2009/06/20

ハルモニオデオン/遊佐未森

iTunesでいつのまにか遊佐未森がダウンロードできるようになっていました。
遊佐未森 - Travelogue - Sweet and Bitter Collection
昔のお馴染みのナンバーも入っていたのでアルバム1枚落としてみましたが、音が新しくなっていました。
↓地図をください
遊佐未森 - Travelogue - Sweet and Bitter Collection - 地図をください (Ruby Grapefruits Version)
新しい「地図をください」はウッドベースを使った上品なバージョンになっていますが、オリジナルのゴージャスな音が懐かしくなって、アマゾンで探して中古CDを改めて買い直しました。

超余談ですが、3年ほど前に営業車を運転中にAMラジオで聴いたジュディ・オングの「魅せられて」がすごく良くてアマゾンで落としたら別バージョンになっていて、その音がシンセサイザーで水増しした凡庸なものだったのでがっかりした経験があります。俺はあの、マンドリンの音が聴きたかったのにぃぃいっ!と歯がみしたものです。
遊佐未森のニューバージョンは悪くなっているとは言えないのですが、やっぱりオリジナルのアコースティックギターのカッティングとフレットレスベースが効いた、あの頃の音で「暮れてゆく空は」などを聴きたいのです。

「地図をください」が入っているアルバム「空耳の丘」が1988年、「暮れてゆく空は」が入っている「ハルモニオデオン」が89年。バブルっぽい豪華な副読本がついたこの2枚は初期・遊佐未森を楽しむのに絶好のアルバムです。私は特に「ハルモニオデオン」が好きです。
プロデューサーには外間隆史と太田裕美の夫である福岡知彦の名前がありますが、たしかに初期の遊佐未森は太田裕美のある部分を拡大したような世界が展開されています。そのうちにこの二人を含んだミルキーボイスの系譜なんていう研究もしてみたいものです。
遊佐未森の声は童女のようにも聞こえますが、その中にえも言われぬ色気を含んでおり、多重録音されたコーラス等を聴いているだけで幸せな気分になりますが、特にこの2作のアルバムにおける作り込んだ世界観と手弾きの楽器がたくさん入ったサウンドは、かけたお金がきちんと品質に反映されている良い商品だと思います。

2009/05/19

オフコースのライブビデオ2本/OFF COURSE

はてなダイアリーの方で書いたんですが、3年ほど使ったTVが壊れまして、部品保有期間内であるにもかかわらず「部品が無いので修理ができません。保証期間相当の差額を返金しますから(新しい地デジTVを買ってください)」といわれ、結局DVDレコーダーと液晶モニタを買ってきた私です。ついでにLogicoolの4000円の2.1chスピーカーも付けて、それじゃサウンドチェックでもするべえとオフコースのビデオを見ております。オフコースの音がどう聞こえるか、が昔からの私の基準なんです。


80年代ニューミュージックの頂点であり、また人気絶頂期と解散問題が重なって、周囲の様々な思惑の中で迎えた前人未到の武道館10日間コンサートの最終日。その公演の、アンコールを除いたほぼそのままの実況です。鈴木康博のオフコースとしての最後のステージでもあります。
MCは最小限というか上記のような各種問題にも一切触れず、ただ「言葉にできない」での小田和正の涙、スクリーンに映された"We are over""Thank you"のメッセージのみ。
そしてレコードの音をいかに5人で再現するかに拘った緊張感の高いステージなど、いつみても疲れるビデオです。
そしてこの頃のオフコースのバンド編成は僕のような素人が音声+画のヒント付きでぎりぎり楽器音が拾える限界でもあります。バンドスコアも出ているので、このセットでお勉強すれば作曲なんかも見よう見まねでできるようになります。


一方こちらはその5年後、"as close as possible"ツアーのライブビデオです。
音楽用のデジタル機器の実用化が進み、シーケンサーとの同期演奏をするようになっています。ドラムスの大間ジローがヘッドホンをしているのはガイドクリックを聴いているからでしょう。また、金管とキーボードにサポートメンバーが入り、今の小田和正がやってるライブの形態に近くなっています。適度に編集されて1時間ちょっとにまとめられていますし、不要な緊張感も無いので、娯楽作品としてはこちらの方が好きです。

2009/05/07

綺麗ア・ラ・モード/中川翔子(その2)

今週の始めに、去年書いた中川翔子の話のところにaediftさんからコメントをいただきました。このBloggerのフォーマットはコメントが埋もれてしまうので、本文の方に出させていただきます。
この曲は、まずメロディの系統的には、80年代より前、ニューミュージックよりさらに前の(それこそ筒美第一全盛期の)70年代前半の、(このメロ自体が特にどれに似ているということではないが)尾崎キヨ彦や、ちあきなおみ(や和田アキ子)が歌いそうなトーンのものに「強いて言うなら」聞こえる。
 そしてサウンド、響きの雰囲気的には、それらに加えて、80年代後半以降の、オルタナロックの影響を受けたそれ以後のポップスに出てくる音使いが頻出。
 つまり、80年代前半の、松田聖子全盛期の音楽の雰囲気を多分ほとんど持っていない。その時代部分だけがなぜか抜けているというほどに。当時の聖子のアルバムも多く聞いているが、特に似ていると感じさせるような曲はない。
 端的に言っても、当時の音楽はもっと「垢ぬけ志向で軽やか」、これは「やや熱め」。
 単に筒美氏が自由に書いたらこうなってしまっただけなのか、百戦錬磨だった御大二人が、管理人さん仰るその「松田聖子ごっこ」を巧妙にずらしてやったらどうなるか、の作戦に意図的に出たものなのかはわからないが。
 ・・とまあ、個人的にはそういうふうにも思えます。

aediftさん、コメントありがとうございました。

大意としては80年代の松田聖子にはあまり似てないと思うよ、ということだと思います。

そうですね。記事を読み返すと確かに私が書いた「(当時の松田聖子を)忠実に再現」はあまりに筆が滑り過ぎなのは間違いありません。週に1回くらいは更新しようと毎回焦って書いているのでどうも話を単純化して進めようとしてしまいます。

というわけで本日は、aediftさんご指摘のオルタナロックの影響までは絶対に行き着きません(よく知らないので)が、良い機会なので普通科高校卒業程度の音楽知識で追加の考察を書かせていただきます。

「綺麗ア・ラ・モード」の何をもって私が「松田聖子風」と思ったのかからお話しします。
表面的な聴き方かもしれませんが、最初に思いついたのが「ガラスの林檎」です。どこがどう、とは指摘し辛いのですが、例えば「ガラスの林檎」のAメロと「綺麗ア・ラ・モード」のBメロを4小節ずつハ長調にして貼付けてみました。

ギターコードは私がいい加減に弾き語り用につけました。実際の演奏音を拾ったわけではありません。「やにいぬ」は16分音符4つですが、体裁が揃うように恣意的に変えてあります。
不自然な音域の跳躍がありますが、ハ長調で始まって途中で短調っぽくなる、というニューミュージック系作品はたくさんあるので、これもありかなと…。
8小節目をG7にして「ガラスの林檎」の頭に戻ることもできますし、E7を入れて「綺麗ア・ラ・モード」のサビに向かうこともできます。似ていると思うのは4拍子なリズムと私がFのコードをはめたあたりの雰囲気ですね。強いて言えばこの辺?と思うところを緑で囲んでみました。

ところがBメロ後半からサビに向かうと全然違ってきます。
きっかけは「ながいてがすき」の「ナガイテ」のソ#です。
ここから後ろの臨時記号付き音符の多さはニューミュージック系作家の聖子作品(シングル曲だけ考えています)ではあまり見られないものです。
ちなみに、引用した範囲では臨時記号付き音符は出てきませんが、この「ナガイテ」以降、「かみにふレる」「ちがうソおらー」「すきーとオったみずノおと」のカタカナがそう。ハ長調に直したにもかかわらずピアノの黒鍵を使わなくてはいけない音は、1コーラスの歌メロで数えてみるとじつに11個あります。

同じことを松田聖子全盛期のヒット曲でやってみます。
チェリーブラッサム(作曲・財津和夫)=0
赤いスイートピー(作曲・松任谷由実)=0
ガラスの林檎(作曲・細野晴臣)=0
天使のウインク(作曲・尾崎亜美)=1(A♭ 冒頭部の「つケてあげる」)
ハートのイアリング(作曲・佐野元春)=2(B♭ サビ「くれなイの」「くないケど」)
裸足の季節(作曲・小田裕一郎)=1(E♭ ワたしです)
風立ちぬ(作曲・大滝詠一)=4(A♭ したためテイます」「あなたガクれた」)

参考
中川翔子/綺麗ア・ラ・モード(作曲・筒美京平)=11(A♭、G♭、B♭、D♭)
郷ひろみ/裸のビーナス(作曲・筒美京平)=7(A♭、E♭、B♭)

たとえば私がギター片手に、マイナーコードの曲の最後に「あなたがここにいる」というメロディを作ったとします。

一段目は歌謡曲風で無伴奏でも唄いやすく、流麗ですが「い」の半音がウェットな感じがして、年寄り臭い、暗いとも言えます。
二段目はギターの伴奏に引っ張られて何にも考えずに出てきた感じ。フォーク?としてみました。
三段目は意識的に一段目に似ないように注意しながら作ったメロディ。コードのE7-Amを例えばEm7-FM7などに変えちゃうとニューミュージック風になるかな?と。

80年代ニューミュージック系作家の闘いは、いかに歌謡曲や演歌にならずに曲を作るかということだったんじゃないでしょうか?その時に特に忌避されたのが、終止手前の「い」の音。E7のソ#の音なんじゃなかったのかなあ、と。これをやると流麗過ぎて歌謡曲になってしまうから。いっそ転調ならビートルズもやってるからいいけど、この音を入れるのはいやだったんじゃないか?

松田聖子に起用された作家たちはニューミュージックの中でも優等生で、特に大滝詠一や尾崎亜美はそのレベルから抜けていたと思いますが、一般にニューミュージック系の人たちはそれなりに耳が良かったり、外国の音楽に対する知識が豊富だったりしたんでしょうが、抽き出しの数や系統だった知識については不自由だったと思われます。
それに加えて「歌謡曲と距離を取りたい」という思いの狭間で、わざと棒を飲んだようなメロディを作っていたんじゃないでしょうか?あるいは起伏を抑えたメロディの、バックの和音が変化して行くことのかっこよさとかを打ち出したり…。
そのことで、当時、片や既成の音楽として演歌や歌謡曲の存在(さらに近親憎悪としての四畳半フォーク)があって、その湿っぽさに辟易としていた若者を中心にした音楽ファンは、この感じを洗練、クールと捉えたのでしょう(私はたしかそうだった)。
今思い出しましたが、当時の若者(つまり私たち)の間ではファッションでもカラフルなものよりモノトーンな感じが流行っていました。そして人間臭いことはカッコわるいことで、いかに無味無臭無色なクールでドライな存在でいられるか、という意識がとても強かったと思うのです。

そして、この「綺麗ア・ラ・モード」において筒美京平がやったことは、ある程度は80年代松田聖子ごっこ(相棒の松本隆はその気だし)にはつきあいつつ、でも自分の持つ能力をデチューンしてまで「忠実に」つきあいはせずに、半音階を多用した流麗でカラフルなメロディを作った(しかも「参考」で上げた「裸のビーナス」もそうですが、無伴奏で唄ってもこの半音が取れない、というメロディになっていません。鼻歌でうたってもちゃんと元の音に帰って来れるのが流行歌として素晴らしいですね)。
その結果、「綺麗ア・ラ・モード」は当時の音楽が持っていなかった色(彩度)や湿度を持ったのではないでしょうか(aediftさんは「熱め」と書かれていますが、私は彩度と湿度の違いと考えました)。

サウンド面の考察は私の手に余りますので割愛させていただきます。

2009/05/04

PLEASE/RCサクセション

忌野清志郎が亡くなったことについては、はてなダイアリーの方で書きましたので、こちらではRCサクセションの作品について考察しましょう。
私が高校の時にミュージックテープで買ったアルバム、"PLEASE"です。「トランジスタ・ラジオ」が入ってるヤツ。私、この曲大好きなんですよ。
RCサクセション - Please

本来は、一昨年の夏休みの自由研究でやった「日本語の問題」で触れるべきだったのかもしれませんが、忌野清志郎の歌詞の乗せかたがあまりに自然であったので、どちらかというとテクニカルな考察になってしまったあのシリーズでは通り抜けてしまいました。

年代で云うとRCサクセションは1970年前後から活動しているので、「日本語ロック」としてはサザンよりも前、はっぴいえんどの次くらいに位置します。ただしメジャーになったのは80年前後なので、私は「ニューミュージック」の一つとして認識していました。
かたやサザンオールスターズや佐野元春が日本語の実験をしている一方、RCサクセションは自然に聴き取りやすい歌詞をロックサウンドに乗せて唄っていました。この"PLEASE"を通して聴いても歌詞カードが無いと分からないという部分はありません。普通のボリュームで聴いていれば、唄っている内容が100%伝わります。

その理由を考えると、彼らの音楽にはR&Bの要素がかなり入っていて、R&Bは日本語との相性が良いからということが考えられます。余談ですが90年代前半に「和製ブラコン」が流行ったのは、既に演歌がパロディもしくは伝統芸のお手本として以外の商品価値を失っていて、その頃成人になった私たちが聴いたりカラオケで遊んだりするためのジャンルが無かったからだと思いますが、R&Bはその意味で演歌の代替として非常に優れたものでした。
そうした技術論は別にしても、唄っている忌野清志郎の意識として、歌にはメッセージがあるべきで、それを発信するためには聴く側が分かるように唄わなければ意味が無い、と思っていたということが何より大きいんだと思います。

さて、その聴かせたいメッセージはどんなものだったか?
実は80年当時、RCサクセションのような具体的すぎる歌詞は、ださい四畳半フォークを典型として「ニューミュージック」で否定されていたものです。

たとえば同じ頃オフコースで小田和正が書いていた歌詞は5W1Hが全然揃ってません(オフコースは大好きなんですけどね)。
「君が」「そのまま(でいる)」「そのとき」「そこで」「わけもなく」「そんなふうに」
まあ、だいたいこんな感じ。そして、(乱暴に言えば)オフコース以降のほとんどのメジャーなアーティストの歌詞がこんな感じです。良く云えば作り手の限定的なイメージを聴き手にぶつけるのでなく、聴き手が自分なりに物語を付け加える余地を残しているとも云えますが、悪く云えば無責任な歌詞です。

それがRCサクセションだと
「君が」「ズボンを縫っている」「年末に」「アパートの部屋で」「僕の正月用のズボンを仕上げるために」「徹夜で部屋中がゆれるようにミシンをふんで」多分、彼女もいろいろと忙しくてクリスマスには間に合わなかったんでしょうね、などと背景まで見えてきます。

忌野清志郎はその具体的な歌詞から生まれるリスクを自身のこととして引き受けながら表現をしていました。「あきれて物も言えない」では明らかに忌野清志郎自身が誰かに発した言葉として唄っています(Wikipediaによると「どっかの山師」=泉谷しげる ということらしい)。最近でもラッパーの世界では歌詞に気に入らないヤツのことを唄ったりする例があるそうですが、あまりにも歌の世界が閉じていて一般人が共有できないのが残念。あ、桑田佳祐が「孤独の太陽」に当時のメジャーな歌手では珍しく具体的な歌を収録していましたが、すぐ謝っちゃったしねえ…。

閑話休題。
また、RCサクセションの歌詞はいわゆる「ブルーカラー」の若者の歌です。
"PLEASE"の歌詞の世界では、主人公の若者は「金が欲しくて(結構キツい職場で)働いて」いて、夜や週末にカノジョとドライブしたり部屋で過ごしたりすることを生き甲斐にしています。恋人との間では楽しくいちゃいちゃすることもあれば、「妊娠したかも」と新たな苦労が発生したりします。勤めている零細企業にはすぐに「クビだ」というしょぼい社長がいて、給料は上がりません。

今、派遣切りだなんだと若者をめぐる状況は80年代よりも不幸なものになっています(ま、我々オジサンたちも親の代よりも厳しい気がしますが)。何年に生まれて何年に学校を卒業するという確率的要素だけで、就職するにも著しい条件の違いがあるのは不条理だと思うのですが、そのことに対する怒りを忌野清志郎的センスで昇華した歌があっていいと思います。しかし、少なくとも売れてる音楽の中にはそういうものが見当たりません。非常に抽象的で、すべての苦難を自分の精神世界だけで解決(「夢を持って」とか「あきらめないで」とか「自分らしく」とかね)してしまい、自分をその状況に陥れた個人とか組織とか社会に対して具体的な怒りをぶつける歌が不思議なほど出てきません。
別に自分の不幸をすべて他人のせいにしろ、とそそのかしているわけではありませんが、明らかに政治や経済における不備や人災的なものに対してはきちんとその原因を見極め、攻撃すべきは攻撃するのが主体的に生きることだと思うんですけどね。
それに、そういう歌を唄うことでガス抜きすることも大事だと思うんです。今、ガス抜きが出来なくてひとりで内側から爆発しちゃう人が多いじゃないですか?「そうか、そうやって考えて良いんだ」「それを表現して良いんだ」というところから若い人に教えてあげるべきじゃないかと…。

だからキヨシローの追悼も良いんですけど、彼とは違う表現で今の時代に生まれたメッセージを発する、若い才能に光を当てることが大事だし、彼の遺志を継ぐことなんじゃないでしょうか?

2009/04/29

ハナウタ〜遠い昔からの物語〜/エレファントカシマシ

レコード業界の物流がどうなっているのか知りませんが、休日にも関わらず今週の新譜は今日29日に発売になっています。
エレファントカシマシのニューアルバム「昇れる太陽」も本日発売なんだそうです。



私はアルバム買うほどのファンではありませんので、iTSで美味しいとこだけダウンロードしようと思って、一番人気があったこの曲を落としてみました。
エレファントカシマシ - 昇れる太陽

以前に触れた時にも書いたのですが、エレファントカシマシの音楽は「良い意味で」アマチュアっぽく、ちょうど私くらいのレベルの音楽ファンにとって耳で拾いやすく、マネをしてみたくなるような音楽です。
この曲もイントロ8小節→Aメロ8小節→Bメロ8小節(+ブリッジ)→サビ前半8小節→サビ後半8小節と構造がはっきりしていて、ノートにばっばっと線を引いて分解しやすいことこの上無し。ピアノとギターとオルガンが聴きやすいので、コードも拾えそうです。

同じような編成のバンドでもミスチルやスピッツだと途中でそんな作業はしたくなくなりますが、エレカシだと最後まで挑戦しようかな、と思わせる。敷居が低いです。ついでに歌詞の聞き取りも容易で、これは最近のJ-POPでは希有と思わせるスタイル。喉大丈夫かなと思うほどストレートな発音と発声です。
昔、私が今よりもうちょっと熱心に曲作りをしていた頃、やろうとしていた方向に近いです。
ただ私はコーラスとシンセ音は入れたかった人なので、これほどロックではありませんでしたが、エレカシも有名な曲は意外と普通のポップスと共通する展開をしているので、遠い感じはしません。
この「ハナウタ」でも前半のコード進行はロックっぽい動きをしているようですが、サビの後半では「クリシェ」と云われるベース音の半音下降がやけにはっきり使われていて、作り手の発想の順番がトレースできるような気がします。

ただJ-POPとはいえ、エレカシのメンバーも既に40代。この音楽が今どのように受けとめられているのかが良く分かりません。ファンは30代女性?あるいは30代男性?
私が今から曲を作ったら間違いなく同じような背景を感じさせるスタイルになると思っていて、それが恥ずかしくて自作から遠ざかっているのですが、今でもこういうの本当にありですか?オジサンもやっていいすか?と誰かに訊いてみたい気分。

2009/04/19

It's all Love!/倖田來未×misono

桑田佳祐とは打って変わって、倖田來未と実妹・misonoのデュエットを聴いてみました。


iTSでバラバラ落としてくれば、200円で聴けます。
サウンドのみ→倖田來未×misono - It's all Love! - EP - It's all Love!
ミュージック・ビデオ→It's all Love!

倖田來未にはほぼ全く興味が無く、特にここ2年くらいは主観的には全く退屈なよくあるバラードを唄っている人としか思っていませんでした。ですが今回、狸顔がかわいい妹と組んでなにやらはじけた気配の歌を出したということで、ビデオをiTSで落としてみました。

すると曲が全く印象に残らなかったので、改めてもう200円出して曲だけiPhoneでループさせながら聴いてみたところ、まあまあ良かったです。もともとこの曲は、歌手として行き詰まりを感じさせる(というキャラでバラエティに出ている)妹の方の救済措置であるかのように見せて、実は倖田來未へのレバレッジにもなっている、というよく考えられた戦略商品だと思われます。曲のフォーマットは遠い昔に私が相棒とカラオケで歌った"BOMBER GIRL"(近藤房之助&織田哲郎)に似ています。
個々のメロディをバラして聴くと、どこかにあったような部品の寄せ集めで、とにかく美味しいところをずらっと並べましたから、歌に自信がある人はカラオケで遊んでね!という感じ。ハモリもちょっと楽器とか触っている人が良く聴けば耳コピ可能です。私はこのブログで商業主義ぷんぷんの曲を批判しているように思われているのかもしれませんが、本当に批判したいのは「計算とテクニックだけで作っているくせに素人の美しい誤解で良い曲だ、と思わせようとしている曲」で、このように最初から開き直っている曲は好きです。

さて、この作品ではビデオ映像やパート割りで「スリムなお姉ちゃん&ちび(でぽっちゃり)の妹」「低音のお姉ちゃん&ハイトーンの妹」という図式を成立させようとしています。Wikipediaの記載が本当なら、二人は同じ身長で、しかも意外と小柄(154cm)なようです。あと、ダンスは二人とも得意じゃないみたい。お姉さんはそれなりにビッグネームになって世間にもそれなりの幻想が流通していますが、妹の方は魔法が解けた倖田來未を体現しているような存在になっており、その意味でmisonoの存在は実は倖田來未にとって結構危険な存在になっていることに気づかされます。
でも、ルックスなら断然私は妹派ですが…。

2009/04/02

昭和八十三年度!ひとり紅白歌合戦/桑田佳祐(Disc-2)

「ひとり紅白歌合戦」の後半、Disc-2の話。

Disc-1が懐メロ主体であり、かつ作り込みの深いプログラムだったのに対して、後半はややリラックスムード。「ヒロシ&ハラ坊 from SAS」の「三年目の浮気」なども織り込み(桑田本人は休憩)、サザンと同世代または後輩に当たるアーティストのヒット曲をスピーディーに展開していました。

こうして、普段の自前のバンドにおける桑田佳祐とは違う顔を見ていると、いろんなことが分かってきて面白いですね。例えばMCで段取りを進めるときの口調が先代林家三平に似ている、とかハンドマイクで唄う時に動きのレパートリーが乏しい(ちゃんと踊りを勉強したことがないので)こととか。
善くも悪くも緊張感が漲っていないステージは長尺だけれど見ていて疲れるところがないのは好ましいところです。

私はこのDVDを見ながら、米米CLUBのライブビデオのことを思い出していました。

私が見たのは上の"THE 8TH OF ACE"という作品です。「君がいるだけで」がバカ売れした直後の武道館公演のライブビデオでしたが、これも長尺かつおふざけ要素たっぷりのプログラムです。オリジナルだけでなく、例えば「さらば恋人」のカバーとか郷ひろみのパロディなんかをやっていて、「ひとり紅白」に結構近い。米米CLUBはもともと山本リンダのネタなどもやっていたので、違和感はありません。

二者に共通なのは、「あくまでも余興」という前提で展開する冗談の気楽さです。桑田佳祐もちょっとそういうところがありますが、オリジナルの作品でも自分の内面をさらけ出すよりも、「これってこういういことだよね」という批評的作品作りで伸してきた人たちです。そして時折見せる本音を混ぜたときに、それでも商売になるのが桑田佳祐で、ちょっとつらくなっちゃうのが石井竜也。今の両者にちょっとランクの違いがあるとすればその辺じゃないかなあと私は思っています。

Mine or Yours/宇多田ヒカル

ベストアルバム"SCIENCE FICTION"を買った後しばらくぼーっとしていましたが、5月になった途端にYouTubeでライブ配信的なものを見かけました。配信は途中から見たのですが、過去のMVが次々流れていて、いつから新作発表になるのかわからず、見るのやめ...