もうすぐ新曲が出るようなので、いよいよ宇多田ヒカルの話を書き始めます。
東芝EMIのオフィシャルサイトで入手したブログパーツも加えて、ここ1週間くらいで特集しようと思っています。
とりあえず、実質デビュー作と云える"Automatic"を改めて鑑賞してみます。
私はこの曲を外回りの仕事中に、ライトバンのAMラジオで初めて聴きました。
今考えても何が引っかかったのか分からないのですが、とにかくすごく気に入って、また聴きたい、と思いました。当時35歳くらいだったと思いますが…。
こういう引っかかり方をしたのは、ドリカムの「彼は友達」以来で、かつそれよりも鮮烈な印象を受けました。
何が鮮烈だったかというと、少なくとも日本の同業者の誰とも似ていない、と思えたからです。
そこそこの才能の人間が、プロデューサーなどに叩かれ叩かれて、いわゆる「売れセン」の曲作りをマスターして出てくるという、よくある大衆音楽のパターンと違って見えた。宇多田ヒカルはほとんど天然物に見えたのです。
近田春夫は週刊文春連載の「考えるヒット」で、「宇多田ヒカルが出てきたことでそれまで本格的だと思われていた(特にR&B系の)アーティストが色あせて見えるようになってしまった」というようなことを書いていました(すみません、本がどこかに行ってしまって正確に引用できません)が、本当にそんな感じでした。それまで上質な音楽だ、日本人離れした本格派だ、と思って聴いていたアーティストが、実は良くできた洋楽コピーで、所詮はマーケティングがうまくいっているだけだったんだということを、なんとなく気づかされてしまったのです。
近田春夫はその文章の中で、割を食ったアーティストの名は挙げていませんが、想像するに一義的にはSpeed、さらにはMisiaあたりのことを言っていたのではないかと思います。ちなみに、私の中ではそれがドリカムでした。宇多田ヒカルを聴き始めたら、ドリカムが聴けなくなってしまったんです。大好きだったのに…。それは単純に彼女が吉田美和よりもレベルの高い、バイリンガルなシンガーだったからではありません。
宇多田ヒカルも世に出た当初は偽Misia的R&Bの歌姫路線として認知されていました。今思うと当初の「R&Bサウンド」は、おそらく1998年のミュージックシーンというパーティに15歳の女の子が出て行くに当たって、そういう衣装を選んだだけでしょう。彼女の本質にはR&Bサウンドはあまり関係ありません(いくつかある彼女の志向の中の、ひとつではあるんでしょうが)。
では本質はなんなのかというと、15歳の女の子が自作の楽曲で、その年代をきっちりと表現して見せたことだった、と思うのです。
それまで中年や青年が書いた15歳という表現はあったけれど、現役の15歳の(少年)少女が、今の自分の分身としての15歳を歌い、それが大人の作った楽曲に混じってもレベルが高い、なんていう例はほとんど無かったのです(それに非常に近い希な例が尾崎豊で、だから彼はカリスマだったのでしょう)。
それは、「15歳で、もうこんな表現ができる(なんて早熟なんだろう)」という驚きではなくて、「(まぎれもない)15歳の少女が、こんなに高いレベルで15歳を表現している」という驚きだったんです。
これはホントにすごいことだったと思います(この話、ぼちぼち続く)。
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