2019/05/19

Apple Musicで聴く昭和のテクノ

先日、出張中に新幹線の車内でふと「ヒカシュー」という単語を思い出して、「そういえば、Apple Musicで昔のテクノポップとか聴けるんだったかな?」と検索してみたら、なんだたくさんあるじゃないか!というわけでそのまま何枚か聴いてみました。


  • ヒカシュー/ヒカシュー

アルバムタイトルとしては「うわさの人類」の方が記憶に残ってたような気がするけど、「20世紀の終りに」を聴きたかったので1980年作のこちら。リズムマシン、モノシンセによるベース音というテクノポップらしい音と、今思うと劇団ひとりに似た感じのボーカルが、独特の歌い方で押し切るバンド。楽器の音が数えられるようなシンプルなトラック。後年のヤマハのキーボードでそのまま出せるようなコーラス音も使われています。



  • WELCOME PLASTICS/PLASTICS

関連するアーティストのところに今度はPLASTICSを発見!
プラスチックス(プラス「ティ」ックスじゃないんやで)も1980年の作品。知ってる曲は「COPY」。YMOを別格とすると当時のテクノポップではこれがど真ん中だったのではないかな?
どうせ機械が演奏するんだからと、プロっぽいテクニックとかニュアンスとか関係ないところで作られた音楽は当時聴いても単純でしたが、それは当時のテクノロジーの限界に規定されていました。
なんせ、当時の電子楽器はやっと和音が出る(それも4音とか6音とか上限があった)ようになったところで、素人がギターを買うように買える値段のシンセサイザーは、たいてい単音か、せいぜいユニゾンで二つ目のオシレーターを鳴らせる程度。作曲ソフトとかもなくて、物理的に機械で次に鳴らす音(音程、音量、長さ)を指定して並べ、16音符ぶんを自動演奏させる程度のものしかなかったわけです。1曲を再生するにはテープレコーダーに多重録音するしかない。今はタブレットひとつで数段高いレベルの曲を作ることができます。でも、当時はそれがカッコよかったし、演奏能力に関係なくセンスだけを武器に音楽で勝負ができたいい時代だったとも言えます。YMOは別格として。

  • 改造への躍動/ゲルニカ

同じく、ヒカシューのページに関連で出てくるのが戸川純とそのユニット。時代を合わせてゲルニカでいいか、と「改造への躍動」を聴いてみます。これはテクノというよりニューウェイブて感じでしょうか。上の2枚の頃はは高校生でしたが、ゲルニカが出たときは大学生になっていました。
私の大学だけではないと思うのですが、当時はキャンパスに薄ぼんやりと学生運動のにおいが残っていて、そういう残り火的左翼系サークルやら、もっと怪しい宗教系サークルなどが夕方になるとじわじわと湧いてきて活動しているという雰囲気。メディアも今よりずっと為政者に対して批判的だったし、なによりまだ戦争体験をリアルに語れる人がそれぞれの親類縁者にたくさんいて、不用意な勇ましい発言に対するチェックも今より敏感で、それに対する批判ももっと論理的だった気がします。
そんな「偏向報道」が横行する世の中をなんとか変えて、自民党がやりやすいメディア環境を作るため、フジテレビなどが日本人がもう、みんな馬鹿になるような「楽しい番組」を積極的につくり始めたころです。その後、ソ連の崩壊や謎のバブル景気などもあって、この活動は大成功するのですが、そのちょっと前の時代ですね。
私もそういう「もっと資本主義と仲良くしようよ」的なサークルの部室から漏れてくるYENレーベルのレコードの音を、隣の部室でぼんやり聴いていたものです。
ゲルニカのアルバムには、そんな時代の気分を先取りしたような、あるいは茶化したような、戦前の日本あるいは近代化をめざすアジアの独裁国家の唱歌のような曲が並んでいます。YMOの人民服とはつながっているようないないような…。そしてプロデューサーが細野晴臣。当然、音楽性は当時の「雨後の筍」的テクノポップとは全然レベルが違います。

この3作はいずれも80年代の文化の代表として捉えていただいて良いのですが、残念ながらどれを知っていても若い女性にモテるためのツールにはならないところが残念です。

それにしても今思うと80年代というのは何をやってもOKな空気があって、玉石混交ではありますが、思いつく限りのあらゆるおふざけ、不謹慎、楽屋落ちの実験がされた時代でもあります。だから最近のメディアに出てくる挑戦的と評価される文化についても、大概は「あー、はいはいその感じね」で消化できてしまう可愛くない年寄りになりつつあります。








2019/05/05

日本の恋と、ユーミンと。/松任谷由実

 さて、とうとうユーミンがストリーミング配信されるようになりました。随分と掘りがいのある鉱脈に出会ってしまったものです。

 私は兄弟もおらず、基本的に昭和一桁の両親と見るテレビだけで幼少期の音楽体験をしてきましたので、ユーミンのことを知ったのは、随分と年長になってからのことでした。
 おそらく最初に聴いたのは母が午後に多分再放送で見ていた連続ドラマの主題歌として使われていた「あの日にかえりたい」だったと思います(なんのドラマだったんだろう。あまり重要なことではないので調べずに素通りしますが)。

 私にとっては検証をしないうちにとんでもない大きな存在であることだけが結論として伝えられたのがユーミンです。そりゃ私もバブル時代を生きてきましたし、「私をスキーに連れてって」もレンタルビデオで見ましたから、大人になった頃にはなんとか追いついたんですけどね。

 Wikipediaなどで確認してみると、1983年の「VOYAGER」から1995年の「KATHMANDU」までの干支一回りの間、判で押したように11月下旬から12月上旬にアルバムが発売されています。この間、日本人が毎年の暮れになるとユーミンのアルバムを買ってクリスマスを迎えることが国民的行事になっていたということがわかります。恐ろしや。

 で、荒井由実時代のことについては実はほとんどよく知らないということで、何年か前に慌てて「ひこうき雲」など買って聴いたりしたんですが、改めて表題のアルバムに収められた曲の中から荒井由実時代の作品に注意しながら聴いていると、そりゃまあ、我々の上の世代が崇め奉るのもよくわかります。私も今後は改めてユーミンの旧作をアルバム1枚ずつ、ゆっくり味わってみようと思っています。

 大衆音楽家の先進性というのは、当然、その時代と込みで考察されるべきであり、当時の荒井由実が出てきたときに他にどんな音楽が流行していたかを考えるとその突出ぶりはすごいです。例えばアルバム「ひこうき雲」が発売された1973年のヒット曲をWikipediaでひろってみると、「おんなの道」「喝采」「危険なふたり」とか梶芽衣子「怨み節」とか出てくるわけですよお立ち会い!
 若者(大学生あたり)に対象を絞り込んだとしても「神田川」「心の旅」「ひなげしの花」「てんとう虫のサンバ」とか…。おそらく多少なりとも音楽に関心がある人にとっては、1999年当時の宇多田ヒカル「Automatic」がそうだったように、「これは買って聴かなければいけない」とつき動かされるような新しさがあったことは間違いないと思います。

 初期のユーミンを聴くことは、はっぴいえんどの流れを汲むキャラメル・ママまたはティン・パン・アレーの演奏を楽しむことでもあります。今の高度に処理されたカラオケを聞き慣れた耳には、多少もたつきを感じさせる箇所もあるような気がしますが、当時最新の演奏法を取り入れ解釈し再現することの初々しさを感じさせ、逆にすーっと聞き流すことを許さない演奏になっていますね。

2019/05/04

The Best Year of My Life/オフコース

 過去に何度か名前だけ出して項目を作っていなかったので、1984年のアルバム「The Best Year of My Life」の話も書いておきます。

 オフコースの最盛期はやはり武道館10日間コンサートをやりきった1982年でしょう。前年の秋にはNHKがアルバム「over」のメイキングを「若い広場」の枠でドキュメンタリーとして放映しましたし、6月の武道館公演あとの9月にはTBSで2時間の特番「NEXT」が放映されました。シングルヒットとしては1980年の「さよなら」が突出していますが、その後のライブの動員やアルバムの売り上げは82年の方が大きかったと思います(すみません、すべて記憶で書いていますので、ちゃんと知りたい方はちゃんと調べましょう)。
 しかし、武道館コンサートを区切りとして、グループ結成以来のコンビだった鈴木康博が脱退したことで、オフコースは無期限活動停止してしまいます。天下を取ったような、もう少し上に行けたような、微妙な状態でした。大メジャーになるチャンスを自ら放棄したようなその活動停止は、当時の経過をやはりドキュメンタリーとして執筆していた故・山際淳司に「オフコースは早漏だった」と書かれてしまいました。

 そしておそらくいろんな事情で、鈴木康博がいなくなった4人のまま、1984年にオフコースは活動を再開し、今日のお題であるアルバム「The Best Year of My Life」を発表します。先行シングルである「君が、嘘を、ついた」はなぜかフジテレビ「オレたちひょうきん族」の「ひょうきんベストテン」コーナーにご本人登場という形でプロモーションビデオが本邦初公開されました(よく覚えてるなあ、我ながら)。「スリラー」以降、世界的に流行した凝ったプロモーションビデオを作っていたのもこの頃ですね。

 4人になってからのオフコースのナンバーは、最近になって何度も発売されるベスト盤でも冷遇されているみたいで、「YES-YES-YES」の後すぐに「君住む街へ」になっておしまい、みたいなのが多いんですが、私はこの頃から解散手前までのオフコースの曲が好きでした。とはいえ、一般の人にとっては後期オフコースの曲って、「君が、嘘を、ついた」でだいたい完結していると思いますから、このアルバムはお買い得だと思います。後期オフコースのライブで欠かせない、「夏の日」「緑の日々」も入っていますし、私が以前、AKBの「ラブトリップ」に(が、ですね)似てると書いた松尾一彦のナンバー「愛を切り裂いて」も入っています(笑)

 5人時代のオフコースは良くも悪くも小田・鈴木の二頭政治の緊張感がすごくて、小田さんも異常にストイックな感じの曲作りと歌いぶりだったんですが、4人体制になって誰がどう見ても「小田バンド」になった小田さんは、いい意味で曲作りにも歌いっぷりにも少しではありますが中年らしい「生臭み」が加わってきます。「よるがなあがれえていくう」みたいに高音で大きなコブシを回す感じとか「いきがとまるうーううー」の唸りとか。歌詞も恋愛がらみの即物性が加わってきます。

 以降、ライブでもサポートメンバーを入れることが前提になって、それまでほとんど使ってこなかった金管の音や打ち込みのリズムを使い、明らかにジェネシスおよびフィル・コリンズ風の分厚いロックサウンドを臆面もなく展開するようになりました。

2019/05/03

K.ODA/小田和正

 連休中に気が大きくなったので、iMacの画面下で鳴らすためのBluetoothスピーカーを買ってきました。BOSEのSondLink Mini Ⅱです。ビックカメラのポイントが何千円ぶんかあったので、ちょっと足してJBLあたりの8,000円くらいのを買ってくるつもりでしたが、たまたま「再販されました!」とか書いたPOPがついてたもんだから。
 おかげで予算に対して経費が倍になってしまいました。

 さて、新しいスピーカーで何を聴こうかと思うと私の場合はオフコースの「over」がどう聞こえるのかってことになっているのですが、そういえば久しぶりに昔の小田さんも聴こうかと思って、昔カセットで買った気がする「K.ODA」を改めてiTunes Storeで落としてみました。バラで1曲250円、アルバム8曲2,000円。まんまやん!

 さて、この「K.ODA」はオフコースの末期活動中だった小田和正が満を持す形で世に問うた初のソロアルバムです。発売は1986年、この後オフコースを1989年に解散、あの「ラブ・ストーリーは突然に」が1991年です。
何も知らない人に「小田和正は何を聴けば良いか?」と尋ねられたら、ソロならこのアルバム(オフコースなら「over」と「The Best Year of My Life」ね)と答えます。そのくらいこのアルバムは小田和正のど真ん中にあるアルバムだと思います。オフコース好きだけど、松尾一彦の声とかいらないんだよねー、という人、小田さんの声だけでオフコースを聴きたい人はこれを聴けば良い。そのくらいオフコースの音楽と地つづきですし、「ラブ・ストーリー〜」以降の小田サウンドへのブリッジとしてもわかりやすいです。

 1曲めのタイトルが「切ない愛のうたをきかせて」。すごいでしょ。時はニューミュージック末期、数年後にはレコード屋さんのコーナー分けも「J-POP」とか書き始める寸前のこの頃、小田さんが見つけた「ニューミュージック」の最終定理の解=「切ない愛のうた」が最初に置かれているわけです。実は玉置浩二も気づいていたようなのですが、タイトルとして残したのは小田和正でした。オフコース自体は自分たちが「ニューミュージック」であると規定していたわけではないようですが、それはL'Arc-en-CielやGLAYが「俺たちはビジュアル系じゃない」と言っていることと世間の目のギャップ、とほぼ同じことなんだと思います。

 「K.ODA」に戻りますが、小田さんが作る切なくて売れそうな曲の展示会のようなアルバムで、どれをシングルにしてCMタイアップにしても絶対嵌る、捨て曲が一つもないです。

2019/04/30

東京少年少女/角松敏生

 シティ・ポップといえば、というお題で話し始めた時に比較的すぐに出てくる名前と思われる角松敏生。残念ながらiTunesのストリーミングでは見当たらず、個別にお金を出さないと聴くことができません。

 ゴールデンウイークは頑張ってギター弾いたりブログ更新したりしようと考えて、会社帰りにまた山野楽器に行って来ました。目当ては「HOCHONO HOUSE」だったんですが、念の為1周回ってみたら角松敏生の新作と思われるアルバムが出ていました。「東京少年少女」なにそのタイトル?

 実は私自身は当時のシティ・ポップには冷淡な態度をとっていたので、角松敏生のことも名前ぐらいしか知りませんでした。杉山清貴のところでも書きましたが、私はその頃オフコースに深く肩入れしていましたので、彼らのような「知識と技術がある人が作る完成度の高い音楽」にはあまり興味を持てませんでした。この後、ブラコンていうさらに魅力的な音楽がJ-POPに影響を与えて、さらにとっつきの良い音楽が流行るようになったんですが、そういうのにハマる自分が嫌だったので、出来るだけ距離を置いていました。こういう「ロックじゃない」もの(まあ多分誤解です)に取り込まれたくない感じ。若かったんですね。山下達郎だけは唯一ロックのストーリーの中から出てきて、結果としてシティ・ポップに近いところにたどり着いた人と思い、抵抗なく聴いていたんですが。

 なので、角松敏生については、V6の「Waになっておどろう」を作った人らしいよ、くらいのことしか知らず、曲名も一つも知らない有様でした。

 そんなわけで初めて聴いてみました。
 私が買ったのは銀座の山野楽器に置いてあった6曲入りですが、限定盤9曲入りもあるようです。発売は2019年4月3日、偶然にしては良いタイミングでの入手です。
 M1は結構ファンキーな(っていうの?)ラッパがガンガンに入ったカッコいい曲で、ブラスのアレンジは新田一郎か?と思ってライナーノーツをみたら違う人でしたが、スペクトラムな感じで好きです。
 Wikipediaで調べるとこの人は今58歳ということで私より歳上なんですが、「へーよくこんな若い声が出るなあ」と感心しました。万年青年系ですね。
 「Waになっておどろう」のような南方民族系なサウンドはデビューして少し後に始めた分野のようですが、まあすべてよくできています。白いクーペでドライブに行きたくなりますね。
 Amazonのリンクは「東京少年少女」2種と友人が好きだと言っていた関連アルバムを貼っておきます。


2019/04/14

宮川泰テレビテーマ・ワールド/宮川泰

 こんな辺境のブログを書いていて良かったことといえば、歳とともに消え去りそうになる「音楽を聴こう」という情熱を無理矢理にでも維持されることで、そのことによって出会えた音楽も多いです。こないだのKing Gnuもそうだし、相対性理論とか、土岐麻子とか。
 で、なんでこんな音楽ブログを書き続けているかというと、30年以上前に潜り込んだ地方私立大学の学生時代にたまたまレベル的にちょうどいい音楽仲間に会えたことで、バンドの真似事ができたこと。それによって音楽をやることの楽しさと大変さのさわりだけでも知ることができたことが大きな理由。一方、当時の自分に与えられていた時間と才能の限界もあって、そこから先の一消費者になった自分の「よすが」としてこのブログがあるわけです。

 ところで、なぜ大学生という遅いスタートから拙い音楽活動を始めたのかというと、実はそこに宮川泰先生の存在があったわけです。
 奇しくも(?)この方は私の父と同じ年の生まれで、作家としていちばん売れていたのはザ・ピーナッツや園まりのヒット曲を書いていた頃でしょうから、おそらく30歳前後だったんでしょう。今よくテレビで見かける息子さんもその頃生まれているんだと思う。そのあと、ヒットチャートではあまり名前を見かけない時期があって(まさにこのCDの曲の多くがその間に作られてるわけですが)、そして我々が中学生の頃に「宇宙戦艦ヤマト」の大ブームが起きました。あの勇壮なオープニング曲と「真赤なスカーフ」の作曲家として再ブレークしたのがおそらく40代後半、ということになると思います。

 ちょうどその頃、宮川泰先生(珍しく敬称をつけてしまうが)はうちで取っていた新聞、確かこの頃は朝日新聞だったと思うけど(読売だったらゴメン。Wikipediaでも出てなかった)しばらくの間、毎週金曜日の夕刊に歌謡曲の評論をかなり大きなスペースで連載をしていらっしゃった。毎回、ポイントのところは譜面付きで解説がされていて、主に曲作り(メロディ、コード付け、歌詞)についての解説が詳しかったと記憶しています。現在も続く近田春夫の評論は、どちらかというと声質や歌唱テク、作品が出てきた文脈やサウンドについて詳しいのとは微妙に力点が違ってました(より教科書的使いでがあった)。
 一方、この新聞連載の期間を挟んでもっと長い期間、宮川先生は毎週土曜日午後にFMで「コーセー歌謡ベストテン」という番組のMCも勤めておられました。ですから、70年代後半の一時期、私は当時の代表的ヒット曲を、常に新聞かラジオを通じた宮川泰の解説付きで聞いていたのです。

 ご本人は音大出で、理屈を熟知しているはずですが、当時雨後の筍のように出現するニューミュージック系のシンガーソングライターたちにもやさしい評論を加えていました。今でも覚えているのは横浜銀蝿が出てきたとき、「(本人たちは)3コードのロックンロールでやれるだけやってからっぽになったらやめると言っているらしいが、馬鹿な真似はよせ、あと3つくらい覚えたら10年くらいできる」と書いていたこと。めっちゃウケる!
 それでもやっぱり音楽性が高い新人が出てくると嬉しかったようで、原田真二、渡辺真知子、八神純子、山下達郎なんかはお気に入りだったように思います。

 こうして私は歌謡曲にも作り手の巧拙や志の高低や、いろんな思惑があることを学ぶことができました。その興味が私を音楽という趣味に走らせた、ということです。

 さて、長くなりましたがCDの話です。
 最初に書いた通り、ブログ更新のため意識的に音楽に触れようとする行動の一つとして銀座の山野楽器に行ってきました。渋谷だったらタワーレコードですが、今日は銀座だったので山野楽器です。最近は一階のエスカレーター近くの、五十音順から漏れた、オムニバスというか企画ものコーナーをざっと見てくることが多いんですが、たまたまそこにジャケットを正面に向けて置いてあったのがこのCDです。
CD1枚にボーナストラックも含めて38曲!しかも内容は宮川泰がテレビ番組用に書いた曲ばかり。38全部は書きませんが、「シャボン玉ホリデー」から始まって「ゲバゲバ90分」「(あの「チコちゃんに叱られる」にも流用されている)カリキュラマシーン」「ズームイン!朝」「ふたりのビッグショー」。もちろん「宇宙戦艦ヤマト」の2曲も入ってます。作詞以外のクレジットはいちいち書いてありませんが、おそらく編曲もほとんど本人がやっているはずです。世代はかなり違いますが、大瀧詠一と並べて聞いても良いような内容で、しかも完成度はある意味こっちが高いわけです。
 職人的になんでもやれちゃう音作りと、濡れたようなメロディラインのギャップが宮川泰サウンドの特徴なのかなと漠然と捉えていますが、何れにせよそのバリエーションの豊かさとボリュームに圧倒されます。

 ちなみに隣には「浪花のモーツァルト キダ・タローのほんまにすべて」という3枚組CDも並んでいて大いに気になったんですが、今日はパス。こっちは「恋するフォーチュンクッキー」の元歌ともいうべきキャンディーズの「プロポーズ大作戦」が収録されているようです。

2019/03/31

realtime to Paradaise/杉山清貴

一時期完全に更新をサボっていたこともあり、おそらく数少ない定期購読者も去っていかれたことと思います。
一方、ブログの性格上、有名アーティストの名前が散りばめられているので、おそらく検索によって間違って訪問してくださる人も少しはいらっしゃるようです。そういう皆さんにはお気の毒に、としか言いようがないのですが、まあ犬にでも噛まれたと思って勘弁していただきたいと思います。
で、その検索ワードなんですが、最近「杉山清貴」で来てくださる人の割合が意外なほど高い。多少なりとも更新している昨年末以降に気がついたんですが、なんで今「杉山清貴」を検索している方がいらっしゃるのでしょうか?
ずっと謎でした。

で、ひょっとしたらと考えたのが、先週の金曜日(2019年3月29日)に会社に配達された新聞「日経MJ」に載っていた記事です。


日本の80年代の「シティ・ポップ」が海外(記事によると韓国や東南アジア)で話題になっている。竹内まりやの「プラスティック・ラブ」がYoutubeで大人気だ、と。
話題そのものは昨年末か今年のはじめにも聞いた気がする内容ですが、天下の日経(MJだけど)が記事にしたとなればこれはもう大人の常識(笑)、本当だろう、と。
ということは、「シティ・ポップ」とはなんぞやと思った若い方が研究のためにネットを彷徨っているうちに「杉山清貴」を検索しているのではないか?と考えてみたわけですが、いかがでしょう?

本当にそんな意図で訪れた方には大変申し訳ありませんが、当ブログでは杉山清貴について過去に手抜きの投稿を一度だけしたことがありますが、彼を含めた「80年代シティ・ポップ」についてちゃんと考えたことはありませんでした。

というのも彼らの全盛期はちょうと鈴木康博脱退後、4人体制になったオフコースの活動時期と重なっていて、私はそちらに気を取られていたということが大きいです。

オフコースも当時はお洒落なサウンドという評価をされていましたが、今聞くとかなりゴツゴツした不器用な音楽をやっていて、当時の私はそのゴツゴツ&不器用さこそがロックだと思って好きでした。
一方その頃、山下達郎を頂点とするもっとシャレたポップスを作る達人たちがいたわけですが、私はシティ・ポップというのはそういう「達者な人」が作る音楽という印象をもっていました。
歌のうまいボーカルがいて、バックはジャズもロックもできるいわゆるフュージョン・バンドの音です。編成はキーボードのいるロックバンドと同じような感じですが、ギターやシンセサイザーの音の選び方、リズムは16ビートが基本なので楽器演奏の手数や力の入れどころなどが違ってより流麗に。チョッパーベースもこれみよがしという感じでなく「やれて当然」の技法としてさり気なく、しかもたくさん使われます。

フォークやニューミュージックがその拙さゆえに素人に音楽を開放し、そこにシンパシーを感じて、素人丸出しのままオリジナル楽曲など作っていた私にとって、シティ・ポップ系アーティストは大衆音楽を超絶テクニックと音楽理論をもつプロフェッショナルの世界に奪い返そうとする、仮想敵でもありました。

そうしてまああれから20年だか30年だか経って、今ではすっかり消費するだけの人間になってしまった気楽な立場で改めて杉山清貴を聞いてみました。

表題のアルバム「realtime to Paradise」はiTunesのストリーミングで提供されています。シングル曲で有名なところでいうと「最後のHolly Night」が収録されています。
買い物ついでにちょっと長く歩くことがあったので、ヘッドホンで聞きましたが、「あれ、こんなにシンプルだったっけ?」というのが最初の印象です。もっと楽器の音が多いと思い込んでいましたが、ギターやシンセが倍音たっぷりな音色を使っているのに騙されていたのかも。キーボードがやたらとコードそのままの音階をアルペジオで弾いていて、あ、これならできるわ、とか思ったり。まあでも当時の仲間とお前でやれたか?と言われたらゴメンナサイです。

さて、シティ・ポップがロックと袂を分かっているのは歌詞の世界にも感じられます。オフコースは1960年代の終わりという特殊な時代に生まれ、その中ではあえてメッセージ色を排除した歌を歌っていましたが、そこにも「あえてメッセージを抜く」という思想があったと思います。しかし、80年代のシティ・ポップには最初からそんな葛藤はなく、当時の物質文明を肯定も否定もせずにあたりまえの風景として歌います。それは我々80年代に成人を迎えた世代にとっては自然なことでもあります。まさに一億総中流だったわけですから。
リゾートホテルのラウンジで知り合ったカノジョは長く黒い髪、白い肌、細い肩。しかし翌日ビーチに誘うとまるで別人のプロポーション!
東京に戻って都心で待ち合わせるとパンプスとスーツの彼女が背伸びしながらのベーゼでお出迎え。
帰り道に青山通りを走る白いセダンのヘッドライトはハロゲンライト。黄色くないフォグランプとガラスのサンルーフが装備されています。オートエアコンの操作パネルと重なって配置されるカーステレオは残念ながらまだカセットですが。

私はその頃の若者でしたがこんなに楽しい生活ではありませんでした。

4曲目に「タイをはずして」というタイトルの曲があります。アルバムの曲名の中にこんなタイトルが並んでいる感じ、当時の創作センスを表しているようで、脳みそを内側からくすぐられているような感じになるんですが、他の世代の人にわかるかな?わかんねえだろうなぁ。







Mine or Yours/宇多田ヒカル

ベストアルバム"SCIENCE FICTION"を買った後しばらくぼーっとしていましたが、5月になった途端にYouTubeでライブ配信的なものを見かけました。配信は途中から見たのですが、過去のMVが次々流れていて、いつから新作発表になるのかわからず、見るのやめ...