今週水曜日にアマゾンから到着しました。タイトルだけで必ず聴かなければならない、と思わされた和幸のセカンドアルバム「ひっぴいえんど」です。
さて、早速その感想を、と思っていたら同じ日に鈴木茂が大麻所持で逮捕されてしまい、偶然にもほどがあると思ってちょっと途方に暮れました。鈴木茂はこのアルバムでもゲストで1曲ギターを弾いています(M4「あたし元気になれ」)。しかも同日に復刻発売された「はっぴいえんど」「風街ろまん」が販売中止になったとのこと。
メンバーの一人が逮捕されたとはいえ、40年前の音源(それも歴史的な、ね)を販売中止にするなんてロックの精神から考えればナンセンスだと思うが、野田聖子に絡まれるとやっかいだからか、ものすごく神経質になっていますね。はっぴいえんどのバックには松田聖子が付いてるからケンカになっても勝てると思うが。和幸にも被害が拡大しないといいですが…。
そんな思わぬ雑音で違った意味が付いてしまった「ひっぴいえんど」を聴いてみます。
まずアルバムタイトルおよび曲名は明らかに「はっぴいえんど」のパロディです。
M1.ひっぴいえんど(はっぴいえんど)
M2.タイからパクチ(はいからはくち)
M3.ナスなんです(夏なんです)
M4.あたし元気になれ(あしたてんきになれ)
M5.池にゃ鯉(春よ来い←これは遠すぎて気がつかなかったぜ)
M9.花街ロマン(風街ろまん←これは曲名じゃないけど)
あとは加藤和彦の昔の作品やかまやつひろし、遠藤賢司のカバーです。私が買ったのは(初回生産限定盤)(DVD付)で全12曲ですが、(通常版)はこれにボーナストラックが2曲付いて全14曲だそうです。
DVD付の方は、中のインタビューで本人たちが解説してくれるので、このアルバムがどういうものなのか、当時の音楽事情や加藤和彦のキャリアについてよく知らない人にもヒントを与えてくれます。
さて、そのDVDによると、この「ひっぴいえんど」は70年代前半のロックサウンド、特にCSN&Yの音に日本語を載せる、というのが第一義で、「だったら年代的にも…」というのではっぴいえんどが出てきたのだそうです。ジャケットもCSN&Yの代表的アルバム「デジャ・ヴ」のパロディにしてあります。
私も一聴して「はっぴいえんどはこんなに明るくねえよ」と思いました。
今となっては微妙な違いですが、はっぴいえんどは"Buffalo Springfield"の音に日本語を載せるのが目標だった(本人たちがそう云っている)ので、サウンドがその分ずれています。
それじゃ、CSN&YとBuffalo Springfieldがどれだけ違うの?というとメンバーは半分くらい同じで、日本で云うとチューリップとオールウェイズくらいしか違わないん(これはあまり良い喩えではありませんね)ですが、年代が3〜4年違う。ぱっと聴いて違うのはCSN&Yはアマチュアがちょっと困るくらいの音の取り辛いコーラスが入っています。私はよく知りませんが、CSN&Yというのは日本人にM7(メジャーセブンス)というコードの存在を教えてくれたバンドだそうです。
日本のバンドで云うと、Buffalo Springfieldがはっぴいえんど的であるのに対してCSN&YはTHE ALFEEに似ています(もちろん逆ですよ)。
そんなわけで、「ひっぴいえんど」は実際にははっぴいえんどより4〜5年後、CSN&Yを聴いた日本人がその影響を受けて始めたロック(それってやっぱりアルフィーじゃん?)のシミュレーションになっています。
ただ、一応「はっぴいえんど」に対するパロディ(リスペクト?)を感じられる箇所もあります。
M2.タイからパクチ
全体に「かくれんぼ」の雰囲気。「夕餉」などという古い言葉の使用。ただ松本隆は「ストーブ」を「ストウヴ」とは書かないと思うけど。
M3.ナスなんです
細野晴臣作品をごった煮にした感じ。風街ろまん以降のカントリー風曲調とか全編裏声を使うのは「あしたてんきになれ」か?「あしたてんきになれ」はM4の曲名のネタにもなっていて、この辺はややこしいです。
M4.あたし元気になれ
鈴木茂のギターが本物っぽさを加えているのと、声の加工のしかたが「花いちもんめ」風ってことだと思います。メロディは細野作品寄りか。
M5.池にゃ鯉
「春よ来い」的な重たいリズム、無理に気合いを入れて長尺にしているところ、ちょっとヨーデルっぽい発声も大滝詠一風でパロディとしては一番力が入ってるのかな。でもアコースティック・ギターの音とCSN風コーラスが入るので、「春よ来い」の音とは違っています。
M9.花街ロマン
これは「春らんまん」あたりでしょうか?「じゃぶじゃぶ」「ぶつぶつ」「ういんどう」「お白粉」あたりの歌詞もそれ風ですね。
3月1日の追記
ところで、これら「ひっぴいえんど」「風街ろまん」「Buffalo Springfield Again」「デジャ・ヴ」の4枚のアルバムをiTunesで一つのプレイリストに入れてシャッフルすると、どれがどれだか分からなくなって、とても良かったです。
2009/02/22
2009/02/07
天気予報の恋人/CHAGE and ASKA
情報が錯綜した後、結局「活動休止」が発表された"CHAGE and ASKA"です。もうすっかり音楽的にも物心がついていて、デビュー当時から見聞きしてきた我々の世代からすると、思えば遠くに来たなあ、という感慨があります。

公式サイト→http://www.chage-aska.net/
デビューはYAMAHAのポプコンで、私がよくニューミュージックの話で書く、年端も行かない大学生がギターを抱えてなぜか失恋した女性の心を唄う、という当時のステレオタイプでした。その頃はアルバムタイトルも「風舞」とか「熱風」とかいうセンスで、芸名も飛鳥涼とか云ってちょっと恥ずかしかったんですが、英語表記になったあたりでギター2本の演歌フォークから脱皮してみせました。
この間の流れは、PRIDEという本(1と2がある)で読むことができます。
この本を読む限りでは、CHAGE and ASKAの音楽性はASKAがシンセサイザーによる曲作りに目覚めたところから変わり始めているようです。周りのスタッフとの交流の中で徐々に音楽の知識が深まるにつれて、主にASKAが、より構成の複雑な音楽を志向するようになって、チャゲアスはデュエットとしての必然性を失ってきました。
結成されたアマチュア時代は、CHAGEの方が実績があったようなのですが、その後の伸びしろがどうも違っていたようです。あと長髪のASKAのルックスが、良く云えば池上遼一のマンガから抜け出てきたようにも見え(悪く云えば大仁田厚に似てますね)、女性ファンがそっちについたのも大きいか。
さて、表題曲はすでにそんなASKA独走状態に入りつつあった89年のアルバム"PRIDE"の中の1曲。前年に「恋人はワイン色」という曲があって、ほとんど同じものに聴こえますが、ASKAも自分の楽曲作りに拘るタイプなので、なにかやり直したかったんでしょう。
この曲にしても、"SAY YES"にしても、もはや2声のコーラスで成立する楽曲にはなっていません。そうすると作曲とメインボーカルをしている方への比率が高くなり、ことシングル曲に関してはそれはASKAの仕事でしたから、CHAGEはバックコーラスの中に埋没しています。しかしそれにしても、サザンもそうですが、ここまできて改まって活動休止も解散もないと思うんですが、熟年離婚みたいなものなのでしょうか?
ASKAの奥さんは、たしか名古屋の放送局の美人アナウンサーでしたから、天気予報も読んだでしょうね、みたいなこともちょっと思い出しました。
公式サイト→http://www.chage-aska.net/
デビューはYAMAHAのポプコンで、私がよくニューミュージックの話で書く、年端も行かない大学生がギターを抱えてなぜか失恋した女性の心を唄う、という当時のステレオタイプでした。その頃はアルバムタイトルも「風舞」とか「熱風」とかいうセンスで、芸名も飛鳥涼とか云ってちょっと恥ずかしかったんですが、英語表記になったあたりでギター2本の演歌フォークから脱皮してみせました。
この間の流れは、PRIDEという本(1と2がある)で読むことができます。
この本を読む限りでは、CHAGE and ASKAの音楽性はASKAがシンセサイザーによる曲作りに目覚めたところから変わり始めているようです。周りのスタッフとの交流の中で徐々に音楽の知識が深まるにつれて、主にASKAが、より構成の複雑な音楽を志向するようになって、チャゲアスはデュエットとしての必然性を失ってきました。
結成されたアマチュア時代は、CHAGEの方が実績があったようなのですが、その後の伸びしろがどうも違っていたようです。あと長髪のASKAのルックスが、良く云えば池上遼一のマンガから抜け出てきたようにも見え(悪く云えば大仁田厚に似てますね)、女性ファンがそっちについたのも大きいか。
さて、表題曲はすでにそんなASKA独走状態に入りつつあった89年のアルバム"PRIDE"の中の1曲。前年に「恋人はワイン色」という曲があって、ほとんど同じものに聴こえますが、ASKAも自分の楽曲作りに拘るタイプなので、なにかやり直したかったんでしょう。
この曲にしても、"SAY YES"にしても、もはや2声のコーラスで成立する楽曲にはなっていません。そうすると作曲とメインボーカルをしている方への比率が高くなり、ことシングル曲に関してはそれはASKAの仕事でしたから、CHAGEはバックコーラスの中に埋没しています。しかしそれにしても、サザンもそうですが、ここまできて改まって活動休止も解散もないと思うんですが、熟年離婚みたいなものなのでしょうか?
ASKAの奥さんは、たしか名古屋の放送局の美人アナウンサーでしたから、天気予報も読んだでしょうね、みたいなこともちょっと思い出しました。
2009/02/01
Hey! Hey! Alright/スチャダラパー+木村カエラ
そう、和幸の新作に心を持って行かれてこれを忘れていました。今週の週刊文春の近田春夫のコラムを読まなかったらそのまま通り過ぎるところでした。
スチャダラパーと木村カエラのコラボレーションによるシングル"Hey! Hey! Alright"がもう発売になり、iTSでもダウンロード可能になっているじゃありませんか。

慌ててさっきタイトル曲とC/Wの2トラックをダウンロードしてきました。2曲で400円。
木村カエラはサディスティック・ミカ・バンドという実績もあり、中年とのコラボレーションはお手の物ですし、スチャダラパーも他流試合は昔から得意にしていますから、どうせ上手くやってるに決まっています。
聴いてみると、バックトラックはめずらしくイントロからエレキギターがなりっぱなしのロック色の強いもの。そのまま木村カエラのソロから始まるので、彼女が単独で唄っている曲との違和感があまりありません。
使われている音は我々の世代には懐かしいギター、シンセの音で、そういう意味ではスチャダラパーも無理に若作りせずに、「オジサンの家にようこそ」という余裕を見せていますが、そこはそれ、若い女性を迎えて気合いが入ったのか、ラップ部分はいつもの間延びした感じが少し抑えられていて、気持ち二枚目な感じになって、普通にカッコイイ音楽になっています。
スチャダラパーと木村カエラのコラボレーションによるシングル"Hey! Hey! Alright"がもう発売になり、iTSでもダウンロード可能になっているじゃありませんか。
慌ててさっきタイトル曲とC/Wの2トラックをダウンロードしてきました。2曲で400円。
木村カエラはサディスティック・ミカ・バンドという実績もあり、中年とのコラボレーションはお手の物ですし、スチャダラパーも他流試合は昔から得意にしていますから、どうせ上手くやってるに決まっています。
聴いてみると、バックトラックはめずらしくイントロからエレキギターがなりっぱなしのロック色の強いもの。そのまま木村カエラのソロから始まるので、彼女が単独で唄っている曲との違和感があまりありません。
使われている音は我々の世代には懐かしいギター、シンセの音で、そういう意味ではスチャダラパーも無理に若作りせずに、「オジサンの家にようこそ」という余裕を見せていますが、そこはそれ、若い女性を迎えて気合いが入ったのか、ラップ部分はいつもの間延びした感じが少し抑えられていて、気持ち二枚目な感じになって、普通にカッコイイ音楽になっています。
2009/01/27
ひっぴいえんど/和幸
まだ発売されていないアルバムの話です。
来月、2月18日発売予定の和幸2作目、「ひっぴいえんど」です。
タイトルを見れば内容がほぼ分かり、私はこのアルバムが発売されることを知って以来、これだけは買わなくてはいけない気がしているのです。
加藤和彦流に「日本語のロック」のおとしまえがつけられるのか、それとも「あれ」のパロディなのか?
私の予想では60〜70年代ロックのサウンド(サイケデリック・ロックとかも)に変な日本語が載っているという方向ではないかと思いますが…。
そういえば、こないだこんな本も買ってきました。
坂崎幸之助のラジオ番組をテキストに起こしたものです。それこそ岡林信康や遠藤賢司やなぎら健壱、大滝詠一に小田和正と60年代から活躍しているフォーク、ニューミュージックのスタアたちが坂崎幸之助のジジイ転がしに乗っかっていろいろ喋っている、という本です。
少ない情報、貧しい暮らしの中で必死に何かになろうともがいてきた彼らの発言は、時に滑稽だったり妙な迫力があったりですが、新しいものが始まる最初に立ち会えた幸福感に満ちています。冒頭に3人揃った最後のNSPの語りがあり、中盤では天野滋追悼の放送も収録されています。
2/7追記
和幸「ひっぴいえんど」のオフィシャルサイトができていますね。
http://columbia.jp/kazukoh/
試聴もちょっとできますが、ちょっと予想と違うなあ。
来月、2月18日発売予定の和幸2作目、「ひっぴいえんど」です。
タイトルを見れば内容がほぼ分かり、私はこのアルバムが発売されることを知って以来、これだけは買わなくてはいけない気がしているのです。
加藤和彦流に「日本語のロック」のおとしまえがつけられるのか、それとも「あれ」のパロディなのか?
私の予想では60〜70年代ロックのサウンド(サイケデリック・ロックとかも)に変な日本語が載っているという方向ではないかと思いますが…。
そういえば、こないだこんな本も買ってきました。
坂崎幸之助のラジオ番組をテキストに起こしたものです。それこそ岡林信康や遠藤賢司やなぎら健壱、大滝詠一に小田和正と60年代から活躍しているフォーク、ニューミュージックのスタアたちが坂崎幸之助のジジイ転がしに乗っかっていろいろ喋っている、という本です。
少ない情報、貧しい暮らしの中で必死に何かになろうともがいてきた彼らの発言は、時に滑稽だったり妙な迫力があったりですが、新しいものが始まる最初に立ち会えた幸福感に満ちています。冒頭に3人揃った最後のNSPの語りがあり、中盤では天野滋追悼の放送も収録されています。
2/7追記
和幸「ひっぴいえんど」のオフィシャルサイトができていますね。
http://columbia.jp/kazukoh/
試聴もちょっとできますが、ちょっと予想と違うなあ。
2009/01/19
男と女-TWO HEARTS TWO VOICES-/稲垣潤一ほか
せめて週末には更新したいのですが、風邪をひいて寝込んでしまったので1日遅れです。
しかもUtada新作問題は、書くととても大変そうなので後回しにして、今日はニューミュージックの話に戻りつつもやや寄り道、ということにします。
TVでも盛んにCMが流れている、稲垣潤一と女性歌手によるカバーアルバム「男と女-TWO HEARTS TWO VOICES-」を聴いています。会社の同僚から回してもらいました。
私がつくづく「ニューミュージックだなあ」と思うど真ん中辺りにいる人が稲垣潤一です。「ニューミュージックの真ん中」とはなんぞや?ていうか「ニューミュージックとはなんぞや?」と考えたとき、稲垣潤一はその最大公約数な感じがするのです。
これは好き嫌いの問題ではなく、私なりの客観的な考察の上で本当にそう思ったから書くのですが、「ニューミュージック」というのは「フォークソングによってすっかり素人との区別がつかなくなった大衆音楽をもう一度プロフェッショナルなもの、または品質管理可能なものへと修正して行く途中のもの」であると思います。
同じことですが、歌へた・演奏へた・曲はむっちゃくちゃ(勢いだけはあった)だったフォークソングをマスメディアで扱えるように、大人が手伝って最低限の音楽理論や普遍性を付加して、TVの歌番組に嵌められるように直していった過程が「ニューミュージック」だった、と思うのです。
それが完成して何になったか、というとJ-POPです。前にも書きましたが、80年代にアーティストと呼ばれていた人と、今のTVに出てくる(あまり出てこない人も)J-POPのアーティストを比べたら、今の人たちの方がずっとレベルが高いです。曲だって凝ってるし、歌唱も演奏も素人とは一線を画すものを持っている人が多いと思う。
誰だったか忘れてしまいましたが、今の若い人に80年代のアイドル歌手の歌を聴かせたら、「わざとヘタクソに唄っているんですか?」と言われた、という話を書いている人がいました。アイドル歌手に限らず、80年代に「アーティスト」と呼ばれていた人で「こりゃちょっと真似できねえや」と素人に思わせる人なんてほとんどいませんでした。
強いて上げれば井上陽水やクリスタルキングの人の声とか、Charのギターとか、矢野顕子の歌とピアノとかでしょうか?
曲の構成だって耳コピーは無理でも、バンド譜を入手すれば意外と単純に再現できそうなのが多かった(実際に演奏技術があるかどうかは別にしても)。そういう意味で「ニューミュージック」の時代は、売れている音楽が我々素人が手を伸ばして届く辺りをさまよっていたのだと思います。
稲垣潤一も、今の人には信じてもらえないかもしれませんが、私らの若い頃は使われる形容詞はともかく、メディアで紹介される時には「実力派」という意味を付与されて流通している名前でした。
おそらく今のポルノグラフィティとかコブクロを聴き慣れている人たちが、このアルバムを聴いて「稲垣潤一ってすげえ上手いなあ」とか言わないと思います。私はこのブログで「うまい・へた」ってなんだという話を何遍か書いてきて、いろんな人の良いところを見つけてきたつもりですから、稲垣潤一の良いところも書くことができます。
例えば声質が独特の硬質さを持っていて、しかもその堅さが嫌な感じじゃなく、年齢を超越したイノセンスが感じられるところとか。あるいは歌詞が伝わりやすいし(CDで聴く限り)音程もしっかりしているとか…。
逆に「何を唄っても同じ唄い方しか出来ない不器用な人」とか「声質が違うのに無理矢理郷ひろみの真似してる人みたい」とか、悪く書くこともできます。
結論として、稲垣潤一は個性的で商品価値はあるけれど、「実力派」とは違うと思います。
さて、このアルバムでは稲垣潤一も、参加している女性歌手も(我が愛しき太田裕美も)、主役とサポートの攻守を上手く入れ替えながら、楽しく聴けるできばえになっています。
1曲だけ質感が違うのは、「ドラマティック・レイン」を中森明菜と唄っているトラック。中森明菜も商品価値はあったけど本当の実力派ではなかった人なので、二人のデュエットはスナックのカラオケで字幕の♠と♡のマーク見ながら合わせて唄っているように聞こえます(中森明菜にボイスコントロールという概念が無い?)。
そんなことばっかり書いて、あなたは稲垣潤一や中森明菜を熱心に消費してきた世代として偉そうなことが言えるのか?と問いつめられそうですが、最初に書いたようにそれが嫌いだというわけじゃない。そして若い頃に愛しくも歯がゆい、そういうレベルの音楽に囲まれていたからこそ、なんの専門的な音楽教育を受けていないにもかかわらず「今に見ていろ俺だって」と音楽を諦めずに生きてこられたわけです。
それに引き換え、現代J-POPから音楽に入った若い人は大変だ。
素人とプロの境目にある壁が、相当高くて立派になっちゃってる(例外はあるけれど。またおいおい触れますが)から、よっぽど渇きを感じていない限り、若くても素人に徹してカラオケボックスに行っちゃうもんね。
しかもUtada新作問題は、書くととても大変そうなので後回しにして、今日はニューミュージックの話に戻りつつもやや寄り道、ということにします。
TVでも盛んにCMが流れている、稲垣潤一と女性歌手によるカバーアルバム「男と女-TWO HEARTS TWO VOICES-」を聴いています。会社の同僚から回してもらいました。
私がつくづく「ニューミュージックだなあ」と思うど真ん中辺りにいる人が稲垣潤一です。「ニューミュージックの真ん中」とはなんぞや?ていうか「ニューミュージックとはなんぞや?」と考えたとき、稲垣潤一はその最大公約数な感じがするのです。
これは好き嫌いの問題ではなく、私なりの客観的な考察の上で本当にそう思ったから書くのですが、「ニューミュージック」というのは「フォークソングによってすっかり素人との区別がつかなくなった大衆音楽をもう一度プロフェッショナルなもの、または品質管理可能なものへと修正して行く途中のもの」であると思います。
同じことですが、歌へた・演奏へた・曲はむっちゃくちゃ(勢いだけはあった)だったフォークソングをマスメディアで扱えるように、大人が手伝って最低限の音楽理論や普遍性を付加して、TVの歌番組に嵌められるように直していった過程が「ニューミュージック」だった、と思うのです。
それが完成して何になったか、というとJ-POPです。前にも書きましたが、80年代にアーティストと呼ばれていた人と、今のTVに出てくる(あまり出てこない人も)J-POPのアーティストを比べたら、今の人たちの方がずっとレベルが高いです。曲だって凝ってるし、歌唱も演奏も素人とは一線を画すものを持っている人が多いと思う。
誰だったか忘れてしまいましたが、今の若い人に80年代のアイドル歌手の歌を聴かせたら、「わざとヘタクソに唄っているんですか?」と言われた、という話を書いている人がいました。アイドル歌手に限らず、80年代に「アーティスト」と呼ばれていた人で「こりゃちょっと真似できねえや」と素人に思わせる人なんてほとんどいませんでした。
強いて上げれば井上陽水やクリスタルキングの人の声とか、Charのギターとか、矢野顕子の歌とピアノとかでしょうか?
曲の構成だって耳コピーは無理でも、バンド譜を入手すれば意外と単純に再現できそうなのが多かった(実際に演奏技術があるかどうかは別にしても)。そういう意味で「ニューミュージック」の時代は、売れている音楽が我々素人が手を伸ばして届く辺りをさまよっていたのだと思います。
稲垣潤一も、今の人には信じてもらえないかもしれませんが、私らの若い頃は使われる形容詞はともかく、メディアで紹介される時には「実力派」という意味を付与されて流通している名前でした。
おそらく今のポルノグラフィティとかコブクロを聴き慣れている人たちが、このアルバムを聴いて「稲垣潤一ってすげえ上手いなあ」とか言わないと思います。私はこのブログで「うまい・へた」ってなんだという話を何遍か書いてきて、いろんな人の良いところを見つけてきたつもりですから、稲垣潤一の良いところも書くことができます。
例えば声質が独特の硬質さを持っていて、しかもその堅さが嫌な感じじゃなく、年齢を超越したイノセンスが感じられるところとか。あるいは歌詞が伝わりやすいし(CDで聴く限り)音程もしっかりしているとか…。
逆に「何を唄っても同じ唄い方しか出来ない不器用な人」とか「声質が違うのに無理矢理郷ひろみの真似してる人みたい」とか、悪く書くこともできます。
結論として、稲垣潤一は個性的で商品価値はあるけれど、「実力派」とは違うと思います。
さて、このアルバムでは稲垣潤一も、参加している女性歌手も(我が愛しき太田裕美も)、主役とサポートの攻守を上手く入れ替えながら、楽しく聴けるできばえになっています。
1曲だけ質感が違うのは、「ドラマティック・レイン」を中森明菜と唄っているトラック。中森明菜も商品価値はあったけど本当の実力派ではなかった人なので、二人のデュエットはスナックのカラオケで字幕の♠と♡のマーク見ながら合わせて唄っているように聞こえます(中森明菜にボイスコントロールという概念が無い?)。
そんなことばっかり書いて、あなたは稲垣潤一や中森明菜を熱心に消費してきた世代として偉そうなことが言えるのか?と問いつめられそうですが、最初に書いたようにそれが嫌いだというわけじゃない。そして若い頃に愛しくも歯がゆい、そういうレベルの音楽に囲まれていたからこそ、なんの専門的な音楽教育を受けていないにもかかわらず「今に見ていろ俺だって」と音楽を諦めずに生きてこられたわけです。
それに引き換え、現代J-POPから音楽に入った若い人は大変だ。
素人とプロの境目にある壁が、相当高くて立派になっちゃってる(例外はあるけれど。またおいおい触れますが)から、よっぽど渇きを感じていない限り、若くても素人に徹してカラオケボックスに行っちゃうもんね。
2009/01/10
Come Back To Me/Utada
Island Recordsのメールマガジンに登録していたら、宇多田ヒカルの海外プロジェクトのニュースが届きました。
国内メディアではちょっと気がつかなかったんですが、もうすぐ2作目のアルバムが出るみたいで、先行してMySpaceに"Come Back To Me"という驚くほどベタなタイトルの曲がアップされていて、ほぼフルで試聴できるようになっています。
3回くらい聴くと耳に馴染んでいい感じになってきます。曲調としては"ULTRA BLUE"の頃の緊張感を感じさせるもの。
海外向け第1作のEXODUSとのつながりなんかも探りながら改めて感想を書きたいので、今日のところは深入りせずにニュースだけ書いて引き下がります。
あくまでもファースト・インプレッションなんですけど、普段の国内用の曲に感じるユーモアがあんまり感じられず、なんかよそ行きに聴こえるのは私が英語の曲を聴く力がないからなのかなあ…。
近日中にもうちょっと書きたいと思ってます。
国内メディアではちょっと気がつかなかったんですが、もうすぐ2作目のアルバムが出るみたいで、先行してMySpaceに"Come Back To Me"という驚くほどベタなタイトルの曲がアップされていて、ほぼフルで試聴できるようになっています。
3回くらい聴くと耳に馴染んでいい感じになってきます。曲調としては"ULTRA BLUE"の頃の緊張感を感じさせるもの。
海外向け第1作のEXODUSとのつながりなんかも探りながら改めて感想を書きたいので、今日のところは深入りせずにニュースだけ書いて引き下がります。
あくまでもファースト・インプレッションなんですけど、普段の国内用の曲に感じるユーモアがあんまり感じられず、なんかよそ行きに聴こえるのは私が英語の曲を聴く力がないからなのかなあ…。
近日中にもうちょっと書きたいと思ってます。
2009/01/03
決定盤!!「ニュー・ミュージックの時代」ベスト〜その4〜(パープルタウン/八神純子)
新年おめでとうございます。
今年もいたってマイペースに書き進めて参りますが、よろしくお願いします。
年末は毎度のことですが、結構熱心に紅白歌合戦を見て、今の日本の音楽の裾野の広がりとその真ん中はどこにあるのかと観察しておりました。演歌勢の相変わらずの現場での強さと、若手J-POP勢の保守化が目立ちました。景気が悪くて冒険ができないのか、抽き出しがないのか、もう私には読み取れないのですが、「そんなに『イイ歌だ』と言われることが大事なんですか?」と作り手に訊いてみたい気分になりました。聴き手を信用してないんでしょうなあ、というか今の若い購入層たちは、相当バカにされていると思いますよ。
一方、昨日は母のマンションで、自宅では見られないBSで「大集合!青春フォークソング」というのを見ていました。はっきり言って現代で鑑賞に堪える音楽性があるのは一握りで、山崎ハコなんてこんなもんだったのかなあと変な感慨に耽る一方で、岡林信康の神様ぶりに圧倒されたりして、全体ではとても面白かったです。バブル前夜の80年代に青春を送った私にはほとんどリアリティが感じられなかった「チューリップのアップリケ」なんて歌が、今の時代のひどさに再びマッチし始めた恐ろしさ。
かつて日本語の問題シリーズをやったときは、言葉ののせ方とかのテクニックの問題に終始しましたけど、聴き取れたところですっかり角が取れてつるつるになった抽象的な歌詞から何かを読み取ることは、どのみち難しいということに気がついてしまいました。
これだけ若者が虐げられている世の中で、それを具体的な場面を描写しながら怒りや悲しみを唄う若者が出てこないのは不思議な気がしますが、それもこれも社会的メッセージを「カッコワルい」で否定した「ニューミュージック」の後遺症なのかもしれないなあ。
そんなわけで「決定盤!!「ニュー・ミュージックの時代」ベスト」からの4曲目は
M6.パープルタウン/八神純子
です。
私はこの頃、今までの人生で一番熱心に歌番組を見ていましたが、この曲は出てくる度に「作詞・作曲」のクレジットが変わるという、コドモ心にも不思議な現象が起きていたことを覚えています。今となってはWikipediaにも記述があるほど有名な話ですが、この曲は最終的に邦題「ロンリー・ガイ」とされるRay Kennedyの曲に八神純子のオリジナルなメロディを付け足したものである、ということになっています。
以前、広瀬香美の話の途中や「ポーラー・スター」のお題でこの人について書きました。好き嫌いで言うと私はこの人の声が好きだし、作品もフォーク・ロックの世界に歌謡曲的「歌心」を持ち込んで「ニューミュージック」という分野を拡大した人であると思っています。宮川泰のザ・ピーナッツ用の曲を思い出させる、洒落た中にも歌謡曲的に唄って楽しい要素が入っているのが良い。
ただ曲作りにおいてちょっと元ネタがはっきり分かりすぎるという欠点があったかな、と。彼女の最初の大ヒットである「水色の雨」にもそっくりの外国曲があるという指摘は当時からされておりました(私は後から自分で気がつきましたがデビュー曲の「思い出は美しすぎて」もユーミンの「あの日に帰りたい」そのまんま)。
「パープルタウン」では、A-B-Cと展開する曲のうち、歌メロは違うのだけれどもA-Bとさらにイントロまでもがあまりにも「そのまんま」だったので、言い訳ができなかった、ということでしょう。歌メロは大幅に書き換えられており、アレンジャーに罪をかぶせることはできなかったのかな?と思いましたが、"I love you more and more"のメロディがまんまなので、やっぱり確信犯ですね。
今なら「サンプリング」しました、と言ってはじめから「ご挨拶」しておけば、問題なかったのだと思うのですが、まあしょうがないか!
さて、実際にこの曲を聴いてみると、突然健康的になる後付けのサビも含めて、上手に唄っています。
歌詞を読むと、事情は良く分かりませんが、彼氏と喧嘩かなんかがあって、「一人でニューヨークに来てみたらすっかり機嫌が直ったので、仲直りのエアメールを日本に送りました。ニューヨークに来ると元気になっていいですよ」みたいな感じ。当時のJALのキャンペーンソングだったとのこと(Wikipediaによる)。さもありなん。
なんぼ軽薄な80年代とはいえ、こんな生活をリアルに受けとめられる人は少なかったと思いますが、この背伸び感が後のバブルに繋がったんでしょう、多分。
今年もいたってマイペースに書き進めて参りますが、よろしくお願いします。
年末は毎度のことですが、結構熱心に紅白歌合戦を見て、今の日本の音楽の裾野の広がりとその真ん中はどこにあるのかと観察しておりました。演歌勢の相変わらずの現場での強さと、若手J-POP勢の保守化が目立ちました。景気が悪くて冒険ができないのか、抽き出しがないのか、もう私には読み取れないのですが、「そんなに『イイ歌だ』と言われることが大事なんですか?」と作り手に訊いてみたい気分になりました。聴き手を信用してないんでしょうなあ、というか今の若い購入層たちは、相当バカにされていると思いますよ。
一方、昨日は母のマンションで、自宅では見られないBSで「大集合!青春フォークソング」というのを見ていました。はっきり言って現代で鑑賞に堪える音楽性があるのは一握りで、山崎ハコなんてこんなもんだったのかなあと変な感慨に耽る一方で、岡林信康の神様ぶりに圧倒されたりして、全体ではとても面白かったです。バブル前夜の80年代に青春を送った私にはほとんどリアリティが感じられなかった「チューリップのアップリケ」なんて歌が、今の時代のひどさに再びマッチし始めた恐ろしさ。
かつて日本語の問題シリーズをやったときは、言葉ののせ方とかのテクニックの問題に終始しましたけど、聴き取れたところですっかり角が取れてつるつるになった抽象的な歌詞から何かを読み取ることは、どのみち難しいということに気がついてしまいました。
これだけ若者が虐げられている世の中で、それを具体的な場面を描写しながら怒りや悲しみを唄う若者が出てこないのは不思議な気がしますが、それもこれも社会的メッセージを「カッコワルい」で否定した「ニューミュージック」の後遺症なのかもしれないなあ。
そんなわけで「決定盤!!「ニュー・ミュージックの時代」ベスト」からの4曲目は
M6.パープルタウン/八神純子
です。
私はこの頃、今までの人生で一番熱心に歌番組を見ていましたが、この曲は出てくる度に「作詞・作曲」のクレジットが変わるという、コドモ心にも不思議な現象が起きていたことを覚えています。今となってはWikipediaにも記述があるほど有名な話ですが、この曲は最終的に邦題「ロンリー・ガイ」とされるRay Kennedyの曲に八神純子のオリジナルなメロディを付け足したものである、ということになっています。
以前、広瀬香美の話の途中や「ポーラー・スター」のお題でこの人について書きました。好き嫌いで言うと私はこの人の声が好きだし、作品もフォーク・ロックの世界に歌謡曲的「歌心」を持ち込んで「ニューミュージック」という分野を拡大した人であると思っています。宮川泰のザ・ピーナッツ用の曲を思い出させる、洒落た中にも歌謡曲的に唄って楽しい要素が入っているのが良い。
ただ曲作りにおいてちょっと元ネタがはっきり分かりすぎるという欠点があったかな、と。彼女の最初の大ヒットである「水色の雨」にもそっくりの外国曲があるという指摘は当時からされておりました(私は後から自分で気がつきましたがデビュー曲の「思い出は美しすぎて」もユーミンの「あの日に帰りたい」そのまんま)。
「パープルタウン」では、A-B-Cと展開する曲のうち、歌メロは違うのだけれどもA-Bとさらにイントロまでもがあまりにも「そのまんま」だったので、言い訳ができなかった、ということでしょう。歌メロは大幅に書き換えられており、アレンジャーに罪をかぶせることはできなかったのかな?と思いましたが、"I love you more and more"のメロディがまんまなので、やっぱり確信犯ですね。
今なら「サンプリング」しました、と言ってはじめから「ご挨拶」しておけば、問題なかったのだと思うのですが、まあしょうがないか!
さて、実際にこの曲を聴いてみると、突然健康的になる後付けのサビも含めて、上手に唄っています。
歌詞を読むと、事情は良く分かりませんが、彼氏と喧嘩かなんかがあって、「一人でニューヨークに来てみたらすっかり機嫌が直ったので、仲直りのエアメールを日本に送りました。ニューヨークに来ると元気になっていいですよ」みたいな感じ。当時のJALのキャンペーンソングだったとのこと(Wikipediaによる)。さもありなん。
なんぼ軽薄な80年代とはいえ、こんな生活をリアルに受けとめられる人は少なかったと思いますが、この背伸び感が後のバブルに繋がったんでしょう、多分。
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