2019/05/04

The Best Year of My Life/オフコース

 過去に何度か名前だけ出して項目を作っていなかったので、1984年のアルバム「The Best Year of My Life」の話も書いておきます。

 オフコースの最盛期はやはり武道館10日間コンサートをやりきった1982年でしょう。前年の秋にはNHKがアルバム「over」のメイキングを「若い広場」の枠でドキュメンタリーとして放映しましたし、6月の武道館公演あとの9月にはTBSで2時間の特番「NEXT」が放映されました。シングルヒットとしては1980年の「さよなら」が突出していますが、その後のライブの動員やアルバムの売り上げは82年の方が大きかったと思います(すみません、すべて記憶で書いていますので、ちゃんと知りたい方はちゃんと調べましょう)。
 しかし、武道館コンサートを区切りとして、グループ結成以来のコンビだった鈴木康博が脱退したことで、オフコースは無期限活動停止してしまいます。天下を取ったような、もう少し上に行けたような、微妙な状態でした。大メジャーになるチャンスを自ら放棄したようなその活動停止は、当時の経過をやはりドキュメンタリーとして執筆していた故・山際淳司に「オフコースは早漏だった」と書かれてしまいました。

 そしておそらくいろんな事情で、鈴木康博がいなくなった4人のまま、1984年にオフコースは活動を再開し、今日のお題であるアルバム「The Best Year of My Life」を発表します。先行シングルである「君が、嘘を、ついた」はなぜかフジテレビ「オレたちひょうきん族」の「ひょうきんベストテン」コーナーにご本人登場という形でプロモーションビデオが本邦初公開されました(よく覚えてるなあ、我ながら)。「スリラー」以降、世界的に流行した凝ったプロモーションビデオを作っていたのもこの頃ですね。

 4人になってからのオフコースのナンバーは、最近になって何度も発売されるベスト盤でも冷遇されているみたいで、「YES-YES-YES」の後すぐに「君住む街へ」になっておしまい、みたいなのが多いんですが、私はこの頃から解散手前までのオフコースの曲が好きでした。とはいえ、一般の人にとっては後期オフコースの曲って、「君が、嘘を、ついた」でだいたい完結していると思いますから、このアルバムはお買い得だと思います。後期オフコースのライブで欠かせない、「夏の日」「緑の日々」も入っていますし、私が以前、AKBの「ラブトリップ」に(が、ですね)似てると書いた松尾一彦のナンバー「愛を切り裂いて」も入っています(笑)

 5人時代のオフコースは良くも悪くも小田・鈴木の二頭政治の緊張感がすごくて、小田さんも異常にストイックな感じの曲作りと歌いぶりだったんですが、4人体制になって誰がどう見ても「小田バンド」になった小田さんは、いい意味で曲作りにも歌いっぷりにも少しではありますが中年らしい「生臭み」が加わってきます。「よるがなあがれえていくう」みたいに高音で大きなコブシを回す感じとか「いきがとまるうーううー」の唸りとか。歌詞も恋愛がらみの即物性が加わってきます。

 以降、ライブでもサポートメンバーを入れることが前提になって、それまでほとんど使ってこなかった金管の音や打ち込みのリズムを使い、明らかにジェネシスおよびフィル・コリンズ風の分厚いロックサウンドを臆面もなく展開するようになりました。

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