンのようですが、前田亘輝が書くと、うんと庶民的になるのが面白いっちゃあ面白い。
サザンオールスターズっていう大きい塊の中から「夏・湘南+コミックバンド的要素」だけ抽出したらそれで25年やれたってのはマーケティングの勝利ですなあ…。
とはいえ、前田亘輝の声はたいしたもんです。声が太くて高い。
この声があれば、それこそカバーアルバムでもなんでも商売に出来ます。変にアーティスティックなイメージを作らずに、「陽気な海のオニイチャン」になったところで彼らは勝負に勝ったんですね。
音域も広い。「あー夏休み」の音を鍵盤で拾ってみると、「あーなつやすみー」の「あー」はBです。もう女性歌手でも地声の限界近いです。
2010/08/14
再掲:宇多田ヒカルの話
2007年5月に「はてなダイアリー」に書いた宇多田ヒカルの話です。
8月9日の本人のブログで発表された宇多田ヒカルの休業宣言については、私もなにかひとこと書きたいところなんですが、一から書く体力(ていうか根気)が無いので、まずここまでは考えました、ということで過去の自分の記事を再掲します。以下、ほぼそのまま引用します。
(前略)多分、宇多田ヒカルも現代に生きて活動している音楽家なので、他のアーティスト同様に営業面の苦労はあると思います。特にデビュー直後の数年は、東芝EMIの営業部のマネージャーなんか前年実績に凄い数字が残っていて、会議の時に「えー、去年は"First Love"特需があったものですから…」「バカもん、今年は今年だ!」とか怒られていたのではないでしょうか?まあ会社のことはさておいて単純に彼女個人のことを考えても、事実上のデビューアルバムが 800万枚も売れちゃったら、そんな数字が二度と出るとは思えませんから、次はどれだけ売れようと「落ち目」と云われてしまうと思うでしょう。そこでやり逃げしないで現在までコンスタントに新作を発表し続けたのはたいした精神力だと云って良いと思います。なにせ当時の彼女は高校生だったんですからね。
そういう厳しいプレッシャーがかかる状況に負けずに彼女が音楽を続けてきた理由は、天性の表現者だからでしょう。音楽が好きで、音楽によって自分を表現したいという意識を強く持っている。そしてそれは彼女の心のかなり深いところから来ているのではないかと私は推測(邪推?)しています。
70~80年代の「ニューミュージックのアーティスト」は、自作の恋の歌を歌いながら「歌詞は実生活とは関係ありません」とか「あくまでもフィクションです」という言い方をする人が多かった。また、その頃の男性シンガー・ソングライターは「歌詞が書けなくて」と云う方が格好良く見えたということもあります。男性アーティストにとっては「男が詩を書くなんてはずかしい」というアマチュア的なテレがあったように思うし、逆に「俺はサウンド重視のアーティストだから」というポーズにも使っていたのでしょう。槇原敬之みたいに「僕は詞先です」なんていう男性アーティストは稀だった。
女性アーティストにしても、アイドル視しているファンが多ければ、あまり波風の立つ発言はし辛かったでしょうし。
男性アーティストにおいては、その風潮がずっと続いているから、今も歌詞が伝わらない曲ばかりできてくるのかもしれません。それでも女性を中心に実体験を素材にしている人も出てきており、そのあたりの姿勢は改善されつつあるようですが、次の欲求として、表現のレベルをもっと高くして欲しいという不満があります。お昼に茅場町の定食屋でOLがしゃべってる内容と変わらないようなのが多い。
そこで宇多田ヒカルはどうか?
例えば、「ぼくはくま」のくまちゃんは、「歩けないけど踊れるよ」「しゃべれないけど歌えるよ」と云っています。彼女にとってお気に入りのぬいぐるみの「くま」が自分の分身であるのはほぼ明らかなので、彼女は自分のことを「他のことは無力だけれど、音楽が絡めば(踊るとか歌うとかの)能力があるよ」と云っているわけです、多分。
若くしてミュージシャンとして破格の成功をし、高校を飛び級で卒業して名門大学に入った彼女の、何が無力なのか?それは多分、家族(両親)とのコミュニケーションにおいてなのではないか?両親それぞれは自分をかわいがってくれた(想像)が、3人揃うと不安定になる家族。一人っ子の彼女は両親が仲良くいっしょにいてくれることに幼少の頃から必死で心を砕いていたのではないか?と同じく一人っ子の私は思います。
こういう子どもは「アダルト・チルドレン」になるんじゃないですか?彼女が早熟の天才になったのは、自分が早く活躍して柱にならないと家庭が崩壊すると感じていたからでは?また、意外なほど早くに結婚してしまったのはその裏返しでは?
そしてつい最近の様子を見ても、父と夫がスタッフとして名を連ねているコンサートツアー中に、なんで一人ホテルの部屋で熊のぬいぐるみとお話をしてなくちゃいけなかった(昨年の夏頃からの本人の日記を読みましょう→http://www.u3music.com/message/index.php?m=1)のでしょうか?
彼女の心の傷はかなり深く、しかしだからこそ表現者であるというのが私の邪推です。彼女自身が自らを救うために曲作りという作業を必要としているのではないか、と。こういう深読みができるから彼女から目が離せないのです。
さて、表現上の話もしてみましょう。
まず歌唱。
彼女の歌は歌詞が聞き取れます。
前にも書きましたが、"Comぴゅうたあ Screenのなかー"(Automatic)など、バイリンガルの気ままさでネイティヴ風英語とカタカナ語を奔放に使い分けたりするので、歌詞カードを読まないとわかりにくいところはありますが、きっちりした日本語のところはちゃんと聞き取れます。聞き取れるように歌うと言うことは、「聞かせたい歌があ」って作品を作っているからでしょう。
また、MISIAのような圧倒的な声量と伸びやかな声というわけではありませんが、お母さん譲りのハスキーボイスと音域の広さをもっています。それと人間なのにバイオリンみたいに聞こえるビブラートも魅力です。これらの財産は彼女の曲作りに良い影響があるでしょう。やっぱりレンジの広い楽器で作った方が、メロディの展開に幅ができますから。かといって声を出さずに鍵盤だけで作ると、ちょっと前に時代の寵児となった某大プロデューサー&コンポーザーの作品のように、小難しい割に歌った後に満足感が得られない曲になってしまいます(ま、だからこそ宇都宮隆のボーカリストとしての素晴らしさが味わえたんですが)。
そして歌詞。さっき「ぼくはくま」を題材に邪推を重ねましたが、彼女は若いながらも、あるいは若さ故にその人生の節目節目で「何かあったこと」をかなり正直に歌にしているように思います。"Can You Keep A Secret"では恋をしてるのかな、と思わせるし、"travelling"ではなにか活動上の大きな展開をもくろんでいるように思いました。"Flavor Of Life"も今の状況から深読みすれば「ふんふん」と納得できるところが多々あります。彼女は基本的に私小説作家です。
私はデビュー当時のオフィシャルサイトでの日記を結構ちゃんとチェックしていましたが、彼女は今の日本の高校に通う生徒に比べて(おそらく)はるかに日本の古典を読んでいます(私もあんまり読んでないので負けている)。それも夏目漱石とかの近代の文豪のやつ。私小説的表現に対して、今の若者には珍しいほど親近感を持っているはずです。
また、ヒップホップの台頭以降、突然流行りだした韻を踏む作詞法(松本隆なども意識的に言葉遊びをやってきたが、しばらくはあまり追随者がいなかった)も、彼女は谷川俊太郎に近い、より日本的センスで取り入れています。この辺は学校で優等生だった教養を感じさせます。「ぼくはくま」に話を戻すと、「くまくまくま くるまじゃないよ」も谷川的。
コンポーザーとしてはどうでしょう?
彼女は「クイーンが好き」と云っています。両親の趣味なのか、若いのに結構古い音楽に親しんでいます。だから、曲の中に我々ニューミュージック&MTV世代にとっても、分かりやすい展開が混じっています。例えば"Automatic"の「きーみにあっうとーぜんぶーふっ」のメロディはちょっとマイケル・ジャクソン(これも本人が好きだと云っていますね)の"Human Nature"のサビのにおいがします。
そして、そこがあるからR&Bに疎い私も一発でついて来れたんです。また"Wait & See"なんかは作者の意図は知りませんが、あのサビの畳み込みとバックコーラスなんか、後期オフコース好きの私にとって、まったく抵抗なく「大好き」と云える出来でした。
つまり、ぶっちゃけて言いますと、彼女は我々小父さんと話が合うんですな。
若いのに昔のことをよく知っているし、年上の人間にも分かるように表現をすることができる。これはかわいがられるでしょう?
そして、年上の人間をころがすことにかけては、大人の集団の中でたった一人の子どもとして育つ一人っ子は、無理しなくても自然にできるのです。
「おまえ、なんでその年でそんな古いこと知ってるんだよ」とか言われながら、苦もなく話の輪に入る。ましてやそこそこ頭が良ければ完璧です。
てなわけで、中年から見て見所のたくさんある彼女は、顔はお母さんほど美人じゃないけれど可愛い娘のようでもあり、私も今しばらく彼女の作品は注意して見ていくつもりでいます。
海外進出(失敗?)以降、ここ数年、世間の評価が良く分からないところがある(というか最近の彼女に関する評論って売上推移のことしかないんで、これだけ読み込める素材に対してもったいないことこの上ないと思う)んですが、出てくる作品としては私は実質2年目の"For You"の頃の方が、先が見えてこない気がして心配でした。それに比べればこないだの"Passion"なんかは本人が実験をしたかっただけで、今の松坂の四球病ほどの深刻さもないでしょう。
それよりも、彼女の感性を同世代の若い客層がどのくらい共有しているのかの方がよっぽど心配です。若者よ本を読め、昔の曲を聴け。宇多田ヒカルの感性を共有しなさい、と訴えたい。そうすると今売れている、商品としては一見完成度の高い音楽の中に、欠落している(と私が思っている)ものも分かってもらえると思うのです。
8月9日の本人のブログで発表された宇多田ヒカルの休業宣言については、私もなにかひとこと書きたいところなんですが、一から書く体力(ていうか根気)が無いので、まずここまでは考えました、ということで過去の自分の記事を再掲します。以下、ほぼそのまま引用します。
(前略)多分、宇多田ヒカルも現代に生きて活動している音楽家なので、他のアーティスト同様に営業面の苦労はあると思います。特にデビュー直後の数年は、東芝EMIの営業部のマネージャーなんか前年実績に凄い数字が残っていて、会議の時に「えー、去年は"First Love"特需があったものですから…」「バカもん、今年は今年だ!」とか怒られていたのではないでしょうか?まあ会社のことはさておいて単純に彼女個人のことを考えても、事実上のデビューアルバムが 800万枚も売れちゃったら、そんな数字が二度と出るとは思えませんから、次はどれだけ売れようと「落ち目」と云われてしまうと思うでしょう。そこでやり逃げしないで現在までコンスタントに新作を発表し続けたのはたいした精神力だと云って良いと思います。なにせ当時の彼女は高校生だったんですからね。
そういう厳しいプレッシャーがかかる状況に負けずに彼女が音楽を続けてきた理由は、天性の表現者だからでしょう。音楽が好きで、音楽によって自分を表現したいという意識を強く持っている。そしてそれは彼女の心のかなり深いところから来ているのではないかと私は推測(邪推?)しています。
70~80年代の「ニューミュージックのアーティスト」は、自作の恋の歌を歌いながら「歌詞は実生活とは関係ありません」とか「あくまでもフィクションです」という言い方をする人が多かった。また、その頃の男性シンガー・ソングライターは「歌詞が書けなくて」と云う方が格好良く見えたということもあります。男性アーティストにとっては「男が詩を書くなんてはずかしい」というアマチュア的なテレがあったように思うし、逆に「俺はサウンド重視のアーティストだから」というポーズにも使っていたのでしょう。槇原敬之みたいに「僕は詞先です」なんていう男性アーティストは稀だった。
女性アーティストにしても、アイドル視しているファンが多ければ、あまり波風の立つ発言はし辛かったでしょうし。
男性アーティストにおいては、その風潮がずっと続いているから、今も歌詞が伝わらない曲ばかりできてくるのかもしれません。それでも女性を中心に実体験を素材にしている人も出てきており、そのあたりの姿勢は改善されつつあるようですが、次の欲求として、表現のレベルをもっと高くして欲しいという不満があります。お昼に茅場町の定食屋でOLがしゃべってる内容と変わらないようなのが多い。
そこで宇多田ヒカルはどうか?
例えば、「ぼくはくま」のくまちゃんは、「歩けないけど踊れるよ」「しゃべれないけど歌えるよ」と云っています。彼女にとってお気に入りのぬいぐるみの「くま」が自分の分身であるのはほぼ明らかなので、彼女は自分のことを「他のことは無力だけれど、音楽が絡めば(踊るとか歌うとかの)能力があるよ」と云っているわけです、多分。
若くしてミュージシャンとして破格の成功をし、高校を飛び級で卒業して名門大学に入った彼女の、何が無力なのか?それは多分、家族(両親)とのコミュニケーションにおいてなのではないか?両親それぞれは自分をかわいがってくれた(想像)が、3人揃うと不安定になる家族。一人っ子の彼女は両親が仲良くいっしょにいてくれることに幼少の頃から必死で心を砕いていたのではないか?と同じく一人っ子の私は思います。
こういう子どもは「アダルト・チルドレン」になるんじゃないですか?彼女が早熟の天才になったのは、自分が早く活躍して柱にならないと家庭が崩壊すると感じていたからでは?また、意外なほど早くに結婚してしまったのはその裏返しでは?
そしてつい最近の様子を見ても、父と夫がスタッフとして名を連ねているコンサートツアー中に、なんで一人ホテルの部屋で熊のぬいぐるみとお話をしてなくちゃいけなかった(昨年の夏頃からの本人の日記を読みましょう→http://www.u3music.com/message/index.php?m=1)のでしょうか?
彼女の心の傷はかなり深く、しかしだからこそ表現者であるというのが私の邪推です。彼女自身が自らを救うために曲作りという作業を必要としているのではないか、と。こういう深読みができるから彼女から目が離せないのです。
さて、表現上の話もしてみましょう。
まず歌唱。
彼女の歌は歌詞が聞き取れます。
前にも書きましたが、"Comぴゅうたあ Screenのなかー"(Automatic)など、バイリンガルの気ままさでネイティヴ風英語とカタカナ語を奔放に使い分けたりするので、歌詞カードを読まないとわかりにくいところはありますが、きっちりした日本語のところはちゃんと聞き取れます。聞き取れるように歌うと言うことは、「聞かせたい歌があ」って作品を作っているからでしょう。
また、MISIAのような圧倒的な声量と伸びやかな声というわけではありませんが、お母さん譲りのハスキーボイスと音域の広さをもっています。それと人間なのにバイオリンみたいに聞こえるビブラートも魅力です。これらの財産は彼女の曲作りに良い影響があるでしょう。やっぱりレンジの広い楽器で作った方が、メロディの展開に幅ができますから。かといって声を出さずに鍵盤だけで作ると、ちょっと前に時代の寵児となった某大プロデューサー&コンポーザーの作品のように、小難しい割に歌った後に満足感が得られない曲になってしまいます(ま、だからこそ宇都宮隆のボーカリストとしての素晴らしさが味わえたんですが)。
そして歌詞。さっき「ぼくはくま」を題材に邪推を重ねましたが、彼女は若いながらも、あるいは若さ故にその人生の節目節目で「何かあったこと」をかなり正直に歌にしているように思います。"Can You Keep A Secret"では恋をしてるのかな、と思わせるし、"travelling"ではなにか活動上の大きな展開をもくろんでいるように思いました。"Flavor Of Life"も今の状況から深読みすれば「ふんふん」と納得できるところが多々あります。彼女は基本的に私小説作家です。
私はデビュー当時のオフィシャルサイトでの日記を結構ちゃんとチェックしていましたが、彼女は今の日本の高校に通う生徒に比べて(おそらく)はるかに日本の古典を読んでいます(私もあんまり読んでないので負けている)。それも夏目漱石とかの近代の文豪のやつ。私小説的表現に対して、今の若者には珍しいほど親近感を持っているはずです。
また、ヒップホップの台頭以降、突然流行りだした韻を踏む作詞法(松本隆なども意識的に言葉遊びをやってきたが、しばらくはあまり追随者がいなかった)も、彼女は谷川俊太郎に近い、より日本的センスで取り入れています。この辺は学校で優等生だった教養を感じさせます。「ぼくはくま」に話を戻すと、「くまくまくま くるまじゃないよ」も谷川的。
コンポーザーとしてはどうでしょう?
彼女は「クイーンが好き」と云っています。両親の趣味なのか、若いのに結構古い音楽に親しんでいます。だから、曲の中に我々ニューミュージック&MTV世代にとっても、分かりやすい展開が混じっています。例えば"Automatic"の「きーみにあっうとーぜんぶーふっ」のメロディはちょっとマイケル・ジャクソン(これも本人が好きだと云っていますね)の"Human Nature"のサビのにおいがします。
そして、そこがあるからR&Bに疎い私も一発でついて来れたんです。また"Wait & See"なんかは作者の意図は知りませんが、あのサビの畳み込みとバックコーラスなんか、後期オフコース好きの私にとって、まったく抵抗なく「大好き」と云える出来でした。
つまり、ぶっちゃけて言いますと、彼女は我々小父さんと話が合うんですな。
若いのに昔のことをよく知っているし、年上の人間にも分かるように表現をすることができる。これはかわいがられるでしょう?
そして、年上の人間をころがすことにかけては、大人の集団の中でたった一人の子どもとして育つ一人っ子は、無理しなくても自然にできるのです。
「おまえ、なんでその年でそんな古いこと知ってるんだよ」とか言われながら、苦もなく話の輪に入る。ましてやそこそこ頭が良ければ完璧です。
てなわけで、中年から見て見所のたくさんある彼女は、顔はお母さんほど美人じゃないけれど可愛い娘のようでもあり、私も今しばらく彼女の作品は注意して見ていくつもりでいます。
海外進出(失敗?)以降、ここ数年、世間の評価が良く分からないところがある(というか最近の彼女に関する評論って売上推移のことしかないんで、これだけ読み込める素材に対してもったいないことこの上ないと思う)んですが、出てくる作品としては私は実質2年目の"For You"の頃の方が、先が見えてこない気がして心配でした。それに比べればこないだの"Passion"なんかは本人が実験をしたかっただけで、今の松坂の四球病ほどの深刻さもないでしょう。
それよりも、彼女の感性を同世代の若い客層がどのくらい共有しているのかの方がよっぽど心配です。若者よ本を読め、昔の曲を聴け。宇多田ヒカルの感性を共有しなさい、と訴えたい。そうすると今売れている、商品としては一見完成度の高い音楽の中に、欠落している(と私が思っている)ものも分かってもらえると思うのです。
2010/07/18
Hits/安全地帯
ここ数年、プライベートな話題に事欠かない玉置浩二ですが、何年ぶりかで何度目かの活動再開ということで、安全地帯の新作アルバムが出ています。
"Hits"と、シンプルなタイトルが付いたこのアルバムは、安全地帯の代表作を「当時のトラックをベースに全曲新録音」しなおした(CDの帯による)もの、だそうです。年代的には「ワインレッドの心(1983年)」から「月に濡れた二人(1988年)」。その後はバンド活動休止と再開を数度繰り返していますが、安全地帯としてのヒット曲は記憶に無く(玉置浩二のソロでサバカレーのドラマの歌がありましたが)、これ1枚あれば特に思い入れのない消費者には十分なラインナップとなっています(失礼?)。
一通り聴いてみました。
カラオケは「え?」と思うほど昔のままです。「当時のトラックをベースに全曲新録音」というのはひょっとして玉置浩二がボーカル差し替えただけ?と思うほどです。確か先週の土曜日(7月9日)に放映されたミュージックフェアでは5人そろって演奏してましたから「できるだけオリジナルに忠実に」再現したのかもしれませんが、録音自体古いんじゃないかなあ、という音です。ミックスが変えてあるのは間違いないのですが、それ以上はどこが差し替わっているのか私の耳では分かりませんでした(昔の音源も持ってないし)。また、テレビでやってたアンプラグド風「ワインレッドの心」も良かったんですが、このアルバムには通常版が収録されています。
一方、健康面が心配された玉置浩二の声は健在で、オリジナルよりも生声っぽく処理されているにもかかわらず、その色気と迫力はさすが。よくできたホーンスピーカーのように朗々と歌う部分と囁くようなせつない歌い方のメリハリが見事で、しかもどちらもよく通る、素晴らしい声です。ところどころ自己陶酔っぽいフェイクが入りますが、全体的には「やっぱりうまい」と思わせます。私は以前、玉置浩二はボーカリストとしての才能がソングライターとしての才能に勝ちすぎてるんじゃないか、というような事を偉そうに書きましたが、撤回します。「恋の予感」とか、やっぱりうまくないと歌えません。
振り返ると、それぞれの時代には歌の神様に見込まれたかのように見える歌手がときどき出現します。80年代の代表はおそらく玉置浩二でしょう。90年代は吉田美和で00年代は平井堅、という見立てになるんですが。
しかし、歌の神様は見込まれたご本人たちの個人の幸福までは面倒を見てくれないようです。このジャケット写真といい、ここ1〜2年の乱行ぶりといい、最近の玉置浩二のハジけかたは異常です。前述のミュージックフェアでの本人の発言や、ワイドショーでの言動を総合すると、彼は「自分の感情のままに生きる」ということに決めているようです。その時思ったことに正直に行動するので、過去の発言との辻褄とか、世間の揶揄とかは斟酌しないのでしょう。
それはとても素敵な生き方ですが、ここは日本ですし、せっかくの才能ですから、あまり破滅的にならずに末永く活躍していただきたいと思います(あーでも50歳過ぎたら僕もそうなるかもしれないなあ。兆候あるもん)。
私はうっかりCDを買ってしまいましたが、iTunesでもダウンロード可能です。

"Hits"と、シンプルなタイトルが付いたこのアルバムは、安全地帯の代表作を「当時のトラックをベースに全曲新録音」しなおした(CDの帯による)もの、だそうです。年代的には「ワインレッドの心(1983年)」から「月に濡れた二人(1988年)」。その後はバンド活動休止と再開を数度繰り返していますが、安全地帯としてのヒット曲は記憶に無く(玉置浩二のソロでサバカレーのドラマの歌がありましたが)、これ1枚あれば特に思い入れのない消費者には十分なラインナップとなっています(失礼?)。
一通り聴いてみました。
カラオケは「え?」と思うほど昔のままです。「当時のトラックをベースに全曲新録音」というのはひょっとして玉置浩二がボーカル差し替えただけ?と思うほどです。確か先週の土曜日(7月9日)に放映されたミュージックフェアでは5人そろって演奏してましたから「できるだけオリジナルに忠実に」再現したのかもしれませんが、録音自体古いんじゃないかなあ、という音です。ミックスが変えてあるのは間違いないのですが、それ以上はどこが差し替わっているのか私の耳では分かりませんでした(昔の音源も持ってないし)。また、テレビでやってたアンプラグド風「ワインレッドの心」も良かったんですが、このアルバムには通常版が収録されています。
一方、健康面が心配された玉置浩二の声は健在で、オリジナルよりも生声っぽく処理されているにもかかわらず、その色気と迫力はさすが。よくできたホーンスピーカーのように朗々と歌う部分と囁くようなせつない歌い方のメリハリが見事で、しかもどちらもよく通る、素晴らしい声です。ところどころ自己陶酔っぽいフェイクが入りますが、全体的には「やっぱりうまい」と思わせます。私は以前、玉置浩二はボーカリストとしての才能がソングライターとしての才能に勝ちすぎてるんじゃないか、というような事を偉そうに書きましたが、撤回します。「恋の予感」とか、やっぱりうまくないと歌えません。
振り返ると、それぞれの時代には歌の神様に見込まれたかのように見える歌手がときどき出現します。80年代の代表はおそらく玉置浩二でしょう。90年代は吉田美和で00年代は平井堅、という見立てになるんですが。
しかし、歌の神様は見込まれたご本人たちの個人の幸福までは面倒を見てくれないようです。このジャケット写真といい、ここ1〜2年の乱行ぶりといい、最近の玉置浩二のハジけかたは異常です。前述のミュージックフェアでの本人の発言や、ワイドショーでの言動を総合すると、彼は「自分の感情のままに生きる」ということに決めているようです。その時思ったことに正直に行動するので、過去の発言との辻褄とか、世間の揶揄とかは斟酌しないのでしょう。
それはとても素敵な生き方ですが、ここは日本ですし、せっかくの才能ですから、あまり破滅的にならずに末永く活躍していただきたいと思います(あーでも50歳過ぎたら僕もそうなるかもしれないなあ。兆候あるもん)。
私はうっかりCDを買ってしまいましたが、iTunesでもダウンロード可能です。
2010/06/05
乱反射ガール/土岐麻子
先週くらいの週刊朝日で、渡辺祐氏が紹介していたのが土岐麻子「乱反射ガール」です。渡辺氏によると「なつかしの80年代シティポップ」ということで、「そりゃちょっと聴いてみたいかも」と試聴もせずにアルバム1枚分を2000円でダウンロードしてみました。気づいてなかったんですが、iTSでもトップページで紹介されていたんですね。


新人なのかと思ってWikipediaを読んでみたら、1976年生まれということで中堅というか女性歌手としてはベテランと言って良い年齢です。2003年まではバンドCymbalsのメンバーだった、ということですが、私はCymbalsは知りませんでした。ソロとしてはジャズのアルバムも出しています。「実力派」なんですね。
聴いてみました。
20秒ほどの"Intro"の後、M2として収録されている「乱反射ガール」はまさしく「シティポップ」でした。川口大輔の作曲ですが、バブル期が懐かしいおじさんが、泣いて喜ぶ倍音たっぷりのシンセのフレーズと美しいストリングス、土岐麻子の上手いけどナチュラルさを残した発声が「国道246号線の夜景」っぽくていいです。カラオケはなぜかちょっと中谷美紀の「ケイゾク」のテーマ(クロニック・ラヴ)にもちょっと似ています。
そのまま5曲目くらいまでは、本当に80年代っぽいです。はっぴいえんど、キャラメル・ママ、「RCA三人娘」なんかが好きだった人には、なんの抵抗も無いでしょう。お薦めします!特にこのタイトル曲と「M5.鎌倉」はセールス的にいちばん成功していた頃のEPOによく似ています(もっとしつこく例えるとキャラメル・ママをバックにEPOが歌ってるみたい)。
M7でなぜか突然"ALL YOU NEED IS LOVE"のカバーが入るほか、M10ではマイケル・ジャクソンの"HUMAN NATURE"をアンプラグドな感じで和田唱とデュエットしていて、和田唱が意外なほど歌が上手いことも教えてもらえます。
全13曲、飽きずに聴けます。iTSでアルバム単位でダウンロード、あるいはCDで買っても損はないと思います。
新人なのかと思ってWikipediaを読んでみたら、1976年生まれということで中堅というか女性歌手としてはベテランと言って良い年齢です。2003年まではバンドCymbalsのメンバーだった、ということですが、私はCymbalsは知りませんでした。ソロとしてはジャズのアルバムも出しています。「実力派」なんですね。
聴いてみました。
20秒ほどの"Intro"の後、M2として収録されている「乱反射ガール」はまさしく「シティポップ」でした。川口大輔の作曲ですが、バブル期が懐かしいおじさんが、泣いて喜ぶ倍音たっぷりのシンセのフレーズと美しいストリングス、土岐麻子の上手いけどナチュラルさを残した発声が「国道246号線の夜景」っぽくていいです。カラオケはなぜかちょっと中谷美紀の「ケイゾク」のテーマ(クロニック・ラヴ)にもちょっと似ています。
そのまま5曲目くらいまでは、本当に80年代っぽいです。はっぴいえんど、キャラメル・ママ、「RCA三人娘」なんかが好きだった人には、なんの抵抗も無いでしょう。お薦めします!特にこのタイトル曲と「M5.鎌倉」はセールス的にいちばん成功していた頃のEPOによく似ています(もっとしつこく例えるとキャラメル・ママをバックにEPOが歌ってるみたい)。
M7でなぜか突然"ALL YOU NEED IS LOVE"のカバーが入るほか、M10ではマイケル・ジャクソンの"HUMAN NATURE"をアンプラグドな感じで和田唱とデュエットしていて、和田唱が意外なほど歌が上手いことも教えてもらえます。
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