2008/12/13

シンフォニック・コンサート 2008/小椋佳(&東京フィルハーモニー交響楽団)

私には大変珍しい事ですが、知人の誘いがあったのでコンサートに行ってきました(音楽が趣味と言っている割にコンサートには滅多に行かない。この前に行ったのは一昨年のビリー・ジョエルのナゴヤドーム公演で、その前は2000年の宇多田ヒカルのファーストツアーなんですorz)。12月10日に渋谷のBunkamuraオーチャードホールで行われた、小椋佳と東京フィルハーモニー交響楽団による「シンフォニック・コンサート 2008」です。


小椋佳は、現段階では「夢芝居」とか「愛燦燦」とか、結果としてショップの棚割り的には「演歌」とされるヒット曲を持つ作家ですが、もともとは「ニューミュージック」の最初のランナーの一人でした。世代としては「団塊」より2〜3歳上ですが、デビューは1971年ですから、団塊世代と同じか少し遅れ気味にキャリアをスタートしています。
音楽性無視の乱暴なメッセージソングとしてのフォークでなく、大先生が大量生産するいわゆる歌謡曲でもない、アマチュアの善良性と美しいメロディを併せ持つ新しいジャンルの流行歌(=ニューミュージック)。ただし、他のニューミュージック系アーティストのようなビートルズおよびそれ以降のロックからの影響は表立って見られません。戦前戦後を通じた日本の流行歌の良心のようなものを再生するような方向性が感じられます。

また、そのもっとも注目されていた時期に、彼は東大卒のエリート銀行員であり続けたというところも特異なところで、メガヒットを持ちながらも専業音楽家でなかったライフスタイルも独特でした。その全盛期に中学生だった私もその音楽にはいろいろと影響を受けました。
しばらく前に大病をして、その後は声も衰えた印象があったので、いかがなものかと思いながら会場に足を運びました。

小椋佳は、もともとどんな曲でも唄いこなすような実力派歌手ではありません。生まれ持った声質が良く、その声の説得力で通用してしまう人(松山千春も同じタイプですが、あっちは芸能人パワーが強いので「実力派」に収まってる)です。小椋佳の声は木管楽器のようで、オーボエに似ています(人の声を楽器に喩えるのもどうかと思いますが、ついでに書いちゃうと宇多田ヒカルはバイオリンに似ています)。

そんなわけで、10日のコンサートでも時々声が裏返ったり、マイペースなテンポでオーケストラを振り回したりしながらも最後まで唄いきってくれました。特に肩が暖まった(?)後半は安定して、声が良く出ていました。途中のMCで本人が言っていましたが、歌の中でテンポを変えることによって「自分なりの説得力」を付与しているつもりなのだそうで、「ポップスのバンドだと気にせずにオンタイムで演奏を続けてくれるんだけれど、オーケストラはそれに合わせようとしてくれるので、却って申し訳ない」と言っていました。この話も深めると面白いのですが、多分とても長い余談になるので、今日は止めます。
MCは饒舌で、選ぶ単語は抑制されているのに、内容はそれなりに辛辣な話をするのが良い意味でインテリ臭く、庄司薫のエッセイ等と共通する匂いがあります。

さて、久々に小椋佳を聴いて、確認できたことがいくつかありました。
これはCDで改めて拾ってみたのですが、彼の曲はほとんどC3〜D4(最大でA2〜F4くらい)で作られており、一般成人男性が一緒に唄ってストレスが無い音域で作られています。もっと高いキーのように聴こえるのですが、彼の高音部はキー以上に伸びやかな印象を受ける声になっているのです。

もう一つは曲の作り方、構成の仕方の特徴です。
初期の自身のヒット曲や、布施明・中村雅俊らに提供した曲は、ちゃんと分析すると、A-A-B-A-Bというパターンが多い(これより後の「夢芝居」はA-A'-B、「愛燦燦」はA-(B)-Cと、わりと普通)んですが、この"A"の部品が大きい。この"A"だけで展開がくるくると代わり起承転結があるので、それだけでもう1コーラスの様に聴こえる。ところがそれを2回繰り返して2コーラスが終ったのかと思うと、そこから更に派手な"B"が来て、聴いている方は「こりゃうれしい不意打ちじゃわい」という満腹感があるのです。

こうした構成は、その後のニューミュージックでA-B-A-B-C-Bみたいな「大サビ付き」という形で一般化するので、今の人にはありがたみが分からないかもしれませんが、当時の歌謡曲やフォークではあまり見られない構成でした(ひょっとしたら「無法松の一生〜度胸千両入り〜」あたりがその大元かもしれない)。
ということは、小椋佳はその頭の良さから、曲をかなり俯瞰で見ながら作っているのではないかと思われます。生まれてくるメロディがその瞬間に曲全体の構成の中でどういう位置にハマっていくのかが見えてくるような。構成を決めて、コード進行を決めて、後は現物合わせ、というニューミュージック的作曲法はしていないような気がする。昔の腕のいい大工さんが図面を引かなくても家を建てられたように、頭の中に全体像がぱーっと浮かぶんじゃなかろうか?と同時に、唄う快感にも敏感な人なので、部品単位でちゃんとおいしいメロディを紡いでいきます。

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